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虚の機繰  作者: 浮海海月
満天の曇り空を彩る星痕
52/56

log.52 Goodbye cloudy

「残りは?」


「一」


「じゃあ早めに仕上げるか」


 苦し紛れに放った人魂の数々。

 それらは砂浜に突如として浮き出た砂壁にぶつかり、彼らには当たらない。


 壁の後ろまでスライディングして遮蔽にを隠す。

 チラリと覗くP85が彼女狙い、穿った弾丸は彼女に掠りもしない。


「ッ…!ほんとなんなのよ!これ!」


 けれども彼女の腹部には確かな弾の痕が打ち込まれている。

 P85とは違う不可視の弾丸、それが彼女を傷付ける。


 痛みに喘いだ彼女の攻撃の手が緩むのを彼らは見逃さない。

 遮蔽から姿勢を低くしたまま飛び出した勢いそのままに駆ける。

 跳躍。

 手の内に握り締めたP85。その銃口を彼女に向け、トリガーに掛けた指に力を。


 マネキンもぼんやりしているだけではない。

 主の危機を察知したのではなく、彼女がメチャクチャに放って、統率の取れていない動きで宙を跳ぶ紅葉に襲い掛かる。

 

「トーマ!」


「おう!」


 空中では自由に身動きが取れない。

 彼は為す術無く腕の大群に飲みこまれる運命(さだめ)と知り、先程手渡された透馬のピストルを投げ返した。

 直後、彼は想像通り大群に飲み込まれ、揉みくちゃにされながら海岸堤防まで吹き飛ばされた。


「バカ!振り返んな!」


「クソッ!」


 敵の方へまた振り返ると、目の前に人魂。

 咄嗟に顔をずらしても躱し切れない弾道を走るそれは彼の右目を焼くことに。

 爆煙の中から負けじと前進。額から血を出しながらも、P85を構えて彼女に跳びかかってマウントを取る。


「放っ…せ!」


「嫌だね」


 冷たい黒鉄をこめかみに押し当てトリガーを引く。

 しかし、真横から右脇腹に拳が文字通り飛んで来て突き刺さって、ぶっ飛んで照準がブレたまま発砲。

 弾丸は彼女の頬を抉っただけで致命傷までには至らない。

 舌打ちを漏らす。


 深手を負わせようと彼は止められないらしい。

 命辛辛マウントから逃げ出した彼女の上で白刃がギラめいていて、その輝きは砂浜まで文字通り光速で落ちる。


「チッ…ゴキブリかよ」


 彼はそう呟くと瞬く間に刀を振り上げ、また振り下ろした。


 右腕を上げて紙一重、白刃は彼女の右脇をすり抜けて砂を貫く。


 この動作を何度も何度も繰り返す。

 砂浜にはやけに深い、薄い刀身がぴたりとハマる穴が幾つも空いていた。

 されど紙一重。

 血痕は刻まれておらず、白銀の太刀に赤の曇りはなく、魔物の出した紫で滲んだそれらだけ。


「いや…!はなれてよ!」


 白装束が彼を拒絶すれば、宙に浮いた手が彼を引き下がらせようと両腕を掴んで離さない。

 振り解こうと踠こうが、その手には体が無いんだからどれだけやっても離しはしないし、あっさりと彼を放り投げてしまった。


 追撃とばかりに人魂、彼女の背後に控えた大量のそれの一部を彼らに向けて乱射。


「…ッ!死ね!死ね!クソオスども!ここで死んで、華々しい青春ごと地に帰れ!」


「誰がオマエに殺されるかよ!殺せるだけの力も無えオマエに!誰が殺せるんだよ!」


 生々しい傷痕。

 図書館にて刻み込まれた幾百にも及ぶ、全身に走った切創。

 抉られた内臓、開いた血管、露出した真皮から溢れ出した血脈。

 目の前が暗転して墜落しているのに、身体はやけに軽く感じる矛盾。


 あれが、あれこそが、あれだけが、紅葉に死を直感させた。


 それに比べれば彼女の攻撃など、実に――



 人魂、惜しむらくも白銀の髪を揺らす彼には届かず、月兎の放った銃弾にて撃ち落とされる。

 だけれども、たかがピストルの連射力では大量のそれらを全て撃ち落とすには至らない。


 紅葉の身体に幾つかの火傷が増える。

 身体は燃えるし爆発に巻き込まれてるけれど、体勢を整える意思は崩さず、くるりと身体を回して、迫るマネキンの手に回転斬りを穿てば横一文字に人魂が割れる。

 

 緩やかにした着地と同時に、自身の眼前に砂壁を築き上げる。

 地中から虚無の壁を押し上げて造り上げた砂壁はかがんだ大人を隠すには十二分サイズ。

 流れるようにその裏まで移動して、壁を遮蔽にして二人は身を隠す。


「チッ、参ったな」


 紅葉の隣に座り込んだ少年は隣にもギリギリ聞こえるか聞かないかくらいの小声でそう呟いたので、振り返ってみればカートリッジを見つめる彼の姿が。


「まさかだけど、それがラス一とか言わないよな?」


「そのまさかだ」




 彼らは遮蔽の裏。

 詰めて仕舞えばすぐにでも方が付くだろうよ。

 けれど、彼女にそれは出来ない。いや、する気立てがない。

 力量差も経験も大いに劣っているだろうけれど、彼女は未だ劣勢ではないどころか、若干一抹の希望さえも見えて来ている。

 あと少し、ほんの少しでいい。

 自分自身が《《絶対に》》安全であると言う確証が欲しいだけなんだ。

 これを手にする為に、奴らをここで――さなければ、彼女はここでない何処かでやっていく自信も、安心感も、得られないだろう。


 確証が欲しいのだ。

 今、彼らに攻め入っても痛い思いをする心配がないという、絶対的な確証が足りていないのだ。

 

 

 

「しっかり頭に入れたか?」


「完璧」


「ハハッ、さすがは優等生。やるぅ」


「お前も平均並みには出来るだろ」


「さぁ?オレまだ高校で試験受けたことないし」


「笑えないジョークだな」


「そう?結構いいセンスしてると思うけど」


 曇り夜の下、砂壁の裏で二人は軽口を叩く。到底そんな事をしている場合ではないけれど、逆に落ち着いているのだろうな、二人に焦りも陰りも見えない。


「じゃ、あとで皆の前でもお披露目するか」


「やだよ、絶対殴られるもん」


 ニヒルな笑みを浮かべた透馬に紅葉が苦笑いで応える。

 白銀の太刀を鏡にして、宙に浮かんだ彼女とその背に控えるサムシングを視認したらば納刀。


 リロードを済まして深く息を吸って吐く。

 紅葉から彼女の位置、その委細を聞いておおよその狙いをつけたら大声で。




 確証なんて要らないのでは?

 だって今、優勢…ではないけど、二対一でも上手くやれてるんだし、もしかしたらここで形勢逆転だってあり得ない話じゃない。


 そうだよ。

 わたしは将来有望だって、みんな言ってくれてたもん。

 おまえなら絶対優秀な占星術士になれるって言ってくれてたもん。


 この出来損ない その性分はどうしたら叩き直せるんだ


 それにそれに!片方、あの白髪の方、あれ犯罪者じゃん!あいつぶっ殺したらネットの奴らも、友達も、パパもママも!わたしを見直すはず!


 頑張りもしない、別に才能だって光ってるわけじゃない 俺がズルしたんじゃねーよ、お前が勝手に落ちてっただけだろ


 そうだ、そうだよ!間違いない!

 ああ、やっぱり、やっぱりわたしって…


「天才だ!」


 ぐんと急降下して加速しながら砂壁へと突っ込む。

 その背にいた物どもは彼女に遅れを取りはしたものの着いていく。

 これが良くなかった。

 変なとこで希望的観測を持ち出し、マイナス面を思案に入れることもなく行動に移した。これが、いけなかった。


「せーのっ!」


 掛け声と同時に二つの影が砂壁から猛スピードで駆け出す。

 一つは白銀の、もう一つは黒い鉛玉。

 下手に距離を詰めようとした彼女のスピードでは咄嗟に軌道を変えることは叶わず、鉛玉は彼女の胸をぶち抜いた。


 兎の一撃を貰って動きが緩んだのを白銀の獣は見逃さない。

 腰を更に落とし、地面蹴っ飛ばして加速。彼女まで弧を描き走る。

 懐まで潜り込み、腰に携えた刀の柄に手を添え握り込んだら高速で抜刀。腰に差したものから、鮮やかな三日月の軌跡を描いて彼女の首、よりもやや下、襟ぐりの辺りを斬る。


 なんとか軌道を逸らしたものの、躱し切るには至らず、首元からぬるい液体が滴る。

 痛い。痛いのは嫌だ。発狂してしまいそうになる。

 いっそ、狂う頭なんてない方が良かったのに。


 右手を振るえばそれに応えるようにマネキンの群れが降りて来る。

 その姿は巨人の掌のようで、白銀の髪を持つ彼を叩き潰すには十分なサイズ感だ。

 だが、所詮はちっぽけな腕の集まりだ。叩き潰すなんてことは出来ず、せいぜいすっぽり包み込んで揉みくちゃに、雑巾のようにして棄ててやることくらいが限界。


 紅葉を包み込んでしまえばもうお終いだ。

 だってこれの威力はさっきもう片方の男子が右腕で証明してくれたもん。

 あいつの右腕ボロボロになって使い物にならなくなってたし、こいつだって、もう時間の問題でしかないはずなんだから。

 そして気付く。

 彼はどこに?


 急いで砂壁へと視線を走らせるが、時すでに遅し。

 遮蔽の裏から猛スピードで松林の方へと動く影一つ、彼女はそれを見送ること以外に出来ることは残されてなかった。

 反対に、考えることなら数多く残して行ったがね。


(どこに?松林に決まってる。何をしに?応援を呼びに?それとも後方支援に割り切って隠れた?いや、ないでしょ。応援ならとっくに誰かが呼んでるはずだし、隠れるんならわざわざ危険を犯してまで出て来る理由もないもん)


 いくら考えても、ほんの一瞬、限られた時間で回せるだけの思考を巡らせても納得のいく解答には辿り着かない。

 とんだ置き土産を残して行きやがった。


――残りは?


―― 一。


 思い出したのはほんの少し前のこと。

 沖に現れた魔物を蹴散らしに行った少年が帰還した時に交わしていた短い会話。


「まさか…!」


 これが彼女に一説の可能性を生じさせた。


(あれはわたしじゃなかったんだ!沖にほんとに一体だけ魔物が残ってて、あいつはそれを狩りに行ったんだ!)


 それならば、彼女も向こうへ飛び立つ以外に選択肢はない。

 挟み撃ちにして優位に立って有利に動くことが出来る上、上手く行けばどっちも刈り取って一躍することだって有り得ない話じゃない。

 美味いことだらけの蜜の香に誘われて彼女は飛び立とうとする。


「軍用剣術・三番 捩れ弁天(ねじれべんてん)」


 背後に白銀。

 回り舞う彼の白銀に彼女も釘付けにされてしまう。

 力一杯の回転斬りは、彼に付き纏うマネキンどもの尽(ことごと)くを斬り伏せ、微塵にして振り払って見せた。

 回転の勢いを殺す為に軸足にしなかった右脚を大きく伸ばして砂浜を削り、腕までもダラリと伸ばして止まる。


「お、らぁぁぁぁ!」


 そしてそのまま、ひるんでいる彼女の顔面に左のドストレートを叩き込んではぶっ飛ばしてやる。


 醜いカエルが潰れる声がした。

 その直後、彼女はバランスを崩した。



 あのマネキンは確かに彼女にとっての一番火力が出る武器だ。この事実は覆らない。

 しかし、問題は火力の出し方、言ってしまえば出力法が彼には合わなかった。

 マネキンにしろガチャ玉にしろ、彼女の微小な魔力を纏っている。それは彼女が能力を如何なく発揮するに値するだけの最低限な量だ。


 されとて、数が増えれば十分な武器となる。

 それは一匹のバッタでは脅威足らなかったのが、群相を形成することで蝗害を起こすに能う脅威になるのと等しい。


 しかし、結局のダメージは自身の纏った魔力量と相手の魔力量に左右される。

 そして、紅葉の魔力は人よりも多く、自然に魔力による攻撃のほとんどは彼の莫大なそれに阻まれ、ダメージを最小にまで殺されてしまうのだ。


 後は分かるだろう?

 揉みくちゃにしてくるだけのうざったい埃を払うだけ。ここにどれだけ苦戦する必要がある?


 

 吹っ飛ばされても彼女はまだ浮遊を止めない。

 また標的を彼に定め、今度は人魂を射出しまくる。


「クソッ!クソッ!クソオスが!女の子の顔に傷をつけるなって!習わなかったのか!」


「『女の子』ならオレだって戦(や)らねーよ。『敵』ならそりゃ喜んでボッコボコに凹ませてやるよ」


 啖呵を切っていた彼女に、紅葉は悪魔笑いを浮かべてそう言い放ってみせる。

 だって、事実彼女は振り返る火の粉でしかないんだから、そりゃ全力で振り払って火の元潰しに行くに決まってるだろう?


「覚悟しとけよバケモン。すぐにオマエ落として、かっるい頭地べたに擦り付けながら謝罪の言葉アイツらに並べさせてやる」


 白銀の太刀はやや上、自分自身を、生意気にも見下ろすあの女に目掛けて突き付け、同時に言葉のナイフで脅しまでかけてやる。


 白装束が急に水に濡れたのだろうか、背筋にゾクリとした悪寒が迸った。

 悪寒はすぐに危機感に変わり、彼女の体を動かすスイッチとして働いてくれる。


「いやよ、いやよ、絶対にイヤ!だって先にここにいたのはわたしだもん!後に来たあんたたちが全部ぜーんぶ悪いんだ!そうに決まってるんだもん!」


 子供みたいなことを言いながら、子供みたいにがむしゃらに人魂を投げつけて、投げまくって砂浜に小さなクレーターを創りまくる。


 突如として紅葉は自身の魔力を増やす。

 そして刀を振って自身に降り掛かる人魂という名のただの燃えるガチャを叩き割って行く。

 一歩、また一歩。彼女へと前進。

 足を踏み出す度に攻撃の手は早まって来る。

 幾つかはやはり斬り伏せられず、身体にぶつかりながら爆ぜて火傷を作る要因となりやがる。

 それでも彼の足は止まらない。


「ほらほらどうしたぁ?!オレんこと殺すんだろ?!やっぱ口先だけでぜんっぜんダメじゃねーか!」


 これが効いた。

 挑発にノッた彼女は「だったらお望みどおりに」と言わんばかりの勢いで自身の背後に星海と見紛う量の人魂を飛ばしまくる。


 ああ、今日はなんて良い天気なんだ。

 こんな満天の曇り空に星の描く軌跡を望めるだなんて。こんな奇跡、またとないだろう、あってたまるものか。


「死ね」


 彼女がそう呟く。

 振り上げた手を振り下ろせば、すぐにでもあれらが降り注ぎ、紅葉を襲うことだろう。


 それでも構わず、紅葉は片口角を上げ、嘲笑するように、もしくはより挑発するように笑いながら言葉を吐き出すのだ。


「オマエこそ、死人らしく成仏しろよ」


 彼女が手を振り押す。

 こうした瞬間、人魂は一斉に急降下を始め、紅葉を目掛けて飛びまくり、どんどんと砂浜にぶつかって小さなクレーターを形作っていく。 

 砂浜に開いたクレーターは人魂が衝突する度する度にその数を増やしてく。


 流石に危険だ、と足を動かしても、砂が足を攫うせいでまともにスピードが出せない。

 姿勢を低く保ち、的を小さくして出せる限りのスピードで火の雨の中を駆け回る。

 駆けながら刀を振るって人魂の一つ二つを斬り伏せ、これだけでは防ぎきれないと地面の中から虚無の柱を突き出して砂を舞い立たせることで遮蔽に。

 それを左右にも伸ばして行って身体を隠しつつ移動する。


 人魂は左右に伸びる砂柱のどちらに敵が隠れているか絞れないがため、無差別に降り注ぎ続けていた。

 その間も彼女は砂浜から目を逸らさずに監視を続けている。

 だが視覚では的を見つけることは叶わず、魔力探知をさっさと始め、終いまで畳み掛けてやろう。


 ここで長い前髪に隠れた目が大きく開かれる。

 ――探知が出来ない。


(何これ…魔力が大きすぎて的を絞れない…)


 さっきまでとはまるで違う。

 量が桁違いに増えている。

 そのほとんどは垂れ流しで無駄になってはいるものの、これじゃどっちに隠れてるかなんて判別もつかない。

 先程増やした魔力はこの為かと勘繰ってしまうが、こんな事を考えている場合ではない。


(確かに他人よりも少し多いかとは思ったけれど、まさかあれで抑えてたの…?!)


 さっきまではこんなガキにしては多い程度の量だったはず。

 それだけでも十分にあり得ないはずなのに、これがまさか倍増どころか累乗して来るだなんて。


「どっちがバケモノよ…!!」


 舌舐めずる少年が口に入った砂粒を吐き出し、白銀の太刀を携えて冷や汗を流しながらも不敵に笑う。


 度胸だけなら誰かに引けを取らない。

 しかし、師から教え込まれた感覚を改めて研ぎ澄ますと同時に、言い付けられていた「恐怖を忘れてはいけない。忘れたら私直々に思い出させてやる」という言葉を思いだす。

 不思議と笑みが溢れる。

 だって、こんなの絶好の好機なんだから。


「良いね、試したいのもやれそうだし」


 勢いよく砂壁から飛び出し、地面スレスレから刀を振り上げてやれば、魔力を帯びたそれが砂を舞い上がらせ、砂塵を作り出す。


 火の玉は砂粒を穿つが、結局砂塵を通り抜けてその裏にクレーターを形取るだけ。


 一つ刀を振り払って人魂を斬り落としたらクルリと回して納刀。

 脚を大きく開き、姿勢は低く、バネを限界まで引き絞って常に走り出せるように保つ。

 呼吸を整え、全身に血を巡らせてまた深く息を吐く。

 朱の眼光の奥で魔力が爆ぜる。


 ――砂塵が晴れる。


「『龍眼・大道(たいどう)』」


 龍の瞳孔が朱く光り、火の玉が遅く…遅くゆったりと視界の最中を流れて行く。

 線香花火が散り落ちるよりも速く、彼は砂を蹴るのだ。



 龍眼、これが持つ機能は複数。

 大道は機能をそれらの内から『動体視力の向上』に絞る事で元来のデメリットを打ち消しつつ、極限の視界を手にするものである。


 従って、今紅葉の眼に流れる人魂は綿毛が落ちるが如く遅く視えている。

 これを落とすのに力は要らない。

 これを斬るのに速さは求めない。

 落とす必要があるものだけを選択的に斬り伏せていく。


「動きが…変わっ…」


 悶える時間はやらない。

 綿毛の雨の最中を歩くに技量も勇気も要らない。それは走ることにもまた同じ事で、綿毛の中をひらひらりと紅葉が流れて行く。

 白装束の女までひらひらり、流れ流れて爆風に乗ってそれは上昇して距離を詰める。


「この…ッ!」


 最早ヤケクソ、自らを巻き込むことなど一切考慮せずに人魂をぶつけまくる。

 しかしそれでも当たらない。

 空中、動きは制限されているはずだと言うのに、それでも尚彼は尽くを叩き切ってみせた。

 恐れをなす。

 逃げ出したいのに、頭がそっちに回ってくれない。


 龍の瞳に掛かっていた輝きが消える。

 其れは既に役目を果たした。其れは既に限界に達した。

 ほんの数秒、ほんの一握り、ほんの一つの権能を使役するだけでこれだけの負荷。

 身体は万全、状況も状況なら長時間使用もやぶさかではないが、今はその限りではない。


 輝きの失せた眼に目掛けて飛翔する。

 人魂が彼の左眼に喰らいつく。

 爆炎が彼の眼を焼き、衝撃で刀を振り上げたままに仰け反らせる。


 ――殺った


 これは確信。

 これは間違いない。

 されど彼は爆煙を食い破り、彼女の淡い幻想を食い荒らし現れる。

 雄叫びとともに現れる。


「ウオオオオオオオ!!!」


「ぁ、あぁ…あぁああああああああああ!!」


 彼女もまた尻込みつつも腹を決めた。

 腹を決めて腹から声を出す。彼にも負けず劣らずの雄叫びを上げる。


 頭上からの一撃を一切の迷いなく振り下ろす。

 自分自身へと伸びる細い腕になど目もくれず、一心に振る。

 叫び合ってすれ違い。

 雌雄を決したのはさぁどちらか。


 彼女の右肩から脇腹にかけて血が噴き出る。


 彼の腹はひどい火傷を負っている。

 彼は落ちていく、どんどんと落ちていく。何もかもを手放して落ちていく。


 ――砂壁が崩壊する


(あいつの能力が消えた!やった!勝った!)


 其れは意識の消失を意味する。

 これまでずっと形を保っていたもの、十中八九彼の能力によって保たれていたものが崩壊したことは、術者本人の意識が消えたことに他ならない。

 これで後は煮るなり焼くなり好きに出来る。


 ――笑みが溢れてきちゃうな


「撃て、透馬」


 銃声が雷鳴の如し!

 落雷、白装束の胸に的中。女一人を穿ち抜くに至る。

 射程距離、それを遥かに余す近距離からの狙撃に音と着弾までの時間差は無く、彼女に避けるだけの時間を与えなかった。知覚するだけの時間さえも寄越してやらなかった。


「は?」


 自らの身体に空いた穴を見る。

 わなわなと震える手で穴の周りをひたすらに掻きむしって絶叫する。

 顔に血相は無い。

 真っ青を通り越し、一切の血が見えない真っ白な顔はまさに幽霊。

 脂汗が額を、頬を伝う。全身の穴から嫌な汗が溢れ返る。


「キャアアアアアアアア!!!!」


 砂を押し上げて地中から一人の少年が姿を現す。

 彼はそこにいるはずがない者、だって今、彼は松林に…


 …そういえばいつそれを確かめた?

 でも、魔力探知だって、少なくともあいつ以外には誰もいないって言ってた――


(まさか…!)


 察した。

 そして顔面が酷く歪に変えて、全ての原因のやつを見下ろす。

 そして彼は高笑い。完璧に術中に嵌ってくれた彼女を嘲笑っている。



 ――少し前


「仕方ない、もうそれは使わないでいこう」


「作戦でもあるみたいな言い草だな」


 隣に座った彼にいきなり何を言い出したのかと言いたげな顔を向けたが、彼の顔は真面目そのもので、同時に策があると書いてあった。


「あるよ。ここに居るのがオレだけだって誤認させる。挑発にだってノせやすそうだし、それ自体は簡単だと思う」


「…続きは?」


 嫌な気配を漂わせてはいるが、確かに確実性は高い。

 透馬の知っているだけの彼女の性格からも、分かりやすい挑発にもノせられると結論づけられるが、続きに嫌な気配しかしない。


「あいつの視界にオレ以外が映らなくなったらワザと攻撃を喰らう。ほんで気絶したふりするから――」


「そこを《《コイツ》》でぶち抜け。一応二発あるけど、絶対に一発で決めろよ」


 紅葉から手渡されたのは『虚無』の、不可視のスナイパーライフルと一本の不可視の棒。

 嫌な気配は大当たりだった。

 要は囮だ。

 紅葉自身を囮にして確実に奴を撃つ、あまりにひどい作戦だ。穴だってたくさんある。

 けれど、これが刺さる気がした。


「任せろ」


「じゃ、上着ぶん投げたら後はこの中で待機な」


 砂壁の足元に人一人がなんとか収まる程の空間が空いている。

 そりゃ砂押し上げて壁にしてるんだから空間は合っておかしくないか、と納得して首を縦に振った。



 そして今の今まで待っていたのだ。

 幽霊を撃ち抜く絶好の好機を。


 最早彼女に空を飛ぶだけの余力は残されていない。

 彼女に残されたのは微弱な意識だけ。

 踠いて踠いて、なんとか食い繋ぐが、それも長く無い。

 見えない銃口を向けられ、7.62mm口径の弾丸に再度撃たれて完全に沈黙した。


「さよならだ」


 月兎は冷たく言い残したのを、彼女は聴いていたのだろうか。

 それを確かめる必要など、この世のどこを探しても見つかることなんてないだろう。

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