130.観測
魔人軍の第二波が第二防衛線に到達し、いよいよ大規模な戦闘域が形作られてしばらく。現在の状況を随時に把握・更新・伝達を行なう要である指令室にて、観測班の一人として従事しながらオルネイはぽつりと呟いた。
「今のところは順調、ですかね」
ソリウスやエミウア、マクレアンといった第二防衛陣に置かれた特A級の活躍を筆頭にテイカーたちは魔人へ果敢に立ち向かい、思いの外戦況は安定している。無論、軍勢対軍勢の戦争だ。自陣からも犠牲者は出ているものの、絶対数ではなく戦力比の割合の相対数で言えば損害は敵の方が大きい。頭数の減っていく速度が、魔人側の方が早い。元々の数の差から優勢を取っているとはまだまだ言い難いが、互角に戦えているだけよくやっていると言うべきだろう。
だというのにこうも嫌な予感が拭えないのは。
「事実がどうであれ順調だと思いたい。という気持ちが透けて見えますぞ、オルネイ殿。それはよくない」
と、独り言のつもりで零した言葉にそう返されてオルネイは思わず居住まいを正した。
オルネイの隣で【遠視】と【共有】の唯術の組み合わせで作り出された戦場の各ポイントを定点で映し出しているモニターから目を離さずにいる彼は、本部においても数少ないA級事務員。観測班の班長であるロウガスト・デュブレ。整えられた白い髭が特徴的な紳士然とした彼は髪の毛まで総白髪であることと非常に落ち着いた佇まいから老年に見られがちだが、これでもまだ四十五歳。本人としては脂の乗った中年のつもりであった。
彼は全部で四十七あるモニターの画面の全てをチェックし続けながら言った。
「あなたも今ばかりは我が班の一員。であるからには観測に個人的な希望や推測は持ち込んでなりませんぞ。私たちが見るもの聞くもの、そして届けるものはすべからく真実であるべし。それが観測班の矜持であり存在意義なのですからね」
「は、はい。心得ているつもりでしたが……申し訳ありません」
オルネイの階級は特A級。そこだけを見るならA級のロウガストよりも立場は上であるが、しかし階級が意味を持つのは基本的に現場員であれば現場員同士、事務員であれば事務員同士の場合だ。畑の違う相手には階級の差などあって無きが如し。それに加えて事務員に関しては現場員とは異なりA級こそが最高位であり、その数が極端に限られてもいる。特A級よりも少人数なのだからオルネイが畏まった態度を取るのは当然でもあった。
特にロウガストは現場員を経ることなく事務一筋でA級にまで昇り詰めた戦闘力とはまた別の側面での傑物。それだけ上層部に認められる活躍をしてきたということだ。
彼の功績で決定的だったのはフロントラインが出てくるまでは最後のアンダー組織と称されていた巨大非合法コミュニティと協会の全面対決において、その勝利にロウガストが多大な貢献をしたことらしい……らしい、というのは協会所属歴十二年目であるオルネイが二十年前のその当時を体験していないが故のあやふやさだが、この噂は事実だろうと彼は見ている。そうでもなければA級事務員などそうそう誕生もしないのだから。
そういった諸々あって畏敬の念を隠さず露わとするオルネイの素直な謝罪に、ロウガストはやはりモニターへ視線を固定したままにこりと微笑んだ。
「いえいえ、こちらも過分に厳しく言い過ぎましたな。あなたはよくやってくれている。歪みの出現と同時に部隊へ通達が行えるのは全てその優れた空間感覚あってのこと。あなたの協力が得られなかったら、あるいは結界システムとのリンクが上手くいかなければどうなっていたことか。考えるだに恐ろしい」
「私の探知も個人では大した活かしようもありません。今はまだ傷の癒え切っていない身でもありますから、戦場に出て無様を晒すよりこうして活躍の場を与えていただいたことに感謝しています。全てと言うのならデュブレさんの采配こそが全てでしょう」
「おやおや、オルネイ殿は謙虚ですな。実に感心」
などと言う彼に、オルネイはなんとも言えない神妙な顔をする。
歪みを早期に検知するアイディアのみならず、オルネイの他にも数名いる空間に作用する唯術持ちを戦場に出さず本館で常に術を行使させ、建物全体を「異空間」として歪みの発生を阻止するという手法もまた、ロウガストの発案がきっかけで実行されたものだ。
その才覚と理知、それらを惜しみなく協会のために行使する彼の在り方は辣腕という表現がピタリと嵌る。オルネイにはあのエイデン・ギルフォードを唯一御していたグリンズや、同等級の現場員ながらに指揮官としての高い才能も持ち合わせているソリウスなど「強さ」──直接的な戦闘力──以外の点で一目も二目も置いているテイカーが何名かいるのだが、ロウガストはその中でもトップクラスに彼が尊敬している人物であった。
なのでこうしてロウガストと共に、彼の班員の一人として活動できている今はオルネイにとって貴重な経験を積める好機に他ならない。のだが、自明のことだがそうやって呑気に人事を喜べる時ではないのだから浮かれてなどいられない。そう逸る想いが、彼を事実の観測のみに留まらせない。
「この席を預かっていながら行き過ぎた真似とは理解していますが、それでもご意見を伺わせてください。デュブレさんはこの戦いをどう思われているのですか」
「──……、」
各所の経過を忙しなく目で追いながら、それと同時にロウガストは考え込む仕草を見せた。今ここで新たに歪みでも生じようものなら──正確にはその予兆をオルネイが感じ取ったら、だが──その観測と報告に掛かり切りとなり会話が終わってしまう。そうなれば質問への答えも聞けるかどうかわからない。どうか追加の魔人よ今しばらく出てきてくれるなと祈りながら返答を待ち望むオルネイに、やがてロウガストは口を開いて言った。
「あなたと同じ感想ですよ」
「っ、それはつまり──」
「ええ、『順調である』と思いたい。そう信じたい……それは戦局の推移に対して言語化しにくい不安を抱えている証拠でしょう」
「……!」
「私の心情を抜きにして一言で申し上げるなら、不穏ですな。この日に向けた限られた時間での周到な用意、戦う各人の決死の奮闘。それらの要因があったとしても尚温い。こうも順当に数の比だけあちらが早く削れていくなど、いくらなんでも『上手く行き過ぎている』。──この違和感に理屈を付けられるとすれば可能性はふたつですな」
「ふたつの可能性……? それはいったい」
「私なりの推測、というよりも単なる憶測になります……つまりは根も葉もなければ根拠にも極めて薄い。それでもよろしいかな、オルネイ殿」
「是非に。ロウガスト・デュブレ事務員の憶測と聞いて眉に唾つける者は誰一人としていません」
「はっは、それはそれは」
癖なのだろう、よく手入れされている白髭をまた撫で付けながら「では」とロウガストは自身の「思うところ」を語った。
「第一に考えられるのはこのパワーゲームを敵の首魁、イオが然程重視していないという可能性ですな」
「それは、あり得るのでしょうか? 話によれば魔人は量産の利くもののようですが、しかし素体となる人間を要する上に改造にはそれなりに時間がかかるとも聞き及んでいます」
「そこは確かでしょうな。いえ、それらの認識が覆った場合には我々(ひと)は滅ぶばかりだと申した方が正しい」
「ならばこうして勝負が成立している現状、イオにとっても魔人兵たちは貴重な駒であるはず。それが悪戯に減るのをなんとも思わない、というのは些か考えにくいことなのでは」
協会本部を壊滅させてもそこでイオの野望が果たされるわけではないのだ。大真面目に世界征服などというお題目を掲げて人類の抹殺を謳っているからには、この場にはいない支部のテイカーたちや、協会と協力関係にある治安維持局や統一機構といった現在の権力構造の担い手も打倒し、それから敵のいなくなった世界を自分色に染め上げていく。そういう工程を経るためにも兵力はある程度以上残しておきたい、はずだ。
ハワードという特A級テイカーを実験に用いたり、また屋上でライネに聞かせた語り口からしても、魔人化には適した素材とそうでない素材がいることは明らか。人なら誰でも魔人になれるわけではない。少なくとも対テイカー用の駒になり得るのはそれなりの素質を持つ者だけだ。このことはメッセンジャーとして送られ、治癒者たちの努力も虚しく既に息を引き取っている例の失敗作の魔人が説の補助ともなっている。
無論、本部に集っているテイカーこそが魔人軍からすれば最大にして最強の敵なのだから、それを滅ぼしてしまえばあとはイージーゲーム。単なる余興と断じて魔人兵が残ろうが残るまいがなんとでもなる、とイオが見做していることも充分に考えられはするので、必ずしも魔人の損失が彼女の野望達成にあたって「痛い」ことであるかは疑問と言えば疑問ではあるが。
「なんであれ協会の被害を大きく上回る速度で兵がいなくなっていくことを流石に良しとはせんでしょうな。とすれば、現在の拮抗に関してはそれを良しとするだけの理由があるに違いない。その第二の理屈として……これは第一のそれの言い方を変えたものになりますが、ニュアンスを汲み取っていただきたい。この甚大なパワーゲームこそがイオには『余興』に過ぎない。勝つべき盤面が他にあり、そちらさえどうにかなってしまえばあとのこと。つまり協会の戦力も含めて全てがどうとでもなると考えている可能性──私はそれを憂いているのですよ、オルネイ殿」
もしもを膨らませて気を滅入らせるなど観測班の長としてあるまじきことですが、と恥じ入るように、けれどそれ以上に深刻さを感じさせる口調でロウガストは言葉を締めた。そこからオルネイは、憶測などと慎重な前置きをしつつも彼がはっきりと自説の正しさが証明されることを予感し、この先の展開を予見しているのだと理解した。
「では……仮にその憂いが正しいものであるとすれば、イオが重視しているのは──この総力戦を余所にしてまで彼女が真に『勝利』を欲している盤面とは、いったいなんであるのか。デュブレさんにはそこまで推測できているのではありませんか?」
「それに関してはあなたも、ではありませんかなオルネイ殿。同じように違和を感じ取っていた身です。踏み込まず違和止まりであったとしても私がここまで言えば同様の結論に辿り着くのは当然の帰結なのですから、よもや聡明なあなたがそれに思い至らないわけがない。であれば、あえて訊ねずとも答えは既にあなたの胸にある」
「……ライネ君、ですか」
絞り出すような声でオルネイはそう言った。イオがもうひとつ、魔人が人類に取って代わるという壮大な野望以外にあとひとつ。明確に執着を見せている対象が「たった一人」だけいる──それがライネ。フロントラインという、イオの息がかかった組織の名が聞こえてくるのに前後して協会入りをした謎多き少年。
彼自身もイオに対して因縁浅からぬ態度を取りつつもその全てを打ち明けようとはしない、ともすれば協会から獅子身中の虫として扱われてもおかしくない……否、そう扱われて然るべき存在ではあるが。けれど不思議とそうなっていない。
それは何故なのか。本部在籍の時代にハワードと共に武勇を馳せたあのガントレットに認められているからか。それともごく一部から高い評価を受けているミーディアという優れたテイカーに見出された者だからか。はたまたグリンズが、あるいはユイゼンが──その全員の名が持つ重みが担保する信頼がそうさせているのか。
などと考えるオルネイ自身も、我がことながら不可解に思えるほど「ライネが疑わしい」とは露ほども思えていないのだからいくら頭を悩ませたところで詮方なしである。
とにかく今考えるべきは。
「左様。イオはライネ君に『勝利する』こと──言い換えれば彼さえ『殺せた』のならそれが自身の、そして自陣にとっての勝利であると見做しているのではないか。まさしく私もそう睨んでいるところです」
では、何故ライネさえ始末できたならそれでいいのか。イオが何を理由にそう考えているのか、それこそが問題の本質となる。そう悟ったオルネイが議論を続けるべく何かを言おうとしたタイミングで。
「──来ましたね」
戦局が、動いた。




