196.権利
「余計なお節介をしてしまったようだ」
と、黒天使は殊勝に恥じ入るような──たぶん見せかけだけの──態度を取ってそう言った。
「予想を覆されてばかりだと言ったけれど、どうやらまたしても俺は君たちのことを低く……いや甘く見積もっていたみたいだね。ライネ君の覚悟とシスの覚悟。そしてその絆。誓うともなく永遠を共にする決意、美しくすらある。おいおい、そんな顔をすることはないだろう? そういうものを尊ぶ気持ちは俺にだってあるさ」
結局あれ以上は何も言わないままにシスが引っ込んでしまって、また息を潜めるような無言・無反応に戻ってしまったので元通りに僕が黒天使との対話に臨んでいるわけだが……しまったな。黒天使が人様を指して「美しい」なんてワードを述べるのがあまりに似合わな過ぎて、感情をそのまま表情に出してしまったようだ。
黒天使のことなので、表には出さずうまく隠せたとしても当然の如く見抜いてくるのだろうけど。しかし思ってしまった内容の非礼はともかく隠そうとする努力は一応、相手を慮ってのものである。それを放棄しては非礼の二乗になってしまう。
いくら心を見透かしてくる──本当に勘弁してほしいと僕は心から思っている──黒天使が相手だとしても、思ったことを思ったままに発信してはいけない。彼女がゲームの進行役だからだとか僕には逆らえない力を持っているからだとか、そんな事情とは一切関係なく。これは人としてのマナーの話である。
すみません、となるべく礼儀正しく謝罪をする。それに黒天使は小さな笑みでお応じた。
「気にしていないから謝る必要はないよ。むしろ俺の方こそ非礼を詫びよう」
「えっと?」
「君がミーディア君のことを大切に想っていることがよくわかった。俺が思う以上に繊細に、ね。そうであるなら子どもを設けることに関して言及なんてしなければよかったな、と今更になって後悔しているんだよ。何せほら、俺のせいで『そのこと』を意識してしまっているだろう? それでミーディア君とぎくしゃくでもされたら悪いし、何よりもだ。いつか自然にその日が来たとしても君はここでの問答をどうしたって思い返してしまうだろう。それは君が望む自然の流れの中に俺という存在が介入してしまったことの証左になる。どんなに僅かでも入り込んでいるからにはその影響が皆無だとは言えない。つまり、俺は君だけの意思による未来への道を邪魔してしまったわけだ」
それを申し訳なく思う、と神妙な素振りで黒天使は言う。……なるほどこれは、何かと理屈っぽいし回りくどい彼女らしい着眼点での謝罪だ。これに対する僕の返答は決まっている。そしてきっと黒天使もそれはわかっている。わかった上で、彼女もマナーとして僕へ詫びたのだ。そう理解して許しの言葉を返すのもまた、人が守るべき当然の礼儀のひとつだから。
「僕こそ気にしていませんから、どうかあなたも気にしないでください」
「いや、そうもいかないよ。君はともかくとしても、君の相棒であるシスは相当におかんむりのようだったじゃないか」
「シスは……僕のためを思ってあなたへの警戒を忘れないようにしてくれているんだと思います。ただ怒っているだけじゃなくて、僕への注意喚起も含めてのことでしょう」
まあ、だとしてもシスの黒天使に対する態度は少々硬すぎるし、刺々しすぎるとは僕も感じている……何せまともに会話をするのは今し方が初めてだというのに、ああも堂々と批判をするくらいだ。いくらシスが僕のためを思って嫌われ役を買って出ているのだとしても──つまり言いにくいことでも言わなければならないのならずばっと言う、という立場だ──いつもの彼女からするとちょっと変だ。あれはむしろ、彼女自身が黒天使を明確に嫌っているからこその硬質さな気がしてならない。
が、今はそこを掘り下げてもしょうがないので一旦は流しておくとして。
「正直、俺はあなたのことをよくわかっていません。あなたをどう思えばいいのかもだからわかっていません。不確かなんです、あらゆることが」
「ふむ。それで?」
「それで……なんでしょうね、何を言えばいいのかもわからないんですけど。でもこれだけは伝えておきたいなと思って。あなたに、感謝を」
感謝、と聞こえた音をそのまま繰り返しただけのような、虚空に消えていくような声音でおうむ返しに呟いた彼女の表情は、珍しくあどけないものに見えた。
「あなたが僕をどうしたいのか。この世界の行く末にだって言うほどの興味を持っているのかどうか……そういうのは、いいです。なんだっていい。あなたがどういうつもりであれ僕には僕の視点があり、視座がある」
「ああ。それはシスも言っていた通りに、だね。君には君の考えがあるし、歩むべき道がある。たとえ躓いたり迷ったりしたとしても自分の意志で歩むことが君たちにとっては最も重要だと……そういう人間らしさもあることをうっかりと失念していた落ち度を認めよう。しかし、そこから感謝なんて言葉が出てくるとは意外だね。いったい君は何に対してそんなものを示そうというんだ」
「あなたにはあなたの意志があり、目的がある。教えてもらった全てを理解しきれているとはとても言えない僕ですから、それらに関してもちゃんと理解できてはいないんでしょう。だけど、それでも。あなたが僕に贖罪の機会をくれたことだけは確かです」
僕はそれを忘れてはいけない。もしも黒天使が『何か』と『誰か』にゲームの提案をしてくれなければ、今の僕はない。罪を罪のままに、何も救えぬままに、ただ終わっていた。──こうして少しでも世界を良くしようと、善く生きようと努力することはできなかった。そのことを決して軽視してはいけない。
「理に沿っているかな、それは。俺はあくまで提案しただけであって、それに乗ったのは二柱の合意の上での判断であって……そしてその駒に君を選んだのも『何か』であって、言うほど俺が関わっている部分は多くない。君の感謝は『何か』にこそ捧げられるべきものなんじゃないのか」
「あなたの提案がなければ『何か』たちは動かず、僕を選ぶこともなかった。切っ掛けはあなたなんですから、あなたがいてくれたことに……この世界を訪れてくれたことに僕が感謝するのは何もおかしくないでしょう。それにもちろん、『何か』にだって同じくらい感謝をしていますよ。──だからそれを、是非とも今みたいに直接伝えられたらと思っています」
「ほう? 直接か」
「はい。なのでお願いです。イオとのゲームで勝利者への特典があったように、今回の魔人残党とのアフターゲームにも報酬をください。僕はそれに、『何か』との対面の権利を希望します」
「……ふむ」
顎に手をやり、黒天使は考えるポーズを作った。それがまさしくただのポーズでしかないのか、それとも本当に彼女なりに何かを思案しているのかは僕には読み取れないが、なんにせよ即座に却下されなかったのはラッキーだ。
自分としては思い切った要求をしているつもりだが、黒天使はそれを一考に値するものだと受け取ってくれている。だからといって許可が下りるとも限らないので返事を待つ間はドキドキだ。
「──うん。イオの思い付きの仕込みが発端とはいえ、それをイベントに転用しようと決めたのは彼らであり俺だ。つまりアフターゲームも管理者主催のゲームの一環なのは間違いなく、だとすればこちらにも特典の代わりになるような勝者への褒美があってもいい。その内容に管理者との対面権を当てるというのも、なんら無理はない。何せ君の競合他社だったイオは望まずともそれを叶えていたのだから勝者である君が彼女に待遇で劣る面があっては、それこそおかしいというものだ」
「じゃあ」
「ああ、いいよ。『何か』には俺から言っておこう。まあ十中八九拒否はされないだろう。シスを通じて君への最低限の説明を済ませた『何か』だ、君に会いたい理由はないだろうが会いたくない理由だってないはずだからね。魔人たちを打ち負かしたなら、その時は対話の場をセッティングしようじゃないか」
……『何か』と、対話する。その場面を思い浮かべるだけで、まだ確約もしていないというのに既に僕は緊張を感じ始めている。
イオは転生した当初に『誰か』と顔を合わせており、『何か』と対等にして対をなすその存在を指して「俗っぽい」と評していた。そしておそらくそれは『何か』も変わらないだろうと予想もしていた。あくまで予想でしかないけれど、彼女の態度からは断定的なものも見えた。つまり、片割れの一方を知っただけでもう一方もそうなのだろうと確信を抱かされる程度には、『誰か』がイオの目から見て「神らしくない神」だったということ……いや、この言い方は正しくないか。
より正確には「人らしい神」だった、と言うべきかもしれない。世界を見る視点だけが、それに準ずる考え方や捉え方だけが異なった、だからこそ決定的に人ではない、けれども人のような存在。
となるとなるほど、聞くだにアンバランスが過ぎる。あまりにも不安定だと言わざるを得ない。イオがあんな口振りだったのも、おそらくは早い段階で『誰か』との敵対を決意していたのにも多少は納得がいく。だとしても、特典の中身も知らない内から神殺しの野望を胸に秘めていたのはやはり、相当な無謀だとしか僕からは言えないけれども。
とまれ、ようやく僕も知ることができる。管理者の片割れ、僕を駒に選んだ張本人たる『何か』の人となりならぬ神となり。人物像ならぬ神様像というものを、この目で確かめることができるわけだ。
「気が早いな、ライネ君。もう勝った気になっているのか」
「……!」
「いざ戦えば君の勝利は揺るがないと、そう分析したのは俺だけどね。だけどそれは調整が入らず、現状の君と現状の魔人でゲームが進んだ場合の想定でしかないんだ。白天使の介入がある以上は、それでも依然として君有利であることに変わりはなくとも、勝敗に関してはどちらに転ぶか俺にも読めない。だというのに勝った先にばかり気を取られていては足を掬われてしまうよ?」
「そう、ですね。これじゃあ勝てる勝負にも勝てなくなる……」
全ては勝ってから、だ。『何か』と会うのも、そこで確かめなければならないことも……思い悩むのはアフターゲームを終わらせてからでいい。きっと、イオから続くこの因縁を完全に断ち切ったその時が、真の意味で『何か』が僕を配下だと──代行者だと認めてくれる時になるはず。
未だに黒天使を介する間接的な接触しか果たさない『何か』。その意図がなんであれど、どこにあれど、これも結局はそうだ。関係がない。僕には僕の想いがあり使命がある。それを果たすために必要なことを、ひとつひとつやっていく。それだけなんだ。
まずは魔人残党を倒す。それ以外のことは、今は考えないようにしよう。
「定まった君の強さはよく知っている。ライオットにも、イオにも、単純な戦闘力で言えば君は決して上を行っていなかった。それでも勝ったのは君だ。……今回もそうなることを、個人的には祈っておこう」
俺もあの日に手痛い一撃を貰ったことだしね、とどこか悪戯な笑みを見せる黒天使。指導の最後となった例の一幕を指しての言葉だとはすぐに察せられたが、僕は苦笑を返すことしかできなかった。
手痛い一撃も何も、確かに僕の攻撃は黒天使に通ったけれどやはりというかなんというか、それでも彼女にはなんの痛痒も見られず。そして僕はボロ雑巾のような有り様になっていたのだから、あんなものを「僕の強さ」の証明にはしないでもらいたいところだった。
まあ、思うだけで口にはしないんだけどね。どうせ言わなくたって伝わっているんだろうし。
「互いに訊きたいことも訊き終えたね。そろそろ俺は行くとするよ。次に会うのは……イレギュラーでもない限りはゲームの終了後になるだろう。無論、君が魔人に打ち勝てばの話だが」
「勝ちますよ」
「いい返事だ。じゃあ、またね」
別れを惜しむ素振りなど一切なく、こちらを振り返ることもなく黒天使はあっさりと部屋を出ていった。閉まった扉の向こう側にもう彼女の姿はないのだろうと、なんとなく思う。そして建物の中に喧騒が戻ってきた──支部らしい活気。それが今の今まで完全に途絶えていたのは間違いなく黒天使の仕業だ。また時間を止めていたのだろうか? まったく、つくづく僕の手には負えない人物である。
《ボサッとしている暇はありませんよ、ライネ。呼び出されている身なんですから早く本部へ向かいましょう》
黒天使が消えた途端に通常営業を開始したシスにはいはいと返事をしつつ僕も部屋を出る。生涯の相棒たる彼女もまた、一生かかっても僕の手に負えそうもないなと密かに思いながら。




