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152.野望

 首と肩の境い目。鎖骨の上を削るように飛び出てきたにイオは目を剥く。遅れて痛みを感じ、臓腑をいくつも突き崩されたことで本来の順路も何もなく氾濫した血液、その一部が凄まじい勢いで食道をせり上がり、止める間もなく噴き出すように吐血。


 舞い上がった敵の血霞に濡れながらライネは、自身もまた口から己が血を泡立てて零しながら言った。


「甘く、見たな……イオ。場所からしてこれは、胃か……? そんなところに収めたからって、封じ切れると思ったのは……『そうなればいい』って信じようとした、お前の弱さだよ」

「ん、だと──」


 馬鹿げているとしか言いようがない。魔術的な観点から言えば体内とは一種の聖域。そこへ作用を及ぼせる術理など唯術を含めても存在しない。仮にそういった能力があったとしてもそれはいくつかの条件を戦闘中に満たすか、あるいは元から重い代償が設定されているか。何かしらの制約の厳しさで効果を底上げすることが絶対となる──体内(正確には呼吸器)へ影響を与えるライネの氷霧とて、霧の侵入というプロセスを経なければならず、その上で「相手が魔力で体内を守っていない」という条件下でのみ有効になる。


 つまるところ一般人の体内以上に魔術師の体内とは不可侵の領域であり、普通は攻めようとしても攻められない場所だということ。その理屈ルールから言って、イオがわざわざ自身の腹の内へとライネの武器を仕舞い込んだのは悪手どころか──通常なら成し得ない奇怪グロテスクな手段である点を除けば──むしろ正着の判断だったろう。


 遠くに投げ捨てるだけでは再利用の恐れが拭えず、かと言って破壊を試みるのもこれまでの戦闘での手応えから無駄に終わる可能性が高い。となれば、まず手出しのできない我が身の内部へと封印する策を講じるのは実に冴えた一手だった。普通なら、間違いなくそうだった。


 だが結果はどうか。現実はどうなっているか。封じたはずの柄は息を取り戻し、主の要請に応えて起動している。封印されているはずの場所からしかと己が役割を果たしている──普通ではない。


 自分もライネも、『誰か』に選ばれて二度目の生を受けた特別にして異常、そして異形人。それが普通の枠組みに収まるはずもないと散々に、殊更に声高く主張してきたのはイオの方だ。だというのに魔術の常識などというものに縋って「武器を取り上げることができた」と信じた。信じ込んでしまったこと。それはライネの指摘通りにぐうの音も返せない彼女の甘え。


 一時は決着を確信し勝利の喜びを味わった──しかしてそれが幻だったことで多少なりとも精神が揺らいだ、その綻びがもたらした無用心だったと言えるだろう。


 イオとて限りある命の一個。

 いついかなる時でも完全の怪物ではいられない。


(こいつ、もしや──俺の腹を使って! 凍らせた体でリンクを伝わせたってのか!?)


 動揺していてもイオの優れた魔術センス、そして直感は異常事態の謎を、その原因を半ば自動的に解き明かす。


 彼女が導き出した答えは正しい。イオの肉体の凍結はライネ必殺の氷蝕による影響。それは相手の肉体そのものを氷に変えてしまうという恐るべき術──言い方を変えるなら凍ったその部位は「ライネの魔力によって生成されたもの」でもある。


 遠点術のためにライネが必要としていた氷路。氷霧を介したり、動作を組み込むことで氷霧無しでも空中へ走らせたり、一心化に至っては動作すら省略して一定範囲へ術の起点を置けるようになったりと、手を変え品を変え進化してきたそれが、あたかも原点へ立ち返ったかのように。氷路よりもよほど露骨に、即物的に、自身の氷術で生み出したものを媒介パスとしてライネは利用。イオの凍った腹部を通してその奥で眠る凩へと魔力(呼びかけ)を届けたのだ。


(できんのか、そんな無茶苦茶を! この極限下の中で──)


「できる。いや──できなくたってやる(・・)んだ。お前に勝つためなら」


「……ッ!!」


 一応の理屈はこちらにも通っている。凩を呼べた理由らしきものはあると言えばある──だが今、この状況。間近に迫った「死」を押し付け合っている泥沼の只中でそんな賭けへ出られるものか。間違いなくこれまでに試したこともないであろう魔術的な境地へと、躊躇いなく踏み入れられるものなのか。


 できる。

 できるのだ、ライネになら。

 特別製の自分たちにならその程度の障害はあって無きが如し──いくらだって飛び越えられるのだから。


「んんっ……!」

「ッぎ、」


 引き摺り出される。胃から首までを固定されて手先と足先だけで藻掻くことしかできない、それすらもなんの力も入っていないイオは、あたかもまな板の上の鯉。それを捌くかのようにライネは彼女の鎖骨から飛び出ている刀身の峰へ手をかけ、自分の方へと引き摺り下ろした。力で、ではなく体重によって下ろされた刃はイオの体を袈裟懸けに卸し、柄がある胃の位置まで真っ直ぐな裂創を作り上げた。


 激痛。などという言葉では到底言い表しきれない途方もない極度の、眼球も脳髄も真っ赤に塗り潰すような痛みがイオを襲い──それでもライネは手を止めない。ふらふらの彼は、しかし倒れそうになるのを刀身を掴むことで防ぎ、そのままそれをカブでも引っこ抜くように思い切り引っ張った。


 握った指に刃が食い込み、血が滴り落ちる。滑らぬようにとライネはますます強く握り込む。指が落ちるなら落ちて構わない。たとえ血の全てが流れ出ようと構わない。捧げることができるのならなんだって捧げる。それが勝利に必要なものならここで自分が持ち得る遍くを差し出そう。その気概で、それだけの想いを込めて。感情を力に変えてライネは刀をイオの腹から引きずり出した。


 突っ掛かりとなっていた鍔が少女の凍った腹斜筋と臓器の一部を砕いて飛び出してくる。その拍子にイオの体も引っ張られてライネへよりかかる形になったところで、二人は互いを支えにして。肩に相手の頭を置いたままの状態で、小さな声で囁き合う。そうしなければ立っていられないし、それだけの声量を絞り出すのが精一杯のライネとイオは、どちらも遥か遠くへ目を向けていた──どこまでも続くようなこの平野の果てばかりを見つめていた。


「い、痛ぇじゃねえか……馬鹿やろう。やるならひと息に、やれってんだ。ま、まさかこんな拷問、まがいに……痛めつけられるたぁ。お、思わなかった……ぜ」

「それは、すまない。でも……お前は痛みだって、嫌いじゃなさそうだ……人のものも、自分のものだって……楽しめそうな奴だと、思ったから。だから絶対に、倒すと決めたんだ。僕の手で、僕の命に……代えてでも」

「ハ……くそったれめ」


 よくわかってるじゃないか、と。その呟きは本当に小さく、彼女の口の中で言葉にもならずに消えていったが、ライネには聞こえていた。届いていた──イオの笑い声。この戦闘中にも何度となく聞いたこの世の全てを嘲笑うようなそれが、今も聞こえている。野望と厭世と自嘲に塗れたその声が──。


「イオ」


 ライネに終わらせるための力を与えた。


 少女を押して体を離す。空いた空間、手を伸ばせば届くその距離を凩が切り裂く。ほんの僅かに、けれど確かに氷鱗を纏った斬撃は、既にある傷の上、その後を追うように走り──イオを両断した。左肩から右脇腹にかけてを完全に切り離されて、ふたつに別たれた肉体が湿った音を立てて地面に落ちる。


 それに続いてどさりと、ライネも腰が抜けたように座り込んで必死に呼吸を繰り返す。魔力の枯渇だ。微かにでもそれが残っていれば反応するはずの凩が刀身を消して沈黙しているのがその何よりの証拠。酷い眩暈と吐き気、そしてこれまでのダメージが一気に襲いかかってきて、自分がいつ死んでもおかしくない状態にいるとライネはどこか他人事に感じていた。


 気をしっかり持てと声ならぬ声がする。心も思考も一個となっているはずが、それでもやはり、自分と彼女は違うから。弱る思いに対し発破をかけるこの思いは、きっと彼女から起こっているものに違いない。こんな時にまで叱られるのがなんだか可笑しくて、そんな元気もないはずなのに小さく笑ったライネは、そのおかげか少しだけ視界がクリアになった気がした。


 ──そうだ、まだ終わったと思い込んではいけない。信じ込んでは、いけない。ちゃんと見届けなければ二の舞になる。


 イオの死を、この目で確かめなければ。


「う、く……」


 体に、気持ちに喝を入れる。もはや重荷である凩の柄を脇に置き、まるで幼子がそうするように両手を地に当てて懸命に体を起こし、持ち上げ、片脚ずつ真っ直ぐにして、ようやくライネは立ち上がることができた。


 頭の高さが上がったことで眩暈はますます酷くなったし全身のあらゆる箇所が訴える痛みも増したが、彼は倒れなかった。この体を支えているのは一人じゃない。寄り添ってくれている存在がいると、そう思えている彼は、故に一歩、二歩と踏み出していくことさえできた。


 そうしてイオの横に立つ。血だまりの中に沈む彼女の上半身と下半身は、再生する様子を見せていなかった。虚ろの空を見上げていた少女の目がライネを捉え、にやりと笑う。その笑みにはやはり、自身の惨状を通してもなお、臆せず全てを嘲るようなシニカルさがあった。


「よぉ……ご覧の通りだ、もう何もできねえ」

「そう、みたいだな。つまり」

「お前の勝ちみてーだぜ、ライネ」

「お前の負けだな、イオ」

「はは……おめっとさん」


 渇いた笑い声が、ごぽりと漏れ出た血に湿る。だくだくと口からも切れた胴体からも命の源を流し続けながら、しかし不思議とイオの言葉は先よりも明瞭で、どこか清々しさすら感じさせるもので。


「ちくしょう、まさか負けちまうとはよ。これでゲームオーバーか……悔しいなぁ、この先のステージに挑めないなんて」

「この、先?」

「おうよ……俺ぁお前さんっつーラスボスに勝って、エクストラステージへ進むつもりだったんだ」

「…………」


 イオは訝しむばかりのライネの顔付きに少々考え、それから「ああ」と得心いったように続けた。


「そうか、案内役シスがいるせいか『誰か』から直接は何も聞いちゃいないんだったな。だったらわからねぇわな……いいかライネ、お前さんにも関係することだからよく聞け。このゲームの勝者には特典が与えられるんだ」

「特典、だって? それはどういう」

「さてな、具体的には知らん。だがなんでもそいつを貰えると俺たちは『上の存在』とやらになれるらしいぜ……勝った方が『誰か』の正式な配下コマになる。俺はそういう認識でいるが、これが正しいかどうかは実際に貰ってみなきゃわからねえ」

「僕たちを転生させた『誰か』の……『何か』の配下になる。それは、イオ。とてもお前が望みそうな内容じゃないけど」


 駒と言うなら、既に駒だ。否定のしようもなくライネとイオは『何か』の駒に相違ない、でなければ二人がこうして第二の生を得ることも殺し合うこともなかったのだから。だが、決着を経て初めて。二人の内の一人だけが真に選ばれるということであれば──その時になってようやく本当の意味での『何か』に仕える配下になるのであれば。


 それをイオが喜ぶとはとても思えない。ライネの思う彼女はそんな立場へ勇んで就こうとするような人物ではない。だとすれば、なんのために特典とやらを欲しがったのか。彼女の言うエクストラステージとは何を意味するものなのか……思惑が読めずにいるライネへ、イオはその内心を打ち明ける。


「『誰か』と俺たちは、存在の格が違うんだと。んでもって特典ってのは『誰か』からのお墨付きみてーなもんで……それがあれば近づける。格が、位階・・が上がるんだよ。それが第一歩だ──『誰か』をぶっ倒すためのな」

「……! イオ、お前は!」

「おうおう、おうともよ。ラスボスの後に倒す奴とくりゃあ裏ボスだ。俺はそのポジションに『誰か』を当て嵌めていた……お前さんに勝った後も延々と駒でいようとなんざ露とも思わなかったもんでな。勢力を整えて、俺自身も力を付けて、『誰か』との上下を逆転させるつもりだったんだよ。そんときだ、俺の新しい人生が始まるのは。このゲームはそこに至るまでの余興であり準備……の、はずだったんだがなぁ」


 しかし叶わなかった。ライネに、勝利に及ばなかった──一歩届かなかった。


 こうして倒れているのが自分である以上、見下ろしているのがライネである以上、イオはそれを認めるしかない。己が敗北を認めて、敵の勝利を認めて……そして。


「『神殺し』の野望ゆめ。俺に勝った以上は、お前さんが引き継いでくれんだろうな? なあ、ライネよ」


 信じ託すような、それでいてどこか挑発的な目をして、彼女はそう言った。



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