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第23話『よみがえる過去』

side:C(真白×罪深)


【3:00】


「 罪深(きでん)が何故……蓮也(れんや)のことを、いや、BO9のことを知っている……」

「曲がりなりにも、私は一応梯宮(うてなみや)探偵事務所の端くれですので。敵対組織の内情(モメゴト)くらい、色々と小耳に挟むんですよ」


「う……ぐっ!」

その瞬間、真白(ましろ)の頭蓋を、内側から殴りつけられたような鈍痛が貫いた。

忘れてはならない。

忘れられるはずがない。

伊佐木(いさぎ)蓮也(れんや)。

彼の名前。彼の声。彼と過ごした数々の思い出(メモリー)。

それらが走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

けれどそれは、温かな記憶であると同時に、真白の奥底に深く突き刺さった、最も思い出したくない古傷(トラウマ)でもあった。


✳︎ ✳︎ ✳︎


それは、いつか遠い昔。

ある夏の日の、断片(きおく)。

 

「――や――んや!起きて、いつまで寝てるの!」

「母……ちゃん?……むにゃむにゃ……起きてるよ……あともう少しだけ……むにゃ……」

 

ボフッ!

「ふぃごぉ!?」

布団越しに額へ容赦ない手刀打撃(チョップ)が落とされる。

少年は思わず、奇妙な悲鳴をあげて布団の中で身をよじった。

「蓮也(れんや)!今日は大事な運動会でしょ!!実行委員の私たちが遅刻したら、鏑木(かぶらぎ)先生に叱られるよ」

「痛ぇ!……起きるから叩くなっつの……」

眠気眼をこすりながら、少年はゆっくりと瞼を開く。


「――って、なんだ真白(おまえ)かよ!なんでいつも勝手に人ん家に上がり込んでんだ!?」

「当然でしょ!?どうせまた遅くまで夜更かししてたんでしょ? 部屋もこんなに散らかってるし!私が片付けても、すぐに汚すんだから!」

「ちぇっ……相変わらずお前ってやつは……うるせぇ口だぜ」

「それたぶん、使い方間違ってるし!」

幼い少女は、蓮也のくしゃくしゃの寝癖を両手でわしわしと強引に整えると、半ば無理やり着替えを急がせ、まだ目も開き切っていない彼の手を引いて、階段をどたどたと駆け降りていった。


「あら、真白ちゃん!悪いわね〜、うちの蓮也がいつもいつも」

「大丈夫です!家もお隣ですしついでですから」

「しっかり者だわ〜。真白ちゃんがお嫁さんに来てくれたら、うちの子も安心なのにね〜」

「えっ」

少女は思いがけないその言葉に、思わず頬を赤らめる。


「母ちゃん!な、なに変なこと言ってんだよ!」

「フフフ。二人とも、お顔真っ赤にしちゃって。朝ごはんは? 真白ちゃんも食べていく?」

「い、いえ……!今日は運動会の実行委員がありますので!ほら、早く行くよ蓮也!」

「えー。俺、腹減ってるんだけどー」

「もうっ!」


ぶつぶつと文句を言って、なかなか動こうとしない少年。

見かねた少女は、食卓に置かれていた焼きたての食パンを一枚掴むと、そのまま蓮也の口へ強引に押し込んだ。

「ふがっ!?」

「これでいいでしょ!ほら行くよ!」

まだ食パンをくわえたままの蓮也の手を引いて、私は勢いよく玄関を飛び出した。


「それじゃあ、行ってきます!」

「は〜い、行ってらっしゃい。気をつけて行くのよ〜」

「フゴッ!フゴフゴフガ!」


伊佐木(いさぎ)蓮也(れんや)、十一歳。

忘(うつかり)真白(ましろ)、十一歳。

二人は、宮城県のとある田舎町で暮らす、幼い頃から家が隣同士の、所謂(いわゆる)幼馴染というやつだった。

 

成績優秀で品行方正な真白。

それに対して蓮也は、友人こそ多いものの、勉学はからっきし。だらしない部分も多く、教師にも怒られてばかりの問題児だった。一見すると、どこまでも凸凹(いびつ)で、今にも破綻しそうなほど対照的な二人。それでも二人の関係は、中学生、高校生と別々の進学先を歩むことになっても途切れることはなかった。


——そして卒業を控えた二月のある日。

まだ冬の冷たさが残る、春の気配がほんの少しだけ漂い始めた頃。

蓮也(れんや)からの告白をきっかけに、二人は恋人になる。

十年以上続いていた純粋無垢(プラトニック)な幼馴染としての関係から、恋人として向き合う関係へ。

最初こそ、二人とも戸惑い、照れ、ぎこちなさがあったものの、それでも少しずつ、確かに愛を深めていく。

そんな日常が、これからも続いていくのだと思っていた。

いつかは結婚して、当たり前のように同じ家へ帰る未来が来るのだと。

 

あの出来事が訪れるまでは――。


✳︎ ✳︎ ✳︎


そこから十三年の月日が経ち。

真白は、勉学・剣道ともに優秀な成績を収め、大学進学を機に地元の宮城を離れ、東京へと出た。

新しい環境でもその才覚は衰えることなく、大学でも優秀な成績を残すと、そのまま警視庁に採用され、二十四歳にしては異例とも言える若さで警部補へと昇進していた。


一方の、蓮也はというと。

高校時代から相変わらず授業はサボりがちで、単位も常にギリギリ。なんとか卒業し、東京のとある大学へ進学したものの、真白とは別々の大学だったこともあり、二人の距離は少しずつ離れていった。

それでも最初のうちは、時間を見つけて会えていた。

だが、入学時に借りた奨学金を返すためだと言って、蓮也が日雇いのバイトを始めた頃から、状況は少しずつ変わり始める。

蓮也は日に日に忙しくなり、真白と会う頻度も目に見えて減っていく。気づいた時には、真白に何の相談もないまま、蓮也は大学を自主退学していた。


そこからだった。

蓮也の周囲で妙な噂が立ち始めたのは。

――あいつ、何か怪しいバイトをしているらしい。

そんな良からぬ噂が、真白の耳にも届くようになっていた。


✳︎ ✳︎ ✳︎


今日は一ヶ月ぶりに会う約束。

待ち合わせ場所は新宿駅。

いつものような、隙のないきりりとした化粧ではない。少しだけ柔らかく、女の子らしく見えるように整えた顔。

かっちりとした仕事着ではなく、今日のために選んだ私服。

家を出る前には、姿見の前で何度も確認した。

おかしくないだろうか。気合いを入れすぎてからかわれたりしないだろうか。

久しぶりの二人だけの時間。

真白は柄にもなく、胸を弾ませ緊張していた。

 

「もしもし……今どこにいるの?」

だが、待ち合わせの時間を三十分過ぎても、蓮也は現れない。

不審に思った真白が電話をかけると、数度のコール音の後、ようやく通話が繋がる。


「……っ、悪い!真白!」

電話越しに聞こえてきた蓮也の声は、なんだか少し慌てていた。

背後では、人混みのざわめきとも、駅の雑踏とも違う、どこか落ち着かない騒音が響いている。

「ごめんっ!急遽どうしても外せない仕事が入っちまって、今日は行けそうにねえ……この埋め合わせは必ずどっかでするからよ!」


「……うん、分かった」

真白は、胸の奥に引っかかる違和感を押し殺しながら、彼との会話を続ける。

「大丈夫?最近ずっと忙しそうだけど……危ない仕事に手を出したりしていない?」


「ああ。運転するだけの簡単な仕事って、前にも言ったろ?それに、あと少しで奨学金も返し終わるしさ」

「……本当に?」

「本当だって。そしたら俺、何年かちゃんと修行して、自分の金で店を出そうと思ってんだ」


「……店?」

想定外の言葉に、真白は思わず目を瞬かせる。

「おうよ!お前の大好きなラーメン屋だ!覚えてるよな、二人でよく行ってたあそこ』

「ええ。麺処・万寿(まんじゅ)。確か私たちが高校生くらいの時に、潰れてしまったけれど」

「そうそう、俺はあの味がど〜しても忘れらんなくてな。だからさ、"二人の思い出の味"を、今度は俺が再現してみたいんだよ」


「またそうやって勢い任せで……」

真白は呆れたように息をつく。

けれど、その声には、ほんの少しだけ笑みが混じっていた。


「食べるのが好きなだけで、ラーメンなんて作ったこともないくせに」

「だから修行すんだろうが。見てろよ真白!いつか俺が作ったラーメンで、お前を必ず嬉し泣きさせてみせっからな!」

「……いくら美味しいラーメンだって、私が泣くわけないでしょ」

「ははっ……あ、ごめん!先輩から電話入ったから、一旦切るぞ、また夜必ず連絡するから!」

「……分かった。気をつけてね」

「おう!愛してるぞ!」

「なっ!なに急に……っ!」


プー、プー。

真白が言い終わるよりも早く、そこで通話は切れた。

画面に映る通話終了の文字を見つめながら、真白は小さく息を吐く。

「はぁ……」


"運転するだけの簡単な仕事"。

蓮也は確かにそう言っていた。

けれど、本当に大丈夫なのだろうか。

仕事柄、真白は人よりも少しだけ、そういう違和感に敏感だった。

「……そういえば、蓮也のやつ。運転免許なんていつの間に取ったんだろう」


ぽつりと呟いてみても、当然答えは返ってこない。

本当なら、もっと問い詰めるべきだったのかもしれない。

どこで働いているのか。

誰の紹介なのか。

本当に危ない仕事ではないのか。

けれど、蓮也が楽しそうに語った夢を思い出すと、それ以上疑うことができなかった。

いつか、自分の店を持つ。

二人で通った、あのラーメン屋の味を再現する。

馬鹿みたいに無謀で、けれどあまりにも蓮也らしい夢だった。


「……今度会う時は、絶対ドライブに連れて行ってもらうんだから」

そう小さく拗ねるように呟いて、真白はとぼとぼ歩き出す。

一ヶ月ぶりの約束は、あっけなく流れてしまう。

せっかく選んだ服も。

いつもより少しだけ柔らかく整えた化粧も。

姿見鏡の前で何度も確認した時間も。

全部が無駄になってしまった。


「……ラーメンでも食べて帰ろう」

そうすれば、少しは気も紛れるかもしれない。

真白はひとり、新宿の雑踏の中へと歩き出した。

その会話が、蓮也と交わす最後の言葉になるとも知らずに。


✳︎ ✳︎ ✳︎


——その日の深夜二時頃。

蓮也からの連絡を待ち侘びながら、一度自宅へ戻った真白のもとに、一本の電話が入る。

だが、それは蓮也からのものではなかった。

 

「……はい。すぐに急行します」

警視庁本部からの緊急要請だった。

内容は、都内某所で発生した、ギャング組織同士による“麻薬取引絡みの抗争事件”。現場は、現在ほとんど使われていない、寂れた倉庫街の一角だという。

真白の自宅からそう遠くない場所であり、蓮也から未だ連絡は来ていない。その二つの事実が、真白の胸の奥に言いようのない不安を広げていく。

 

急いで仕事着へ着替え、最低限の身支度だけを済ませる。

玄関を出る直前、ふと姿見に映った自分の顔が目に入った。

数時間前まで、蓮也に会うために整えていた顔。

その化粧を落とす暇もないまま、真白は夜の街へ飛び出した。


現場に近づくにつれ、空気が変わっていく。

遠くから聞こえる救急車のサイレン。

赤色灯を回すパトカー。

張り巡らされた規制線。

慌ただしく出入りする鑑識と捜査員たち。

心臓の鼓動が嫌に、うるさい。


「忘(うつかり)警部補!」

現場にいた捜査員が、真白に気づいて声を上げる。

「被害者は倉庫内です。ただ、かなり状態が――」

「構わない。すぐに案内してくれ」


倉庫の中は、ひどく冷えきっていた。

錆びた鉄の匂い。古い油の匂い。

そして、その奥に混じる、嗅ぎ慣れてはいけない匂い。

真白は無意識に息を殺す。

ブルーシートの周囲には、すでに何人もの警察官が集まっていた。

誰かが、真白の前に立ちはだかる。


「忘警部補、まだ鑑識が済んでいませ――」

「退いてくれ」

「ですが……っ分かりました」

自分でも驚くほど低い声だった。

気押されるように、捜査員が一歩横へずれる。


そして。

真白は、見てしまった。

数時間前まで、電話越しに笑っていた彼を。

いつか自分の作ったラーメンで泣いて喜ばせてやると、馬鹿みたいに真っ直ぐな夢を語っていた彼を。

また夜に連絡すると言っていた彼を。

伊佐木(いさぎ)蓮也(れんや)を。


「……うそ」

声が、喉の奥で掠れた。

そこにいたのは、真白の知っている蓮也ではなかった。

寝坊しては文句を言う蓮也でも。

食パンをくわえたまま引きずられていた蓮也でも。

勢い任せにラーメン屋をやると笑っていた蓮也でもない。

倒れた椅子ごと横たわる、冷たくなった物言わぬ彼の姿だった。


錆びれた椅子に座らされたまま、両手両足をきつく縛りつけられ、手首には縄が食い込み、擦れた皮膚の周囲には赤黒い跡が残っている。

口には猿轡のような布が噛まされており、胸部。腹部。肩。太腿。

数えることさえ躊躇われるほどの銃痕が、彼の身体に穿たれていた。乾きかけた血液は黒ずみ、床一面に広がった血溜まりが、倉庫の冷たい照明を鈍く反射している。


所々に落ちた薬莢。

引きずられたように伸びる血の跡。

床に散った椅子の破片。

そして、力尽きる最後の瞬間まで握りしめていたであろう、見覚えのあるスマートフォン。

 

「……どうして」

足元から力が抜ける。

膝が崩れかけ、それでも真白はどうにか踏みとどまった。

「どうして……っ」


誰かが何かを言っている。

××××。

×××。

×××××××××。

けれど、彼女にはもう何も入ってこなかった。


目の前にいる。

そこにいる。

けれど、名前を呼び返してはくれない。

あの不器用だけどまっすぐな彼の笑顔が、私に向けられる事はもう二度とない。


「蓮也……蓮也ぁ……っ!!」


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