185.確認
魔人掃討の任務は、その内容が内容だけにメンバーの選定には慎重を要する。僕とミーディアとオルネイが責任者と補佐の立場で確定しているといっても全体を何名の編成にするか、残りの面子をどうするか。そこらを決めるのにそれなりに時間がかかるだろう……と僕は思っていたが、予想以上に早く連絡が来た。
詳しい内訳は本部で聞かせてもらえるとのことなので、受注済みの任務を片付け中のミーディアを置いて一足先に本部へ戻っておこう。そう決めて身支度を整えて、自室として使わせてもらっていた部屋から出よう──として、僕の足は止まった。
「や。どこかへお出かけかな」
目に飛び込んできた黒。扉を開けたそこに当たり前のように立っていた黒天使の姿に、僕は思わず唾を飲み込んだ。
いくら扉越しとはいえ今の僕やシスにもまったく気取られずに待ち構えているとは……いや、こうして目の前で向かい合っていても彼女から感じられる「生物らしい」気配というものは皆無である。そしてそんなことは初めて会った一年前のあの日にも重々に知れていることなのだから、今更驚くべきではないのかもしれないが。
これだけそこにいるという感覚に希薄ながら、しかしこちらを今にも圧し潰しそうなほどの例のイヤな存在感はしっかりと放っているのだから、なんとも訳がわからない。黒天使はやはり謎だらけな少女だった。
「入っても?」
「えっと……」
「なに、そう時間は取らせない。ちょっとしたお知らせと確認。それが済んだら君は自由だ、どこへなりとも行けばいい」
「……わかりました」
どうせ拒否権なんてないのだから迎え入れる以外に選択肢はない。僕は彼女を室内へと招き入れ、他に誰かが見ていなかったかと──おそらく黒天使は以前と同じように僕以外からは認識されない何かしらの術を使っていると思われるので、傍目には僕があたかもそこにいもしない誰かがいるかのように振る舞っているだけに見えることだろう──廊下の左右を見渡し、人気がないことを確かめてから扉を閉める。
小さく息を吐いて振り返れば、黒天使はもうベッドに腰かけていた。進めてもいないのに。
「簡素な部屋だね。それに持ち運ぶ手荷物もひとつだけなのか」
「……ここは現場員を寝泊りさせるための、言うなれば社員寮みたいなものですから。そっちと比べても格安だとは思いますけど」
主に任務先でちゃんとした宿が取れなかったり、そもそも駆け出しでまったく懐に余裕がないようなビギナーたちの救済のためにあるような部屋だ。今は空きがあるために利用させてもらっているが、本来は曲がりなりにもS級である僕が厄介になるのは良くないことでもある……だけど僕の場合、今はほとんど本部の本館に住んでいるようなものなので、こちらに来る頻度はそう低くないとはいえ不定期かつ短期なのだ。
それで特定の拠点を持つというのも勿体ないというか、支部との移動時間が無駄というか。ミーディアはこの点の解決策として自分の持ち家を使っていいと言ってくれたのだが、当の彼女がほぼ支部に寝泊まりしては任務のためだけに出かけるという、それこそ駆け出しのC級みたいな生活を送っているので家主を差し置いて僕だけが使わせてもらうのも気が引ける話だ。
まあ、今後のミーディアは働き方改革に勤しむとのことなので家にいる時間もこれからは増えるのかもしれないが、それはそれで彼女と二人で同じ屋根の下というのも……夫婦なのだから本来はそれが当然の形なのだろうけど、僕は正直居た堪れない。特に今はあのキスの件で余計に「そういうこと」を意識してしまう状態にあるため、やはり色々な意味で支部のお世話になるのが一番いい。
が、言ったようにS級が下の等級の人たちに割を食わせるのはよろしくないため、実質的に僕専用のようになっているとは言ってもいつでも部屋を空けられるようにと心掛けてもいるのだ。バッグひとつにまとめられるだけの荷物しか置いていないのはそういう気持ちの表れである。
「なるほどね。そしてその少ない荷物をまとめて出ていくということは、しばらくこちらには戻ってこないと考えていいのかな」
「ええ。まさに今、そのつもりでポータルで本部へ向かおうとしていたところです」
魔人戦争の後処理がようやく一段落を迎えたあたりでオルネイが設置してくれた本部とルズリフ支部を繋ぐポータルは、こちらも僕専用。もちろん許可さえ取れば他の人でも利用は可能なために本当の意味で僕しか使えないというわけではないが、僕だけが──加えて僕に同行する人だけが──許可の手間もなくフリーに使える、という時点で僕専用という文言に誤りはないだろう。
言わずもがなこれもS級の特権がもたらした待遇である……が、まあS級の移動にいちいち時間がかかっていては協会にとっても大きな損だろうし、ポータルがあるために僕は忙しくなっているとも言えるので、これに関しては二重籍のような僕の我儘が実現したものとは言い難く、小心者の身でも大したバツの悪さは感じていない。それでも充分にポータルの利便性に預かっている自覚はあるので、あまり堂々とできたものでもないのだが。
「起動準備を含めてもポータルでなら大都までものの三十分足らずで移動できてしまえるんだからそれはそれは便利なことだろう。そして、本部へと飛んだ君はその足で会長室を訪れ魔人掃討任務の詳細を耳に入れるわけだね?」
「……あの。結局のところ全部ご存知なんですよね? こっちの事情のことくらい、あなたなら」
なのに何故いちいち質問形式──それも答えを必要としていない自己完結型である──で確かめる必要があるのか、僕にはさっぱりわからない。三度目の対面ということもあっていい加減に彼女の前で感じる緊張にも慣れてきた身としては、それと比例してその言動。慇懃なようでもありこちらを小馬鹿にしているようでもあるなんとも言えない態度には辟易としてきていた。
表面上は取り繕いこそしたが、黒天使のことだから僕の内心くらいは読むともなく察しているはず。だがそれに対して特に気を悪くした様子もなく、あるいは僕の心情を気に留めようという様子も一切なく、彼女は淡々と言った。
「いやいや、これは大事なことだよライネ君。理解というのは一方的では成り立たないものだからね。『そうであるように思う』ことと『そうであると確かめる』ことには天と地ほどの差がある。たとえ分かり切っていると思えていたとしても、それが実際に正しかったとしても、その正しさを都度に証明しておくのは避けられる間違いを避けるという意味でも意外と大切なんだ」
「は、はあ……」
「人はとかく自身の認識こそが全てであり世界だからね。その点、常に自己以外の視点を傍に置かなくてはならない神の方が余程に謙虚な姿勢だと言える。まあ、それも神だからこその理に則ってのこと。その義務がなければ位階の上下こそあれど経過による視座の変転や変遷に際立った差はないのかもしれないが──ともかく」
相も変わらずの僕と会話をする気があるのかないのかわからない、それこそ一方的な語り口から、幸いなことに割と早く黒天使は本来の話題へと戻ってくれた。
「俺が確認しなければならないのは君の日程ではなくてね。意思の方なんだ」
「意思?」
「そうとも。これも確かめるまでもないことだと君は言うかもしれないが、進行役を買って出た立場としてそこをおざなりにはできないからね。──先日、魔人との接触があったね。そして君は見事にそいつを倒した」
「……はい」
「ここからが始まりになる。イオが仕掛けたゲーム後のゲーム。君からすればラスボスを倒した後のエクストラステージといったところかな。代行者としての役割がそもそも明確な終わりが設けられていないエンドコンテンツみたいなものだから、その一環だと言えなくもない。そこで、確認だ。君は魔人と雌雄を決する。ということでいいんだね?」
「──どういう意味の確認なんですか、それは。僕は代行者、白の陣営である人間の守護者になった。黒の陣営……つまり白を脅かす側の存在とは、それが魔人に限らず対決する使命を背負っている。そう教えてくれたのはあなたのはずだ」
言うなればそれに対する確認はもう、一年前に済んでいるのだ。僕は使命を受け入れた。その覚悟で黒天使から特典を受け取ったし、彼女からの過酷な指導だって受けたのだ。
そもそも、ここから始まるという言い方もおかしい。黒天使の言い付けによって僕は協会に情報を与えられず、魔人側への忖度として準備期間が設けられはしたが──おそらく明言こそされていないがもっと直接的な力添えが黒天使から魔人に対してあったのではないかと僕とシスは睨んでいる──だとしても、始まりと言うのならあの時点。黒天使から及第点を貰って代行者を名乗れるようになったあの瞬間こそが、僕と魔人の残党との戦いが始まったタイミングだろう。
なのに黒天使は今更過ぎる物言いをしてまで何を確かめようと……いや、僕の口から何を聞きたがっているのか?
純粋な疑問と、少々の用心も込めてこの点をシスがどう考えているのか知りたいと思い、その反応を窺ってみたのだが。シスからの返事はなしのつぶてだった──一瞬戸惑ったが、そういえばと思い出す。黒天使との初対面、指導の後も。そして二度目の対面においてもシスはこうだった。何も言わないし、答えない。まるで僕の内心を読み切る黒天使の洞察力によって自分の言葉や思考まで伝わってしまうことを極端に恐れでもしているかのように、彼女は黒天使の前では息を潜めてしまうのだった。
そりゃあ、さも当たり前のように考えを見透かされるのは……そしてそれが寒気を覚える程の精度であることには、僕だって生理的な嫌悪すら感じているけれど。
しかし黒天使に対して抱く感情が──それが好感にしろその反対にしろ──等しく無意味だと理解してからというもの、もはや僕はどれだけ返答を先読みされようと思考の先回りをされようと大して気にしなくなった。気にしてもしょうがないのだから諦めるしかなかったのだと言い換えることもできるが、なんにせよ我ながらに黒天使との上手な付き合い方ができ始めているという自負もある。
僕と同じようにしろ。などとシスに偉そうに言うことはできないし、しないけれども、しかし彼女のシャッターを完全に下ろし切ってその奥でいないふりをするような対応はどうかとも思う。そんなことをしたっておそらくはなんの対策にもなりはしないのだから……そしてシス自身もそのことをわかっている節があるというのに、それでも今回もまた頑なにそれを貫こうとしている。そこに僕は多少以上の疑問というものを感じざるを得なかった。
あるいは、だ。
以前よりいくらかマシになっているとはいえ、今もなお面と向かえばこうして抱いてしまう恐怖感。それにシスは僕よりも強烈に、切実に襲われているのかもしれない。というかそうとでも仮定しなければ彼女がこうまで縮こまる理由が思い浮かばない。
ではその場合、何故シスの方が僕以上に黒天使を怖がっているないしは明確な拒絶反応を示しているのか、という新たな謎が浮かんでくるが。そちらに関してはもはや解き明かしようもない……僕だってこの胸に巣食う恐怖がどこから来るものであるか、所以がさっぱりわからないのだから。ましてや人様のことなど余計にお手上げだ。
体をひとつにしている以上、僕とシスは互いを人様と称せるほど遠い距離にはいないけれど、それでも僕とシスは別人なのだ。そこの線引きを大切にしたいと思えている内はこうして「わからないこと」があるのを喜んでおくべきですらある──と、いきなりパチンと小気味よく鳴らされた指音に僕の意識は内側から外側へと引き戻された。
「いいかい、ライネ君」
「は、はい」
「一年前に俺が言ったことは、今だけ忘れてくれていい」
「はい……はい?」
「あれはあくまでも伝えるべきを伝えただけ。まさに進行役として代行者へと進むか否かの分岐点にいた君へ知らせるべきあれこれを知らせただけだ。神よりその下方へ。それは一方的な宣告であり啓示だろう? 双方の認識を重ねる本当の意味での理解ではない。つまり、俺は君の意思をあえて一方的にしか確認しなかったということだ」
「でも、あなたは僕に特典を受け取るかどうかを選ばせた。それは僕の意思を確かめたことにはならないんですか?」
「ならないね。そこに君の自由意思があった、それはそれとして、選んだ道の先で『何をすべきか』だけ語ったのは恣意的が過ぎることだよ。君が代行者となって『何がしたいか』を訊ねなかったのは、まあ、ちょっとしたサービスのつもりでもあった。君が力に馴染み、人の中に暮らし、辿りたい未来をちゃんと見られるまでは言質として控えておくのも趣味が悪いかと思ってね」
「言質……?」
わけがわからず眉をひそめるしかない僕に、黒天使はあっけらかんと言い放った。
「うん。質問に戻って俺が何を確かめたいかと言うと……『神殺し』。あの日イオに唆された蛮行へ、君は挑戦しないのかってことさ」




