log.54 水没シティaquarium
ここは監獄だ
際限のない青に満たされていた我らが世界とは違う、どこまでも自由のない監獄である。
食い物に悩む必要はない、棲家に苦しむこともない。あまつさえ、殺される恐怖に晒されるなどもってのほかだ。
だが、我らが牢獄の中に閉じ込められているのは違わぬ真である。
例え、桃源郷かの如く見えようが、牢獄は牢獄。ここに居ようなど、思うことさえもない。
我らは彼らを許さぬ、我らの憤りは姿形を選ばぬ。
監獄に閉じ込め、死に絶え地に還ることすらも出来ぬ苦汁に浸け、生殺与奪の権利までもを奪い去った業を、かの海溝よりも深き業を、許してなるものか。
我らは呪おう、我らは喰らおう。
浮いては弾けて消える泡沫の命である我らの死に花を根絶せようと宣う傲慢さこそ、彼らの罪。
その身を、骨を、髄までを喰らい尽くしてくれよう。そうしてこそ、彼らの罪は贖われるのだ。
さぁさ、同胞諸君。
喰らう者、喰らわれる者と問うのは今は無しだ。無礼講で行こう。
全ては我らの怒りを、当世霊長の続く限り途切れることの無い牢獄に潰えた者共の憎悪を、業に塗れた身に刻み込んでみせる為に…
記録 葉月十六日
盤東北東部、『アクアリウムイソマエ』にて術式結界の発生を確認。
「ねえねえ!見て!大水槽ここじゃない?!ここだよね?!わぁ…すっごい綺麗だぁ…」
並んで歩いていた彼女が他より一際大きい水槽を見ると、まるで子供に戻ったみたいに目を輝かせながらその前まで小走りで向かっていった。
だけど、やっぱり彼女は大人で、水槽にべったりと張り付いたりしないで、水塊を泳ぐ魚たちをか、それとも彼らが創る幻想的な光景を、ただ「綺麗」と呟いていた。
僕はこの光景を失うのがあまりに勿体なくて、鮮烈に記憶して置きたくて、ぼんやりと眺めていた。
同日
時刻 21:38
最後の入館者である一組のカップルの入館を確認。
これ以降の出入館は記録されておらず、館内には入館者二十九名が居たと思われる。
又、職員の被害は未だ確認が済んでおらず、詳細な被害者数は不透明なままであり、B.M.Cへの協力申請を急ぐ。術士による確認を急ぐ。
シャッター音。
気づいた彼女は振り向いて、照れくさそうに笑っているのをみせてくれた。
「も〜、撮るなら言ってよ〜。そしたらちゃんとカワイイポーズ取ったのにさ〜」
そう言って肩の高さまで持っていたピースサインと、暗い館内でもはっきりと見えるくらいの笑顔をしてくれた。
「…ちょっと、早く撮ってよ。流石にそろそろ恥ずかしいんだけど」
見惚れてた。
淡い色のロングスカートが揺蕩わせた人魚が目の前にいたものだから、ついシャッターにかけていた指のことなんて忘れて見惚れてしまっていた。
彼女はそんな僕を小っ恥ずかしくて赤くなった頬とジト目で見つめてきていた。
それさえも魅力的だったけれど、ハッとしてしまったからには「ごめん、もっかいポーズ取ってくれる?」と言ってこの瞬間をフレームに焼き付けるしかなかった。
以下、今件の詳細を記す
結界は館内ほぼ全域に渡り、おそらく館外壁を結界境界として利用していると考えられる。
屋外エリア、バックヤードには結界が及んでおらず、職員による犯行の可能性も視野に捜査を行うこととする。
残渣の調査を行った星見三名の行方が不明となってため、C級術士二名並びに結界士による調査を依頼したが、こちらも難航。三名とも行方不明となる。
このため、魔力による特定は進んでいない。
繰り返す。魔力の特定は進んでいない。
あと三十分もしないうちにここは閉館してしまう。
出来ることなら全部を見たい。
彼女なら多分、どんな水槽でも綺麗なところだったり、カワイイところだったり、不思議だってところだったりを見つけて、それを僕に向けてアピールするんだろう。
そんな彼女の全部を、僕は記憶に残したい。
いや、違うな。
僕はきっと…
「ね、次の水槽はどんな子がいるかな?」
「佳奈!」
彼女の足が不揃いに止まる。
どうしたんだろう、って摩訶不思議な思いを隠さない、隠せない顔で振り返って僕を見る。
きっと、格好はつかないと思う。きっと耳まで熱を持ってたと思う。
けど、これが僕の一世一代。
「僕と…結婚してください」
ポケットから取り出した指輪。
売れない写真家の薄給三ヶ月分でなんとか買えた最高級の指輪。
ひざまづいて彼女に差し出したそれを、じっと見つめて…
「うん!……………………
水槽の中で目を光らせた捕食者。
それに飲まれたものの顛末は未だ確認されておらず、鮮烈に残したい記憶さえも泡沫となって消えたのやもしれない。
同日
時刻 21:43
監視カメラから中央監視室へと送られた映像はここを皮切りに途切れている。
また、バックヤードや水族館周辺での電波異常が見られた時間から、結界の発生時刻と推測される。
記録
結界から脱出した人物はいない。
一般人、術士問わず確認されていない。
又、敵は最低でも術式結界を扱うことが可能であるため、無条件でA級と認定。
以上のことから今件は極めて危険度が高いと予測され、A級に指定される。
したがって、今件にはA級占星術士二名、結界士二名を充てることを必須事項とする。
また、S級占星術士 猿川楽の指名により、B級占星術士 モスキュール・スタバー、D級占星術士 神河紅葉を同行させることとする。
流れる景色は既に盤東の都心部から外れ、閑静な住宅街を抜けて行き、のどかな田園風景をすっ飛ばして山間を通り、今は輝く水平線が見えている。
車窓のふちで頬杖をつきながら、紅葉はこの光景をぼんやりと眺めていた。
「センパーイ、マジでこの仕事オレ行かないとダメスか?」
「いい加減諦めたらどうだ?猿川がああ言った以上、変えられないのは分かってたことだろう?」
まだ文句垂れ垂れな紅葉と対照的にドッシリと構えたモスキュールは狭めな車内で窮屈になるからと、出来る限り縮こまっている。精神はちゃんとしてるから良しとしてあげてね。
「そりゃそうっスよ。てか、それが問題なんじゃないスか」
紅葉の膝上には一台のタブレット端末。
表示されてる文章は自身に割り当てられた任務の詳細。
頬に当てた右手は人差し指でリズムを刻む。若干のイラつきを表現するには結局これが1番なのだ。
イラつきの原因なんてスクリーンを見れば一目瞭然。
「だってこれA級の仕事じゃん?!オレ等級なしっスよ?!どんだけ考えても死ぬじゃん!真っ当に死に急ぎじゃん!」
そう!紅葉の言う通り!
これはA級、言っちまえばひばりみたいにメチャクチャに動けて、ハチャメチャに強い人らが受ける仕事なのだ。こんな弱っちいぺーぺーのお子様が受けるもんじゃない。
仮に、だ。
仮に紅葉が今A級の敵と相対しようもんなら速攻で死ぬ。足手纏いになった挙句、役に立つ暇も与えられないまま犬死にする。あるいは首トンさらて気絶でもするんじゃない?
いやいや、オッドマウスと戦ったことあるだろって?馬鹿言うなよ手加減されまくってんに決まってるでしょ。舐められてんの。紅葉だって内心それは感じてるの。
(ここまで卑下する必要はないかもだけど…)
だがこれで紅葉の不満はご理解いただけたことだろう。分からないようなら分かるまで読み返してね。
「落ち着け。まずお前はD級だし、戦闘をさせるつもりはないって猿川も言ってたろ」
「言ってたっけ?正直あの人の噂変なのばっかりなんで適当に流してたんで覚えてないんスけど」
一度はしっかりと宥めようとしてくれたモスキュールの肩が大きく落ちた。なんと言うか、吐いた息からは哀愁が漂っていた気がする。
「アイツの話を俺たち(主にひばり&力也)が吹き込んだのが悪かったかなぁ…」
先日
「神河、ちょっと来てくれるか?」
干鯵から帰ってきて一日が経ってすぐに参加した昼練の休憩時間中。
だっくだくに流れる汗をタオルで拭き殴る紅葉を呼ぶ声がした方を向いてやれば笹木の姿が。
「サッさんがここまで来んの珍しいっスね。もしや、そんくらいヤバイ案件だったりします?なら行かないっスよ?テコでも動かないっすよ?」
日陰を作ってくれている大きな木の幹に抱きついて虚無の鎖で巻きつける徹底ぶり。
普段の戦闘からこれくらいやってくれたら良いのに、と言う透馬の不満と、干鯵での戦闘記録でもそんな良い動きしてなかったよな、というひばりからの圧を同時に感じたので速攻鎖を解いて誤魔化しのフェーズに入る。
「んで、どこ行きゃいいんスか?」
「とりあえず着いて来てくれたらいいから」
最後からの殺気から目を逸らしながら笹木に着いて行く。
具体的な目的地を教えてくれないことに若干の恐怖と、とあるトラウマを連想しながらも取り敢えず着いて行く。
全然文句は言うけどね。
「まさかとは思いますけど、サッさん相手に能力とか使いました?」
紅葉の顔は明らかに不機嫌。今にも食ってかかりそうな狂犬が威嚇していた。
結局辿り着いた先は体育館裏。
こんなところで何の用が、と思っていたら二人の人物が目に映り、すぐさまに感情は疑問から怒りに移り変わって、手の内に魔力を固めている。すぐにでも虚無の刀を抜けるように。
「使ってない。そんな真似するほど落ちぶれてないし、そんなことしたら先生殺されちゃうでしょ」
一瞬笹木の方を見ると、変なことはされてない、と言う風なジェスチャーで答えていた。
唯一手放しで信頼出来て尊敬出来る相手である笹木におかしなことでもしていようものなら、相手が誰であろうと刀を抜いていただろう。
だがそうでないのならまぁいいだろう。話くらいは聞いてやるべきだ。
嫌な予感しかしないけど。
「ふぅん…じゃ、サッさん使ってまで何の用すか?正直聞きたくないんスけど」
猿川と力也が体育館裏で二人で時々二人で話していること自体は紅葉でも知っていた。
だからこそ、そこに自分だけは加わりたくなかったのだ。
S級同士の内緒話とか、良い予感がしないでしょ?今ヤバイ話してます、って言ってるようなもんでしょ?
そんなとこに行きたくないと思うのは当然の摂理だ。
ただでさえ嫌な予感が漂う場所に笹木を使ってまで呼び出されて連れて来られたとなるととても悪寒がする。今すぐにでもあの殺気漂うグラウンドに戻りたい。
けれど、目の前の教師はそんなこと気にも留めていないようで、開き直ってにこやかに言い放つのだ。
「多分部内に裏切りもんいるから紅葉も協力して⭐︎」
「何言ってんだテメェ?」
後に彼はこの一件のあった時のことを語る時にはため息混じりにこう言う――
「マジであのヤロウぶん殴ってやろうかと思った」、と。
「詳しい話聞いてもそうホイホイと飲み込めるもんじゃあないでしょぉ…」
あんな切り出しからじゃまともに飲み込めないのは無理はない。ぶっちゃけ「頭イカれちゃったのかなこいつ?」って思う方が正しい反応まである。
だからこそ、こうして咀嚼して溜飲を飲んでくれた紅葉がだいぶ大人に見えてしまうのだ。事実とは違ってもね。
とは言っても、「聞いた」と「理解した」には遥かに大きな差がある。聞いただけでぜーんぶ理解できるんならこの世に教職はないし人類史は遥かに発展してる。
紅葉だってそうだ。
いくらなんでも全部を咀嚼して飲み込んではみたものの、やっぱりダマになって喉でつっかえたり、カスが歯の裏に引っ付いたりして飲み込みきれてない。
全力で「何が何でどうして?」と投球してやりたいとこだ。
「飲み込まなくて結構。取り敢えず紅葉には「裏切り者がいる」、「それのガサ入れに協力する」ってことだけ分かってくれたらいいから」
そう、紅葉に求められているのはこれを丸々理解するのに十分な頭じゃない。たった二つの要点を押さえておきさえすればそれで良い。
だからと言って、スマホいじりながらさも当然のように言わないで欲しい。
「それ、返事っていくつくらい用意されてます?」
「はいかYES、自分は違うって言い張るならこの二つだけ。でもNOがないわけじゃないから、好きにすれば良いよ」
まぁ念の為聞いてみただけだ。どうせ碌な返答が来るなんて思っちゃいなかったが、半分は予想通り、半分は予想以上の嫌なもんが返ってきた。
おかげで紅葉の顔もほんのりと曇ってしまったよ、どうしてくれんの。あといい加減スマホをやめろ、目の前の生徒からグーがすっ飛んでくるぞ。
「問答無用で裏切りもんの烙印押すって条件付きで、ね。はぁ…犯罪者の次は裏切りもんかよ…めんどくせぇ…マジで術士やめたろかな…」
つい最近まで指名手配されて追いかけ回されて、よーやく解放されたと思ったのに、今度は裏切りもんですかそーですか、どーせオレぁ怪しさ満点の男ですよーだ、と心の中でサメザメと涙をちょちょ切れさせても変わることはない。
それどころか、(…いや、そもそも今回は怪しまれてる訳じゃないか)と気づいてほんのりと元気が復活したところだ。
(いや、別に良いことではないし、一番イヤなもんが変わってねーんだけど)
と思い直してまた肩をひどく落とすのだった。
「んで、オレは何をやればいいんスか?呼び出したってことは、やっぱやって欲しいことあるんスよね?」
ため息混じりに教師の方に振り向きざまにそう聞く。
紅葉にだって察するだけの力はある。というか、こんなあからさまな状況で「お前も仕事しろ」以外に言いたいことってあるだろうか。いやない。
そんなこんなで諦め100%の声で聞いてみれば、目を細めて笑う悪い顔をしていた教師が口を開けやがるのだ。
「いや今の紅葉じゃミリも使い物にならないから、手っ取り早く強くなってもらう。気張ってこいよ」
「テメェマジ○*♪¥%・$#×」
危ない危ない、もうちょっとこのままにひてたら放送禁止コードが飛びまくる地獄絵図まで映してしまうとこだった。
いやでもあれはない、いくら考えてもあれだけはない。仮にもこれから協力する相手にあれはないだろ。誘い文句として堂々の赤点補習筆頭、ひどすぎるとしか言いようがないんで幼稚園からやり直して来いってんだ。
「一応今回はモスキュールのバーターって形で送るけど、術式結界のこと良く学べる絶好のチャンスになる。実地で見て肌身で感じ取って来な」
(とか言ってたっけ。それでくたばったらどうしてくれんだって話だけどな)
心の中で悪態をつく。
表に出せばきっとモスキュールに小言を言われてしまうだろうと口をつぐんで、最後にはバカみたいにでかいため息を吐く。
そしてため息を吐く呼吸音は隣からも聞こえてくる。
「切頭の言ってたことがよく分かったよ」
このすぐに開く口が本当に憎たらしくてたまらない。いつか切り落としてやると心に誓おう。




