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第17話『小さな我儘』

【9:38】


「次の仕掛け(ギミック)は二人とも遠目から確認していたあのハンマーです」

「ああ、あれだね。例のいかにも殺傷能力マシマシな……」

「はい」

私はマジックミラー構造になった棺桶の内側から、外の景色を食い入るように見つめながら答えた。


第一関門を越えた先。

そこに待ち構えていたのは、巨大な振り子式の鉄槌(ハンマー)だった。天井から垂れ下がる無骨な支柱。

その先に吊るされているのは、人間などいとも容易く叩き潰せるであろう巨大な金属の塊。表面には無数の棘がびっしりと生えており、ブンブンと唸るような風切り音を立てながら、通路を横切るように左右へ大きく振られている。

一見すれば、これまでの仕掛け(ギミック)の中では最も単純だ。


だが、だからこそ逆に恐ろしい。

小細工もひねりもそこには無く、ただ目の前を通ろうとする者を、無数の棘で肉を抉り、棺桶ごと横合いへ弾き飛ばす。

それだけのために存在する"剥き出しの殺意"。

仮に直撃で即死を免れたとしても、その先に待っているのはあの混酸の池。抵抗する間も、悲鳴を上げる暇すらなく。

あの鉄槌に触れた瞬間、私たちは棺桶もろとも奈落へ叩き落とされることになるだろう。


「先ほどの細道に比べれば、道幅は一メートルほどあります。なので、足を滑らせて落下する危険性は低いと思います」

「よ、良かったぁ〜それは朗報ですねっ」

烈々子は、ほんの少しだけ安堵したように息を吐いた。

「それが、良くないんです」

「え……?」

「このままだと、私たちの誰か一人――いえ、二人は"確実に犠牲"になります」

「――なんだって?」


✳︎ ✳︎ ✳︎


side:B (駒琴×ミストゥビオ×まじゅま)


【10:40】


「ん〜〜」

「どしたのまじゅまん?早く先に進みましょうよ」

「ちょっと待って〜今思考(ぐるぐる)ちゅう〜」

「ぐるぐる……?」

三チームの中で、最も早く第一関門――罪過の細道(コリドー・オブ・シン)を超えたチームBの三人。その勢いは他の追随を許さず、このまま独走待ったなしかに思われたが、意外にも第二関門の手前で足踏みをさせられていた。


「ん〜〜〜よち決めたっ!」

数十秒の沈黙の後、まじゅまは何かを思いついたように声を弾ませた。

「お兄ちゃん、まじゅまの棺桶から手ぇ離ちて」

「え?」

「いーからっ」

「う、うん……はい、もう離したよ」

駒琴(まこと)は頭の上に疑問符を浮かべながらも、ひとまず言われた通りに棺桶から手を離す。

「そのまま左向きに二歩歩いて」

「……歩いたけど、これでいいの?」

「そう!次は正面向いて八歩っ!」

「え、え……?本当に大丈夫かい?」

「いーのいーの!まじゅまをちんじてっ」


……不安しかない。

視界も外部の音声も奪われた状態で、頼れるのは棺桶の中から聞こえるまじゅまの声だけ。

しかもその指示は一見すると、棺桶を運ぶという目的からはどんどん離れていっているように思える。

それでも彼に拒否の選択肢はなかった。

ここでああだこうだ言っても、結局の所まじゅまを信じる以外に自分が出来ることはない。それを理解しているからこそ、彼は戸惑いと恐怖を感じながらも、言われた通りに行動する。


「しゅとーーーっぷ!そちたら次はねー、"全力ダッチュ"の構え!」

「ぜ、全力ダッシュ!?」

駒琴の声が思わず動揺で裏返る。

「だ、駄目だよ危ないよ末恐ろしいよ!!いくらまじゅまちゃんの指示でも、それは流石に無理だって!」

斜め上を通り越したまじゅまの無茶振りに、駒琴は全力で拒否反応を示す。


「それに今、僕は棺桶から手を離しちゃってる状態だから!まじゅまちゃんを置いてけぼりには出来ないよ!」

「だいじょぶ!棺桶は"みすち"が運んでくれるから!ね?」

「そんなぁ……ミ、ミスティさんもなんか言ってくださいよ!」

「安心なさい♡こう見えてもアタシ、ベンチプレス150kg上げてるから♡まじゅまんの一人や二人、余裕のバッチコイよっ♡」

「そ……そういう問題じゃ……」

「ほらね。だから心配しないで、お兄ちゃん」

一見すると、あまりにも理解不能なまじゅまの指示。

棺桶を協力して運びながら進む試練(ゲーム)の最中に、棺桶から手を離させたうえ、目も耳も塞がれた状態で全力疾走しろと言っている。

普通の思考回路なら、どう考えても正気の沙汰ではない。


もしかして、自分はこの二人に嵌められているのではないか。

そんな疑念が一瞬だけ脳裏をよぎる。

例えば、この先通れる人数が"二人まで"という条件があるのだとしたら。非力で特段賢くもない、最も利用価値のない自分が、真っ先に切り捨てられようとしているとしたら。

「…………」

ありえない、と即座に否定することはできなかった。

なぜならここは、命を懸けた試練(ゲーム)の最中だ。善意や信頼だけで生き残れるほど、甘い場所ではないことは理解している。時間制限(タイムリミット)は限られており、こうして迷っている間にも、時間は刻一刻と削られていく。

現状は、完全に自分待ちの状態。

このまま立ち尽くしていても、どんどん二人に迷惑がかかってしまう。


こんな状況でもまず先にそれを考えてしまうあたり。

僕はきっと、人を疑う才能が心底ないんだろうな。


【9:03】


「……分かった。まじゅまちゃんを信じるよ」

「んひひ、ありがとお兄ちゃん。タイミングはまじゅまに任せて。よーいのどんっ!で走るんだよ?」

「……うん」

返事はしたものの、その声は明らかに強張っているようだった。

「ちょっとぉ、そんな“カッチコチ”じゃ、かえって足滑らせるわよ?」

その声音から駒琴の緊張を察したのか、ミストゥビオはわざとらしいほど明るく声を張る。

「ダイジョ〜ブ♡肩の力を抜いて、ゆっくり深呼吸なさい」


「フレーッ♡フレーッ♡ま・こ・ち・ん!!フレッフレッまこちん!ちん!ちん!まこちん!」

「それはもはや下ネタになってますから!!」

「んひひひひひひひっ!!"みすち"おもちろ〜!!」

「まじゅまちゃんも笑わない!ふざけてる場合じゃないですから!」

「ふざけてなんかないわよねぇ♡こっちは大真面目に応援してんの」

ミストゥビオは悪びれる様子もなく、どこか満足げに笑う。

 「でも良かった。さっきより遥かにマシになったじゃない。ほらその調子で肩の力抜いて、レッツラゴーよ♡」

「うぅ……僕が死んだら化けて出ますからね……」


そんな恨み節をひとつ吐いた後。

認めたくはない。

認めたくはないが、今のやり取りのおかげで少しだけ身体の強張りが解けた気がした。

喉の奥に張りついている恐怖が完全に消えたわけではない。

現に今だって、膝が小刻みにガクガクと震えている。

けれど、さっきまでのように呼吸が詰まる感じは少しだけ薄れていた。


あーもう。

こうなったらヤケだ。

なるようになるしかない。

僕は腹を括ると、見えない地面にそっと手をついた。

足を前後に開き、全身を低く構える。

学校の体育でやったきりの、ぎこちないクラウチングスタート。

本当にこれで合っているのかも分からない。

どこへ向かって走ればいいのかも分からない。

そもそも、自分の前方に道があるなんて確証もない。

心臓の音がやけにうるさい。

ドクン、ドクン、ドクンと。

耳を塞がれているはずなのに、自分の鼓動だけがやけにはっきり聞こえる気がした。


「よーいの……」

その時は――来た。

「どんっ!」

合図と同時に、僕は地面を力強く蹴り上げた。

両腕を大きく振り、足を目一杯前へ出す。

陸上部だったわけでもない。

リレーの選手に選ばれたこともない。

そもそも、自分の走りに自信なんて一度ももった試しがない。

そんな自分が生きるために。

脱兎のごとく走る。暴走(はし)る。奔走(はし)る。


きっと理想的なフォームとは程遠いのだろう。

腕の振り方も滅茶苦茶、いつ転んだっておかしくない。

涙と鼻水と汗で、顔中ぐちゃぐちゃになっている。

外から見ている人間がいたとしたら、人類史上これほどみっともない姿もそうそうない。

「もうすこち!あとちょっと!」


今何か聞こえた。

きっとまじゅまちゃんの声だ。

一歩。

もう一歩。

足裏が床を叩く感触だけが、かろうじて自分が"まだ生きている"という実感をくれる。


心臓が破裂しそうだ。

肺が焼けるように熱い。

でも止まれない。止まったらそこで終わる。

死ぬのは怖い。

誰かに自慢できるような、大層な夢なんて持っていないし。

胸を張って語れる才能もない。どっかの物語の主人公みたいに、世界を変える使命を背負っているわけでも当然ない。

僕みたいな取り柄のない凡人がこの世界からいなくなったところで、世界の歯車は何事もなかったように回り続けるのだろう。


誰かは笑い誰かは泣いて、明日も変わらず日常は続いていく。

僕一人が消えたくらいで、その事実は変わらない。

それでも。

だからといって、死んでいい理由にはならない。

僕には僕なりの幸せがある。ちっぽけで、誰かに誇れるほど立派でもない、小さな生きる意味がある。

それは、誰かの人生を救うようなものではない。

世界を明るく照らすようなものでもない。

ただの自己満足でしかないのかもしれない。


けど、いいじゃないか。

誰に認められなくたっていい。

誰かの役に立てなくたっていい。

大きな意味なんてなくたっていい。

僕はまだ、"今日の続きを生きていたい"。

そんな小さな我儘くらい、神様に願ったってきっと(バチ)は当たらないはずだ。


「うああああああああああっ!!」

情けない悲鳴とも、雄叫びともつかない声を上げながら。

僕はただ一心不乱に走り続ける。

そして結末(おわり)は、意外なほどあっけなく訪れた。


「しゅとーーーっぷ!!」

突如、まじゅまちゃんの叫び声が響く。

僕は慌てて足を止めようとしたが、勢いがつきすぎて急には止まれない。

「うわっ、わ、わわわわっ!?」

そのまま数歩たたらを踏み、最後は前のめりに倒れ込む。

どさっ、と情けない音を立てて床に転がる。

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

息を吐く。

息を吸う。

ただ、その繰り返し。

手足の震えが一向におさまらない。

喉は焼けつくように痛いし、心臓は太鼓のように暴れている。

 

「生きてる……?僕……生きてる……?」

震える声で呟いたその直後。

「だいしぇーこー!お兄ちゃん、ちゃんと渡りきったよ!」

「やるじゃない♡惚れ直しちゃったわ♡」

二人の声を聞いた瞬間、張り詰めていたものがぷつりと切れた。

全身から、一気に力が抜ける。

「よ、よ、よかったぁ〜……」

僕は床に突っ伏したまま、情けないくらい大きく息を吐いた。

涙も鼻水も決壊したダムのごとく垂れ流し。

きっと今の僕は、人生至上最高にみっともない顔をしているだろう。

でも、それでもよかった。

みっともなくても。

情けなくても。

格好悪くても。

僕は、ちゃんと最後まで"走り切った"のだから。


✳︎ ✳︎ ✳︎


【7:53】


「よーち!あとはまじゅまとみすちだけ!」

「そうね♡で、どうすればいいかしら?棺桶を持ち上げること自体は楽勝だけど、抱えたままじゃまこちんみたいに全力ダッシュはできないわよ?」

「だいじょーぶっ!まずは担いで担いで!」

「……ヤり方はお楽しみって訳ね。フフ、お任せを♡」

ミストゥビオはそう言うと、両手で棺桶の側面を何度か確かめるように触れた。

長さ。

幅。

重心。

取っ手の位置。

視界を奪われている以上、手探りだけで最適な持ち上げ方を探るしかない。数秒後、ミストゥビオはすっと息を吸うと、掛け声一発。

「いくわよぉ〜、フンヌッ!!」

気合いの掛け声とともに、棺桶はすんなりと持ち上がった。

「んひひひひひ!すっごい高い高〜い!」

まじゅまのはしゃいだ声が、棺桶の中から響く。

まるで遊園地のアトラクションにでも乗っているかのような、無邪気で能天気な笑い声だった。

「"ミストゥ号"!そのまましゅっこーっ!」

「アイアイサーッ♡」


(この二人、相変わらず緊張感がなさすぎる……これじゃ、さっきまで一人でビクビクしてた僕だけが馬鹿みたいじゃないか……)

駒琴はゴーグルに備え付けられたスピーカー越しに二人のやり取りを聞きながら、心の中で呟いていた。

 

「はい、しゅとーっぷ!」

まじゅまの声と同時に、ミストゥビオ――もといミストゥ号はぴたりと急停車した。

目の前には、左右に揺れる巨大な鉄槌(ハンマー)

ブンッ――ブンッ――。

唸るような風切り音も、当人のミスティには聞こえない。

あと一歩でも誤って踏み出せば、棺桶もろとも横殴りに弾き飛ばされる。その先に待っているのは、奈落の底への落下直行便。

途中下車など許されない。

終着駅は骨すら残らぬ混酸池。


「よちっ!みすち、一旦おろちて楽にちていいよ」

「あら、優しいわね♡でも大丈夫。アタシはまだまだ余裕のヨッサコイよ♡」

まじゅまの体重に加え、棺桶そのものの重さまで背負っているというのに、ミストゥビオの声にはまるで疲労の色がなかった。

煙団太といいミストゥビオといい、この試練(ゲーム)の参加者には、時々フィジカルの基準がバグっている連中が紛れている。

 

「んじゃーそのままお願い!まじゅまが合図したらー棺桶をまっすぐぶーーんって投げて!」

「なるほど♡はーい、それなら楽チンお安いご用よ♡」


……は?

またとんでもないことを言い始めた。

そしてそれを一切疑問に思わず受け入れるミストゥビオさんも、だいぶ大概だが。

「ちょ、ちょっと待って待って、まじゅまちゃん!」

駒琴は慌てて割って入る。

「何を言い出すかと思ったら……棺桶を投げるってそれ、まじゅまちゃんごと投げるってことだよね!?」

「うん、そだよ」

まじゅまは、さも当然のように返す。


「駄目駄目ダメダメッ!!そんなの危険すぎるよ!誤って落ちちゃうかもしれないし、仮に落ちなかったとしても怪我するって!」

「だいじょ〜ぶ。まじゅま、受け身はじょうじゅだから」

「そういう問題じゃないよ絶対!!」

必死の制止も虚しく、まじゅまの声に一切の迷いはない。

そして、さらにはミストゥビオにも、まったく迷いがなかった。

「カタパルトゥーーーッ!ミストゥーーーーービオッ!!!」

「ちょ、必殺技みたいに言わないでください!!」

気がつけば、ミストゥビオはすでに棺桶を両腕で抱え直している。腰を落とし足を大きく開いたその姿は、さながら射出装置(カタパルト)そのもの。


「みすち、あと少し上ー」

「アイアイサー♡」

ミストゥビオはまじゅまの指示に従い、棺桶を抱えたまま、わずかに腕の角度を調整する。

「風向きよーち!角度よーち!まだだよー。まじゅまが言うまで、じぇったい投げちゃだめだからね」

「もちのロンギヌス♡アタシ、こう見えて『待て』と言われればいつまでも待てる奉仕人よ♡」

「待って待って待って!!本当にやるんですか!?今からでも別の方法を考えて――」

「心配しない!いいからお兄ちゃんはそこで休憩ちてて」

「知りませんよ……僕は……絶対に知りませんよ……言いましたからね!!」

最後の忠告。最後の良心。

しかし、その言葉が二人に届くことはなかった。


「みすち」

「ええ」

一瞬の沈黙。

左右へ揺れる巨大な鉄槌(ハンマー)が振り切れた、その刹那。


「いま!」

その一言を合図に、ミストゥビオの全身がしなる。

腰を落とし腕に力を込め、棺桶を抱えたまま大きく振りかぶる。

「ハッシャァァアアアアッッッ!!!!!!」

まじゅまを乗せた棺桶は。

巨大な黒い砲弾のごとく、宙へと放たれていった。

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