155.派閥
魔人の残党がいる可能性。そしてその中に「歪み」の能力の持ち主がいる可能性──つまり現状は再び本部への襲撃が起こる、ないしは他の場所にいつ魔人が出没してもおかしくない状況にあるのではないか。という疑念。
それは抱いて当然のものであると思うし、実際にイオがまさしくそういう状況に協会を(あるいは世界を)陥れるために残した、いや、遺した二体の魔人の片割れがそのものずばり「歪み」の唯術の所有者であると存じている僕としては、協会の方針へ諸手を上げて賛同したいところだった。するべきなのだ、本当は。
ただしそれができない訳が、今の僕にはあった。
「で、ライネ。お前はどう思う? 残党の有無やその中身については首魁だったイオ個人のスタンスも大きく関わってくるだろう。奴は何か漏らさなかったか? もしくはただの予想でもいい。イオに対してお前はいくつもそれを的中させてきたからな、今となっては誰も疑わず参考にするだろうぜ」
寝起きで悪いが意見を聞かせてくれ、とガントレットは気遣いを見せつつも真剣な調子で訊ねてくる。まあ、体の方は四日も眠っていたとは思えないくらいになんの不調もないので意見のひとつやふたつ伝えることくらいはなんの支障もなければ造作もないことだったけれど、やはり、どれだけ頼み込まれても僕はこの件に関して知っていることを打ち明けてしまうわけにはいかなかった。
「そう、ですね……戦っている最中、イオはそういうことは何も言ってなかったですけど。でも僕の思うあいつならやると思います。だから、網を張っておくっていうのは賛成ですね。残党がいるという前提で動いた方がいい」
そのせいで本部の復興が多少遅れて、支部も含めた協会全体に重荷が圧し掛かるとしても、そのリスクを負うだけの価値はあるだろうと。残党がいない前提で探そうともしなかった場合のリスクはそれと比べ物にならないのだから、僕はそう言った。これは紛れもない本心であり、もしもイオから何も聞いていない状態だったらまず間違いなく自分はこう述べるだろうという意見を出したつもりだ。
嘘はついてないし、騙してもいない。いないがしかし……もどかしい。しかつめらしく頷くガントレットに対しどうしても謝りたい気分になってくる。が、そんなことをすれば不審どころではないので僕も澄まして言葉を続ける。
「他に何か、後処理で気になっていることってありますか?」
「そうだな……強いて言うならイオたちの死体をどう扱うかで意見が分かれているのが今んとこ一番困ってるか。ほら、他の魔人と違って連中は魔物みてーに塵になって消えなかったもんだからよ、利用できるんじゃないかって一部から声が上がったんだ」
「利用、ですか?」
突然出てきたワードが飲み込めずに首を傾げた僕だったが、すぐにガントレットは「ああ」とちょっとだけ声音を小さくさせながら、まるで誰かに聞かれるのがはばかられることのようにその意味を説明してくれた。
「魔石代わりになるんじゃないか、とな」
「……!」
「魔物は魔石を落とす。俺らテイカーはそれを武具に防具に本部の設備にと、まああれこれ便利に使っているわけだが……肝心の魔物が魔石になるプロセスは実のところまだ何もわかっていないに等しい。魔力だけで構成されている魔物が死に際して雲散霧消しちまうのはまあ、物理的な肉体を持たねえ以上は道理っちゃ道理なんだが、そこでどうして魔石なんつー魔力の塊が排出されるのかは長年の謎だ」
それを言ったら魔物が誕生する経緯についてもまだまだわからねーことだらけなんだが、と付け加えつつガントレットは続けて。
「そこでイオを含めた幹部連中だ。こいつらは雑兵の魔人と違って死んでも肉体が残っている。解剖係の治癒者たちは恐ろしくたまげたようだぜ、骨格やら内臓やら体の造りは人と変わらねーってのに『何もかもが違う』んだそうだ。俺は医学的な知識なんぞ何も持たねーから言われてもピンとは来ないがよ、魔力混じりの身体となりゃそら俺らの常識とはかけ離れてるだろうっつー想像くらいはつく」
「それで、その『未知数の死体』を……魔石のように使おうという意見が?」
「ああ、出たな。言うなれば上級魔石を遥かに超える魔石だってな。便宜上は魔石との区別で魔骸と呼ばれているが、この議論が一向に決着を見せなくてな。ここ二、三日は侃々諤々って具合だ」
それもそうだろう、と僕は思う。何せ死体を材料にしようというのだ。いくら敵のそれとはいえそのような行為は一般的な倫理観の持ち主であれば眉をひそめる類いのものであるし、道徳感情を抜きにしたって危機管理の面からもあまり褒められたものではないと慎重派ならば言うだろう──前例のない未知数の代物、魔骸。死してなお残る魔人の死体、その扱い如何によってはともすれば新たな脅威を協会自らが生み出しかねない。これを臆病風に吹かれた荒唐無稽な妄想と切って捨てるには、僕らには魔骸の知識が足りな過ぎる。
だが、知識が足りない。だからこそ解明が必要なのだと積極派なら唱えるだろう。扱いに前例がないということは「適切な処理の仕方」も不明だということだ。
たとえば丁寧に弔ったつもりでも、ひょっとすると魔骸が自然に還ることはないのかもしれない。これもまた単なる妄想とは言い切れないだけのリアリティを伴って僕らが思い描く未来の中に居座ってくるものだから、徹底的に調べるのは大事だと。その結果として有効な利用法が見つかるようなら実践すべきだと訴えることに──少々手法が過激とはいえ──まったく道理がないとは言えない。
僕個人としてはどちらかと言うなら前者に気持ちが傾いてはいるけれど。後者の考えだって理解できはするものだから、むしろ賛否にきっちりと別れて主張できる人を尊敬したい。ガントレットが言うには中庸派(組織としての答えが出ないのなら一旦後回しにして他のことをしよう、という主張なので正しくは慎重派亜種と言うべきかもしれない)もそれなりにいるそうなのだが、しかし放置は放置で長く時間を置くことで何かしら魔骸によろしくない変化が起きる恐れを考慮すると、あまり得策とは思えなかったりもする。
イオと戦い、魔人の肉体の性能。百人分の魔力を詰め込まれてもパンクするどころか平気の平左で戦っていたあの規格外さを目の当たりにした僕からすれば、彼女の遺体がこの先どんな出来事を引き起こしても不思議ではないとも思えるために……ここはやはり、感情を抜きにすれば結論はひとつだな。
「調査を続行して、色々と試してみるべきでしょうね。弔うのにも放置するのにもどのみち危険性が伴うのなら、可能性だけでも得られるものがある道を選ぶべきだと思います」
その過程でトラブルやら何やらあったとしても、もうそれはしょうがないことだと割り切る。未知へ挑むのならそういう度量も大事だろう。逆に適切な処置を見つけることだってできるかもしれないのだから、それが魔石代わりの運用といった協会へリターンをもたらすものかどうかはともかくとして、今の内に調べられるだけ調べておいて損はないだろう。
魔人の肉体構造に関する知識は、いつかまた協会が魔人という存在に脅かされた時に役立ってくれるだろう。積極派もおそらくは単に魔石よりも貴重な素材を欲しているだけでなく、こういった別方面のリスク管理も含めた上でその立場をとっているのだと思われる。
無論、それが絶対に正しいとは言わないが、僕個人はそちらに賛同しておきたい。
「なるほどな。坊主にしちゃあ意外……でもねえか、出会った当初ならともかく今のお前なら」
「今の僕なら?」
「なよなよしてたのが嘘みてーに男の面になってるからな。ま、いくつも死線を潜ってきてんだから逞しくなるのも当然だがよ」
……そうか、こちらの世界に来たばかり頃。半年と少し前の僕はガントレットの目から見てそんなに貧弱だったか。
あの頃は自分でも何をしたらいいかよくわかっておらず、ただシスに言われるがまま、言われたことを必死にやっていただけだったから……多分ガントレットはその主体性のなさというか、芯を持てていなかったことを指してなよなよと評しているんだろう。支部長を務める彼ともなれば見ただけでそういう内面すらも見抜けてしまうらしい。
ユイゼンを筆頭に、ベテランのテイカーたちは見る目があり過ぎてちょっと怖いくらいである。
「えっと、ちなみにガントレットさんは魔骸についてどっち派なんですか」
「俺か? 俺は積極寄りの中庸派だな。どうも調査して実験してってのも長丁場になりそうな雰囲気があるんでな、行く行くはやるべきだと思うが今じゃなくていいだろうとも思ってる。ただでさえ目の前のタスクが多いんだから急を要するもの以外は後回しでも全然いいってな」
どうやらガントレットとしては、放置したところで魔骸に良くないことが起こるとはとても思えないようだった。自身でも言っていたように医学的な知識を持たない彼なのでこれは見地に基づく推論などではなく、単なる感覚。ガントレットの戦士としての勘が魔骸をそこまで危険なものだとは見做していない、という話であった。
まあ、これもわかる意見だ。彼だって人造魔人と──しかもその第一号とも言える(試験体をそう数えていいものかはともかく)協会の裏切り者ハワードと直接に拳を交えた実績を持つのだ。その際に感じ取ったものは多くあるはず。理論化されたものではないにしたって、戦闘を介してキャッチした様々な情報を無意識的にでも整理し、そこから導き出した結論であることは確かだ。
きっと中庸派にはこういった確固たる主張と言えるほどの根拠はなくとも経験則からそう判断した、というタイプが大勢いるのではないかと思う。そしておそらくこの議論を泥沼化させている原因が、同じく戦闘の経験から反対の結論を出す者も多くいて、同じ中庸派の内部にも慎重寄りか積極寄りかに別れているであろう点だった。
そりゃあ二、三日では決定も下せまい。どちらに全体の意思を固めるにしたってもっと擦り合わせと探り合いが不可欠で、そういう意味では結局のところ中庸派の長い目で見る姿勢こそが現段階としては最も現実に則したものだと言えるのかもしれない。
「とにかく、もしもグリンズさんたちが僕の考えを聞きたがっているのなら今言ったことを伝えてもらえますか」
「積極派に賛成、ただしイオから何か聞き出したってわけじゃなくあくまで個人の考え方の範疇……ってところか」
「はい」
面接の際にも思ったことだが、ガントレットは一見荒くれ者な見た目に反し察しが良くて話が早い。僕の言いたいことを汲み取ってまとめてくれるおかげで変に悩まなくていいのは、あまり口が上手じゃない身としてはとても助かる。
「それで、他には何か」
「他か。いや、特にはないな。坊主に教えとかなきゃならんことも聞いとかなきゃならんことも全部話し終わった」
「そうですか。……じゃあちょっと、部屋を出てもいいですか」
「あん? おいおい坊主、起きたばっかでそりゃ無茶だろ。長話に付き合わせちまった手前俺が言うことじゃねえかもしれねえが、酷使した体を労わってやれよ。どら、今メシを持ってきてやる。胃にとびきり優しいやつをな」
「いえガントレットさん、僕なら大丈夫です。それに長時間出歩こうとは思っていません……三十分でいいんです。それくらいで戻ってきてあとはゆっくりと休みますから、少しだけ出してくれませんか」
「……どこ行こうってんだ? ミーディアに会おうたってあいつは支部でしばらく空けてた分の仕事を取り返そうといくつも任務を受けているところだ。坊主の様子を見にくる以外は躍起になって働いてるよ。こっちへ呼ぶにしても坊主が出向くにしてもポータルを使わにゃならん以上、それなりに時間を食うぞ」
協会用の通信機は一度目の襲撃で被害を受けており、無事なそれを今はグリンズを始めとした役職持ちの協会員が独占中で好きに使える状況にないらしい。オルネイの協力の下で本部と各支部を繋ぐ「ポータル」という移動設備も出来上がっているが──彼はまさに協会の生命線だな──そちらも使用のスケジュールが組まれており簡単に割り込めるものではないし、それが叶ったとしても三十分やそこらで用件を終わらせられはしない。
という説明をして僕をなるべく休ませようとしてくるガントレットへ、首を横に振って告げる。
「行き先はミーディアのところじゃありません。外で風にでも当たりながら考えたいことがあるだけですよ。一人きりになって、です」