195.血縁
有無を言わさない剣幕に押されて、僕は半ば反射的に体の主導権をシスへと明け渡していた。交代するかしないかはあくまで主体である僕の意思次第。のはずだが今のはほとんど奪い取られたようなものだった。それくらい、シスの声には抗い難いものが宿っていた。
「おや──おやおや。シスか」
まだ何も言わない内から、シスがなんのアクションも取らない内から黒天使には僕たちの入れ替わりがはっきりと見て取れたらしい。軽く驚いたような反応を見せた彼女は、しかしそれもそこそこに口元へ弧を描いて言った。
「どうしたんだい、いきなり。君は頑なに俺との会話を避けている印象だったし、それを徹底するものと思っていたのだけど」
「ええ、避けていましたよ。私があなたと言葉を交わす必要性を感じなかったものですから。しかし流石に声を上げないわけにはいかなくなりました。──あなた、何様のつもりなんですか」
「何様、とは?」
「それこそ権限の外だろうと言っているんです。ゲームの進行役でしかないあなたは、ライネの行動に口を出す権利など持っていないのでしょう?」
「その通りだね」
「今のあなたがやっていることは多少の誘導どころではない。直接的な指示も同じではないですか。何故そうまでしてライネとミーディアの関係を変えようとするんです。あなたにはなんの関わりもないことでしょうに」
「うーむ、手厳しいが的を射た意見だ。しかし質問返しで済まないが確かめておきたい。君も同様に、ライネ君とミーディア君の仲を深めさせたい意図を持っているものと俺は認識していたが。これは誤解だったかな」
む、とシスが黙る。けれどすぐにその口を開いて言葉を返した。彼女の口調には隠そうともしていない不愉快さが表れていた。
「誤解ではありませんね。二人ともあまりにじれったいものですから、ついつい口を出してしまいました。あなたと同じことをした、という点は認めましょう。ですが私とあなたでは丸きり事情が異なりますよね。私にはライネの補助役として口出しの権利があり、進行役であるあなたにはそれがない。なのに私と同じことをしようとは、いったいどういった了見でのことかお聞きしても?」
「了見も何も。まるで俺が良からぬことを企んでいると決めつけているような言い草だが、勿論そんなはずもない。繰り返すが、老婆心さ。あるいは親切心。言ったように段階が進んでしまってからではもう取り返せもしなければ引き返せもしない、とても重大で繊細なことだからね。これはシスではなく奥に引っ込んでしまったライネ君への質問だが、君自身は願わないのかな? いずれ人の世との関わりも最低限になってしまう自分の、確かに人と共に生きていた痕跡を残したいと。遥かな未来にも脈々と受け継がれるものを刻んでおきたい、と」
「それが血筋である、と言いたいわけですか」
黒天使は微笑んだまま、無言で肯定した。そうして僕の答えを待っている。じっと、シスと見つめ合うその眼差しから裏側にいる僕のことを見定めるように。
血筋……僕が人の世にいたという、痕跡。
その意味を噛み締める。
──思えば僕はまだ、ちゃんと想像ができていないのかもしれない。これから先、ずっと世界を守り続ける、人類の守護者であり続ける自分の姿。そして自分以外の全ての移り変わりを……どこか他人事のように考えていやしないか。
それを正しく想像できないのは、何もおかしくない。だって一年だ。正式な代行者となってたった一年。僕だけでなく僕の周囲にだってなんの変化も起きちゃいない。ミーディアがいて、ガントレットやエマがいて、アイナにモニカ、オルネイにユイゼン……皆が、仲間がいてくれて、共にテイカーとして生きている。一緒に生きていけている。
だけどいつか終わりは来る。皆がいなくなってしまう未来を僕は必ず味わう。世界を守るという使命に敗れない限りは、絶対に。
うまく想像できないからといって考えることを放棄するのは、怠慢だ。だってそれが絶対の未来だと僕は知っているのに、知っていながら目を背けるのは、逃げているのと同じ。いや、逃げそのものだろう。
まだ大丈夫。そう思えたことで、思えてしまったことでいつの間にか僕は、いつか必ず訪れる孤独から……特典を受け取ると決めた時には見据えていたはずのそれから、逃げ出していたのかもしれない。だったら黒天使の勧める通り。いずれは人でなくなる、けれども今は確かに人である僕の「血縁」を急ぎ作っておくのも悪くない。いや、積極的にそうするべきなのではないか──。
「何十年、何百年。あるいはそれ以上の先にいる自分へ届けるために血縁を求める。……そんなものが『人のやること』ですか? 人間の営みだと言えますか? 騙されてはいけませんよライネ、むしろそれは自分を『人間ではない』と認めることに他なりません。その思考は、寿命に捕らわれない者にしかできない思考なんですから」
──!
ハッとする。それは、そうだ。確かに、終わらない生を慰めるために子孫を求めるのは、まっとうな人間のやることではない。それは人以外の何かにしかできない行為だ。そんなことを望み、そして望むがままに実行してしまうのは、まったくもって人間的じゃない。それに手を染めると、ともすれば変質はかえって加速してしまいそうだ。
人としての痕跡を残すために人を捨てる。それは果たして正しいことなのか。……間違っては、いないのかもしれない。未来の孤独を少しでも「耐えやすい」ものにするためには必要であり、最適な選択なのかもしれない。
そうでなければ黒天使もわざわざ『何か』に僕の構造を確認してまでこんなことを個人的に推奨してきたりはしないだろう──彼女だって伊達や酔狂で本来なんら関わりのない世界で、その存続を左右するゲームの進行役なんてやっていないし、その駒のひとつでしかない僕に対して意味もなく陥れるような真似なんてしない。そんなことをする理由がない。そして理由のないことを彼女はしないタイプだと、これまでのことで僕にはよくわかっている。だから「子を成す」という道も決して外れというわけではないんだろう。
だけど。仮にそうだとしても……黒天使が本当に、ただただ純粋に僕への親切心から夫婦生活へのアドバイスをくれているのだとしても。それに従うことが、ただ自分のためだけにミーディアにそういうことを迫るのが、僕のすべきことなのか。
──断じて違う。僕が代行者である事実も、ミーディアを異性としてどう見ているかも、関係がない。
忘れてはならない。時間が許す限り彼女と共に生きたい、それこそが僕の望みだということを。
「黒天使」
「! ライネ君か」
入れ替わりも恐ろしいくらいスムーズになったものだね、と軽口を叩いて黒天使は僕の言葉の続きを待った。どうやらどのような答えであれ彼女は最後まで聞いてくれるつもりらしい。意を決して、僕はありのままの気持ちを伝える。
「すみません。せっかくの忠告ですが、僕は子どもを作る気はありません。……少なくとも魔人残党と戦う前に急いで『仕込む』ような真似はできない。いえ、したくありません」
「ふむ。もう一度言わせてもらうが、変質が起きてからでは遅いんだよ? 後悔先に立たずどころか、その時になれば君は悔やむことすらしないだろう。『悔やめない』というのがどういうことかもわかわず孤独へと埋没していくだろう──白を守るだけではそうなってしまうんだ。これも、多くの世界で管理者の配下たちをこの目で見てきた経験則。確度の高い君の未来予測だと思ってくれ」
「でもそれはあくまで予測でしかない。ですよね? このまま何もしなければいずれ皆が旅立って、僕だけになる。それは絶対であっても、だからって僕がその孤独に染められてしまうとは限らない。それは絶対じゃない。変質して必ず僕が僕でなくなるとは、あなたにだって言い切れるものではないんでしょう」
だってどこまで行っても彼女の言は予測の範疇を出ないから。……いや、万が一にもこれが未來視のような先の出来事を知るための術か何かで知った、既に確定しているものだと言われたとしたって。それもまた観測であり、予測でしかない。
物事は全て見方次第。その者の視座によるのだともっともらしく述べたのは他ならぬ黒天使である──だったら彼女が語る確度の高い未来とやらにも、誤解や偏向がないとは、僕から見た事実に則さない部分がないとは、彼女自身にも断言できないことになる。
ならば簡単だ。そんな未来が来るぞと言われても僕はこう返せばいいだけだ。
そんなものは信じない。もしも待ち構えられていたとしても、自分の力で変えて見せると。自信と共にそう断言すればいい。
「これから先、僕が子を持つことになったとしても……それは黒天使、あなたにそうするよう言われたからじゃない。僕自身が望み、ミーディアもそれを望んでくれた時に、自然とそうなっていく。僕らは夫婦なんだからそれが当たり前だと思うんです。あと……」
「あと?」
「僕ら、新婚なんですよ。しばらくの間くらいは妻と夫だけの、水入らずで過ごすものなんじゃあないですか?」
僕もそういうことに詳しいわけではないので、これも想像ならぬ妄想でしかないのだが。しかしそう言われて黒天使は一瞬、きょとんと目を丸くさせて。それからくすくすといつもの……けれど例の肌の上を虫が這うような怖気を感じさせない、普通の笑い声を立ててから言った。
「そうかそうか、そうだね。新婚ならば夫婦二人きりの時間を楽しむものか……うん。君たちはまだ結婚して三ヵ月ちょっと、だものな。それじゃあ子作りを急ぐのも少し情緒に欠けるというものだね」
黒天使のその姿は、僕の目には心から可笑しそうに……楽しそうに見えた。意外、と言っていいのかどうかはわからないが、彼女がこんな風に屈託のない反応をするとは思っていなかっただけに、僕の方がきょとんとしてしまう。と、そこでぐいと肩を引かれるような感覚。そして気付けばまた僕はシスと入れ替わっていた。
……ちょっと? 今のは抗えそうな感覚すらもなかったんだけど。僕って本当にまだ主体でいられているのかな。いつの間にか主導権がイーブンか、もしくはシス優勢になってないか? そうでもなければこんな入れ替わり方はしない気がするんだけど。
「お聞きになった通りですよ、黒天使。ライネはライネの意志で生きていくのです。その一生を左右するような選択においてあなたの甘言に惑わされることはない。とご理解いただけたなら何よりなのですが」
「ああ、理解できたとも。君がライネ君のことを大好きだってこと。その愛の深さと重さが、よくね」
「……悪いですか? 支えるべき相棒を愛することが」
「まさか。素晴らしいと思うよ、掛け値なしに。だって君だけなんだものな。ライネ君の傍に居続けられるのは。百年後だろうと二百年後だろうと、千年後だろうと万年後だろうとも。ライネ君が生きているなら君もその中で生きている……まあ、君たちの言を借りるならそれもまた『絶対ではない』ことになるわけだが」
「本当に、いい性格をしていらっしゃる。ですが黒天使、あなたが大言壮語と受け取ろうともこれだけは言い切っておきましょう。これから先の未来に何があろうと私はライネの傍にいる。それだけは『絶対である』と」
「ふ──そうかい。それはまた、何よりの答えだね」
素晴らしい、と黒天使は小さく、噛み締めるように言った。僕たちを見て、というよりも、僕たちを通して他の何かを思い返しているような……懐かしむような気配を、彼女から感じた。
ねえシス。結果として黒天使のアドバイスは振り払うべき甘言になってしまったかもしれないけど、彼女自身にそんなつもりは……僕を陥れようだとか試そうだとか、そういう気はなかったんじゃないかな。本当に、ただのアドバイスだったんじゃ?
「…………」
表に出たままのシスは、僕の言葉に応えることなく黒天使を見つめている。その所作はどことなく黒天使のそれにも似ていた。なんだか居心地の悪くなるような、見定めるようなあの目付きを今のシスはしている。内側にいる僕にもそれがわかる。
だけど、得意の(?)眼差しをやり返されても黒天使は何も変わらない。懐古の雰囲気も一瞬で消えて、彼女は飄々とシスの瞳を受け止めている。柳に風、いや、風に揺れる葉すらもない。そこには何もない、そう思わせるくらいに少女の形をしたそれは、やはり得体が知れなかった。
その姿が僕の未来。行き着くところまで行き着いた形だと、暗にそう言われているような気がした。




