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156.黒

 真剣に頼み込んだ結果、ガントレットはため息をつきながらも折れてくれた。


「わかったよ、好きにしな。マーゴットには俺から話を通しとく」

「お願いします」

「言っとくが事後通達を叱られに行くって意味だからな。おっかねえんだぞ、キレたマーゴットは」

「それは、なんとなく想像つきますね」


 僕のマーゴットに対する印象は口調から所作から丁寧なとても温和そうな人……なのだが、そういう人物こそ得てして怒らせると怖いものと相場が決まっているもの。言葉を荒げることなく淡々と理路に沿って責めてくる様が見えるようだ。また彼女は目の覚めるような美人でもあったので、そういう意味でも迫力が凄そうである。


 呑気に言ってくれやがって、と頭を掻くガントレットからは本気でマーゴットを怖がっているのが伝わってくる……そんな姿を見せられるとさすがにバツも悪くなってくるが、ここは彼に引いてもらうしかない。僕にはどうしても急ぎ一人になる必要があった──言い換えるならそれは「他に誰もいない場所に行かねばならない」ということで、その理由こそわからずとも僕に何かしら事情があるとガントレットは察してくれているようだった。


「おら、行け行け」


 ひらひらと手を振って退室の許可をくれた彼に僕は一度頭を下げて、それからベッドを下りて入院患者用のそれを思わせる薄手の寝間着のまま外へと出た。廊下の壁にあるプレートの表記を見ればガントレットの話にあった通り、ここは本部本館にあるテイカー用に設けられた宿泊用のフロアであった。


 僕は肉体的な不調は見られない(のに何故か起きない)という状態だったためにここに入れられていたが、魔人軍との戦いで傷付いて未だに癒えていない人たちは本部の別の治療施設で療養しているはずだ。マーゴットも普段はそこに詰めているはずだが、半日ごとに検査と経過観察を兼ねて僕を診察しに来るとのことだったので、確かに目が覚めたからといって主治医とも言える彼女から許しを得ることなく動き回るのはあまりよろしくない。というより大目玉を受けて当然の行為だろう。


 これは許可したガントレットだけでなく僕にも矛先が向くだろうな、と後の説教を覚悟しつつ目当ての場所へと向かう。今見えている範囲に人の姿はなかったが、廊下ではいつ誰に遭遇したっておかしくない。同じ理由でそこらの部屋に入るのもダメだ。さて、それじゃあ確実に「誰も来ない場所」とはどこだろうかと少し考えて……そうだ、とひとつ閃くものがあった。


「よし。じゃあまずはエレベーターへ向かおう」


 誰へともなく・・・・・・呟いてから、僕はそっと息を吐く。これで少しは気が楽になった……いやまあ、どうせすぐにまた重くなるのだけども。なんて考えていたらあっという間に目当ての前についた。


 あの時はユイゼンに途中まで案内してもらってようやく辿り着いたこのエレベーターだが、その日からこっち本部で厄介になっている僕だ。利用時間で言えば訓練室を始め他の建物の方が長いけれど、寝泊りは本館こちらで行っていたし、会議に時たま参加するために中を移動する機会もあったので、今では内部構造にもそれなりに──何せ広い建物なので本当にそれなり程度ではあるが──明るくなってもいる。変なところにでも入り込まない限り案内なしでも迷ったりはしなかった。


 ふう、と気持ちを切り替えながらボタンを押す。本館の特定のフロアだけにあるこの直通エレベーターは僕を屋上までノンストップで運んでくれるものだ。屋上に赴く用途でのみ使われるからには勿論、本部と支部を頻繁に行き交う特定のテイカーが利用しやすいように設置階も選ばれている。宿泊用フロアにもひとつ置かれているのは当然と言えば当然だが、無駄な時間を使わずに済んで今の僕にはありがたい。


 あまり遅くなるとガントレットにいらぬ心配をかけさせてしまうからな……それでいて先ほど確約かのように言った「短時間で済む」という旨の発言がまったく根拠のない代物でもあったものだからますますバツが悪いし、気が急く。ところが本心では上に向かいたいわけではないために、気持ちとしては急いでいるのに後ろ向きでもあるというなんとも複雑な状態に僕の胸中はあった。


 しかしここであれこれと考えても仕方がない。どうせ屋上に行かないという選択肢が存在していない以上は流れに身を任せるつもりで──あるいは当たって砕けろの精神で、半ば開き直っておくしかない。


 直通であるからには無論のこと他の階に停まったりもせずに最短最速でエレベーターは本館の最も高いフロア、飛行能力持ちのテイカーが離発着場にしているという屋上についた。何故そのような、一見していつ人が利用してもおかしくなさそうな場所を僕が選んだかと言えば、なんてことはない。ここは僕とライオットの戦闘が原因であちこちが痛んでおり、まだその修繕が──魔人の襲撃の前に優先して直さねばならない箇所やシステムが山積みだったために──手つかずのまま放置されている。つまりは離発着場として現在使われておらず、実質的にその機能を停止しているからだ。


 一応はすぐ隣の第一訓練室の屋根上も整備されており同じ目的で使える上に、今はオルネイが人の行き来の補助にのみ専念することで「ポータル」なる空の移動よりも余程手早く便利な移動法が確立されてもいるために、尚更にこの荒れた本館屋上を訪れる者はいないというわけだ。


 まあだとしても風景を楽しめるところで休憩したい、などといった個人の嗜好に基づいた理由でふらりと立ち寄るテイカーがいないとも絶対に言い切れないのだが。しかしそれを言ったら他のどんな場所を選んでも同じことだ。休憩したいだけならまさにそのために用意された居心地のいい空間だって本館にはいくらでもあり、景色が一番の目的だとしてもこの真下の展望室で充分である。そういうケアができているだけまだしもチョイスとして屋上は他の場所より冴えている……と思いたい。あまり離れていると部屋までの行き帰りが難点になるしね。


「と、いうわけで……要望通り・・・・に話せる場を用意しました。色々と訊かせてくれるんですよね?」


「そのつもりだよ」


 薄く笑って、屋上で僕を待ち構えていた「彼女」はそう言った。その思ったよりも気安く、それなのにどこか壁のある……いや、壁を「感じさせられる」様子に僕の目は自然と細まった。


 黒い、とても黒い少女だ。髪色も着ている物も……そして何より、目が黒い。あまりにも黒々しいその目は、見つめているとまるで底無しの穴を覗いているような気分にさせられる。黒髪黒目という、僕の前世の感覚からすれば親しみを覚えて然るべき外見でありながらしかしちっとも親しみなんて抱けない。それくらい僕が慣れ親しんだ黒と、彼女が持つ黒は、違った。同じ部分なんてどこにもないほどに。


 異質だった。


「自己紹介は必要かな。いや、誤解しないでほしいがこれは君を試しているわけでもなければ馬鹿にしているわけでもない。単純に君の理解度をが測りかねているだけでね。手数をかけて申し訳ないがまず教えてほしい、君の目から見て俺という存在はどう映っている?」

「どうって……」


 どうもこうも、としか言いようがないんだけどな。


 言うまでもないことだが、彼女は僕の知人なんかじゃない。今日初めて見た顔だ。出会いはついさっき、僕の寝起き直後。ガントレットから事の顛末を聞く、その始まりで彼女は現れた。ごく普通に部屋の扉を開けて廊下から入ってきたのだ。それを受けての僕の戦慄たるや凄まじいものがあったと、ここに明記と強調をしておきたい。


 突然の来訪者に注意を払わない、どころか明らかに「気付いてすらいない」ガントレット。そんな彼に不審に思われないために目線こそ露骨には向けられなかったものの、視界の片隅にいるだけでもはっきりと感じられる少女の異物感。ここにいるはずのない、あるはずのない巨大な何かが目の前に鎮座している。なのに触れられない、近づけもしない……言うなればそういう違和感。激しいそれが重圧すら伴って息を苦しくさせる中、なんとか最後まで誤魔化し切った僕を誰か褒めてくれてもいいのではないかと思う。


「誤魔化せていたっけ? 抜け出し方も強引だったしだいぶ怪しまれていたように思うけど」

「なっ」


 考えている内容へ当然のようにツッコミを入れられてギョッとする。まさか、何かしらの術でいま僕は心の中を丸裸にされてしまっているのか──。


「そういうこともできるけどね、でもやっていないよ。その必要がない。心なんか読まなくたって何を考えているかくらい大方察しも付くさ。君はその辺、割とわかりやすくもあるし」

「……じゃあ、僕があなたをどう見ているかだって、もうおわかりなんじゃないですか?」

「『何か』に連なる者が勝者へ特典を渡しにやってきた。あるいは俺が『何か』そのものなんじゃないか……ってところか。君の理解の仕方は」


 頷く。僕からすればこの状況、そうとしか思えない。僕と同じ転生者であり、僕とは違う魔人という種族であったイオ。彼女からも相対していると相当な異質さが漂ってきたものだが、この少女が放つそれはレベルが違う──イオの言葉を借りて言うなら、次元が違う。僕とは存在のが異なっているのだと瞭然と伝わってくる。


 神、と呼ぶに相応しい『何か』や『誰か』。その遣いか、もしくは本人がついに僕の前に姿を見せたのだ。と、そういう理解に辿り着くのは当然の思考回路だろう。けれど少女は緩やかに首を振って否定の意を示した。


「生憎と俺は君の言う『何か』でも『誰か』でもない。そして遣いという立場でもない。調整役であり進行役だよ」

「調整……進行?」

「『何か』と『誰か』に遊戯ゲームを勧めたのは俺だ。そのバランスを整えるアイディアもいくつか出したし、力も貸した。二人とも流儀というかやりたいことがその都度微妙にズレていたりするものだから、そこら辺をいい塩梅にするのはけっこうな手間でもあったよ。ああでも、君を選出したのは君が思っている通りに『何か』で間違いないとも。補助役を付けることやその人選に関しては俺の意見が採用されてもいるが──」

「待って……待ってくれませんか。ちょっと僕、混乱していて……話があまり入ってこないんです」

「ふむ。何がわからない? なんでも訊いてくれていい、君は勝者だ。知りたいことを知る権利を得ている。ひとつひとつゆっくりと答えていこう……うん? いや、部屋に待たせているガントレット君のことなら大丈夫だよ。今『時間は流れていない』。いくらだって問答できる」

「……!」


 さらっと……本当にさらっと、なんてとんでもないことを言うんだこの少女は。そう聞いて辺りを確かめてみれば、ここが本館の屋上……協会本部において最も高度のある場所だとしても、あまりにも静か過ぎると気付く。下からの喧騒も聞こえてこなければ風すら吹かない。空の雲はぴたりと同じ位置で止まっており、その狭間にいる数羽の鳥も羽ばたく姿勢のままそこに固まってしまっている。


 時間が停止している。

 停止させているのだ、少女がその意思で。


 果たして唯術であってもこんなことを可能とする者がいるだろうか……答えはおそらく否だ。いくら「世界の法則を破る力」が唯術の定義だからとて、こうも労なく時を止める能力などあるはずもない。仮に時間停止に似たことができる唯術があったとしても、それには大きな制約やリスクが付随するはずだ。そうでなくては術として成り立たないはずだ──しかしこの少女はそうではない。


 息をするように、いや、ともすればもっと自然に何気なく。時の流れをその手に掴み、掌握し、それをすぐ傍にいる僕に悟らせもしなかった。


 まさしく格が違うとしか言えない芸当だ。


「あー……怖がらせるつもりはなかったんだが。時間がかかり過ぎると君を探す者が出てくるだろう? するとこの場はお開きになる。けれど、かと言って手短に済ませることは君の様子から見て不可能だと判断した。だから時間を止めたんだ。全ては君のため、善意だよ。怯えなくていい。俺が君に危害を加えることはないとわかってもいるだろう」

「ええ……わかっていますよ。あなたは僕に危害なんて加えない。そんな必要はないから」

「その通り。さて、話を戻そうか。君がまず知りたいことは何かな」


 男子としては物足りない背丈のライネよりも低い身長の少女は、それでも圧倒的な高みから僕を見下ろしながらその黒々とした両の眼を向けてくる。なんの感情も窺わせない眼差しに射竦められて僕は急速に喉が渇いていくのを自覚しつつ、なんとか質問を絞り出した。


「まずは……シスがどうなったかを知りたい。あなたならそれも、ご存知なんでしょう?」



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