131.上空
観測班から異常の報告はなし。自分たちの目で何度確かめてもそれは同じだった。
「高い確率で空から魔人が降ってくる──って話だったけど。何も起きないね」
「ああ。ひょっとしたら敵も、俺たちに看破されていると見越してあえてそれを避けたのかもしれないな」
風に乗って周囲を旋回するレベンシアへ、マイティはそう返した。上空からの奇襲は作戦として上質の一手だ。転移のための歪みを本部内のどこにでも発生させられるのなら本来やらない手はないはず……なのだが、それだけに協会としても当然にそれを予想し対策を打つ、程度のことは敵もまた見抜いているだろう。どんなに良い策であったとしても対応策が施されているのなら思うほどの効果は期待できない。
「対応策に合わせて更に策を練る、ということはしなかったようだな。降下作戦に拘らずとも地上戦で充分に圧倒できるという自信の表れか……あるいは」
あるいは、こうして本部上空という広範囲に対応できるテイカーに何もさせない。戦場という盤面に干渉できない浮き駒にするだけでもひとつの効果的な策を放棄するデメリットと釣り合いが取れている、と判断したか。そのどちらかだ。
皆まで言わずともレベンシアはマイティの言わんとしていることを理解したのだろう。ピタリと風の流れを止め、留めたそれに乗って彼を正面から見つめて言った。
「だったらこれ以上警戒だけしてたってしょうがないよね。どうする、私らも下の戦いに参加しちゃう?」
「それも手ではあるが……」
魔人軍とテイカー部隊の衝突は乱戦の様相を呈しつつも今のところ、第三防衛線にまで到達した魔人は確認されていない。敵も味方も入り乱れた状態で第二防衛線の突破を許していないのは、それだけそこを担当するテイカーたちが身を粉にして必死に戦っている証拠だ。ただしあくまでも「今のところ」。魔人兵の体力・魔力は無尽蔵。真実そこに限界というものが存在しないのかについては判然としないものの、仮に果てがあったとしてもその地点が人の身よりも遥か遠くに設定されていることは間違いない。
つまり息切れはどうしたって人の方が早い。それはよく鍛えられた魔術師たるテイカーであっても変わらない。魔人というのはそれだけ反則級の力を持った───否、持たされた生き物である。
なので、レベンシアの提案は今すぐに採用する価値のあるものだ。マイティはそう考える。防衛班に加え遊撃班がどれだけの奮闘を見せたところで遠からず魔人の侵攻が進むことは確実なのだから、それを少しでも抑えるべく自分たちが援助に向かうことは理に適っている。
恐れ多くもS級を含めた上で──もちろんそれが過分な評価であるとマイティ本人も重々に承知している──「空戦最強」の称号を頂いているペアではあるが、しかし自分たちは地上の敵に対しても十二分に強い。その際には味方を巻き込まないようにレベンシアの扱いにいつも以上に気を遣う必要も出てくるものの、そういったリスク管理の面を差し引いても戦場に与える影響は良い意味で大きいはず。
では何故即決でレベンシアの手を取らないのかと言えば、ひょっとすれば「それ」こそが敵の真の狙いであるかもしれないからだ。
空襲を諦めて他へ手を回した、と思わせておいて、空への意識が疎かになったタイミングで降下作戦を開始すべく今か今かと待ち構えているのではないか。地上の手助けのために自分たちがここを離れた途端に本部ないしは防衛陣に向けて無数の魔人が降り注いでくるのではないか……という危惧がマイティの言葉尻と決断を濁した。
「悩みどころ、だな。持ち場の放棄が果たして吉と出るか凶と出るか……」
機を見るに敏、などとは言うが誤った判断で動いて良いことなど何もない。だが現状が手持無沙汰であることも確かなのだ。敵と戦わずただ空で暇をしているだけでいいのか。苦戦している仲間を助けなくていいのか──しかし、自分たちがこうして見張っているからこそ戦況の悪化を防げているのだとすると、これは必要な行為である。
蓋としてこの場を動かざるべきか、動くべきか。どちらが正しいかなど現時点ではわかるはずもない。それは自分たちが本当に蓋として機能しているかどうかを知れる敵側にしか判断できぬことだ。
故に地上へ向かえずにいるマイティへ、少し遅れてその悩む理由を理解したレベンシアが「あーあ」と空中に寝転んで言う。
「遊撃班には独断で動ける裁量を与える、なんて言われたけどさ。私らの場合はソリウスか観測班あたりが動かしてくれた方が良かったよね。まー他の組と一緒に地上を任されていたら戦いだけに集中して迷うこともなかっただろうけど」
そもそも戦術眼というものを持たないレベンシアにとっては確かに、常に指示をくれる上役の存在はあってありがたいものだろう。ペアとして彼女の気質をよく知るマイティは頷くが、自分とてそれは同じだった。彼女よりは多少は俯瞰的に戦場を見られる、というだけでそこから即座に取るべき行動を導けたり妙案が浮かんだりするようなこともなく、ただただ状況の理解に努めるばかり。裁量があったところでできることはレベンシアとそう大差なく、つまりこの組は実力こそ高く認められていても「頭」を欠いている。と、マイティはそう自己分析している。
それでもこうして重要な空という持ち場を預けられたのは、重要と見られるだけに高確率で魔人軍もそこを攻めてくる、と戦略というものに長けた者たちから予想されていたからであり、いざその攻撃が始まれば──まさしくレベンシアの言った通りに──悩む余地などどこにもなく、マイティたちはただ己が力を力の限りに振るえばいいだけだったからだ。
だが確度の高いと思われた予想が外れた今、彼らは選択を迫られている。果たして初志貫徹と臨機応変のどちらがより正しいか……いや、どちらがより間違いの可能性が低いかを考えなくてはならなくなった。そうして考えた結果が「わからない」だった。レベンシアはもちろんマイティにもやはり、こういう場面における決断力は不足していた。
(いっそ今すぐに空で異変が起きてくれさえすれば──……ッ!?)
「マイティ!」
眼下で死闘を繰り広げている仲間たちに対して不謹慎とは自覚しながらもマイティがそんなことを願いかけた時、思考を断ち切るまさしくの異変を彼は知覚した。それとほぼ同時にレベンシアも気が付いたらしい。
「あいつ! あそこにいるのって!?」
「ああ……!」
空の片隅。本館の直上からは少し外れた、マイティたちが待機する高度よりも更に高い位置で。常人の視力では小さな黒点にしか見えないであろうその距離間でも二人はそこに立つ人物の姿形がハッキリと視認できた──少女だ。髪も肌も瞳孔も、着ている物も真っ白な白い少女。その特異な外見的特徴から、件の人物像について情報を共有されている二人はすぐに正体を察した。
「イオ! アレが魔人軍の首魁──」
マイティの背筋に冷たいものが走る。すぐそこに敵軍の大将がいる。静かに地上の光景を見下ろす佇まい、厳かさすら感じさせる彼女の顔付きに一種異様の得体も知れない感情を抱いたが、それ以上に。「いつの間にそこにいたのか」? その疑問にこそ彼の肌は総毛立っていた。
感覚は研ぎ澄ませていた。レベンシアの提案に乗るか反るかを悩むためにほんの数秒ばかり目視による周辺の警戒を怠ってしまっていたものの、魔力や気配を探るための集中は決して途切れさせていなかった。なのに。
『魔人軍の総司令官と思しき存在を確認しました。オイゲン特A級とサッチー特A級は直ちに──』
観測班からの専用回線による【伝令】での通信が頭の中に響く。それを耳にしたことで、空域も含めて本部内のいたる箇所、たとえその頭上であろうと常に監視・感知を行なっているはずの彼らさえもイオの接近と出現に気付いていなかった。つまり自分たちとそう変わらないタイミングでしかそれを察知できなかった、という事実が判明した。そうと知って、彼は思考する。
──いったいどうやって? マイティの胸中はそれに尽きる。
他の魔人同様に移動の過程も何もなく例の歪みでそこに現れたのであれば、その魔力反応を今の今まで感じ取れないはずもなく、万が一にそういった失態を自分たちが犯したのだとしても観測班の「目」までは──彼らはまさにこの歪みへの対策のために苦心して今日という日を迎えているのだから──掻い潜ることなど不可能。ということは、だ。
(おそらくこいつは遥か上空から『降りてきた』! 観測班の感知範囲の限界高度は人香結界の設定よりも高くなっているが、その更に上から! お供も連れずに自前の術で移動してきたに違いない……しかし)
しかし、何故そんなことを? 次なる疑問はそれだった。
魔人の集団降下を行なわないどころか、首魁が単身での突入を果たし、奇襲をかけるでもなくこうして空の上からただ戦場を眺める。その全てにおいて意図がわからない。何を考えているのか、何を狙ってそんなことをしているのかマイティにはさっぱりだった。
だが、と彼の思考は加速する。いずれにせよ状況は動いた。イオが目と鼻の先にいるのだ。魔人兵は一体残らずこの少女の意のままに動く駒である。ならばイオさえ制してしまえば、如何に魔人が兵として強力であろうと脅威度は大きく下がる。指揮官を失くした一兵の群れなどただの烏合でしかなくなるのだから。
(どんな近づき方をしてきたにせよ目を離したのはほんの一瞬。その一瞬で俺たちの交戦距離にまでおそらく【離合】とかいう唯術で接近してきた──凄腕だ、術の力も制御も。魔人の頭を張るだけはある。S級をまとめて翻弄したほどの強者……俺とレベンシアだけで仕掛けるのは無謀か? いや、けれど)
ここは空、自分たちの領域。空戦最強の称号を持ちながらここで退くという選択肢があるのか? いくらイオがS級を超える強者だったとしても、たった一人で、こちらへ注意も払わずにいる現状は、最大最後の討伐のチャンスなのではないか?
やろう。そう結論したのはやはり長年ペアを組んでいるが故の即妙か、レベンシアも同じだったらしい。同時に相手へ目をやってのアイコンタクト。刹那の意思疎通で互いの気持ちが重なっていることを悟った二人が、イオへ仕掛けんと術を起動させようとする。
【伝令】によるイオ発見の報告からここまでコンマ数秒という極々短い時間しか経っていない。その間に驚愕も引っ込めて戦闘体勢へ移行してみせた彼らの反応速度は特A級の等級に恥じない卓越したものだったが──そこで【伝令】の続きが聞こえてきたことで、その動きが止まった。
『──直ちにその場から撤退してください。繰り返します、オイゲン特A級とサッチー特A級は直ちにその場から撤退してください』
「「!」」
イオを野放しにするのか、と浮かびかけた言葉は口に出る前に形を失った。何故ならマイティとレベンシアは目にしている。今この瞬間、空に現れた新たな人物。イオと相対するとある少年の姿がしかと見えているのだから、【伝令】がどういうつもりで撤退命令を出したかなど考えるまでもないことだった。
「はやっ。もう駆け付けたの、あの子」
「ああ。どこでどんな風に待機していたのかは知らないが、準備は万端だったらしいな。イオがどこに現れても対応できるように……そしてあくまでも一人で相手をするつもりのようだ」
協会もそれを許している。グリンズやユイゼンはそれを最善と判じた、ということだ。即ちあの少年、ライネにイオの打倒を賭けること。これぞまさに吉と出るか凶と出るか知れたものではない、戦争の行く末さえ左右するような大博打であるが、今更そのことにどうこうと言うつもりも彼らにはなかった。
「言われた通りに撤退するとしよう」
協会の作戦や人員の配置については事前に聞かされており、その時点から二人ともが異議を唱えるような真似などしてこなかった。突如として昇級を果たした新参のS級二名に対する不安視の声がいくらか上がったのは仕方のないことでもあったが、マイティやレベンシアはどちらかと言えばその不安を宥めた側だ。
ライネならば、賭けてみてもいい。数回の会議で顔を合わせた程度の仲でしかないというのに、不思議とそう思えた。あるいはそれは、彼らが信じてやまないユイゼンがライネを信じているが故の又貸しめいた信用であったのかもしれないが、どちらにしたって認めていることに変わりはない。
イオの前に立ち塞がる少年の後ろ姿に今一度強い何かを感じさせられたマイティは、もはや一抹の心残りもなく決断することができた。
「下がるついでに、地上を手伝うか」
「やった。これで退屈から解放される」
イオが直接に腕を振るい始めるとなれば、きっと空襲の可能性はもうない。が、それもまた絶対ではない。もしも直感に反して空から魔人が降ってくるようなことがあれば──まあ、それはその時になんとかしよう。マイティはそう思った。




