197.ライネとシス
「はーい並んで並んで。順番は適当でいいからとにかく顔が見えるように。そっちからもこっちからもね。……ん、よし。いいんじゃない? 人数も合ってるよね、オルネイさん」
「ええ、問題ありません。全員揃っています」
「じゃあバッチリだ。さ、ライネ。リーダーとしてチームメンバーたちにいっちょお願いね」
「え!? お願いって、何をすればいいのさ」
「そりゃあれだよ、挨拶というか号令というか。とにかくリーダーらしくバシッと決めなきゃでしょ? 初めが肝心だからね、こういうのは。ライネのことをまだよく知らないメンバーだっているんだし」
もしくはそれを「よく思わないメンバー」と言い換えてもいいかもしれない、と慌てているライネの裡でシスは状況を俯瞰しながらそう思う。
テイカー協会の本部、本館の建物に隣接されている広場で「対魔人軍チーム」のメンバーに選ばれた一同が介している。それぞれリーダーとその補佐であるライネ、ミーディア、オルネイの前には横二列に並ぶ二十九名のテイカーがいた。
三人を見つめる彼らの中には厳しい目付きの者も少なからずいる──その眼差しが敵意の表れであるとまではシスにも断定できないものの、しかし「見定めようとしている」ことは確かであった。無条件にライネを信じるつもりもなければ、リーダーとして全幅の信頼を寄せるつもりもない。そうするのは彼がリーダーに足る者としての能力を示してからだと、幾人かの目は雄弁にそう語っていた。
初めが肝心。金言である。ミーディアは破天荒なようでいてこういった要所をよく抑えている。人付き合いにおける機微というものがよく理解できているからこそ、それに捕らわれないこともできるのだろう。口下手な上になかなか人の懐に入り込めないライネには真似できない長所が彼女にはある──だからこそライネもこれだけ強く惹かれているに違いない。
そんなことをライネには届かぬよう秘めやかに考えつつ、シスはその背中を押すために口を開く。ミーディアの意見への賛同と、そして挨拶を年長者であるオルネイに任せようとしていた甘さへの叱咤。端的にまとめたそれらを伝えると、ライネは一瞬だけ怯んだ様子を見せたがすぐに覚悟を決めたようで、内心の波が落ち着いていくのをシスは感じ取った。
これは特典を受け取った一年前から、つまりは正式な代行者となってからの彼の特徴だった。以前にもスイッチが切り替わるように精神状態を変える例は度々見られたものの、明らかにそれがより顕著になっている。頻度も、その度合いも増した。まるで「やらねばならない」と本人が認識した瞬間、それを実行するために意識や感情が最適化されでもしているような。作り変えられでもしているかのような、傍から見ていて眩暈さえ覚えさせられる急激な変化だった。
おそらくライネに自覚はない。気付いている様子が、見受けられない。それはそうだろう、この意識の変わり方は元来のライネが持っていたもので、ただその特徴が強まっただけなのだから本人がそれを悟ることは難しい。同じ体を使う他者として彼を眺められるシスですらも変化に確信が持てたのは特典を受け取って半年が過ぎた辺りだったのだから、無理からぬことだと言える。
あるいはこんなもの、気にするようなことではないのかもしれない。この変化をあたかも異変のように捉えるのは穿ち過ぎているのかもしれない。悪い影響が及んでいるわけではないのだから……いやむしろ、結果だけを見るなら良い影響しかないのだからこうも敏感になる必要などないのではないか。そう、思いたいところではあるが。しかしシスはこうも思う──少なくともライネ本人が自覚を持った場合、そんな呑気な考え方はしないだろうと。
自分はまだ何も変わっていない。そう信じていたものが覆された彼は、きっとそれを深刻に受け止めるはず。だからシスはそのことを伝えられなかった。彼のためにも迂闊に伝えない方がいいと判断したのだ。
気付いていないからこそ代行者としての変質が鈍化している可能性もある……それに、これは純然たる希望的観測に他ならないが、本当にただシスが気にし過ぎているだけの可能性だって、なくはない。実際、代行者云々の事情を知らぬミーディアを始めとしたライネ周辺の者たちは誰もこの変化を異質なものとは見ていない節がある。
S級テイカーを名乗るようになったが故の、責任感。立場に見合う実力の獲得。それらが促した精神的な成長。と、彼ら彼女らには思えるのだろう。
それが正しいことをシスは願っている。
「えっと……こほん」
黒天使から癖が移ったようなわざとらしい空咳をひとつ入れて、ライネは整列しているテイカーたちを見やる。皆、真剣な顔付きである。それも当然だ。彼らは己がどんな任務の参加者に選ばれたかを知っている。それがどれだけ過酷なものになるかを、よく知っている。何せここにいる誰もがあの日魔人軍団の侵攻に立ち向かい、壮絶に戦い、命を繋いだ生き残りなのだ。傷を負い、死を覚悟し、仲間を失いながら、それでも今日という日を迎えている──魔人と再び戦わんとしている。その胸中にあるのは重く固い覚悟そのもの。
だからちらほらとライネへ懐疑の目を向ける者も出る。それはライネと直接の面識がないA級やB級のテイカーだ。これも当然だとシスは思う。
ユイゼンに見初められてS級への昇級を果たし、鳴り物入りながらに重要な作戦で敵大将との一騎打ちを任せられる、という異例の扱い。そうなった経緯をフロントラインとの戦いから理解しているテイカーは少なく、多くの者にとってライネとは未だ謎多き存在である。それでいてやけに現場・事務を問わず上の人間から気に入られており、今やかつて「最強」の名をほしいままにしていた伝説的なS級、エイデン・ギルフォードの後釜のようなポジションにまでついている。となればもちろん、この出自不明の怪しい少年を不審に思う者も出てくるというもので。
ライネの立場が立場なだけに、そして一テイカーがグリンズの決定に口出しできるわけもないために、誰も表立って猜疑心を露わにすることもなければ裏から追い落とそうなどともしていないものの、だとしても見極めは必要だと。ライネをよく知らない者たちはこの一年間、指し示すまでもなく全員がそう考えていたはずだ。
彼がリーダーを務めるチームメンバーに選ばれたとなれば、絶好の機会だ。紛れもなく「本番」であるために見極めるには少々遅いことは否めないが、しかしだからとて信頼を寄せていない相手に無心で従うなんてできるはずもない。つまり彼らとしても、疑いたくて疑っているわけではないのだ。任務の無事の成功を何よりも願っていることはライネと変わらないのだから、故に、厳めしい態度でこう暗に示している。
──信じさせてみろ、と。S級に、リーダーに、自分たちの旗頭となるに相応しい能力を持っていると証明してみせろと、そう切実に訴えている。
同じような想いは、ライネがS級であることに疑問を持っていない他メンバーの内にもあることだろう。ライネは強い、それは知っているまたは知らされている、けれども単純な強さとリーダーとしての適性はイコールでは結ばれていないものだから、果たして大勢の命を預かる者にライネがなれるのか。その点には多少なりとも不安があるはずだ。
そもそもS級とはその隔絶した強度が故に他者と足並みがそろわず、作戦行動を共にするのに「向かな過ぎる」からこそ等級外なのだ。それがまさか集団の長を務めるなど、S級の運用法が頭に入っている者ほど信じ難く思うのは道理でしかない。チームに加えるにしても、尖兵として敵陣へいの一番に突入させるか全てを片付けさせるための殿もしくは後詰めとして最後に投入するか……いずれにしても単独運用、それも個人というよりも兵器のそれとして扱うのが基本であって、指揮官に任命されることなど普通ならあり得ない。
それも、指揮官に徹するだけならまだしもライネは自身が前線に立つ気満々でいるのだ。
無論、指揮を執りながら作戦行動に自ら参加するリーダーだっている。そういった者は前線に立っているからこそリーダー足り得るタイプで、己の適性をよく理解し活かしているとも言える──が、そんな例があるからといってS級に同じ真似ができるとは誰も思わないし、思えない。それが整列する一同に共通する見解だった。
また、彼らのそれとは少々意味合いこそ異なれどライネを見定めんとしているのは彼の両隣に控えるミーディア、オルネイも同様である。
ライネがS級となってからミーディアは一度だけ、オルネイは四度ほど任務を共にしている。共闘経験があり、現在の彼の実力をきちんと理解できている。が、任務の形式は二人一組であり、作戦行動の主導を担っていたのはそれぞれミーディアとオルネイだった。コンビとチームでのプレイは異なる上に、ライネが主導だった場合にどんな動きを見せるのか。その点に関しては両名にとっても未知数。少なくともライネにリーダー然とした活躍ができる片鱗はその時点でも見受けられなかったものだから、果たして本作戦における要求や期待に彼が応えられるのかどうか。それを興味深く見守っている、というのが二人のスタンスであった。
仮に不足があるようならそれを補うのが副リーダーと補佐役である自分たちの役目。それを努めるのになんら不満はないが、しかしやはり「足る」に越したことはない。いちいちの手助けなどなくともライネが十全にリーダーとして皆を導けるのならそれが一番良い。だからこそミーディアはライネに、この顔合わせと打ち合わせを兼ねた場で挨拶を求めたのだ。
それは激励であり発破。ここで強者然とした、統率者然とした立ち振る舞いを見せられたなら音頭を取るのは容易になる。ただでさえチームリーダーの経験がないライネが、不審を抱いたままのメンバーを過不足なく動かせるわけがない。そこのしこりを取っておかないことには何も始まらない──そう判断して、やや強引ながらに場を作ったに違いない。
と、諸々のことを……この場の人間の心情というものを、状況を客観的に望めるからこそ概ね正しく把握できているシスは、故に迷う。喋り出しをどうするか悩んでいるライネへ助言するかどうか。あるいはそっくりそのまま自分発の言葉を喋らせてしまうかと。
無難な正解はわかっている。考えるまでもないことで、ここでテイカーたちが求めているのは何より自信だ。ライネの自信に満ちた態度を欲している。この目にしたいと望んでいる。からには、それに応じてやればいい。
巨大で力強い確信。自身のみならずメンバー全員を信じていると、自分たちなら必ずやれると堂々宣言してしまえばいい。明確な根拠などなくとも構わないのだ。リーダーが本気でそう思っているとなればそれこそが根拠になり、士気が高まる。号令とはそういうものである。
主戦力の数名の特A級にも、そのサポートであるA級にも、唯術による後方支援専門のB級にも。協会史上最速でS級入りを果たした麒麟児たるライネが確固とした言葉で語れば等級を問わず届くし、響く。そして背中を預けるに充分だと誰もが納得することだろう──それだけなのだ。やるべきは、示すべきはただそれだけ。だが、果たしてそれをライネがわかっているのか。
いや、間違いなくわかっていない。わかっているならまず喋り出しで悩んだりすまい。そこでもごもごと口の中で言葉を詰まらせている時点で「自信に満ちた態度」とは運泥である。まったくもって統率者然とはできていない。
だがリカバリーは可能だ。今からでもシスがそれらしい内容を伝え、それをライネが復唱さえすれば……そして最低限、威厳のある様を取り繕うことさえできればテイカーたちも及第点をくれるだろう。
まさに無難にやり過ごすだけ。いざ作戦指揮の段階となれば閉じただけの蓋が開き、問題が露呈してしまう可能性も否めないが、そもそもその段階にまで辿り着けないよりは余程に良い。もしもライネがこれ以上言葉を探すようであれば、助けを求めてくるようであればシスは遠慮なく口を挟むつもりだった。零点を回避するための及第点を与えてやるつもりだった。彼の唯一無二の相棒として。
だが。
「──僕はきっと、リーダーには相応しくないと思います」
ライネはシスへ助言など求めず、自らの口と意思で話し始めた。その出だしは「自信を示す」というひとつの正解とはまったく反対の、自身を貶める発言から。きっと本人も含めてこの場の誰もが聞きたがっていない文言から始まった。
静まる広場の中に、少年の声だけが行き渡る。




