184.進展
「あっはは! グリンズさんとそんなこと話したんだ? それは随分と楽しい話題だったね、ライネ」
「もう、そんな言い方しないでくれよ。僕もグリンズさんも本当に君のことを……」
「わかってる。ごめんね、照れ隠し。二人がそんなに真剣に私のことを考えてくれていて嬉しいよ」
そう言ってミーディアは快活な笑みを向けてくる。照れているようにはとても見えない態度だけど、その言葉に嘘はないと僕にはわかる。と同時に、彼女がただ嬉しがっているだけじゃないということも。
「でもなんだか恥ずかしいな。グリンズさんもライネもちょっと持ち上げ過ぎだよ。私ってそんなに仕事一筋に思い詰めているように見えるの?」
「見える」
「即答か~。自分ではそんな振る舞いしてるつもりないんだけどな」
「振る舞いはともかく、ミーディアの任務の受け方……それに上からの要請でもなければチームも組まないっていうやり方は、そう見えてもしょうがないよ。というかそうとしか見えない」
「生き急いでいるって?」
「死に急いでいるって」
「うーん……」
頬を掻きつつミーディアは困ったように微笑んだ。彼女にも少なからず自覚があるのだろう。自分が無茶をしていたという自覚。大量の任務に望んで忙殺されながら、単身で未開域へ潜り続ける日々。それはいくら(A級である彼女からすれば)危険な魔物の情報がなく、再開発のために大量の魔物の討伐が願われている状況だったとしても、それらがなんの言い訳にもならないくらいには異常な働き方だ。
《まあ、それだけ彼女が危険地帯に入り浸っていたからこそあなたは開幕ゲームオーバーにならずに済んだのですが》
う。そこを突かれると何も言えないけど……でも僕は何もミーディアを責めたいわけじゃないのだ。そりゃあ、彼女に危険な目に遭ってほしいわけでもないため。できることなら今後は改めてくれたらありがたいとも思っているし、そのために僕自身も協力するつもりでいる。本部に籍を持ちながらも特例でルズリフ支部の籍も消さず、こうして時間を見つけては戻ってきているのも、言ってしまえばミーディアのためだ。
ここで私事ではなくあくまで仕事のため、ルズリフ再開発の力になるためだと断言できれば良かったのだけど……それこそが僕の目指すテイカーなんだけど、そうじゃないから嘘をついたって仕方がない。
もちろんとにかく人手のいる──それも広域で不特定多数の魔物を狩り続けて少しずつ生息圏を変えていくという性質上、それなり以上の手練れが何人も必要になる大変なコストの任務だ。そこにS級としての力添えをしたい思いだってあることにはある。仕事にかける熱意が僕の中にまったくない、なんてことは当然ながらない。
だが、それ以上に優先しているものがある。それこそがミーディアだ。つまりはS級としてというよりも、夫として妻の力になりたいと。恋愛どころかお見合いも経ずに結婚した仮初のような夫婦だとしてもその程度のことはしたいと、僕はバリバリに私情を挟んでしまっているのだった。
《考えてみるとかつてのユイゼンをどうこう言えないくらいにあなたも特権を享受していますよね。S級でもなければここまで何もかも要望通りにはいきませんよ》
そうだろうね。この点、配置の希望を伝えた際にはグリンズにもガントレットにも特に何も言われはしなかったが、確実にこれは「等級外等級」特有の特権があってこそお願いが通ったのだと思われる。僕が協会へするお願いはもはやお願いにあらず、ということだ。
そこまでしてミーディアの傍になるべくいようとしているのだ。叶うなら以前のような研ぎ澄まされ過ぎている彼女には戻ってほしくないと、切に願う。それは必ずしも独りよがりな欲目ではないと、グリンズが僕に勇気をくれた。
もう理想に与える影響を怖がったりしない。これまでは踏み込めなかった部分にも恐れることなく踏み込んでいこう。そう決意した僕は立ち上がり、向かい合う席からミーディアの隣へと移動して腰を下ろした。それから、僕の突然の行動にきょとんとしている彼女の手に自分の手を重ねた。
「ミーディア。君の中にあるのが希死だろうと罪悪感だろうと、それに気付いていようといなかろうと。なんだっていいんだ。とにかく君が死に近づき過ぎていることを僕だけじゃなく皆が憂いている。最近、いつまでも『終わり』が来ないからって段々と任務の受注に遠慮がなくなってきているだろう? それが僕たちには怖いんだ」
せっかく常識的な範囲での働き方をしていたというのに……それはもちろんいつ自分が動かなくなるかもわからない身だという自重の精神があったからだが、終わりの気配が一向に感じられないものだから、良くも悪くもミーディアは以前の彼女へと戻ろうとしている。またしても自身の命を使い潰そうとしている。傍目からはそうとしか見えない「一振りの剣」の在り方を、取り戻しかけている。
それは果たして歓迎すべきことなのか否か。僕は断然に否だと思う。今ならそう断言することができた。
「駄目だよミーディア。それは僕が許さない。君はもう一人で戦っちゃ駄目だ」
「──駄目、か。どうして駄目なの? 下級魔物を数体払う程度の任務なら私以外のA級だって一人で受けたりしてるじゃない。それが許されているのは協会としても生還の保証があるからだよ。簡単なはずの任務にもかかわらず何か異変が起きてA級が命を落とす、なんて危険性は無視してもいいくらいに低い確率だってね。そして私の場合はそれよりも死ぬ可能性が低い──ううん、何があっても死にはしない。【回生】が変わりなく機能していることはもう証明済みでしょ? だから」
「理屈なんてどうだっていい」
ぐっと握る手に力を入れる。顔と顔を近づけて、僕は言う。なるべく力強く、頼もしさを彼女に感じさせられるように。
「僕がしてほくしないからしないでくれって、そう言っているんだよ。君に死んでほしくないから。いつまでも僕の隣にいてほしいから言っているんだ」
「……ライネ」
ミーディアの瞳が揺れた。小さく、だけど確かに。そして薄っすらとその頬には赤みも差している。それを見て、自分がかなり大胆なことをしていると気付いてなんだか恥ずかしくなってしまった。顔が熱い。きっと僕も真っ赤になっているに違いない。でも、そんなことで黙ってはいられない。
「焦らなくたっていつか終わりは来る。どんなに【回生】が底の知れない唯術だとしても、永遠に続いたりしない。生き急ぐ必要なんてどこにもないし、君が一人で戦い続けなければならない理由もない。……君が見送ってきた仲間たちに恥じない、意味のある死に方を求めているのなら、むしろ自分こそを大切にすべきだ。僕はそう思う」
我が身を省みない戦い方。それ自体は、【回生】という不死身の能力を持つ者として正しいものだとしても。効率的な戦士の思考によるものだとしても、それにかまけて死を身近に置くような真似は、戦士のあるべき姿ではないだろう。
ただでさえ魔物や非合法の魔術師と日夜命の取り合いに興じているテイカーなのだ。死は隣人のようなものだというのに、ミーディアの場合は死と手を取り合っている。そう称しても過言ではないほど、あまりに傷付くことに慣れ過ぎている──望んで傷付き過ぎている。そこだけが、美しい剣の如きミーディアの持つ瑕疵。僕が手放しに褒められない唯一の欠点だった。
逆に言えば、そこさえなくれば。親しい者を日頃不安にさせているその悪癖さえ克服できたなら、ミーディアはそれこそ理想そのもの。誰もが目標とすべきテイカー像そのままになる。大袈裟でなく僕はそう確信している。
「もしかしたらこれも僕の我儘なのかもしれない。君の我儘にただ同じものをぶつけているだけなのかもしれない。それが嫌で今日までは遠慮もしていたけれど、もう気にしないよ。僕の我儘を聞いてくれミーディア。妻として、夫の気持ちに応えてほしい」
「…………、」
ただ自分を案じてくれと、それだけのこと。何も難しくはないし、そうお願いするのだって本来なら我儘でもなんでもないはずだ。だが、ことミーディアへ頼むには非常に重く、真剣なものになる。それはミーディアの生き方を変えることであり、彼女の根底にあるものを覆すことでもあるからだ。
重々しい沈黙が続いた。内心を表すような瞳の動揺も収まって、それからもミーディアは黙ったまま考えに考えて、そしてようやくおもむろに口を開いた。
「わかった」
「!」
「働き方を……生き方を改めるよ。推察の通り、前と同じくらい……ううん、前以上に任務を受けようと思ってたところだったんだ。魔人狩りを任せてもらえるならもちろんそっちを優先するつもりだったんだけど。そこでも当然に私が特攻隊長になろうと思っていたんだけど、それも良くないんだよね?」
「うん。僕もグリンズさんも、ミーディアには僕の補佐をやってもらいたいと思っているから。大物相手には率先して戦ってもらうけど、いの一番の切り込み役は期待してないかな」
「あは。なんだかそれって新鮮」
笑いながら、ミーディアは僕の手を握り返してきた。優しい心地の温かい掌。そこに何かしらの気持ちを乗せるようにして、彼女は続けた。
「皆にそこまで心労をかけていたなんて思いもしなかった。……いや、違うか。本当はわかっていたのに見ないふりしてたんだ。エマもガントレットさんも、一緒にルズリフに来たA級の皆も。いつでも声をかけてくれていたのに、いつも心配してくれていたのに、耳を傾ける意味がないなんて。そんな風にかっこつけてたんだな、私」
「……」
「でもねライネ。言い訳するつもりじゃないけど、別に辛いことだとは思ってなかったよ。苦じゃなかった。休まず働くことも、一人で行動することも、傷付くことも、全然怖くなかった。本当だよ。……それも違うのかな? 自分でそう思い込んでいるだけなのかな。誰よりも多くの魔物を狩って、そして早く死にたいって。そう自分で自分を追い詰めているだけだったのかな」
「わからないよ。【回生】と同じ、君の中にしか答えのないことだもの。君にわからないなら他の誰にもわかるはずがない」
「正直だね」
「けど、どうせ答えが見つからないなら僕が勝手に決めてしまってもいいよね」
「え?」
「ミーディアは無理をしていた。そしてこれからはしない。それが答えだ。……それだけでいいよ」
それ以上何を思うことも、複雑に考えることもない。彼女はただ、僕の横で。僕たちの傍で彼女らしくこれからも生きていくだけだ。
「安心して、ミーディア。生き方を改めるなんて口では言っても君のことだから、そうすぐに変われるわけもない。その点に関してはちっとも信用してないから」
「えー、っと。それのどこに安心すればいいのかな?」
「僕が止めるってこと。君がもしも先走りそうになっても、僕がそうさせない。君が望もうとも絶対に一人にはさせないから、覚悟しておいて」
「……愛が重いね、ライネ。嫌いじゃないけど」
ちゅ、と。小さなリップ音。それはミーディアがキスをした音だった。彼女の唇が僕の唇に重なった──というよりもほんの少し掠めたくらいの接触ではあったが。それでも僕は深い衝撃を受けて固まった。
危うく体だけでなく心臓まで止まりそうなことを仕出かしておいて、けれど彼女はなんでもないように僕に笑いかけてから立ち上がった。
「さーて。徹夜明けのまま働いたら旦那さんに叱られちゃいそうだし、私は上で一眠りしてこうかなっと。じゃあライネ、また後でね」
僕が何も言えない内に、返事も待たずにミーディアは背を向けた。そして止める間もなくさっさとロビーの方へ消えてしまった。
《おやおや。ミーディアも大胆なことをしますね。打ち合わせ用の半個室だと言っても、通りかかる人がいれば見られてしまうのに》
「…………」
《って、いつまで固まっているんです? あれくらいのことで……》
あ、あれくらいって。前世も含めて僕にとっては初めてのキスなんだぞ。それがこんないきなり、しかもミーディアを相手にって……整理がつくわけないじゃないか。
《神の代行者ともあろうお方が情けないですねぇ。そんな調子で大丈夫なんですか? これ以上のことをするその時に怖気づくのではミーディアにも呆れられちゃいますよ》
これ以上……って、いやいや。僕たちはあくまで利害の一致で結婚したに過ぎないわけで。
《仮にも夫婦なんですからあり得なくはないでしょう。それとも断るんですか? あれだけ夫として要求をしておきながら、向こうが妻としてそういう営みを要求してきても……そうなると別の意味で傷付くでしょうね、彼女》
営みの要求。そこから想像しそうになったシチュエーションを強引に頭から追い払った僕は、それ以上何も考えないようにと机へ突っ伏した。




