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第11話『魔性の香』

混濁する意識の中、菖蒲原(あやめばら)はなけなしの力を振り絞り、上半身を後ろへひねり振り向いた。

開いた入口の先、そこにいたのは――。|

 

「じゃじゃーん。哀れな菖蒲原(イモマリモ)の救世主さんじょー」

気怠げな声とともに現れたのは、金髪のショートヘアを揺らし、挑発的な笑みを浮かべる女。

梯宮(うてなみや) 忍不(しのぶ)だった。

彼女は挑発するような眼差しで、舐めるようにこちらを見つめている。そして、ゆっくりと唇の端を吊り上げた。

先ほどまで身にまとっていた純白のドレスは、いつの間にか脱ぎ捨てられており、その身を包んでいるのは、大胆にも透け感のある漆黒の下着上下のみ。

白から黒へ。

清楚から濃艶(のうえん)へ。

まるで仮初めの皮を脱ぎ捨てたかのように、彼女の印象は一変していた。女性としての艶をあらわにしたその輪郭は、危ういほど妖艶で、見る者の理性をじわじわと侵食していく。

それはもはや、美という名の毒。

甘く艶やかで、蠱惑的。

一度触れたが最後、二度と元には戻れないと本能が警鐘を鳴らすような――魔性の魅力だった。

 

「……テ、テメェ……!今更のこのこ何しに来やがったッ!!」

「んー?そんな口聞いていいのかなー?」

梯宮は、愉しげに目を細める。

「アンタの運命を決める権利は、今この瞬間――私にあるんだけど」

そう囁きながら、彼女はゆっくりとはだけた豊満な胸元へ指を差し入れると、谷間からするりと小さな“ピース”を取り出す。

それは、菖蒲原が今もっとも欲しているもの。

奪われた、最後の一欠片だった。


「ほーら」

梯宮はそれを自らの手の甲に乗せると、親指から人差し指へ。

人差し指から中指、薬指、小指へと。

まるでマジシャンが見せるコインロールのように、慣れた手つきで指と指の間を転がしていく。

菖蒲原の視線は、否応なくその行為に釘づけとなった。

今すぐにでも奪い取りたい。

だが、この拘束がある限り、彼にできるのは黙って見ている事ただそれだけ。

 

「見える?」

梯宮は、ピースを弄びながらにたりと唇を歪める。

「これが今のアンタの姿」

「くっ……!!」

……反論が出てこない。

何度も喉の奥から強がりを吐き出そうとした。

罵声でもいい。悪態でもいい。ハッタリでもいい。

何でもいいから言い返してやりたかった。

だが、彼の口から言葉が出ることはなかった。

自らの命は、今まさに彼女の指先で弄ばれ、転がされている。

生きるか、死ぬか。

その境界線さえ、彼女の気まぐれひとつで決まってしまう。

まるで――お前は私の掌の上で踊ることしかできないのだと、見せつけられているようだった。


「くっ…腐ってやがる…!何が目的だ……」

梯宮は答えない。ただカツカツ、とヒールの音を響かせながら、ゆっくりと菖蒲原との距離を縮めていく。

「お、おい……」

あっという間に、彼女は菖蒲原の背後から、肩越しに両腕を掴み上げると、脱ぎ捨てたドレスから抜き取ったと思われる細い紐を使い、慣れた手つきで両腕を背後へ縛り上げていった。

「な、何すんだっ……!!」

「いいから、いいから」

楽しげな声とは裏腹に、その手際は妙に素早い。


「はい。これで、もっとよく見える」

くすりと笑う気配が、すぐ耳元を撫でた。

「あら?よく見たら、意外と可愛い顔してるじゃない。アナタのその表情(かお)……もっと近くで、よく見せて?」

そう言って彼女は、菖蒲原の正面へ回り込むと、逃げ場を失った彼の瞳を覗き込むように顔を近づける。

その距離僅か二、三センチ。

 

そのまま梯宮は、大胆にも菖蒲原の膝の上へ跨がると、両手を彼の肩へとかけた。

灼熱の密室。

肌を焼く熱気。

完全な密閉空間で、二人の男女による荒く乱れた呼吸だけが反響する。


「ほあ、ほっへみなよ」

そう言って、彼女はゆっくりと口を開いた。

艶めかしい舌の上には、菖蒲原が喉から手が出るほど欲していた最後の一欠片。命を繋ぐための、たったひとつのピースがそこにあった。彼女の舌の上で、まるで餌のように弄ばれている。

「な、何のつもりだ……」

怒りか、屈辱か、それとも別の感情か。

「ほあ――はあくう」

今にも鼻先が触れそうなほどの至近距離。

吐息がかかる。汗ばんだ肌と肌が、嫌でも意識に焼きつく。

目の前にある。

すぐそこにある。

あとほんの少し顔を近づければ、届いてしまう。


「ほあ、欲しいんれしょ?」

ゴクリ……。

菖蒲原の喉が、無意識に鳴る。

両手は背後で拘束され、足も椅子に縫い止められている。

けれどこの距離なら。

手を伸ばすことは出来ずとも、唇であれば届く距離。

梯宮の刺激的な香り(パフューム)が、否応なしに鼻腔をくすぐる。甘く、濃く、熱に溶けたような魔性の香り。

憎い。目の前の女が、俺は心底憎い。

自分を貶め、弄び、今この瞬間も嘲笑っているこの女を、今すぐ噛み殺してやりたいほど憎い。

それなのに。

彼の身体は、別の答えを出そうとしていた。

灼熱に焼かれた脳が、理性を鈍らせる。

細胞の一つ一つが、本能の底から細胞レベルで訴えかけてくる。

ああ、もうどうだっていい。

どうなったっていいから――今は目の前にいるこの梯宮(メス)を、メチャクチャに犯してやりたい。

その時、菖蒲原の頭の中で何かがぷつりと弾けた。

覚悟を決めたのか、あるいは全てを諦めたのか。

彼はゆっくりと目を閉じ、震える唇を前へと差し出す。

その瞬間――。


「ーーご、がっ…!?」

「盛ってんじゃねーよ"イモマリモ"」

耳元で囁くその声は、先ほどまでの甘ったるいものではなかった。

妖艶さも戯れももはやそこにはない。

あるのは氷のように冷えきった底知れぬ冷酷さだけ。

「オマエ如きが、この私の唇を奪えるとでも思ったの?」

「かっ…!こっ……ぎぎっ……!」

気がつけば、彼の首筋には梯宮の両手が食い込んでいた。

細く白い指。その先に伸びた長い爪が、皮膚を容赦なく裂く。

じわりと滲んだ血が、首筋をゆっくりと伝っていった。

「っ、ぐ……ぁ……!」

容赦のない力が、喉元を締め潰していく。

息ができない。声も出ない。

視界の端が、じわじわと黒く染まっていく。


「いい?アンタが生きるのも、死ぬのも、決めるのは全部この私」

梯宮は、さらに指へ力を込める。

「私の見てない所で、勝手に野垂れ死ぬなんて許さない。狙った獲物はこの手で直接殺す。それが梯宮一族の流儀なの♡キャハハハッ!!」

ギリ、ギリ、と。

首にかかる圧が、徐々に強くなっていく。

菖蒲原は必死にもがいた。

だが、両腕は背後で縛られ、両脚も椅子に固定されている。

逃げることも、振り払うこともできない。

体を預けるように覆いかぶさる梯宮の重みが、彼の逃げ場を完全に奪っていた。

 

「がぽっ…… がぼぼ……!かぅッ……! がぁ゛」

潰れた喉から、言葉にならない音だけが漏れる。

視界が、暗く狭まっていく。

焦点は定まらず、目の前の輪郭すらぐにゃりと崩れていく。

もはや、目の前にいる女の表情すら殆ど認識できない。

――それでも理解(わか)る。

分かってしまう。

目の前のソレが、今どんな顔をしているのか。

愉悦に歪み満たされた、下卑た嗤い。

理屈ではなく、本能が理解してしまう。

この女は――今この瞬間を、心の底から愉しんでいるのだと。

意識がぷつりと途切れたかけたその時。

菖蒲原の耳元へ、とびきり甘い囁きが、残酷に響いた。

「ばいばい、八十六番目♡」


菖蒲原 逢賭(24)

ギフト:掌握者(ドミナント)

-GAME OVER-

死因:窒息死


✳︎ ✳︎ ✳︎

【55:20】


【55:19】


【55:18】

罪深(つみか)ちゃん、そっちの調子はどうだい」

「……別に、普通です」

「おっもしかして、ジグソーパズルは得意科目かな?」

「いえ別に。というか……そもそもそんな科目ありませんし」

「ははっ、確かにそれはそうだ」

百千切は退屈そうにピースを指先で弄びながら、肩をすくめる。


「はぁ、僕はもう飽きてしまったよ。どうもこういう地道な作業は性に合わない」

「……まだ始まって、そこまで経ってませんけど」

罪深は小さくため息を吐く。

「というか、このままここにいたら死にますよ。確実に」

「うーん、それは困ったなぁ」

その発言とは裏腹に、百千切の声色に一切の焦りは感じられない。まるで夕飯の献立でも迷っているかのような様子で、彼は摘まみ上げたピースをぼんやりと眺めている。

「僕は組み立てるより、分解(ばら)す方が得意なんだ」

「は、はぁ……」

 

そんな緊張感の欠片もないやり取りを繰り返しているのは、青チームの不思議ペア。

百千切(ちぎり) (きわむ)、二十七歳。

そして、地這滑(ちはずり) 罪深(つみか)、二十歳。

二人はすでに、この試練(ゲーム)の仕組みをある程度は理解しており、それぞれ別々の小部屋でジグソーパズルを組み上げている最中である。もっとも、理解したからといって余裕があるわけではない。室温はじわじわと上昇し続け、肌にまとわりつく熱気は確実に体力を奪っていく。

にもかかわらず、百千切の声色には、どこか場違いなほどの軽さがあった。

 

「それにしても、ここは暑いねー」

百千切は突然、ふと思い出したように呟いた。

「罪深ちゃんは、だいぶ厚着してたけど大丈夫かい?」

「……はい。どうぞお構いなく」

「気を付けてね。人間の身体は思っているよりずっと脆いから。体内の水分を10%失っただけで、重度の意識障害を起こし始める。判断力は鈍り、視界は歪み、気づけばポックリあの世行きさ」

「……」

「ま、闇医者(こっち)側からすると、そういう状態の人間は扱いやすくて助かるけどね。ハハハ!」

「っ……さっきから馴れ馴れしいですよ。余計な話ばかりしてないで、今はパズルを完成させることに集中して下さい」

「ハハ、ごめんごめん。どうしても、キミの事が気になってしまったからさ」

「……はい?」

さらりと言いのけられたその一言に、罪深の手がほんの一瞬止まりかける。

 

「なんなんですかっ……私をからかってるんですか?」

「まさか。僕はただ、罪深ちゃんのことをもっとよく知りたいだけさ。こんな風に、二人きりでじっくり話せる機会も、そうはないだろう?だから教えてよ――」

一瞬の間を置いた後。

 

「キミの左腕にある"傷痕"は、自分でつけたものかい?」

「……ッ!?」

互いの姿は見えていない。にも関わらず、罪深は反射的にまくっていた袖を急いで引き下ろした。


「な、何のことを言っているのか、さっぱり分かりません」

「最初の部屋で有毒ガスが撒かれた時があっただろう」

百千切は、罪深の動揺など気にも留めず淡々と続ける。

「皆が混乱して大変だったあの時――たまたま見えちゃったんだよね」

「……」

「リストカットとは、違うんだよなぁ」

「やめて……」

罪深の静止もお構いなく、百千切はなおもぺらぺらと語る。

「誰のせいかは分からないけど、可哀想に」

「もうやめて……!」

「そう、あれはまるで――長期間拷問でも受けていたような傷痕だった」


バァンッ!!

その時だった。

とうとう我慢の限界を迎えた罪深が、机の上を強く叩いた。

「いい加減にしてくださいッ!!」

スピーカー越しにも分かるほど、その声は震えていた。

怒りか。恐怖か。羞恥か。

踏み込まれたくない場所を、土足で荒らされたような屈辱か。

「人のプライベートにずけずけと……何様のつもりですか!いいから私のことは放っておいてください!」

荒い呼吸が、熱気に混じって小部屋に響く。

「――だめだよ、罪深ちゃん」

だが、返ってきた百千切の声は、対照的にあまりにも穏やかだった。

「キミは僕の"研究対象"なんだからさ」


ぞくっ。その一言に、罪深の背筋がひやりと凍りつく。

感情という色が一切乗っていない、無色透明のガラス越しに覗き込まれているような、ひどく無機質な声。

「…………いや……いや……嫌嫌嫌…………」

「何もとって喰おうなんて訳じゃない。少なくとも僕は罪深ちゃんの味方さ」

罪深の指先から、持っていたピースが滑り落ちる。

「だから教えてよ。ここに来るまでの、キミの過去を全て――」


その言葉が、最後まで発せられるより早く。

スピーカー越しに返ってきたのは、あまりにも予想外な一言だった。

「チッ……!いつまでもゴチャゴチャうっぜーーーんだよセクハラモヤシ野郎ォ!!!」

「え……?」

荒く、刺々しく、今にも喉笛に噛みつかんばかりの怒声。

それはついさっきまで震えていた罪深のものとは、まるで別人の声だった。

「コッチが大人しくしてりゃあよォ!?テメェ藪医者だか竹医者だか知らねぇケド、診察気取りしてんじゃねーよゴラァッ!!」


「ど、どうしたんだい、罪深ちゃん……」

ここにきて初めて、百千切の声に明確な困惑が滲んだ。

「あぁ?ウチは罪深じゃねぇっ!罰深(ばつみ)だッ!」

「え……え……?罰深ちゃん?」

「ちゃん付けすんなぶっ殺すぞゴラァッ!!」

バァンッ!と再び机を叩く音が響く。


「ごめんよ。悪かったから、少し落ち着いて教えてくれ」

これ以上事態を混乱させないために、百千切は珍しく慎重に言葉を選ぶ。

「罰深さん、罪深ちゃんはどこに行ったんだい?」

「あぁ?罪深なら隅っこの方でうずくまってんよ」

「隅っこ?」

「あぁ。こうなったらしばらくは出てこねぇ。だからウチがこうして出てきてやったんだろーが!!」

その言葉を聞いて、百千切は数秒だけ沈黙すると、やがてどこか納得したように小さく息を漏らす。


「なんなとく分かってきたよ。君は、罪深ちゃんの別人格みたいなものだよね」

「ああ、それがどうした」

「なるほど、二重人格……これまた珍しい……あぁいけない、もっと君に興味が湧いてきたよ」

「何勘違いしてんだ。ウチらは二重人格なんかじゃない」

「え?」

罰深は吐き捨てるように、決定的な事実を告げた。


「七人だ。ウチらは――全部で七人いる」

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