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190.同胞

「──ふふ」


 管理者への宣戦布告は行わないし、管理者に成り代わるための手段として魔人残党と手を組むこともない。という僕の返答を聞いてからしばらく何かを考え込むようにしていた黒天使が、不意に笑った。


 それは僕の決断を噛み締めた上でのもの、というよりもなんとなく思い出し笑いめいた……とにかく僕には知りようのない、彼女にしか見えていないまったく別の何かしらに思わず吹き出した。そういう笑い方に思えた。


「あの……?」

「ああすまない、ちょっと面白いことになったものだから。あの人・・・のことだから予想通りと言えば予想通りではある。けれどここまで入れ込むとは……変わったね。不変ばかりに固執していたのも今は昔ってことか」


 などと言われても何が何やらさっぱりである。あの人というのがどの人なのかも、黒天使とどういう関係なのかも、そもそも僕とこの場にいながらどうやってその謎の人物について把握しているのかも……いや、そこは黒天使のこと、もはや疑問に思うべき部分でもないんだろうけども。


 僕の困惑と諦め混じりの沈黙に、こほんと例のわざとらしい空咳を入れてから黒天使は話を切り替えた。


「あくまで魔人とは決別の道を辿る。イオの野望を請け負うことは、しない。それでいいんだねライネ君」

「はい。もしもいつの日か『何か』に挑戦する時が来たとしても、それはイオに託されたからじゃない。僕自身が望んでやることです」


「それもいい。ならばその時までなるべく位階を高めておくことだ。優れた戦力である魔人を根絶すると決めたのなら尚更にね。そのためには代行者として使命を果たしていくのが最適だ。黒の氾濫を抑え、白の領土を守る。それを波の度にきちっと行なっていく……そうして存在の格を上げる。地道な作業に思えるだろうが、そして実際にもっと手っ取り早い方法もあると言えばあるが、そちらは特殊な条件や環境が揃って初めて可能な、それでいて危険性も高い横紙破りだからお勧めできたものじゃないし、勧めたところで実行に移せるものでもない。やはり長い時を見据えていくのが最善だろう。君のように命令以上に自分の意志でこそ代行者として生きる覚悟を持っている者には、間違いなく」


「戦い続けて、守り続けていけば、いつかそれだけで管理者に位階で並べるんでしょうか」

「うーん。限りなく対等に近づけはしても、完全な横並びになるための最後の一押しは代行者のままでは難しいかもしれないね。まったく不可能ではないがそれこそ、その一段階のためだけにとても膨大な、地道が過ぎる時間を過ごさなくてはならない。それはきっと無間地獄を耐えるような苦難になるはずだ」


 様々な糸──多種多様な世界を見てきている黒天使であっても、神の配下としての使命をこなすという「最も真っ当なやり方」だけで最後の壁を越えた例はお目にかかったことがない、らしい。つまりはそれが答えだった。将来的に『何か』と対立したとしても、その役目を僕自身が担いたいと願ったとしても、それを叶えるのは無理難題に等しい。


 僕が僕だけの力でそこまでの高みに行くのは、実質的に不可能なのだ。


「それはその時に考えればいいさ。君が君の行き着く限界に辿り着いたとしても、そこで見える景色というのもある」

「新しい道が見つけられる、と?」

「そうなったらいいな、程度の話だけどね。ただし俺の経験則に基づいてもいるからそこまで無責任でもないよ」


 経験則……神ならぬ身から神になった。少なくとも一個の世界を管理する存在と同格になった黒天使の経験だ。いくら彼女が僕の常識からかけ離れていたとしても、だからといってなんの参考にもならないと捨て置くことはできない。僕にだって黒天使と似たような道を辿っていくことはできるかもしれない……それを黒天使が否定しないのだから、きっと可能性はある。


 果たしてその可能性が「不可能ではない」と同程度なのか、それよりも少しくらいはマシなのか……そこは未来の自分にしか確かめられないことではあるが、何はともあれ横紙破りに成功した実例が目の前にいることは僕にとってプラス材料だと言えるだろう。


「それじゃあ君の意思を確かめ終えたところで──アフターゲームの開始を宣言させてもらおう。君はこれより正式な代行者としての初仕事に臨むわけだが、その前に注意しておきたい」

「注意、ですか」


「ああ。君からすると魔人との戦いは一年前から確約されていたようやくのイベントだろうが、他のテイカーにとってはそうではないね。『いる』という前提で調査が進んでいたとはいえ言ったように、確定と不確定。確認と未確認の差は隔絶している。イオの遺児たちが今日という日を迎えられたのも全てはテイカー協会にその存在が露見していなかったからだ」


「はい、それは僕も忘れていません。だからこれまで誰にもイオの末期の言葉を打ち明けてはこなかったんです」

「うん、君は約束を守ってくれた──が、まだそれは完了していないことを、老婆心ながらに忠告しておこうと思ってね」


「完了していない……とは、どういうことでしょう。協会は既に魔人残党が確かにいることを認知しているじゃないですか」

「そうなんだけどね。でも情報格差はそれだけじゃなかったろう? 存在の有無以外にも君だけが知っているものが、あるよね」


 そう指摘されて、ようやく僕は黒天使が何を言いたいかを理解した。そうだ、確かに僕にはもうひとつ。イオが彼女なりの餞別として与えてくれた情報を持っている。


「【同期】と【空穴】ですね」

「その通り、遺児の唯術だ。君はとうにその能力を把握しているわけだが、協会は依然としてそうではない。まだ魔人がいると知ったばかりの段階だ。そこで君が、保護期間も終わったのだからとついうっかり口でも滑らせてしまったら、テイカーたちは接敵を待たずして魔人残党の肝要の知識を得ることになる。なんの労もなく、ね」

「最後の最後に約束を破ってしまうことになる、ということですか。仮にそうなった場合にはどうなるんでしょうか」


 そういえば一年前にも、二度目の対面の際にもそこの具体的な説明は聞いていなかったことを思い出して訊ねてみれば、黒天使は「そうだね」と顎に手をやりつつ言った。


「君に黙秘を強いたのは言わずもがな、魔人残党を『黒の脅威』。世界の均衡を保つための波のひとつとして認める、その上での工夫だ。ところがそれを白の側に属する代行者が不手際によって台無しにしてしまった……となれば大幅なテコ入れが行われるのが筋かな」


「テコ入れ……」


「脅威度を取り戻すために、情報の漏洩がなんの問題にもならない程度には魔人側に有利な何かしらが働きかけられるだろう。その度合いを決めるのは『何か』や『誰か』だけど、そこの裁量まで委託されるのであれば俺が決めることになるかもね。その場合は、うん。イオが君との決戦に向けて実施した手法に倣って、魔人たちを俺の魔力で強化する、とかになるかな」


 勿論ただの一例でしかないけどね、と「その場合」が現実になったとしても実際にそうするかは別だと黒天使は強調するが、僕としてはそれどころではない。黒天使の……この何もかもが桁外れの、僕の知る魔術とはまったく別の魔術を操る彼女が、魔人に対して強化を施す? あの闇のような、ただそこにあるだけで他の全てを飲み込んでしまうような、得体のしれない魔力で?


「それはちょっと、テコ入れにしたっていくらなんでもやり過ぎなんじゃ」


 情報を、敵の能力の概要を知り得ているかどうかは確かに大きい。その一点だけで戦局が塗り替わることも多々ある程度には、魔術戦において敵の知識というのは巨大であり強大な武器になる。いやこれは魔術戦に限らすとも、どんな勝負においても非常に重要なことだ。


 が、その前提を差し引いてもなお「黒天使の手による強化」は行き過ぎているとしか思えない。強化にせよなんにせよ彼女が行う「何かしらの行為」はそれだけで戦局どころかそれ以外の全部もまとめて、それこそ世界すらも塗り替えかねない恐ろしい最終兵器になり得る。ただの模擬戦とはいえ、彼女にとってはほんのお遊びに過ぎない戦いだったとはいえ、黒天使と交戦経験のある僕にはそれがよくわかる。この身に染みて切に痛感できている……。


 僕が約束を破ってしまった場合のイフの話でしかないと言っても、想像するだけでも慄かずにはいられない。そんな僕に、黒天使は悪戯な顔付きを向けてくる。


「ただのテコ入れではなく、代行者に相応しくない行いをした君へのペナルティの要素もあるからねぇ。ただイーブンに戻しただけではなんの罰にもならないだろう? やり過ぎじゃないかと君が恐れるくらいじゃなきゃね。そうなるとほら、君としても絶対に口を滑らせないでおこうと気が引き締まるわけで。これでうっかりも起こらないから、安心だね」


「……まあ、はい」


 僕が気を付けさえすればいい話だと言われたらそれまでだ。一応、忠告されずとも接触する前に──つまり「何故僕がそれを知っているのか」という辻褄が合わない内には──【同期】に関しても【空穴】に関しても協会へ明かすつもりはなかったのだから、別に不都合があるわけでもない。


 そもそも名前と、大まかにどういったことができるか。ふたつの唯術について僕が把握できているのもその程度でしかなく、詳しい効力や制約など本当の意味で情報として価値のある部分は何も知らないのだ。だとすれば下手に僕の憶測混じりで情報を伝えてしまうよりも……それによって予断や失敗を犯すリスクを生じさせるよりも、しっかりチームのメンバーと一緒に新たな発見という形でそれを掴むべきだとも思う。


 とは言っても、それはそれで今回のオルネイのように、接敵に際して被害や犠牲が出やすくなるという別のリスクが生じるのだが。これに関しては黒天使との約束の都合上、思い悩んでもしょうがない。僕にできるのはオルネイの負傷を許してしまったのを大いに反省し、学ぶこと。次に同じようなシチュエーションに陥ったとしても今度こそ仲間を守る、そう覚悟を持つことだろう。


「──さて、これで確認は以上だ。俺が進行役として現状やるべきことは他にない……はずだったんだが。お知らせの方にもゲームの進行関係のそれがたった今、増えてしまってね。まずは手短にそちらから片付けさせてもらおう」

「えっ、と」


 この言い方からすると、黒天使の用件である確認とお知らせの内、お知らせに関しては元々魔人残党との戦い……彼女が言うところの「アフターゲーム」にはなんら関与しないものだった、ということだろうか。魔人と接触したタイミングでやってきたというのにそれと関係のない話題とは、その中身がなんなのか僕にはまったく予想もできない。


 とりあえず聞いてみるしかないので余計な口を挟まずに傾聴の姿勢を取れば、黒天使は「実は……」と声を潜めて──会話が部屋の外へ漏れ聞こえないようにどうせ万全の対策を施しているのだろうに──こう続けた。


「魔人側にね、俺と同じく進行役を担っている同胞がついている。そして彼女・・は保護期間を過ぎてもどうやら魔人たちを手助けするつもりでいるらしい」

「──はい?」


 かなり間の抜けた声を出してしまった。頭のどこかには裏返った声音に自分で呆れる思いもあったが、そんなことに構っている場合ではない。態度を取り繕っている余裕なんてない──今、黒天使はそれだけとんでもないことを言ったのだ。


「あ、あなたの同胞? が、魔人残党に味方するっていうんですか? 何故そんなことを……それは進行役の領分を超えているんじゃないですか。それに、その同胞とはそもそもどこの誰なんですか」


 黒天使とは顔を合わせる度に深く話し合ってきている。ゲームの真相や僕の現在と未来についても、彼女は事細かに、わかりにくい部分こそ多々あれど丁寧に説明してくれた……と、思っていたのだが。同胞だって? そんな存在がいるなど、黒天使以外にも進行役を担っている者がいるなど今の今までまったく知らなかった。完全に初耳である。


 いきなり降って湧いた謎の人物が、それも黒天使と立場を同じにする上位の何者かが、敵陣営に加わろうと言うのだ。訳がわからないにも程がある。いったいどういうことなのかと黒天使への遠慮も忘れて詰め寄った僕に、彼女は至って冷静に対応した。


「まあまあ、落ち着きなよライネ君。君の気掛かりは当然だ。ちゃんと全てに応えるから、一旦は心を鎮めてくれ。……そう、それでいい。ちゃんと聞けるね? それじゃあそうだな、まず彼女がどこの誰かについてだが」


 俺の姉だよ、と黒天使は言った。



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