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第24話『貴方のいないこのセカイ』

そこからの私は、何もかもが空虚(からっぽ)だった。

蓮也の葬儀を終えても、現実感は少しも戻ってこなかった。

精神的な影響から、不規則に襲ってくる正体不明のひどい頭痛。それに伴う物忘れ。集中しようとしても、思考の途中でぷつりと糸が切れてしまうような。


上司からは休職を勧められ、私は警部補としての職務から一時的に離れることになった。けれど、蓮也がいなくなった今の私にできることといえば、蓮也との写真を眺めることくらいだった。

何度も見返したメール。消せないメッセージアプリのやり取り。ふざけたスタンプ。たわいのない冗談。「また夜必ず連絡するから」という、最後の言葉。


いつ起きて——いつ眠ったのか。何を食べたのか——そもそもちゃんと食べていたのか。

そんな記憶すら曖昧で。

日課だったジムにも行かなくなり、筋力が衰え、体重が十キロ以上落ちた。けれどそれ以上に、自分の中から何か大切なものが抜け落ちてしまった感覚。まるで世界中で私一人だけが、ぽつりと置き去りにされてしまったようだった。


あの時、私がもっと強く問い詰めていれば。

あの時、電話を切らせず居場所を聞き出していれば。

あの時、蓮也の違和感にもっと早く気づいていれば。

そんな後悔ばかりが。

何度も、何度も、私を苛(さいな)む。


そんな日々が続いていた、ある日のこと。

証拠品として押収されていた蓮也のスマートフォンが、解析を終え私の元に送られてきた。


本当は、見るべきではないのかもしれない。

見たところで、蓮也は戻ってこない。

それでも私は彼のことを知りたかった。

彼が何をしていたのか。誰と関わっていたのか。何故、あんな場所で殺されなければならなかったのか。

震える指先を殺しながら、私は蓮也のスマートフォンの電源を入れる。

ロックは簡単に解除できた。

蓮也が昔から使っていた、あまりにも単純な番号。

私と蓮也が初めて付き合った日付。


「……ばか」

呟いた瞬間、うっすらと涙がこぼれ落ちる。

蓮也のメッセージ履歴を遡っていくと、そこに残されていたのは、ほとんど私が知っていることばかり。

気がつくと、私は息をすることすら忘れ、画面に並ぶ文字列を食い入るように凝視していた。

けれど、いくら履歴を遡っても不審な点は見当たらない。

蓮也が危険な仕事に自ら手を染めていたような痕跡も。違法な取引に関わっていた証拠も。誰かを騙そうとしていた形跡も。

何一つ、出てこなかった。


結局丸一日かけて、スマートフォンの中身を隅々まで確認した頃、不意に本部から一本の電話が入る。

内容は、蓮也の殺害に関与した疑いのある人物が浮上した、というものだった。詳しく話を聞いていくうちに、その容疑者が"とある犯罪組織"の構成員であることが判明する。

その組織の名を、私はよく知っていた。

知らないはずがない。

震える指で、送られてきた資料に記されたその名前を何度もなぞり確認する。


「なんで……なんで……蓮也が……」


通称——BO9(ビーオーナイン)。

正式名称は、血濡れの鯱(ブラッディー・オルカ)9。

一般市民にその名が知られることはほとんどないが、私たち警察にとって連中は、決して無視することのできない敵対組織の名称だった。


殺戮屋(ころしや)四大派閥の一角にして、戦後日本に駐在していた欧米人を中心に設立された犯罪組織。

当初は、闇市に流れる武器、酒、薬物、密輸品などを管理する小規模な集団だったという。しかし海外の犯罪ネットワークとの繋がりを利用し、近年急速に勢力を拡大。

現在では、日本国内に拠点を置きながらも、海外マフィア、武器商人、密輸業者、傭兵崩れ、違法ブローカーなどと複数のコネクションを持つ、巨大ギャング組織へと変貌している。


組織名にある鯱(シャチ)は、海の頂点捕食者を意味しており、明確な天敵が存在しないこと。集団で狩り(シノギ)を行うこと。そして時には、弄ぶように獲物(ターゲット)を痛めつける残虐性から、奴らはその性質を自分たちの象徴として掲げている。

ナインの由来は、組織内部が九つの主要部隊に分けられていることから来ているとか。


構成人数は約五百人。

四大派閥の中では、二番目の規模を誇る。

構成員の国籍は多様で、日本人、アメリカ人、ロシア系、東南アジア系、南米系などが入り混じっている。

主な収入源は、薬物の密売、銃火器の流通、違法賭博、人身売買、要人襲撃の請負、企業恐喝、密輸の護衛など。


奴らにとって、"殺し"はあくまで専門業務の一つであり、梯宮家のように美学や伝統を重んじているわけではない。

BO9にとって殺人とは、交渉を有利に進めるための手段であり、見せしめであり、商売道具の一つに過ぎない。


手口の特徴は、とにかく派手で大胆なこと。

銃火器を多用し、集団での一方的なリンチを主とする。

標的だけを静かに消すのではなく、周囲の人間ごと恐怖に巻き込むことで、自分たちの存在を誇示しているのだ。

金と恐怖で繋がった組織であるため、裏切り者や内通者も少なくない。その派手な手口ゆえに警察や公安の監視対象になりやすく、四大派閥の中では最も表社会に露出しやすい危うさを抱えている。


だからこそ、分からなかった。

いくらおっちょこちょいの蓮也とはいえ。

あの蓮也が、こんな野蛮なギャング組織に自ら近づくほど馬鹿ではない。

それだけは、誰よりも私が理解しているつもりだ。

なのに。

それなのに。


【2:42】


「騙されてたんですよ、カレ」

「何……?」

「真白さんのカレが運んでいたものは、何の変哲もない、それこそ普通の食料品です。それは事件当日も変わりません」

残り時間が僅かだというのに、罪深に焦りの様子はない。


「ですが――運んだ場所が悪かったんです。カレの配達先は、カレの先輩が騙して金を持ち逃げした"組織のど真ん中"だったんですから」

「……ッ!?」

「その先輩とやらは、BO9を相手に取引の仲介役を装って、前金だけを持ち逃げしました。ですが、奴ら相手にそんな真似をして、ただで済むわけはありません。連中は逃げた男を血眼で探していました」


「まさか……!」

「先輩とやらは、逃亡の直前に蓮也さんへ仕事を振りました。いつも通り何も知らない運転手として。指定された食料品を、指定された場所へ運ぶだけの簡単な仕事として」

「……違う」

「違いません」

罪深は、少しも表情を変えずに言い切る。

「カレは何も知らなかった。届け先の正体も、自分が誰の身代わりにされたのかも。何一つ知らないまま、BO9の連中が待ち構える倉庫へ、のこのこ向かったんです」


「やめろ……」

「BO9にとっては、真白さんのカレが本当に関係者かどうかなんて大した問題じゃありません。逃げた男に繋がる可能性があるのなら、尋問でも拷問でもして吐かせるだけですから」

「やめろ……!」

「最初は、外から見えにくい場所からでした。服で隠れる部分の皮膚を裂いて。爪を剥いで。指を折って。火傷を負わせて。殴って、蹴って、床に転がして、それでも喋らなければまた椅子に縛り直して……」

 

「やめろと言っているのが聞こえんのかっ!!!」

真白の怒声が響く。

だが、罪深は口を止めない。

「けど——カレは本当に何も知らなかった。吐くものひとつなかったんです。知らないものは、どれだけ痛めつけても吐けません。最後には、何発もの銃弾で浴びせられ見せしめのように——カレは殺されたんです」


「いい加減にっ……!!」

「蓮也さんは、BO9の構成員でも、裏切り者でも、密売人でもありません。ただ少しお金に困っていて、人を疑うことを知らなくて、少し運が悪かっただけの――哀れな一般人ですよ」


【2:08】


明かされた真実。

やっぱり、蓮也は悪人ではなかった。

裏切り者でも、密売人でもBO9の一員でもなかった。

それがわかってほんの少しだけ安心する。

同時に、怒りと悲しみと喪失感、行き場のない哀れみが全部が一斉に押し寄せて、胸の内側を滅茶苦茶に掻き毟っていく。


「蓮也……蓮也ぁ……!!」

喉の奥から絞り出すように、気づけばその名を呼んでいた。

膝の力が抜け、そのまま前のめりに崩れ落ちかけたその時。

誰かが、私の身体を横から支えるように抱き留める。

「安心してください。その復讐は、私が請け負います」


「どういう……意味……だ」

問い返す声は、自分でも驚くほど掠れていた。

次の瞬間、不意に右手を何かに強く引かれる。

「……っ!?」

そのまま、半ば引っぱられるようにして、私は走らされていた。

「くっ……離せ……!!」

「時間がありません。このまま聞いてください。真白さんは真実を知った上で、蓮也さんのいないこの世界を、それでもまだ生きたいと思いますか」

彼女は淡々とした口調でそう告げる。


「それは……」

私はそこで、一度口を噤んだ。

生きたい。そう迷いなく即答できるほど、今の私にこの世界への未練が残っているのかと言われれば、そうではない。

だが死にたいと言い切れるほど、まだ何もかもを捨て切れてもいなかった。

最愛の人を奪われた怒りと同時に、彼が最後まで私の知る彼のままだったことへの安堵。

そして、だからこそ余計に膨れ上がる行き場のない感情が、胸の奥でぐちゃぐちゃに絡まり合い、私の呼吸を乱していく。


「無理強いはしませんよ。最後は真白さんが決めてください」


✳︎ ✳︎ ✳︎

 

【0:02】


【0:01】


【0:00】


============================

けっかはっぴょう〜搬葬送(はんそうそう)ゲーム〜

グループ:チームC

難易度:★★★☆☆

だつらく者:しのぶ

えむぶいぴー:ケツデカ未亡人

行動ろぐ:るーるいはんすれすれだぼけぇ!

総合ひょうか:あぁん?ぜろてんにきまってんだろ!

ねくすと:さっさとめしくってねろ!

============================


三チームすべてが第三の試練(ゲーム)を終え――生き残った者たちは、それぞれ扉の先にある休憩室へと合流していった。

時間にすれば、たった十五分にも満たない。

けれどその十五分はあまりにも濃密で、誰の顔にも疲労の色がどんよりと滲んでいた。

「良かったぁ〜!生きてるって信じてましたっ!」

そんな中、私の隣にいた烈々子が、突然勢いよく立ち上がって声を上げる。

 

「真白さんっ!!!」

「烈々子殿も、無事で何よりだ」

真白さんだ。

良かった。

生きていたんだ。

唯一、未だ一人も帰ってきていなかったチームCの三人。

胸の奥で膨らみかけていた最悪の想像が、そこでようやくほどけていく。

「……大丈夫ですか?顔色が少し悪いみたいですけど……」

「ああ、心配無用。色々あったが今は大丈夫だ」


真白さんの声色は、いつも通り落ち着いてはいたものの、私の目から見ても彼女の顔色は明らかに悪かった。

血の気が引いているというより、こんな状況でなければ即座に病院行きを勧めるくらいには、ひどい顔色だ。


……とはいえ、それは彼女だけに限った話ではない。

今、鏡を見れば、私もきっと似たような顔をしているのだろう。

というか、していない方がおかしい。

経験した身だからこそ分かる。

今回の試練(ゲーム)は、今までとは比べものにならないほど過酷だった。

本来なら空腹と喉の渇きで頭がいっぱいになっていてもおかしくないはずなのに、緊張の余韻がまだ身体にこびりついている。

胃は縮こまり、喉は乾ききっているのに、食欲なんてものは欠片も湧いてこない。

それほどまでに、あの十五分間に起きた出来事は"異常"だった。


「罪深ちゃん、君はやっぱり生き残ったんだね」

机に頬杖をつきながら、百千切がそう言った。

確か、二人は第二試練(ゲーム)でペアだったはずだ。

「はい。一番の目的も達成できましたし、大大大満足です」

罪深は、薄く笑いながらそう言った。

真白さんとは対照的に、彼女には一切疲労の色が見えない。

 

「あれ、一緒にいた梯宮(あのひと)は——」

「死にましたよ」

「え」

罪深の一言に、私は思わず口をぽかんと開けてしまう。

梯宮が――死んだ?

その衝撃的な事実に、頭が一瞬追いつかなくなる。

真白と罪深には申し訳ないが、正直なところ、彼女は真っ先に生き残る側の人間だと思っていた。

どんな手を使ってでも生き延びてやる。

どれだけ他人を踏み台にしてでも、自分だけは最後まで残ってやる。

そんな執念のようなものが、梯宮からは滲み出ていたからだ。

 

「そうだったんですね。そうなると今回は日凪(ひなぎ)さんと梯宮さんの二人が……」

「最初は十二人もいたのにね。気がつけば残る生存者は七人。空腹で僕も餓死寸前だし……このままポックリ逝ったら、死体の運び役は頼んだよ、瑠璃ちゃん」

「縁起でもないこと言わないでください!あと少しで“ディナータイム”らしいですから、もう少し耐えてください」

「はいはーい」


気の抜けた返事をしたかと思えば、百千切はそのまま机に突っ伏して沈黙した。

……いや、寝ている。

耳を澄ませば、すやすやと規則正しい寝息が聞こえてくる。

恐らくこのまま放っておいても、百千切なら大丈夫だろう。


✳︎ ✳︎ ✳︎

 

「ったく……いくらなんでも滅茶苦茶すぎんだろ。俺の渾身の作品――判決の双皿《ヴァーディクト・リブラ》を、あんなえげつねぇ方法で攻略しやがるなんてな」

「躾(ちつけ)がなってない!部下の管理はキチンとちないとダメでちょ!」

「るっせぇ!まさか"ドブネコを身代わり"にして、棺桶から抜け出してましたなんて、番外戦術にも程があんだろ!!」


年若い若い鼠面は苛立ちのまま、傍に置かれていた高そうな花瓶を蹴り飛ばした。

甲高い破砕音と共に、色鮮やかな破片が床へ飛び散る。

「キャーーーーッ!!」

それを見て、もう一人の小柄な鼠面を被った人物が嬉しそうに悲鳴を上げる。

 

「地這滑(ちはずり)罪深(つみか)……コイツはやっぱ問題児だな」

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