メイド服のユカリ・その2
翌朝、あたしは昨日届いたTシャツとデニムを着て、鏡の前で確認した。今日は普通の格好で大学に行ける。もうあんなメイド服のことで注目を集めることはないはずだ、と自分に言い聞かせるように深呼吸をする。
「よし、これで大丈夫」
いつも通りのラフなTシャツとデニム姿に、少し安心しながら玄関のドアを開け、外へと足を踏み出した。
だけど、マンションを出てバス停への道を歩き始めた瞬間、あたしは異様な雰囲気に気づいた。すれ違う人たちが、あたしを見ている。いや、それどころか、驚愕の表情を浮かべて、まるで何か信じられないものを見たかのように、目を大きく見開いているのだ。
「え…何…?」
昨日の注目も恥ずかしかったけど、今日はそれをはるかに上回る驚きようだ。まるであたしが何か非常識なことをしているかのように、すれ違うたびに人々の目があたしを追ってくる。誰も口に出さないけれど、その視線が言葉以上に圧力を感じさせる。
「なんで、こんなに…」
足がすくんで立ち止まりそうになるその時、聞き覚えのある声があたしを呼び止めた。
「ユカリちゃん!何してるの!」
振り返ると、近所に住む顔見知りのおばさんが、驚きと心配が入り混じった表情でこちらに近づいてきた。普段は気さくに話しかけてくれる人だけど、今日の彼女の顔は険しい。
「どうしたの、その恰好!すぐに家に戻って着替えなさい!」
おばさんはあたしを睨みつけるように言う。まるであたしがとんでもない格好をしているかのような口調だ。Tシャツとデニム…普通の服装で、何がいけないの?
「えっ…どうして?」
戸惑いながらも、言葉がうまく出てこない。おばさんの強い口調に圧倒されて、何かを言い返す気力も奪われてしまった。あたしはただ、無言で彼女の言葉に従うしかなかった。
「早くしなさい!そんな恥ずかしい格好で外に出るなんて…」
おばさんの権幕に押されて、あたしは頭を下げ、小走りに家に戻る。なぜこんなにも叱られるのか、その理由がまるでわからなかった。でも、明らかに何かが違う。昨日のメイド服は誰も気にしなかったのに、今日は…普通の服装なのに、どうしてこんな反応なんだろう。
「一体、何が起きてるの…?」
家に駆け込んだあたしは、ドアを閉めると同時に背中を預け、息を整えた。何が起こっているのかまったく理解できない。
「Tシャツとデニムを着てるだけで、あんなにも驚かれるなんて・・・」
昨日のことが頭をよぎる。メイド服を着ていたときは、ヘッドドレスさえつければ誰も驚いたりはしなかった。
それなら…やっぱり、メイド服を着るしかないのかもしれない。
「もう、一体どうなってるの…?」
あたしはため息をつきながら、クローゼットに向かった。昨日着たメイド服を着れば、少なくとも変な目で見られることはないはずだ。
だけど、クローゼットを開けた瞬間、再び驚愕があたしを襲った。
「あれっ?」
昨日着たはずのメイド服が、どこにもない。一番ましだと思っていたあのクラシカルなメイド服が、消えてしまっていた。クローゼットの中をくまなく探してみたけれど、どこにも見当たらない。まるで、それをもう一度着ることは許されていないかのように・・・
「そんな、嘘でしょ…?」
結局、あたしに残された選択肢はひとつだった。昨日選ばなかったメイド服の中から選ぶしかない。再び、あたしは並んだメイド服を一つ一つ見つめ直す。
フリルたっぷりの可愛らしいメイド服、セクシーなデザインのメイド服、様々なメイド服が並んでいるが、どれもこれも非日常的すぎるものばかりだ。
「こんなの着れるわけないじゃん…」
途方に暮れながらも、あたしは、その中で一番マシと思えるものを考え始めた。メイドというよりは夜のお仕事用としか思えないようなセクシータイプは問題外。だとすると可愛らしいタイプの中から選ぶしかないが、どれも過剰なほどにフリルやリボンがあしらわれていて、日常生活の中で着用するのにはかなり無理がある。が、他に選択の余地はない。
そして最終的に選んだ一着をクローゼットから取り出す。
「これが一番マシかな・・・」
唯一、スカートが膝丈で、露出度が一番低い、というのが理由。というか、それくらいしか理由が思いつかない。
着替えながら、あたしは気が重くなっていく。フリル付きのニーハイ、ヘッドドレス、カフス、手袋までセットになっている。鏡の前に立って。ゆっくりと視線を上げる。そこに映る自分の姿を見て、あたしは言葉を失った。
「……」
鏡の中のあたしは、まるで別人みたいだった。膝丈のスカートは露出こそ少ないものの、逆にその可愛らしさが目立ってしまっている。
まず目に飛び込んでくるのは、フリルが幾重にも重なって膨らんだスカート。パニエのおかげで、スカートはふわりと大きく広がり、あたしの腰回りを覆っている。ウエストはキュッとコルセットで締め付けられ、膨らんだスカートと相まって、スタイルを強調するデザイン。スカートの裾にはリボンがいくつも結ばれていて、可愛らしさを強調していた。足元にはフリルのついた白いニーハイソックスがぴったりとフィットし、膝上で少しだけ見える素肌との対比が、恥ずかしさをさらに引き立てていた。
上半身も負けずに、フリルやリボンがふんだんに施されている。袖口にはパフスリーブがふわっと膨らみ、胸元にもリボンがひらひらと揺れる。カフスが手首を飾り、白い手袋が完璧に揃えられたその姿は、まるでお人形かアニメのキャラクターのようだった。
そして、頭に載せたヘッドドレス。ふんわりとしたレースの飾りがついたそれは、顔周りを彩るだけでなく、全体の統一感を完成させていた。昨日、ヘッドドレスをつけていないだけであれほど注目を集めたのを思い出し、今日もきちんとつけておかなければと思ったが、それでもこの可愛らしさには戸惑いが拭えない。
「…こんな姿で、外に出るの…」
あたしは鏡に映る自分を見て、強烈な恥ずかしさを感じていた。パニエがスカートをふわっと持ち上げ、広がりすぎたシルエットに、どうしても目が行ってしまう。おかげで全体が過剰に目立ってしまっている気がしてならなかった。
パニエを外してスカートを落ち着かせたいという衝動があたしを襲った。でも、昨日のヘッドドレスの件が脳裏に浮かんでしまう。ヘッドドレスが無いだけであんなに注目を集めたんだから、もしパニエを外したら、もっと何か変なことになるかもしれない。
「…仕方ないか…」
鏡の中の自分を見つめながら、あたしは決意を新たにした。昨日のゴスロリファッションの女の子を思い出す。彼女は堂々と自分のファッションを楽しんでいた。恥ずかしさなんて微塵も感じさせない自信に満ちた姿だった。
「あたしも…堂々としよう」
そう心に決め、あたしは鏡の前でいつもより念入りにメイクを始めた。ナチュラルメイクではなく、メイド服に合わせたメイクに挑戦する。少しだけアイラインを強調して、チークをふんわりと入れる。リップもほんのり艶を持たせて、華やかな印象を作る。鏡に映る自分の顔が、いつもとは違う雰囲気に変わっていくのを感じた。
「よし…」
自分に少しだけ自信を持って、スマホを手に取る。アヤに「少し遅れる」とメッセージを送る。今日は大学の授業は昼からだけど、少し早めに行ってアヤとランチの約束をしていたからだ。
もう一度、鏡で全身を確認する。パニエで膨らんだスカート、フリルとリボンに包まれた姿。見慣れない自分の姿だけど、今日はこれでいく。
玄関のドアを開け、深呼吸を一つ。強い日差しが顔に当たる。あたしは心の中で「胸を張って、堂々と」と自分に言い聞かせながら、外へと踏み出した。
家を出てすぐに、さっきのおばさんと顔を合わせた。瞬間、あたしは身構えてしまった。さっきの強い叱責が頭をよぎる。でも、驚いたことに、おばさんは笑顔で声をかけてきた。
「あら、ユカリちゃん、久しぶりね!元気にしてる?」
「え、あ…はい、久しぶり?・・・です…」
驚きを隠しきれないまま、あたしは返事をした。さっきのことがなかったかのような反応に、頭が混乱しそうになる。
気を取り直して、あたしは胸を張って歩き続けた。そんなあたしを見る周囲の人々の反応は、さっきとはあきらかに違っていた。誰一人として、驚きや不思議そうな視線を向けることは無く、それどころか注目されることすらなかった。まるでこのメイド姿があたりまえの日常であるかのように、誰も気に留めていなかった。
一方で、自分のメイド姿に対する違和感、恥ずかしさは消えてはいない。自分は恥ずかしいと思っているのに、周りはそう思っていない。
「なんだろう、この感覚…」
バス停に着くと、バスがちょうどやってきた。乗り込んでみると、思った以上に混み合っていた。でも、パニエで膨らんだスカートに触れないよう、周りの人たちが自然に距離を取ってくれている。
少し申し訳ない気持ちが湧いてきたけれど、誰も嫌な顔をすることなく、ごく自然にあたしに気を使ってくれているのが伝わってくる。それが当たり前のことであるかのように。あたしはじっとバスに揺られながら、心の中で「大丈夫」と自分を落ち着かせた。
* * * * * * *
大学に到着し、学生カフェに向かう。カフェの中を見渡すと、周りにはラフな服装をした学生たちが、思い思いに座って談笑していた。Tシャツにデニム、パーカーにスニーカー――どこを見ても、いかにも学生らしい服装の男女で混み合っていた。
そして、その中で一人、メイド服姿のあたしがいる。
あまりにも場違いだった。周りの空気と、自分だけが違う。フリルやリボン、パニエで膨らんだスカートが、どうしてもこの場所に馴染んでいるとは思えない。
「あたし…何でこんな格好してるんだろう…」
突然、ひどく恥ずかしくなった。まるで、注目を集めるためにわざと着飾っているような感覚が、全身に広がる。周りの誰もが自分に目を向けていないことはわかっているのに、心臓がドキドキと音を立てていた。
「あ、ユカリ!こっちこっち!」
聞きなれた明るい声に振り向くと、アヤがすでに席について待っていた。彼女はいつもの笑顔で手を振り、あたしを招き寄せる。あたしは少しホッとしながら近づいていった。
「ごめん、少し遅れちゃった」
「あ、大丈夫大丈夫!ランチ始めちゃおうか」
あたしのメイド服に何の違和感も感じていないのか、アヤはいつものように自然に接してくれた。まるで、あたしがメイド服を着ているのが当たり前であるかのように。
アヤと一緒にランチを取りながら、二人で軽くおしゃべりをした。いつものような他愛もない話題で、大学の授業のことや週末の計画について話していた。でも、あたしの心には一つの疑問がずっと引っかかっていた。
食べ終わった頃、意を決してあたしはアヤに尋ねた。
「ねえ、もしもあたしがTシャツにデニム姿で外を歩いてたら、どう思う?」
一瞬、アヤの手が止まった。驚いたように眉をひそめ、信じられないといった表情であたしを見た。
「どう思うって…それって…まだ裸の方がマシじゃない?」
あまりにも突拍子もない返事に、あたしは一瞬、言葉を失った。裸の方がマシって、そんなことある?今朝のあたしって、そんな風に思われてたの?
「え?でもアヤだって今、Tシャツにデニムじゃない?」
あたしは戸惑いながら指摘した。アヤは自分の服装を見下ろして、平然と頷く。
「うん、そうだよ。それがどうかしたの?」
「いや、なんであたしだけダメなのかなって・・・」
あたしはどうしてもその理由を知りたかった。でも、アヤはまるで理解できないという表情で首を傾げた。
「何言ってんの?ダメなわけないじゃん。大学なんだから、何着ようが自由でしょ?」
一瞬、希望が見えたかのような返事。でも、次の言葉がその希望を打ち砕いた。
「じゃあ、あたしもTシャツやデニムを着てもいいってこと?」
「えー、意味わかんないよ、なんでそんな恥ずかしいことするの?もしかして、変な趣味に目覚めちゃったとか?」
アヤは冗談っぽく笑ってみせたけど、あたしは笑えなかった。言ってる事が滅茶苦茶だ。矛盾してる。そしてそのことに全く気付いていない。
「いや、そうじゃなくて…ただ、この格好で大学に来るの、ちょっと変じゃないかなって…」あたしは、フリルだらけのメイド服を指さした。
「全然、普通だと思うけど…もしかして、普通過ぎるのが嫌ってこと?だったら違うメイド服にしてみたら?」
あたしは、目の前が暗くなっていくような感覚を覚えた。どうやら、あたしにはメイド服以外の選択肢はないらしい。メイド服を着ているのがあたりまえ、メイド服を着ていなかったら裸以上に恥ずかしい、と認識されている。あたしだけが。
そしてその不自然さに疑問を感じていない。何かが完全に狂っている。
* * * * * * *
ランチの後、あたしとアヤは別れて、それぞれの講義に向かった。カフェを出てからも、頭の中でぐるぐると疑問が渦巻いていたけれど、授業に行かないといけない。少し気を取り直して、教室のドアを開けた。
教室に入ると、すでに多くの学生が座っていた。ラフな服装をした学生たちが、談笑しながらそれぞれの席に座り、ノートを広げたりスマホをいじったりしている。だけど、誰もあたしの姿に気を留めない。
あたしは、フリルに包まれたメイド服姿で教室に立っている。普通の学生らしい服装とはまるで違う、明らかに場違いな格好のはずなのに、誰一人としてあたしを不思議そうに見ることも、驚きもしない。まるで、あたしがこの服を着ているのが「普通」であるかのように。
「やっぱり…おかしい」
(・・・アヤだけじゃない。あたし以外の全員がおかしい。)
でも、一瞬だけ、こんな考えが頭をよぎった。
「もしかして、あたしがおかしいの…?」
その疑念が心の中に湧き上がったけれど、すぐにその考えを振り払った。そんなはずない。あたしはずっと普通に暮らしてきたし、メイド服なんて着るのは変だ。みんなが変になっているんだと、そう思わなければおかしくなりそうだった。
「あたしが普通のはず…」
自分に言い聞かせるように、スマホを取り出した。去年、みんなで旅行に行ったときの写真でも確認してみよう。普通の旅行の写真が出てくれば、みんながどうかしているという確信が持てるはず。
スマホを開いて、去年の旅行の写真を探した。そして、その写真を見た瞬間、あたしは息を呑んだ。
あたしはメイド服を着ていた。
他のみんなは普通のカジュアルな服装なのに、あたしだけがクラシカルなメイド服を着て笑っている。
「嘘でしょ…?」
慌てて他の写真も確認した。先週の金曜日、居酒屋で友人たちと撮った写真。そこでも、みんなはラフな普通の服を着ているのに、あたしだけがフリルやリボンがたくさんついた可愛らしいメイド服を着ていた。
次に見た大学の入学式の写真では、あたしは両親と並んで笑顔を浮かべている…でも、あたしはメイド服姿だった。それも、夜のお仕事で着るようなセクシータイプ。信じられない。どうしてこんな格好で入学式に出たの?両親は何とも思わなかったの?
いや、そもそも、メイド服なんて着た覚えはない・・・はず。
「何これ…何で、全部…?」
どの写真を見ても、あたしだけがメイド服。振袖を着たはずの成人式の写真も、制服しか許されないはずの高校の写真ですら、あたしだけがメイド服姿で笑っている。
そして、種類も様々。クラシカルなメイド服もあれば、今日着ている可愛らしいタイプのメイド服、さらには露出度が高すぎるメイド服まで、あらゆるスタイルが揃っていた。
あたしの頭は混乱でいっぱいになり、何が普通で何が異常なのか、もうわからなくなっていた。




