129.不足
特A級の遊撃班及びミーディアによる初手での攪乱。軍勢の中に飛び込んで暴れるという豪気なその一手によって魔人兵の統率の取れた足並みには乱れが生じたが、歩み自体が止まったわけではない。集団の内のいくらかは内部に入り込んだ異物への対処に割かれはしたものの、しかし全体数から見ればそれは大層な数とはならない。十体そこらか、多くても二十体ほど。残る八割以上、つまり三方合計二百四十体以上の魔人は着々と、あるいは粛々と第二防衛線へと一歩一歩確実に近づいていく。
遠距離に適性のある唯術持ちのテイカーたちが行なった射程目一杯での──それ故にあまり威力の伴わない牽制射撃ではあったが──攻撃を受けても魔人兵は何故か反応を見せずに進軍を続け、そしてついに激突。軍団対軍団の全面対決と相成った。
正面衝突の形が維持されたのも束の間のこと、こういった多数と多数の闘争においての宿命的にすぐ乱戦の状況が形成された。魔人とテイカーが入り乱れる戦場において防衛線はもはや防衛線にあらず。目の前の敵を放って第三防衛線を目指す魔人が出てもおかしくなかったが、しかしここでも何故か魔人たちは先を急ぐことをせずこの場での戦いを制することばかり念頭に置いているようだった。
これは非常に幸いであった──第三の防衛陣はC級を中心に構成されている本館を守る最後の壁、でありながら構成員たちが魔人を相手取るには明らかに力不足ということもあって、役割としては壁というよりもそこまでやってきた魔人の気を引きつつ逃走し、少しでも本館への進行を「遅らせる」のがその任務であった。
なので魔人が積極的にC級テイカーと矛を交えようとしないことは協会にとって僥倖以外の何物でもない。攻めるべきを攻めない、所詮魔人兵とは事前に命じられたことを己が思考を介さずにこなすだけのただの盤上の駒でしかないのか。指揮者に値する魔人がどこにも確認されていないことからしてもそれは如何にも考え得る可能性ではあったが……だとしてもこの場合は事前に下された命令が拙いが故、つまりは魔人兵の上位者であるイオやその両腕たる幹部二名の瑕疵ということになる。
しかし、では本当に彼女や彼らが大した策も思いつかずに単なる進軍しか命じなかったのか。あるいは「前へ」以外のプログラムを実行できないほどに魔人兵の処理能力が劣悪であるかについては、大いに議論の余地が残る。
いや、余地などないのだ。論ずるまでもなくそんなわけがないのだから。フロントラインを隠れ蓑とし、果ては邪魔者同士をぶつけ合わせてどちらの戦力も──片や全滅、片や人員と切り札級の欠落という──著しく低減させたイオの迂遠ながらに悪辣な手法はテイカー側も知るところであり、そんな彼女がいよいよの決戦という場面で急に手立てを何も思い付かなくなるなど考えられない。
万が一にも魔人が複雑な命令を遂行できない制約を抱えているとしてもそれならそれで「使い方」はいくらでもあるはずなのだ。もっと急所を突いた攻め方が、できるはずなのだ。
だからそんなわけがない……わけがないのだがしかし、現実として都合のいい事態が起きている。今に命を燃やしている防衛陣のテイカーにとってはそれが全てであり、眼前の魔人を一体でも多く打ち崩すこと以外には何もない。何もできない。どんなに都合よく事が運んでいようと戦力比で自分たちが下であることは確かなのだから、彼らの懸命さがなければなんとか均衡の状態にある天秤も瞬く間に魔人側へと傾くだろう。そうはさせじと現場の誰もが違和感など覚える暇もなく戦局は進み、そうして──。
「おや……おやおやおや」
混戦の中を一人の魔人が言葉を漏らした。浮かんだ小さな驚きを隠さず、けれどそれよりも嘲りこそを前面に押し出した含み笑いの顔付きで彼は言う。
「まるで示し合わせたように立ち塞がってくれるではありませんか。ということは、まさしくそのために示し合わせたのでしょうね。よくぞこの混乱の最中でわたくしを見つけられましたね──どなたかの能力ですか? 差し支えなければ種明かしを願います」
「匂い」
と、端的に返答したのは両手に二振りの短剣を握り締める少女──アイナ。その傍らには今や彼女の相棒的ポジションとなりつつあるモニカと、何故かコメリの姿もあった。
「匂い……とは?」
見覚えのある三者の出で立ちと伏兵がいないかを油断なく確かめつつ、けれど彼は──イオの三部下が一人トリータは、思わず笑みの下に隠している警戒を本当に霧散させてしまうくらいに困惑を抱く。それだけアイナの言葉は端的が過ぎて理解に苦しむものだった。なのでその補足が必要だろうと口を開いたのがコメリで。
「アイナさんには一度逃した獲物の匂いを辿れる超人的感覚があるようですよ。つまり、この戦場に現れた時点であなたがどれだけ丁寧に気配を隠そうが魔力を殺そうが無駄だったということ……魔人兵の群れに紛れ込むことで観測班や防衛陣の皆さんは騙せても私たちの目は誤魔化せませんよ。対あなた用に結成されたこのチームは!」
「……なるほど?」
匂いとやらが正しく嗅覚で感じるものなのか、それともアイナにしかわからない独特なセンスを五感のひとつに当て嵌めているだけなのかは知れないが、なんにせよこちらの位置が行動如何にかかわらず──無論のこと敵の言葉をそのまま鵜呑みにするわけではないがひとまずの仮定として──常に露呈してしまうのだとすれば、しかもそれが術の類いではなく生まれ持った身体機能の一環で行われるものとなれば尚更に対策のしようもなく、少々面倒である。
それをどうしてコメリがあたかも己が手柄かのように誇らしげに胸を張って説明するのかはトリータからしても別の意味で謎だったが、ともかく彼女の口から語られたものが真にしろ偽にしろやるべきことはひとつだった。
「排除せねばなりませんね。わたくしにはやり遂げねばならないことがある。そのための障害とあらば実力行使で片付けるまで」
トリータに課せられた使命。それはイオから下されたもの、ではない。イオは此度の戦争における自陣の勝利を確信しており、またその勝利に彼女の側近たるティチャナやトリータの奮闘は必ずしも必須とされていない。
なるべくして勝つ。「誰の奮闘が必要なのか」を理解している彼女は故に、二人の忠実なしもべに対し厳しい命令を寄越さなかった。彼女が出した指示は「なるべく死ぬな」、これのみ。魔人兵の手には余る強者の相手を彼らが務めるのは当然として、けれどその打破のために命懸けで戦うようなことはしなくていいと。危なくなれば、あるいはそうなる予兆を感じた時点で逃げの一手に徹すればいいと。イオは既に一人欠けている三部下の損失回避を肝に据えていた。
喜ばしいことである。喜ぶべきことである。イオは目的達成のため入念に、見方によっては臆病なまでに策を弄する手腕を持ちながらも、生来のものであろう刹那主義──によく似た別の何か──のきらいが災いし、肝心要のところで博打や、彼女の言うところのライブ感を楽しむ悪い癖があった。しかもそこでベットするのが大抵の場合、最も尊ぶべき己自身であるのだから三部下唯一のお目付け役と自認しているトリータからすれば手が付けられない。
フロントラインとの交渉も──ライオットをあれだけ危険視しておきながら──どれだけ言っても任せてくれず全て自分で行い、練習と称してまだ自身の力を理解しきれていない内から強力な魔物へと挑みかかり、魔人化実験の恰好の素材として目を付けたハワードに対してもわざわざ自ら接触し、果てには最大の敵たる宿命のライバルに対して「公平でない」とトリータからすればまったくピンとこない理屈で塩まで送りつけたりと……とにかく枚挙に暇がない。ここぞという時にこそ慎重さとは無縁のアクションを起こすのが、イオという少女の悪癖……いや、言葉を選ばずに言ってもはやそれは性癖のようなものだとトリータは理解していた。
だがどうだ、今回のイオは「先を見据えている」。賭けなくてもいい場面で己の命を賭けるのではなく、賭けるべき時にこそ命懸けである。その上で「その先」のために戦力として重要な自分やティチャナを失くさぬよう配慮する、というこれまでのイオにはない徹底した冷静さがそこには見える。トリータはその変化を心からめでたく思う。不要なリスクを背負いがちだった主人の異常な癖にようやく改善の兆しが見られたのだからしもべとしては喜ばないはずがない。
結局のところ今回も肝心要の部分をイオが単身で処理しようとしていることに違いはないが、しかし相手が相手なのだから今日ばかりはその選択を正しいものだとトリータも認めざるを得ない。今回のリスクは背負うべくして背負うリスクなのだと彼女から離れておくしかない──だからこそ。
宿敵との決着を目前に、そしてその後に待つ「本当の野望」を実現するための戦いを目前とし成長してくれた主人へ、部下たる自分も相応以上に応えるために。何より、主人の身を守るという本来最も側近に求められて然るべき役割が果たせない以上は、他のことでこそ戦功をあげる。イオの勝利をより大きな、そしてより確実な「必勝」とするためにしなければならないことが、トリータにはあった。
「長と付く役職の者で生き残っているのはただ一人。グリンズ・ギルフォードなる人物だけなのでしょう? ティチャナが討ち損ねたかの者を、わたくしが葬り去る。そうしてこそ協会への真なる始末となる……担げる神輿がなくなれば、仮にこの戦争を少しばかりのテイカーが生き延びたとしても復興は絶望的でしょうからね」
それは自身もまたイオという絶対を担ぐ者であるが故に付け足した勝利条件だった。その目的をこうして口にしたのも、テイカー側の強者の下へ赴くでもなく魔人兵の進軍の中に身を潜めていたことから当然に、そしてそれを阻まれたからには尚のことに、既に自分が「何を狙っている」のか間違いなくバレてしまっているからだった。
その上で問題なしとトリータは判断した。
「……そんなことだろうとは思っていましたよ。まあ、目的がなんであれ私たちはあなたに何もさせないためにここにるいるわけですが」
案の定大した驚きもなくそう淡々と応じるコメリに、トリータはますます口角を上げてくすくすと笑い声を立てた。その不可解な態度に少女たちが眉をひそめたのを見て、彼は言う。
「いえね……別段、わたくしにはダルムやティチャナのように強者と激闘を繰り広げたいなどという戦闘狂めいた欲求があるわけではないのですが。それでもイオのため、グリンズだけでなくこの手で厄介なテイカーの一人や二人でも仕留めることができたら、と思わなくもないわけです。──何が言いたいかと言いますと、役者不足だろうということです」
ぞわりと。トリータから立ち昇る魔力、周囲にいる魔人兵が放つそれとは一味も二味も悪い方向に異なる質を持ったその圧力にコメリもモニカも術の起動に備え、アイナもいつでも駆け出せるよう身を低くする。一触即発の臨戦態勢。それを目の前にしてもトリータの方は身構えない。棒立ちのまま、笑顔のまま、ただ魔力をくゆらせるばかり。まるで小動物を脅かして遊んでいるような。そのようにしか見えない──いや、実際にそうやってこけにしているに違いない彼へ、コメリが面白くなさそうに言う。
「役者不足、ですか。大した自信がおありのようで」
「自信とは少し違いますかね。単純な事実を申し上げているだけですから……だってそうでしょう? S級のように隔絶した強さを持つわけでもないひと山いくらの小娘が、たった三人ですよ。いくらテイカー侮りがたしと言えどこれではとてもとても。もしも本気で止められると思われているのなら、些かにショック。矜持が傷付けられてしまいますね」
「思われているのなら? お馬鹿さんなんですね、あなたは」
「はい?」
「そう本気で思っているからこそ私たち三人だけであなたに対しているんですよ──それで充分だからです。ねえ、モニカさん?」
「はい」
急に名を出されたモニカは、けれど慌てず騒がず頷きを返す。その太平楽とはまた違う、秘めたる覚悟に加えて一種の余裕のようなものが透けて見える所作にトリータがぴくりと反応を示す。
「ほお、そちらこそ大した自信をお持ちではないですか。いいでしょう、何をそうも強気でいられるのか。根拠を見せてもらおうじゃないですか」
見せられるものならね、と。そう締めた彼から放たれる圧力が一層に重みを増した。そのことからおそらく彼の真髄たる力、攻撃問わず自身にとっての凶事を全て回避してしまうという【吉兆】なる術が始動していると察しながら、しかしやはりモニカは冷静に言った。
「見たいのなら、どうぞ存分にご覧ください。未来を知るにも等しいその能力──私が断ち切ってみせます」
「なんですって……断ち切る?」
「【遮断】拡充──」
その瞬間、【吉兆】がこれまでに発したことのない壮絶な警報をかき鳴らした。




