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162.手合わせ

 引き続き止まった時の中。無音、無風の空の上で僕と黒天使は距離を置いて向かい合う。


 これより行われるのは手合わせ。なんでも黒天使が言うには位階上昇後の身体、そして力に慣れるのは同じく上位者の力の使い方を間近で見て、その身で味わうことが一番の近道なんだとか。


 荒療治・・・であることも彼女は否定しなかったが、やらないよりはやった方がいい。これは特典とは関係のない、ゲームの進行役を務めた者としての個人的な餞別なのだと、そこまで言われてしまっては拒絶のしようもなかった。僕自身、いきなり代行者となってしまったこの身を過不足なく扱えるかというと大いに不安でもあったので、養殖者という同じ立場にして僕よりも遥かに位階が高いと思われる先達からの教導が行われるとなれば、願ってもない幸運とも言えた。


 まあ、よりにもよって実戦形式でなくても……とは思わなくもないのだけれど、それが最も良い手段だと黒天使に断言されては異を唱えることもできない。なんにせよ渡りに船であることは確かなのだから、特典だけでなく彼女からの餞別もありがたく頂戴する他ない。と、そう新たに覚悟を決めたわけなのだが。


「…………、」


 緊張に身が固くなっていることを実感する。その原因はもちろんのこと黒天使にあった。


 イオ戦で用いたのと同じ手法、薄い面状の氷を展開してその上に乗ることで僕は中空に立っているのだが、対する黒天使はというと……「何もしていない」。一切の魔術的な気配を感じさせることなく、極々自然に、至極当然とばかりに何もない空にその身を浮かべている。おそらく、彼女ほどの位階の持ち主ともなれば空中浮遊などできて当たり前の行為。上位者としての権能のひとつなのだと思われる。


 黒天使にとって空を飛ぶことは地上を歩くのとなんら変わらない……いや、ともすれば足を動かさなくていいだけそれ以上に楽ですらあるのかもしれない。そう考えるとやはり、分類としては同じ「線の向こう側」に属する者であっても黒天使は、宙に立つことにすら涙ぐましい努力が必要な僕やイオとはまさしく格の違う存在なのだと認識させられる。


 それはそうだ、黒天使は『何か』や『誰か』と対等もしくはそれよりも上にいるような口振りで、対して僕とイオは『何か』や『誰か』の遣いでしかなく、しかも正式にその身分に就いていたわけでもなかったのだ。そこに違いがなければかえっておかしいくらいなのだが……しかし今は僕も正式な代行者。それでも黒天使との間にある差は絶対的なものだと理解しているが。特典を受け取ったことでその感覚はより実態を伴って僕の中に根付いているが──だからとて何もできずに負けるような終わり方は嫌だ。


 僕は黒天使に無様を見せられない。見せたくないのだ。どうしても。


 何故だか彼女に対しては、自分でもわけがわからないほどの意地が胸の底から噴き上がってくる。


「決着はどう付けますか」

 

 我ながら硬い声音で投げかけたその問いに、黒天使は柔らかな口調で返した。


「そう厳格なものにするつもりはないよ。実戦形式とは言っても俺の役目は胸を課すことにあるんだからね。どちらかが終わりと思えばそこで終わりだ。俺も程々にするつもりだし、君も限界だと思ったら遠慮なく音を上げてくれ。変に頑張ろうとまではしなくていい」


「……わざと言ってます?」

「だとしたらどうする?」


 こうするしかないだろう。


「おっ──」


 指を鳴らして遠点凍結。現在シスの補助は失われているがこれくらいなら普段通りの僕でも──上がったはずの神性とやらに頼ろうとしなくても──一人で充分に実行可能だ。空中を走った見えない氷路が本当に見えなかったのかそれともあえて動かなかったのかは知らないが(まあほぼ確実に後者だろう)、黒天使はびっくり顔のままに全身を凍り付かせた。頭のてっぺんからつま先まで満遍なく、だ。


 それなりに魔力を注いだ甲斐もあった──と、言い切れるかどうかはこの後次第。


「氷鳥……!」


 氷霧無しの氷龍、もやりようによってはいけそうな気もしたが、だとしても素早い発動は到底叶いそうにないので却下。黒天使がいつまでも凍ったままでいてくれるとはさらさら思っていない僕は素早く契印を組み鳥を模した氷生物を生成・操作する。


 生み出したその鳥はイオでやったような数を武器とするものではなく、氷成のリソースを一羽のみに費やして出来上がった巨大な怪鳥であった。戦闘スタイルの変更により一方の手が埋まっていても組める片手での契印へと設定を改めた氷鳥だが、今は手元に凩がないために──オルネイがそちらもちゃんと回収してくれていたようで部屋には置かれていたが、ガントレットの手前持ち出すことができなかった──以前の手癖そのままに両手で印を作った、その瞬間に気が付いたのだ。


 これは思わぬ応用の幅にもなっていると。


「氷鱗展開──行けっ!」


 片手ならば小粒を大量に。両手ならば大粒をひとつ。設定の変更が僕の習熟と共にそういう振り分けを生じさせた。でなければ意識してもいないのにここまで強大な氷鳥は作れやしない。これは契印を付け足すなどすれば氷霧の補助なしに氷龍も常時の攻撃手段にできそうだ──が、今はとにかく黒天使への追撃が最優先。


 巨鳥に氷鱗を武装させることも忘れず、開幕のそれとしては過分なまでに強力なものへと仕上がった一撃を容赦なく撃ち込む。挨拶代わり、ではあるものの今の僕にやれる最上クラスの攻撃は──。


「いきなり元気だね。思ったよりも恐れはないらしい……いいじゃないかライネ君、一人の代行者ともなるならそれくらいでないとな」


「……!」


 巨鳥の突撃によって割れ砕けたのは黒天使を閉じ込めていた氷のみ。肝心の彼女はと言えば、体のどこにも傷ひとつなく、片腕で巨鳥の嘴を掴んで止めてしまっている。筋肉なんて一切付いていないあんな細腕のどこにそれだけの力が……なんて驚くのは失礼に当たるのだろうな。


 何かしらの術や技を用いている気配は相変わらずまったくしないが、それくらいは当然にやる。黒天使はそういう存在だと僕にはもうわかっている。だったら。


「爆ぜろ! ……──え?」


 まともに巨鳥の突撃が決まってくれない予想はしていた。だから仕込みは万端だった。黒天使が選ぶのが防御にしろ迎撃にしろ、最低限巨鳥との距離が近ければ、それもゼロに近ければ近いほどいい。


 その点からいくと「優しく受け止められている」という現状は、おかげで巨鳥に少しの破損もない。故に僕には好都合……いや最高に都合がよかった。氷の爆弾・・であるその身に一切の欠けがない、それ即ち二の矢である至近爆破の策が最高威力で炸裂してくれるということなのだから──と、意気込んで術を起動させたのも束の間。


 僕が気の抜けた声を漏らしたのは当然に、そうせざるを得ない光景を目にしたからだ。


 巨鳥が破裂せんとするその瞬間、起爆された一瞬が「引っ繰り返った」。ビデオテープの巻き戻しのように……そうとしか表現できない様で膨らみ弾けようとしていた巨鳥の全体が元の姿へと回帰し、そして瞬く間に染め上げられた。青みの強い白色、僕が生成した氷特有の色味から「黒」へ。まったく光を反射しない、他の色の一切を寄せ付けない完全な黒へと巨鳥が飲まれた。それは紛れもなく黒天使の黒だった。


 彼女の瞳と同じ、闇のような黒だった。


「これは……」


 いったい何が起こったのか。起爆を止められた、いや戻された時点で巨鳥とのリンクが途切れてもいるせいで僕にはこれがどんな異変なのかまったく判別できなかった。しかし、特典による恩恵なのだろうか? 術的な繋がりは確かになくなっているが、それ以外の部分で少なからずわかることもあった。


 あの刹那。巨鳥が爆弾としての使命を果たしかけたごく短い間に、これまでに感じたことのない力──それそのものではなくそういったものの気配を、僕は感じ取った。黒天使を中心にして発せられたその気配は、正体を読み解くにやはり魔力なのだろう……答えとなるものを僕はそれしか知らない、けれども。本当に今のが単に魔力を用いて魔術が行使されただけだというのであれば、こうも奇妙な感覚に惑わされることもないはずで。


 つまりただの魔力ではないのだ。黒天使が行使しているのは仮に、呼称こそ僕の知る魔力と同一だったとしても決定的に性能、あるいは彼女の「使い方」が異なる別物。そう評して間違いのない質の異なる力が今、僕に牙を剥こうとしている。


「速攻は上等だが焦りが術の造りの甘さに現れている、これは良くないね。だからこうして簡単に乗っ取られるんだ」

「乗っ取……」

「ほら、返すよ」


 巨鳥に触れていた手を離し、行けと言わんばかりにそれがこちらへと振られた、次の瞬間には向きを変えた黒い巨鳥が僕の眼前にまで迫ってきていた。


「ッ!」


 速い。それにおそらく、威力も……!


 咄嗟に氷鱗を身体前面に展開。最高層数にするには以前ならそれなりに時間を要していたが、今の僕には特に速度を重視せずとも着弾までに間に合わせることができた。氷霧下でもなければ先に装備しておかなければ防御にも使えなかったイオ戦までとは大違いだ──まあ、それはイオの攻撃速度があまりにイカれていたせいも大いにあるが。


 などと自身の実力が増していることに感じ入る間もなく僕は己が術に襲われる。激突と破砕音。守った上から途轍もない衝撃に見舞われて宙を舞った僕は、すぐに体勢を立て直して足元に氷を張り直した。その姿に黒天使が感心したように頷いて言った。


「ふむ、無事か。それなりの手傷は負うかと思ったが」

「防御が間に合いましたからね」

「氷の防護膜……氷鱗だったか。鳥に纏わせたものと君自身が纏ったそれの厚さの違い、加えて攻めよりも守りでこそ真価が発揮される術が故の結果か。ただそれだけではないがね。気付いているかな?」


 ああ、気付いている。確かに氷鱗は僕を守ってくれたが、この身が無事である理由はそれひとつではない。単純に、僕自身の硬さ。元より頑丈に出来ていたこの特別製の身体がより頑強に、より壮健になっている。素の頑丈さもまた大きな要因となっている。そうでなければ今のを無傷で済むわけがない……黒天使に術の「支配権を奪われた」と思しきあの黒く染まった巨鳥の突進には、それだけの破壊力があった。


 自慢の術である氷鱗のみでは、その最大防御でも受け切れないだけの力が。


「あなた相手に氷生物で攻めていくのは愚策、ってことですか」

「んー。術の完成度を高めたところで簡単に奪えることに変わりはなさそうだし、そうだね。でもまずもって術自体の威力不足こそが問題だろう? 何かしら技術的な革新でもない限り君の氷鳥や氷龍じゃ俺にはダメージを与えられないよ。ご覧になった通りろくすっぽ工夫せずとも受け止めてしまえるんだからね」


 それに、と薄く笑いながら彼女は全身からと。真っ黒な魔力。僕には見通せない闇を溢れさせて、そうしてその全てを用いた「大量生産」を行なった。


「魔力蝶。魔力鳥。魔力龍。君に倣った──わけではないが、まあそう思ってくれてもいい」

「……!」


 そう、それらは僕が氷で作る疑似生物たちによく似ている……どころではない、形状だけで言えばそれそのものだった。空を埋め尽くすほどに広がった黒い蝶、黒い鳥、黒い龍。黒天使の魔力で生まれたそれらは明らかに禍々しく、なのにどこか神聖さのようなものまで漂わせた、身も凍るような軍勢だった。


 こ、こんな数をまばたきほどの時間で生み出すなんて。僕の生成術とは比べるのも烏滸がましい技術と魔力の差だ──なんて慄いている暇はない。この魔力生物の群れはただ見せつけるためだけに作られたものではないのだから。


「攻めるのは俺の役目だ。君は君の力でそれを切り抜けなくてはならない。そこにどれだけの気付きを得られるか、だよ。先手こそ譲ったがここからはもう君のターンはないものと理解されたし……ま、予定・・を覆してくれるのならそれ以上に喜ばしいこともないが」


 予定。僕の限界まで、僕がみっともなく音を上げるまで延々と、永遠と攻め続ける。時が止まった限りの無い時間の中で……それが黒天使の組んだ予定スケジュール。覆しようのないそれを、しかし黒天使は僕が予想を超えた力の飛躍を見せることで覆してみせることを期待している。……いや、期待などと優しい言葉をそこに当て嵌めてはいけない。


 試しているのだ。僕が代行者足り得るのか。意気込みに見合うだけの、覚悟に伴うだけの結果を示せるのか。「成り立て」にも容赦なく彼女は行動で見せてみろと無言で刃を突き付けてきている──。


「……やってやろうじゃないか」


 お望みとあらばいくらでも付き合ってやる。

 僕はもう、諦めのいい前世もとの僕ではないのだから。


 そういうライネに変わることができたのだから。



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