log.55 大人四枚 学生は学生証の提示を
ドラゴニアでもかなりの人気を博する水族館、それがここアクアリウムイソマエ。
中でも、世界でも有数のサメ飼育水槽が大きな要因となっており、事実としてこれを目的に訪れる人も少なくない。
けれど、今は客足も留まるどころか、ゼロまで減った、というか減らさざるを得なくなってしまった。
だだっ広い駐車場には車が片手で収まるだけの数しかおらず、その全てがB.M.C関連の社用車であった。
「それではこれよりA級術士のお二人と合流させていただきますが、くれぐれも粗相のないようお願いしますね」
星見…いわゆる監督役は紅葉に対して厳重に釘を刺してくる。
思った事が口から漏れ出ることを誰かから聞いたのだろう。だとしたら正しい判断だ、このことを伝えたどっかの高校教師もグッジョブと言えよう。
だって今の彼はかなり荒んでいるからね、割となんでも噛みつく狂犬を鎖で繋いどくのは何も可笑しな話じゃないだろ?
話は逸れたが、紅葉はふてぶてしく「はい」と一言だけを返す。
モスキュールはそれを「おい」と小突くが、荒んだ紅葉からしてみれば馬の耳に念仏、効果イマイチだ。
この後訪れるだろうお説教タイムは効果バツグンだろう。
「…で、こちらが今回同行する学生になります。お二人にはこの二人のことを気にせず捨て駒にするくらいの気位で、と猿川術士から伺ってますので…」
目の前のバンの扉が開く。
中から降りて来た長身の男と短身の男二人組に、運転席から遅れて降りて来た星見が任務の委細を伝達しながら向かってくる。
「あー、そういうのいいから。要はあれだろ?このクソガキどもに社会のキビシサってやつ叩き込んでやれば良いんだろ?」
長身普通体型。
黄土色の髪はオールバック、低めの鼻は寧ろ凄んだオーラの中心になっている。
黒スーツにオレンジのシャツ、プラスに耳、首、手首おまけに指にアクセサリーを着けた、どの角度から見てもヤが付く者にしか見えない男に社会の厳しさを教えると言われると歪な可笑しさが生じる。
「砂盛くん、そうじゃないでしょ。確か…えーと…なんだっけ?忘れたからもうそれでいいや」
対してこちらは低身。黒いマントが首から下を完全に隠していてつま先さえも見えないが、深い蒼色のウルフカットにエメラルドグリーンの瞳が弱々しくも輝く顔は女性的。
声は高く、顔立ちも幼い彼女がヤが付く者を諌めようとして諌め切れていない姿の周りは「のほほん」というオノマトペと花が漂っているようにさえ見えた。
「諌めんなら最後までやり切れや。そんなんだからお前はいつまで経っても二流止まりなんだよ」
だが砂盛と呼ばれた男の方はそれが気に食わなかったのか、不機嫌に顔を歪めて彼女を見下ろしながらこう悪態を吐く始末だ。
ま、彼女の方はノーダメージの様にしか見えないため、平常運転からこうなのだろうとすぐに予想がつく。
いやこれはノーダメージと言うより、寧ろ喜んでいる様に見える気もする。
「へへ、じゃ砂盛くんも私と一緒だ♡二人一緒のA級、おそろいだね♡」
「やめーや、気色悪い。あとその語尾、やめろ言うたろ。しばくで」
喜んでた。それも割とガッツリ。砂盛の腕をガッチリホールドしてのガッツリ大歓喜。
瞬間、腕に押し当てた胸部からお淑やかな膨らみが主張してたのからは見て見ぬ振りをすることにしたが、すぐにそれごと払い除けた男の方にはやや怒りを覚えたのからは絶対に目を逸らしてやらないと胸に誓う。
「ほんで、コイツらが俺らの金魚のフン…おいコラ、ちょい待てや」
砂盛の顔が左から右へ。
視界に映る人間も左から一、二、三と自然と流れて行くと思いきや、三から二まで逆走。
三人組真ん中に立つ仏頂面のガキ、という印象が強いというかそれ以外の印象が無に等しい紅葉が目に留まったのだ。
だが、ただでさえナイフみたいな目つきをしている彼の目は、とても「こいつ生意気だな」とか思っているだけには思えぬ程に鋭利に研ぎ澄まされている。
「なんで俺らが犯罪者のガキのお守りまでしてやらないかんねん」
「あ?」
地雷。
彼が踏んだ言葉は紛れもなく紅葉にとって特大の地雷に他ならない。
とくれば、溢れんばかりの憤りを隠すことはなく、隠すことさえ出来ず、盛大に顔を不快に歪め、特大の不機嫌な声で応じる。これが今出来る最大限の礼節だ。
「あ?ちゃうわ。俺はただ、客観的事実から推測された結果を述べてるだけや」
彼の鋭い目は変わらない。
口調も一切変えることなく、脅すかのような口振りで言葉を続ける。
これらは目の前に立つ男の素振りの全てが気に食わない紅葉の怒りを加速させるのには十分過ぎた。
鞘に納めていた刀に手を掛けるまでに時間は掛からなかった。
「テメェ…まだオレが犯罪者だって言いてぇなら…」
「お前ちゃうわ。そこのデクの棒、まさか、魔力波形
のこと教えてないんか?」
指を刺されたのはモスキュール。
首を横に振ったのも同じくモスキュール。
紅葉の教育係はモスキュールではなかったし、そも教育の暇はある事情によって消え失せたしで、紅葉は基礎中の基礎ですら知らないことがチラホラとある。
なら仕方ない、とばかりに大きなため息一つ吐いた砂盛が説明を始めようと――
仕事用デスク、四つ足キャスターの椅子のセットはどうしても雑務と日々のストレスを連想させてくれる。
だが今ばかりはその連想ゲームからは外れる、というより、そんなことが頭を過ぎる暇もくれないという状況ではない。
「天峯さん、これやっぱり…」
当然のことなのだ。
残渣もどこまで行こうと魔力であることは変わらないのだから、特性だって全く一緒になるのが摂理だ。
ならば、あの結果が真実なのだとしたら、その後の対応だっていつも通りの物になるのも摂理というものなのだ。
だからこそ、田白があまりにも気に病む事になる。
田白でなくとも十分同じ様になるのだろうが、彼女の心に立った波模様は、他の追随を許さないくらいに荒れていた。
「間違いないだろうな。というより、だからこそあの子に白羽の矢が立てられたんだろうけど」
田白が見つめていた紙束がクシャリと音を立てて歪む。
力を込めてしまった拳はわなわなと小刻みに。
腕を組みながら難しい顔で難しい話をされると中々頭に入ってこないというのを重々理解させられる。
だが当然の様にこれは理解しておかないといけないことだ。というか、今の今まで知らないのがおかしいまである基本中の基本。
いくら気が立っていてもそれくらい分かるだけの頭はある。
「魔力には個々人に特定の波形がある。魔力同定ってのはこれを読み取ることで個人の特定を行うもんだ」
魔力は通常、人の目には見えざる物。
感覚のみで微かに感じ取るものが限界の物。
それだけではあまりにも分かりにくい。なので一つ分かりやすく例えると、魔力とは電磁波のようなものだ。
それぞれに個別の波形があり、それを読み取ることで情報を伝播する、魔力の、主に残渣の性質はこれに近いと言う。
しかしながら、今回重きを置かれるのはそこではない。
重要なのはそのおまけ、ついでに語られることがほとんどの、取ってつけた様な性質の方だ。
「ついでに言っとくと、持ち主との血の繋がりが強ければ強いほど波形が似るなんて特性もある」
紅葉の眉間には深い皺が見られた。
目尻はずっと釣り上がったままだ。
ゴクリと喉を鳴らしてコーヒーを一口。
ブラックのそれは彼の味覚に苦味を与えてくれる。
苦味なんて仕事中に嫌と言うほど味わうだろ、とは言うまいよ。
ストレスに向き合う為にタバコを咥え、向き合えば向き合うほどに自然と本数は増え、次第に体が勝手にコーヒーを求めるようになっているヤニカス共にとって、ブラックはなくてはならないものなんだから。
既に半箱五杯。
田白の手の内に在る紙束に目を向ければ勝手に増幅するそれと向き合う為にはまだ足りないみたいで、またため息が漏れる。
「90後半もあれば個人特定には十分。前半でもそいつを最有力候補に挙げて、その証拠を集める方に舵を切る」
魔力には可塑性がある。
時間と共に波形は乱れていき、次第に個人特定には使えないようなただのシミになり果てる。
具体的に言うと一日で最低5〜10%は減少するのだ、ここから見れば90%という数字は出来立てホヤホヤの残渣以外では見られることなんてないのは言わずとも分かるだろう。
つい十分前に吸ったばかりなのに、もう吸いたくて仕方ない。
ただでさえ先の一件で警察全体への不信は積もり、苦情は連日連夜殺到だってのに、トドメとばかりにこんなの出してみろ。
どう考えても双方が損をする。
その対応をするのはつい最近エスカレーター式で上に立つことを余儀なくされた彼自身だ。面倒がすぎる。
また、ため息が漏れる。
「じゃあ80%代ならどの方向に舵を切ると思う?」
独白に近い問い掛け。
これが今二人を悩ませる元凶なのだからタチが悪い。絶対に逃れられない、どんなに目を逸らそうとしても必ず相対しなくてはならないのだから。
「…本人や親兄弟、親族の内に犯人がいる可能性を視野に操作を行う、ですかね」
ひしゃげた紙には見直して、見直して、見直し尽くして、結局間違いはなくって、もう一度やり直した上でまた見直しても変わらなかった文言。
『神河紅葉と残渣の波形一致率 86%』
その下には三つの図。
残渣の魔力波形、神河紅葉の魔力波形、そして二つを重ね合わせた図の三つ。
あの日行われた魔力同定の記録を遡り、不正がなかったか、数値は適切かを調べ直した結果が残酷にも刻まれている。
田白の胸がキツく締め付ける。
「酷だろうが、これが一番手っ取り早い犯人逮捕までの足取りなんだ。迷ってくれるなよ」
「分かってます。分かってます。…分かってるんで、ほんと…時間だけ下さい」
そう言い残して田白は席を立つ。
胸ポケットにはタール含有量21mg、なけなしのタバコ。
悲しいかな、そいつもしばらくすりゃシケモクよ。
(だってこんなの、あんまりでしょ。自分の冤罪が晴れたかと思ったら別にそうでもなくて、家族にまで疑いの目が向くなんて…)
「…嘘吐くくらいなら、徹頭徹尾嘘で塗り固めてくれたら良かったのに」
クソッタレだ。
一時の幸福感以外の利を持たない煙も、自分たちの立場身分のためだけに一人の子供の未来を潰すことを厭わなかった馬鹿どもも、きっと自分とは異なる理由でこの現状を憂いている先輩も。
勿論、現状も。
全部、全部。
「分かった、もういい」
片膝をつき、顔面蒼白とさせた紅葉が空元気で見せた強気の言葉にはまるで覇気がない。
口に手を当て、溢れ出んばかりの吐瀉物をなんとか堪えるのが限界なのは、本人が一番分かってはいるのだが、本人でなくても良く分かるほどだった。
「分かったから、これ以上はもういい。反吐が出そうだ」
再三のことだが、強がりだ。
いくら語気を強めようと、眼光を鋭利に研ぎ澄ましたままでいようと、僅かに上擦った呼吸と微かに震えている脚が何よりの証拠だ。
口から勝手に溢れた吐き出しかけたゲロの臭いがするヨダレと、玉の汗を繰り返し拭う。
けれど、どちらも中々引いてはくれない。
反吐が出そうなのもゲボ吐きそうなのも、本人が一番分かっているのだろうが、周りの目から見ても一目瞭然であった。
砂盛はこの様子に疑念を抱いた。
「思ったより、食いついて来ないんだな」
確信があった。
どっかのS級術士…もとい猿川が星見ヅテに伝えてきた二人のプロファイルから、こいつをちょっと煽ってノせてやればすぐにでもノってくる。暴言吐き散らすか、殴りかかってくるだろうと、そして本性の全貌まではいかずとも欠片くらいは見透かせると。
だが、どうもその予想はてんで的外れだった。
そのことがどうにも引っ掛かったのだ。
「最近はどうもクソみたいなことしか起こらないんでね。テキトーにキレたり、無駄にショック受けてたら疲れるって、いやでも覚えちまっただけだよ」
ここ最近と言えば犯罪者に仕立て上げられたり、冤罪晴らすためにデカい屋敷に侵入したら因縁ご本人様と戦闘して大怪我して、なんやかんやで帰ってきたら祖父とケンカまがいに発展して、心休めの旅行には横槍入るし、帰って訓練してたら裏切り者いるとか言われるし。
兎にも角にも、ここ数ヶ月ずっと心の内を整理する余裕もなく、荒波たち続けたままでここまでかぎつけてしまった。
そんな中で彼は学んだのだ。無理に凪がせるでもなく、荒波を受け入れるでもなく、乗りこなしていなす方がよっぽど毒にならないと。
血相はまだ良くない。
けれど、一つ深く息を吸って吐いたらば、膝に手を当ててゆっくりと立ち上がり出す。
「それと、これはセンパイからの受け売りだけど」
先程までガクガク言わしていた膝の震えはもう止まっていて、突如として吹き荒れた潮風の中でもどっしりと佇んでいた。
「こういう鬱憤は駆除対象ボッコボコにした方がスッキリするらしいぜ」
そういって紅葉は悪人さながらの笑みをして見せる。
拭っても出てくる汗と血色悪い顔が余計にそう見せたのだろう。
モスキュールは「ひばりのやつ…」と額に手を当ててしまったが。
思いの外スッキリとした様子でしばらく深呼吸をしていたが、ふと何かを思い出したような顔をして砂盛の方へとツカツカと歩き始める。
足取りは次第に凄んでいき、ズンズンと突き進む様子はオーラみたいなのを纏っているようにさえ見える。
「そう言えば、これだけは言っておかなきゃいけねぇと思ってさ」
そして砂盛の目の前まで行ったら、その襟ぐりを掴んで力いっぱいに引いてやる。
引き寄せられた砂盛のデコにヤンキーよろしくご挨拶とばかり頭突きをブチかましたらド近距離から睨みつける。
「オレも、オレの家族も犯罪者じゃねぇ。次オレを犯罪者のガキって呼んでみろ、テメェのケツからブツぶち込んで奥歯ガタガタ言わしてヒィヒィ泣かせてやる」
「あぁ、考えといてやるよクソガキ」と睨み返した顔は文句なしのヤクザモン。
ケンカに発展しなかったのは大那田と呼ばれた彼女が「砂盛くんのお尻奪っちゃダメー!」と叫んだおかげだが、少なくともこの場の全員が潮風とは違う、冷たい空気を感じることにはなった。
「それではご武運を祈ります」
そう言い残すと星見の二人はどこかへと立ち去ってしまったが、一応任務中はそう遠くない場所で支援活動に勤しんでいるらしいので大きな心配はいらない。 見捨てられたりはしないよ。
水族館、アクアリムイソマエの出入り口前。
ここに四人で並んで立つ。
ずっと背筋にヒヤリとした感覚が走っている。鍛え上げた恐怖が反応しまくっているのだ。
「大那田ぁ、喜べ。こいつは暴れても良さそうや」
「ほんと?やったぁ♡」
最早不安だ。
自分の感じている恐怖に対して喜び、ニヒルな笑みを浮かべるヤクザも満面の笑みを浮かべる少女にもどっちとも。
星見から伝えられたこの結界の情報を改めて整理すると
・外殻は水族館外壁を利用している可能性が高い。
→結界師による外殻からの解析・解体は困難を極める。
・屋外エリア、バックヤードには結界が及んでいないが、館内に入れば結界内に閉じ込められる
→結界内に入るトリガーは“水族館館内に入る”ことと推測。
・出入り口から幕の確認が出来ない。
→独立した結界ではなく、トリガーにより作動するトラップ式のものと予想される。
→このことから外殻はそもそも存在しないとの見解も。
とのこと。
こういう時のセオリーは「外がダメなら内から」、要は結界師を二人連れて行き、片方は即座に解析を始め、もう片方は内側から外角を探し出してから解析する。こうすることで内から解体するというのだ。
だが、今回はその限りではない。
「足手纏い」
「本体ぶっ叩いた方が早いもん」
と、二人が結界師の同行を拒絶したためにね。
A級術士。ひばりと同格、なんだったら経験分上乗せでひばりより格上の術士が二人してそう言うのだから嘘ではないにしろ、経験の薄い紅葉からすれば目から鱗もんだ。
ただでさえモスキュールがアンクリ口開いてたんだから、そりゃ紅葉ならそうなって当然なのは言うまでもない。
「心の底から暴れないよう願いたい所存だが、聞き入れてはくれるだろうか?」
日頃から損な役回りばかりのこの人は苦労人顔が染みつきつつある。
最早星見とか朝早くから満員電車に乗るサラリーマンと変わらないブラックなお顔だ。
それに応える蒼色ウルフカット少女は悪戯に人差し指を頬のすぐそばまで運んでクルクルと弄んだら、ニンマリと微笑んで――
「うーん、そうだね〜。断固拒否♡」
あんなに可愛らしく微笑まれてしまったら、さしものモスキュールも「あぁそうか、断固拒否か…」と諦めるしかない。
諦めたのだから後は袖を捲って、あの剛健な前腕二頭筋を剥き出しにして戦闘準備を即座に整える。
剥き出しの筋肉にはゴン太の血管がはち切れんばかりに浮き彫りになっており、いつでも猛威を振るえそうだ。
「もういいか?ガキども。さっさと突っ込むぞ」
砂盛の号令によって大那田もモスキュールも水族館のメインゲートへと向き直す。
再度見ても、やっぱりただのガラス張りの大きな入り口にしか見えない。
奥に覗ける水槽たちの中では今も元気良く魚たちが泳いでいるし、出口近くの土産屋ではまだぬいぐるみも菓子も整然と並んでいる。
やはり結界に覆われているだなんて想像だに付かないが、既に少なからず犠牲者を出しているのだから恐ろしくなる。
構うものか、恐いもん上等。無論、強いもんも上等だ。どこからでも掛かってこい。
深く息を吐いて、もう一度息を吸ってから今度は鼻からフンと吹き出す。いつでもやってやるよ、とでも言いたげな顔で。
「よし。砂盛、大那田、神河、スタバラット以上四名!行動開始!」
一歩踏み出してゲートを跨ぐ。
次の瞬間、四人を覆うほどの真っ暗な結界の幕が足元から顔を出し、即座に影までも覆い隠して飲み込んだ。




