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186.従順

「か──『神殺し』」


 聞こえたそのままをおうむ返しに呟く。僕にはそれだけしかできなかった。とてもではないが、すぐに質問に答えられたものではなかった。


 何せそれは聞くはずのなかった言葉。黒天使の口から飛び出してくるとは思いもしていなかった、意外過ぎるワードだ。そして物騒が過ぎるワードでもある……僕が仕えるこの世界の管理者。『神』そのものでこそないものの、黒天使は神である『何か』や『誰か』と同格。あるいはそれ以上の高みにいる、もっと得体の知れない人物だ。


 嘘か真か──彼女が僕なんかに嘘をつく理由もないためにおそらくは全て真実なのだろうけど──様々な世界を放浪し介入してきているまさしく規格外な存在。その立ち位置が人よりも、そして神の配下となった僕よりも神に近しくあることは疑いようもない。それは格だとか位階だとかに限らず、心情的な意味合いにおいてもだ。


 だから、そんな神の位にいる彼女がよりにもよって神殺しなる言葉を出してきたこと。ここに不吉な予感を持たないわけにはいかないだろう。


 無論、相手は黒天使だ。僕の辿った経緯や抱える事情を、ともすれば僕よりも詳しく事細かに把握している彼女なのだから、そのワード自体を知っているのは何もおかしくない。意外に思うべきことではないのだ。イオが息を引き取り際に僕へ何を言い残したかくらい黒天使ならば委細漏らさず知識として得ているはず……その上で今日という日まで、今この瞬間までそこには何も言及してこなかった。なのに何故、今更になってそれを蒸し返そうというのか。


 僕は彼女にも、そして『何か』にも従順で、模範的な代行者たらんとこの一年を過ごしてきたというのに?


「そうではないよライネ君。そうじゃないんだ、俺の言いたいこと。確かめたい君の意思とは、何も裏切りへの警戒から来るものじゃない」


 優しく諭すように……怯える子どもへ「何も怖がることはない」と宥めすかすように黒天使はそう言った。が、それだけで安心できるものではない。


 そう簡単に不吉は払拭されない──上位者ならば誰もが当然、下位者からの下剋上を警戒するものだ。それが果たして本当に可能かどうかはともかくとして、常に不可能であるようにと。可能性の芽すらも摘んで安泰を維持するのが上の者の仕事だ。それは彼らにとっての使命・・である。そこを怠った上位者に先はない……この理論が真の上位者、正しく世界の上に立つ管理者かみにも当てはまるかは不明だが、少なくとも管理者以外の者がそれに成り代わる「仕組み」は存在している。


 そのことを教えてくれたのは他ならぬ黒天使なのだから、まさかそこに間違いはないだろう。つまり──。


「──つまり、世界征服の先にあったイオの本当の野望ユメ。それを聞き、そして敵ながらに半ば無理矢理託されてしまった君のことを警戒に値すると。不信を以て試すに相当すると俺や管理者が疑っているのではないか……と、君は言いたいんだろう? 誓おう、断じて否だと」

「じゃあ」

「じゃあ何に端を発する問いかけなのかと言えば、至極単純に、俺なりの親切心のつもりだよ。これは進行そのものとはなんの関係もない、『何か』や『誰か』に頼まれたわけでもない独断。独りよがりと言ってもいい俺の我儘・・だ。君にはまだ、代行者として歩み始めた今からでも選べる道があると。そう共に理解した上で次へ進んでもらいたくてね」


 どこか神妙さすら感じさせる真剣な口調でそんなことを言う黒天使に、僕は慎重に言葉を選ぶ必要を感じながら応じる。


「今からでも選べる道、ですか。それが魔人の残党と接触した今になってイオの抱いていた野望に触れながら言い出したことと、関係があるのだとしたら。まるで……まるで僕が魔人と決着を付けない選択肢もあると。そんな風に言われているように聞こえますね」

「まさしく。やっぱり君は話が早いね」


 小心故か過度に思考が遠回りするきらいもあるけれど、とくすくすと笑う黒天使。……小心者でネガティブであることはもはやシスにも太鼓判を押されている僕の僕らしさなので、他人からそれを指摘されても特に何を思うこともないのだが。けれど黒天使がどういうつもりで度々こちらの内面へ触れてくるのかに関してはどうしても気にかかる──いや、気にかかっている場合じゃない。今はそんなことよりもっと気にしなければならない話の最中だ。


 まさしくと黒天使は言った。ならば僕の推測は間違っておらず、彼女は僕にこう提示していることになる。


 イオの後を追いたければ追えばいい、と。


「それならそれでもいいんだよ。代行者だからといって神に対して敵対的な態度を取ってはならないというルールはない。そんな理は存在しないのだから」

「だ、だからって……たとえそんなルールがなかったとしても『何か』側からすればそれは、とても歓迎できないことですよね」

「いいや? 君は配下ならば従順であるべしと思っているようだけど──そしてそれはとても『人らしい』考え方でまことに結構だけれど、神にとってはどちらでも構わない。いや、ともすれば互いの意に沿わない間柄ぐらいの方が好ましいとすら言えるかもしれない。これはの状況によるケースバイケース、十人十色ならぬ十神十色でもあるからそれ以上のことは言えないけれどね」


 だからもしも、と指を一本立てて黒天使は続ける。


「君でなくイオが勝者となっていて、そして君に語った野望の通りにいずれ『誰か』にすら勝利するため牙を研ぎ戦いの準備をしていたとしても、『誰か』はそれを咎めたりはしなかったろう。その点に関しては『何か』も同じだと思ってくれていい。つまり、実のところあの日から君がイオと同じ道を歩む決断を内心で下していたり、あるいは今ここで心変わりをしたとしても、それに対してのペナルティはない。そう保証しようじゃないか」


 まだ困惑に支配されている僕が何も言えずにいる間につらつらと黒天使が語ることには、管理者かみとは必ずしもその地位に固執していない。無論それも神それぞれではあるけれど、少なくとも配下が自分へ懐疑的だからといって目くじらを立てるような神は極めて少数派であるし、配下が自分以上に管理する者として相応しい存在に成ったならば──創造者の及ばぬ才能を持ち得たならば、むしろ「成り代わられる」ことを喜ぶ方が多数派であると。彼女はそんな風に言った。


「配下が神へ、成り代わる。本当にそんなことができるんですか?」


 神殺し、とはその字面こそ物騒だが僕としては(それを最初に言い出したイオがどういうつもりで口にしていたのかはともかくとして)ただの比喩として捉えており、何も本当に神と呼ばれる存在を殺す……その命を終わらせるという意味ではなく、神を神の立場から引き摺り下ろすこと。管理者を管理者でなくさせることだと考えている。


 まさか特典の中身が正式な代行者としての力、つまりは神の完全なる配下になることだと思ってもいなかったあの時点では、だからこそ特典を貰いつつも『何か』と決別する道もあるだろうと思っていたのだ。ところが黒天使の来訪によって、特典を得る以上それは不可能なのだと知って。しかしそれもまた思い違いだと最近では考えを改めるようにもなった。


 黒天使が語って聞かせる情報はどれも非常に重要だ。僕の浅学のせいか、あるいは彼女の衒学的な小難しい表現のせいか、少々……いやかなりの割合で理解に苦しむ部分もあれど、大まかにならば(シスの助けもあって)把握できている。管理者とされる神の立ち位置、その駒である配下ぼくの立ち位置。僕は当然に神のルールに縛られる身ではあるけれど、しかし「ルールに縛られている」という一点においては神もまた同じである。


 黒天使の言う(確か基理とも言っていたか)とやらを神とて無視も軽視もできず、ひょっとすれば配下の僕よりもずっと雁字搦めだ。それは黒天使の講釈がなくともわざわざ僕やイオを用いて世界へ直接干渉できる駒を獲得せんとする、その事情を知らなければ無意味としか思えない迂遠さからしても、もっと早くに推察できたことかもしれない。


 が、まさに事情を知らないゲーム開始当初の僕はこれを「神のような何か」のふざけ半分、もしくは半分どころではない単なる暇つぶしのようなものではないかと見当を付けていたくらいなので、これは言っても詮方ないたらればではあるが……何はともあれ、である。


 理こそが神よりも上にあるというのであれば……神もまたシステムによって動かされている、所詮は歯車の中の大きなひとつに過ぎないのであれば。あるいは「そういうシステム」があるのなら神と配下がひっくり返ることも充分に可能だろうと。起こり得ることだろうと僕は思ったのだ。


 ただし、それはこれまで見聞きしたものを総合した上での僕なりの見解というもので、その確証までは得られていなかった。だから導き出した答えにも常に疑問は付きまとっていたのだが、どうやらここでその正否を確かめられそうだった。


 興味深そうにこちらを見つめる黒天使へ、僕は問いを投げかける。


「位階は定まったものではなく、上がりもすれば下がりもするものだとあなたは言った。ただの人間が管理者の地位に納まることもできると。そう教えられたからこそ僕も、創造者と被造物の上下関係だって絶対ではないという考えに至りましたが……しかし思い返してみるとあなたは位階を上げる難しさだって教えてくれていた。配下はどこまでいっても神の駒でしかないことも。──せっかくなのでハッキリさせておきたい。神との決別、ないしは神から管理者の地位を簒奪・・することは、『現実的に可能』なんですか?」


 可能性がゼロでさえなければいい、という理屈でその選択肢を道だと称しているのなら、そんなのはそれこそ悪ふざけでしかない。


 確率は所詮確率であり、移ろうものなのだから、誰だって確かに語れるものではないけれども。だとしても小数点以下の可能性しかないそれをまことしやかに、あたかも実現性や再現性の高い事象かのように「被造物の離反」と「神の転落」をセットで扱っているのだとしたら、なんとも質の悪い詐欺師ぶりだとしか言いようがない。


 明確に疑念を口に出した僕へ、黒天使は「はは」と軽く笑ってから。


「なるほど、狭い道。あるいは先のない道をあたかも展望があるかのように偽って誤りへと誘導していないかと、そういうことだねライネ君。うん、良い目の付け所だと思うよ。君の立場からすれば持って然るべき疑いだ。それは小心だとか悲観だとかに関係ない、君が君のために磨いた立派な自衛の本能だろう。そうと認めた上で、しかしきっぱりと否定させてもらおう。君が思うほど『成り代わり』というのは珍しい例でもなければ大した出来事でもない。まさしくごくありふれた事象のひとつでしかないのだと、神に誓ってこれも断じよう。ふふ、ライネ君が神にそこまでの信用を置けないというのなら理に誓ってと言い換えてもいいが」


「……!」


「ああだけど、語弊があってはいけないから付け加えさせてもらおう。ありふれているというのはあくまでも視座を上の上まで引き上げての見方だ。つまり、いくつもの世界を覗けばそういう例にも少なからず行き当たるということで、その規模を下げれば下げるほど──分母が小さくなればなるほど、君の言う確率の論でもそれは再現性のないものになっていく。だが、それは成り代わりに限らずどんな物事でも変わらないからね。あくまでも現実的に、そして即実的に『この世界で』それが可能か否かという点に目を向けるならば、そう、君の予想通り。確実ではないが充分に可能だ、というのが俺の返答だよ。だからこそ君に改めて道を選ぶ機会を与えている。これは間違っても誘導でもなければ罠でもない。勿論ただの意地悪なんかとは程遠い親切心の表れだと、どうかそう信じてほしいね」


 難しいだろうけども、と僕を見上げる黒天使は、意地悪でこそなくともどことなく悪戯っぽい表情をしているようにも見えた。あるいはそれも僕の疑念がもたらす錯覚であって、彼女の顔にはなんの感情も浮かんでいないのかもしれないが。


 とにかく黒天使に嘘はない。それだけは確かだと、僕も疑ってはないので。


「さてと。君の質問には答えたのだから俺の質問にも答えてもらうとしよう。順番を前後させた分、迷いのない意思を示してもらえるとありがたい。ほら、『何か』に知らせる時にもなるべくスムーズに済ませたいからね。君が方針を濁すようならそれもままならない」


 メッセンジャーをやるにも意外と気を遣うものなんだよ、と嘯く黒天使は再び指を立てて、それをこちらに向けた。


「さあどうするライネ君。君は管理者の従順な駒で在り続けたいか。それとも代行者の使命を果たしつつも不服従の使徒となるか──魔人残党戦アフターゲームを始める前に、君の答えを出してもらおう」

「…………」


 問いかけるというよりも問い詰めるようにして返答を催促する彼女へ、僕は──。



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