157.天使
「ん、最初に気にするのがそこか」
「はい。彼女は僕の相棒ですから」
「そうか。いいことだ」
と、真意の読めない微笑みを見せてから少女は言った。
「補助役なら無事だ。ただ眠っているだけ、時が来れば目覚める。以前にも同じようなことがあったろう? それだけイオとの勝負が激戦だった証拠だね」
そうか……やっぱりそうか。きっとそうに違いないと信じてはいたけれど、四日も経っているのにまだシスの声が聞こえてこないことに焦りを覚えなかったと言えば嘘になる。しかし考えてみれば前回のシスの復活には四日どころではない時間がかかっていたのだから、まだ彼女が起きてこないからといってそう慌てる必要もなかったわけだ。
とはいえ少女から──『何か』側の人物であり、それもシスという存在を僕へ宛がうことを提案した張本人でもある彼女から無事だと断言してもらえたのは心強い。小さくも無視できない不安の種がなくなったことで僕の胸は軽くなり、異質が過ぎる少女を前にしている重圧もいくらかマシになった気がした。
そのおかげか、ふと彼女のことをなんと呼べばいいのかと気になったところで、またしてもそれを言葉にする前に少女の方が先んじて口を開いた。
「呼び名か。うーん、そうだな……あだ名のような呼び方にはなるが黒天使で頼むよ」
「く──黒天使」
「名称っていうのは君が思う以上に大事なものでね。特に俺のような存在となると迂闊に正しい名を教えてあげられないんだ。だから鼠と名乗っていた先達に倣って俺もそうしようと思う。少々呼び辛いかとは思うが構わないね?」
確認の体を取っておきながら僕の意見を聞く気はないようで、黒い少女改め自称黒天使(なんて名前なんだ、本当に)は次の質問を催促してくる。
「それじゃあ……経緯の全てが聞きたい、です。『何か』や『誰か』はどういった存在で、どうして転生者を使ったゲームなんてしていて、それに何故僕やイオが駒として選ばれたのか。その全部を」
僕からすればゲームのプレイヤーは僕であり、イオだ。だが実際の構図では僕たちは所詮ひとつの駒でしかなく、真のプレイヤーは互いの駒を倒すべく盤上を見下ろしている『何か』と『誰か』の方だ。そして、本人が言っていた通りにそのゲームの席へ両者を付かせたのが他ならぬ黒天使なのだとすれば、事の経緯も仔細把握できているはず。
「教えてくれますか?」
「勿論。まず始めに言っておくと、世界は糸であり縄だ。その縄ががんじがらめにいくつも交差して数え切れないだけの世界が、それこそ無限に等しく広がっている。一本一本は決して交わらず影響を与えないが、支え合っている状態だね。だがその接点を境として越えられない壁を越えられる者がいる。そういった存在だけは交わらない糸を交わらせることも影響を与え合わせることもできる……ま、それに意義がある場合なんてほとんどないから滅多にやらないけどね。そうともお察しの通り、俺は壁を越えられる。糸を渡り歩いて調停してきた。この糸、この世界にやってきたのもその一環だね。つまりはお仕事だ」
「………………えっと」
話のスケールが途方もなさ過ぎて一瞬脳が理解を拒んだが、なんとか頭を回して自分なりの理解に努める。世界はいくつもある、これはOK。元の世界で死んでこちらの世界に来ている時点でそれは元から知っていたことでもある。まさかあちらとこちらの「ふたつだけ」なんてことはないんじゃないかとも以前から思っていたので──想像以上の数に及ぶらしい点には素直に驚きだが──複数世界論にはついていける、大丈夫。
しかしその後が問題だ。世界は糸で、それが縄になっていて、縄同士は交差して雁字搦めになっている? 失敗したあやとりみたいな感じ、だろうか。それが複数世界の構図? そして僕が元いた世界も、今いるこの世界も、その中の一本の糸でしかないと。黒天使はそう言っているのか。
その糸と糸の堺、本来なら越えられない壁を黒天使は越えられる……そうか、僕も世界の壁を越えてこちらに来ているのは同じだが、それはあくまで『何か』──おそらくは黒天使同様に世界の壁をどうにかできてしまえる神のような存在によって「連れてこられた」だけ。無理矢理に越えさせられただけであり、そうでもなければ世界の住人は別世界へ旅立つことはできない……ということで、いいんだよな? 多分。
「方法がないわけじゃないけどね。元々は俺も『越えられない側』だったんだ。糸を認識できる上位者には二種類いる。俗な言い方をすれば天然ものと養殖もの、俺は後者。ちなみに『何か』と『誰か』は前者、生粋のこの世界の管理者だよ」
「管理者……?」
「世界には管理者が付き物なんだ。そうでないと早々に滅び廃れて途切れてしまうのが糸というものだから、管理者なしじゃ世界として成り立たない。上手い管理者は本当に凄いよ、ほぼ永続的に世界を存続させているからね」
「じゃあ、世界っていうのはそもそも滅びるのが普通ってこと……なんですか。しかも管理者がいても、その手腕によって左右される?」
「一個の生き物だと思えばいい。それが世界で、いつか寿命が来るのは当然のこと。自然の摂理でしかない。基理と呼ばれるものがそうさせた」
「基理、というのは?」
「全ての法則を司る基盤のようなもの、らしい。俺も伝聞でしか知らないからこれに関しては詳しいことは教えられないんだ、ごめんね。いつか絶対にこの目で確かめようとは思っているんだが道のりは遠くてね……とにかく『そういう風にできているんだ』とだけわかってほしい。糸は入れ替わり立ち代るものだ、とね」
「……サイクルがあるってことですね。新陳代謝みたいに、糸だけじゃなくそれが寄り集まった縄も、その縄の集まりもまた一個の生物みたいなもので、僕ら人間の細胞が日ごとに入れ替わっていくように糸もそうなると」
「やっぱり理解が早いね。その通りだ、それが摂理。世界の住人が好むと好まざるとにかかわらずそれはそうなっていく……で、ここまでは前提知識。ここからが君の問いへの答えになる。『何か』や『誰か』はどういった存在か? 前述の通り彼らは管理者だ。この世界を正しく管理し、末永く続く糸であらんとす。管理者にはそう努める義務がある。だからどの世界でも概ね神と呼称されるものの正体は管理者、またはその配下だね」
……次々に新しいワード、それも僕の常識の範疇からかけ離れた類いのものが出てきて頭がパンクしそうだ。
理解が早いなどと褒めてもらっておいてなんだが、黒天使の言葉を正しく理解できているとはとても言えない。けれども、まだ完全に振り落とされてもいない。一から十までちゃんとわかろうとしなくていい、とにかく大体でいいから概要を掴むのが大事だ。疑問に思ったたことはその度に訊ねればいい、時間は文字通りに「いくらでもある」のだからその点は気楽でもある。
「管理者に加えて配下ですか……それらの区別はどういったものなんでしょう」
「単純にできること・できないことの差だね。表現を端的にするなら神と神の遣いなわけだから、現地民からすればどちらも『上位者』の括りに入れて間違いはないけれど、主体は神。遣いはあくまでそれに付随する一機能の範囲を出ない。少し違うけれど君とシスの関係にも近しいかな。シスは有能だが補助役である以上、主体たる君の許可なしには何もできない。神が作る配下というのも、概ねそういうものだよ」
……だけどシスの場合、僕にはできないことができる例がいくつもある。という指摘は揚げ足取りになるだろうか? なんて思ったのは余計だった。思ってしまった以上その思考は黒天使に筒抜けになると、既にわかっていたというのに。
「配下に例えられたのが不愉快だったわけだね。間違いないよ、意識上はどうあれ君は確かに不満を抱いたんだ。いや結構、そこまで想える何かが自分以外にあることは──まあ、たとえ自分の裡にしかいない存在に対してだとしてもそれ自体は素晴らしいことだ。シスも喜ぶだろう」
「はあ……」
「ただ、妙な勘繰りかたはしないでくれよライネ君。君の正しい理解のための一応の訂正として言っておくと、君にできないことがシスにはできる。その事実があるからこそ尚更に君たちの関係は神と配下の関係に近しいんだよ」
「神にはできなくて、その配下にはできることがあるっていうんですか」
「それがまさにこのゲームの本旨だ」
「それって……」
「気付いたか。イオとの問答でも話題に出ていたね。そうだ、神の配下。遣いとはまさに君のことでもある。正確にはまだその『域』に至っていないけれど、しかし神の息がかかっている現地民以外の存在だ。定義としては配下以外にない。代行の駒とはいえ君もまた線のこちら側にいるということだ。だから、人々は君に異質なものを感じるのさ。そしてそれを信じてみたいと思う。思わされる。遣いとして在るべき姿だね」
「神ができないことを、代わりにやるための配下……?」
黒天使は僕が受けている衝撃を知らぬように軽く首肯する。確実に見抜いているだろうに、それを些末なこととしか思っていないとよくわかる、人間味に欠けた仕草だった。
いや、欠けているんじゃない。
黒天使に元からそんなものはないんだ。
「ッ、」
ずきりと頭が痛む。何かを思い出しそうになって、けれど思い出せなくて。一度は遠ざかった重圧に再び呼吸が苦しくなる。なんだ。僕はどうして、なんでここまでこの子を恐れている……?
黒天使は危害を加えないと言った。その言葉を僕は疑っていないのに、何故。
「糸はいつか切れる定めだ。それをどう持たせるかが各世界の神、管理者の腕の見せ所、なんだけどね。言ったように神だって『なんでもできる』わけじゃない。管理が上手な者もいればそうでない者だっている。特に神が直接に働きかけることは否応なしに世界のあらゆるバランスを崩す禁忌の行為なものだから、迂遠に間接的に、やり過ぎない程度に少しずつ整えていかなくちゃならない。この辺の匙加減を見極められない神は意外と多い。何せ神からすれば世界という入れ物もそこに住まう生物も弱過ぎるし脆過ぎる。現地民の視点に立てないのは物の見え方も考え方も根本的に異なっているのだから致し方ないことでもあるんだが、それでは大半の世界が立ち行かないからね。だから往々にして神は配下を作り出すんだ」
疼くような脳の奥の鈍痛をできる限り無視して、黒天使の講釈に集中する。なるべく彼女の目は見ずに、その口元だけを見つめるようにしてどうにか平常心を保つ。そうしなければとてもじゃないが会話を続けられそうになかった。
「直接手を下せない神に代わって、配下が神の意に従って世界へ働きかける……ってこと、なんですね。同じく現地民じゃない上位者ではあっても、神そのものじゃない存在にならそれが許される……」
「そしてまだしも神よりは現地民に近い視点に立てもする。とは言ってもそこにはやはり埋められない溝というか、隔絶がありはするんだが。だけど中には面白い手法もあってね、現地民を上位者へ繰り上げる。自身の配下へと仕立て上げる神もいる。一種の混ざり者だからとても正攻法とは言えないけれど限りなく『世界に優しい配下』を作るとしたらこれが一番期待値が高い。神の力のみから抽出された配下とはまた違う癖が出てしまうが扱いを誤らなければ悪くない、と俺は思っている」
「だから、今回それを採用したんですか」
黒天使の口元がまた笑みを作った。ここまで説明を聞けば、先も読めてくる。これは理解の早さではなく当たり前の帰結だ──だって黒天使は調整役であると自分の立場を先に打ち明けているのだから。
「黒天使、あなたは口振りからして様々な世界を見てきているし、そこの神へ提案することで存続の手助けもしてきている……そうなんですよね? 『何か』と『誰か』はこの世界の管理者で、だけど上手くその舵取りができていなかった。もしくは両者間に何かトラブルがあった? ともかくどちらが主導になるかを決めなくてはならない事情があった、そこであなたは間に入ってゲームで決しろと呼びかけた。世界のためにも配下を使った代理戦争で白黒つけさせようと誘導した……違いますか」
「いいや、違わない。君の理解は正確だ。白と黒という言葉選びまで抜群に、端的に出来事を捉え表すことができている。さすが、ライネ君だ」
「────」
満足そうに呟かれた褒め言葉。耳に入ってきたそれに頭の中を掻き回されているかのように、痛みはますます酷く広がっていく。




