126.内訳
用意は万端だった。というより、それ以上にできることがなかったと言うべきか。
周辺住民(協会本部を中心に百キロ四方の「正式な大都市民」に限られる)の避難は完了している。もちろんこれは迎撃の準備にてんてこ舞いの協会が独自に行ったものではなく、グリンズが昼夜を問わずに他組織──治安維持局や統一機構との折衝・交渉に励み迅速な協力の手を借りられたが故の措置であった。協会内のあれやこれやにほぼ一人で決断を下しつつ外との連絡役まで一手に引き受ける彼の働きぶりには頭が下がるものだ。
「は?」
そうエミウアが改めて感謝の念を抱きつつ、おかげで自分たちはただ思いっきり戦うだけだ──などと近づくその時に向けて気持ちを練り上げていたところに、寝耳に水の報告が入ったことで思わず声を引っ繰り返した。
「今から基本陣形の変更? 何言ってんの」
「おっと、そう気色ばまないでくださいエミウア。トラブルというわけではないんです」
と弁解めいた言葉を口にするソリウスを、エミウアはますます胡乱げな目で睨みつける。
「トラブルじゃないならなんだっての? 奴さんらが来るまでもう一時間切っているって時にさ」
こんなタイミングで行われる模様替えが尋常であるわけがない。トラブルと呼ぶべきか否かはともかくとして「何か」があったからソリウスはこのような話を持ってきたのだ。
先ほどから下が──エミウアとソリウスは第一訓練室の屋根の上にいる──ざわざわと騒がしくなっていたのはこの通達が原因かと当たりを付けながらソリウスの返答を待てば、彼はいつもの如く柔和だがどこか鼻につく澄ました笑みをその顔に浮かべながら頷いた。
「ええそうです、こんな時ですが技術班が間に合わせたんですよ。ほら、例の結界の新案です」
「……マジ? 無茶ってもんじゃない作業スケジュールになってただろうに完成したんだ。たった今?」
「ユイゼンS級にも同じ報告がされているようですから間違いありませんよ。つきましては、私たちも防衛の意識……というよりも認識を改める必要がありますよね?」
その言葉にエミウアは「ん」と短く肯定を示す。確かに「決して壊されてはいけない壁」を守るのと「壊され過ぎてはいけない壁」を守るのとではこちらの動き方も変わる。特に後者に関しては時間経過と共に独りでに(と言ってもあくまで技術班の手動だが)修復されるとなれば尚更だ。
エミウアは単独活動を許されているが、配置としてはS級二人とオールデンが務める第一防衛陣の次点である第二防衛陣。B級以上を中心に構成されたチームの一員となっている。それを踏まえてソリウスは続けた。
「私たち特Aは他のテイカーと足並みを揃えることこそしませんが、それだけに責任は重大でしょう? 結界システムの変更は言うまでもなく第一と第二の防衛線を突破する魔人がある程度は出てくることを見越したものです。ですので──」
「言われなくてもわかってるって。簡単にくたばるような失態を犯すつもりはないから安心してよ」
エミウアは特A級ながらに遊撃班に所属していない。もしも彼女の唯術と相性のいいゼネベンが存命であれば彼と共にツーマンセルを組んでそちらへ回されていただろうが、グリンズの人事で今回は遊撃という「攻めの守り」ではなくオーソドックスな防衛に務めることとなった。それはソリウスも同じで、当然ながら防衛線の一部へと置かれた彼ら特A級に求められる役割は非常に大きなものとなる。
──特Aという等級は若い。言い換えるならば、歴史が浅い。協会の設立からしばらくして等級制度が設けられ、それから長い間はA級こそが通常の等級では最上位だったのだ。S級の立ち位置は現在と同じくとても階級の中に納まらないごく一部の規格外へ特権とそれに応じた責務を与えるためのものであり、しかしA級とS級の間があまりにも大きく開き過ぎていたものだから、A級の中でも特段に戦闘力に秀でた者たちが繰り上げられた。という経緯をもって特A級という位は出来上がったのだ。
その誕生から求められている特A級の役目とはつまり、S級の予備でありA級の目標。特権を与えられるほどではないが責任は一般テイカーよりも重いという、ある意味での貧乏くじを引かされた立場である。そして、特A級のテイカーたちは皆が一様にこの等級を名乗れることを誇りとしている。
基本的に自らの志願ありきで昇級試験に臨めるA級までとは異なり、上層部からの打診があって初めて昇級が行えるのが特A級だ。これも本人の意思とは関係なしに押し込まれるS級と他のテイカーの中間のような立ち位置と言えるだろう。また、戦闘力が高すぎるあまりにA級以下のテイカーとなかなか共闘ができないが、しかしやりようによっては──唯術の相性や戦場の状況次第では──決して不可能ではない。これも状況如何にかかわらず個人単位での運用が基本となるS級と、その他のテイカーの中間だ。
何を取ってもS級の下位互換。そう見做すこともできる。というか、やっていることだけを見るならそうとしか言いようがない。しかし繰り返すが、悪し様に言えばひどく「半端」なこのポジションを特A級たちは誇りとしているのだ。
A級を超えると評価されたのは自身の実力が故。けれどS級には至らないと評価されたのもまた、自身の実力が故である。そこに嘘はない、他の如何なる要素も含まれない。全ては己が力不足によるもの。そのことを本人たちこそが誰よりもよく承知している。
だからこそ、だ。
高い壁と言われるA級とB級の間にある壁。それを難なく越えて、A級の先にある壁すらも越えた、本物の強者である彼らだからこそわかるのだ。特A級の先にある壁。強者をも足蹴にする超人だけが到達できるその世界の価値が、最も近しい位置で足踏みしている特A級たちにこそ真に理解できる──何故自分がそこに届かないのかも、そこまでどれだけの距離があるのかも、S級を雲の上の存在としか認識できていない他のテイカーよりも切実に理解できる。できてしまう。
それは耐え難い苦渋であり、何よりの発起の原料でもあった。
特A級がS級に対して抱くは深い敬意のみにあらず、いつか必ず自身も彼らに並び、追い越していく。という下剋上の気概があってこそ特Aは特Aたる重責を担うに相応しい強者となる。そうでなければ貧乏くじなど進んで引けはしない。上からの打診があっても断るのが普通だろう。要するに特A級とはそういった普通ではない者たちの集まりであり、特段に責任感に強い者たちの集まりでもあるということ。
その責務への真っ直ぐな向き合い方、それを由来とする一際の戦地での輝きは此度の件にも遺憾なく発揮されることだろう。少なくともエミウアには、そして彼女へ再三となる注意を促した側のソリウスにも「誰よりも多くの魔人を倒す」。それでいて「最後まで立ち続ける」。その決死とはまた違う、けれどそれに劣らないだけの固い覚悟と決意があった。
「最初にユイゼンさんらの壁が立ちはだかると言っても、数が数。それに魔人は人や魔物の比じゃないくらいに頑丈だっていうからね。打ち漏らしは大量に出る。それを第二陣の先端で自分ら特Aがどれだけ減らせるか。本館を守り切るにはここが重要になってくる……それがわかってんだからそりゃ簡単には倒れられないって」
「ならば良かった。エミウアは普段こそ冷静ですが戦闘となるとこう、前のめりになりがちな印象でしたので。直前にも注意をしておこう、などと配慮したつもりでしたが杞憂だったようですね。その落ち着きよう。ロスフェウS級──いえ、ユイゼンS級に師事したことで早速に心境の変化でも?」
「や、そんなことは……ない、と思うけど。どうだろう。リグレさんの師匠だったって言ってもあの人とは教え方がだいぶ違うっぽいから、その影響は大きいかもしれないけどさ。だからってそんなすぐ傍目からわかるくらいに変わったりはしないんじゃない?」
「ふむ」
我が事ながらにどこか他人事にも聞こえるエミウアの言い分。これは実に、そこに居合わせる自分も含めて状況を客観的に見られる彼女らしいものだった。この分だとどうやら本当にかかってはいないようだとソリウスはにこやかに言った。
「では環境の変化とは関係なく、私が知る以前のあなたよりも今のあなたが大人になっている、ということなのでしょうね。それならそれでいい。安心しましたよ」
「へえ、安心ね。それが欲しくていちいち一人一人チェックして回ってるんだ?」
「その通り。非才でありながら特A級の取り纏めなどをやっている身としては、こうでもしなければもう不安で不安で。一種の職業病ですね。どうか気を悪くしないでいただきたい」
「しないよ、別に。今更でしょ。むしろ自分としちゃ申し訳ないくらいだよ。一応のリーダー様にこんな使い走りみたいな真似をさせちゃってることがね」
「ふふ、それこそ今更ですよ。やらねば気の済まない質なのですから適任というやつです」
貧乏くじの中でも更なる貧乏くじ。例によってS級ほどではないにしろ癖もあれば我も強い特A級のまとめ役は、心労が増えるばかりで得られるものは特にないという本当の意味での外れとしか言いようがない。
何もソリウスもそれを担うと買って出たわけではなく、本人の言うように世話焼きかつ神経質な彼の気質から自然とその立場になっていったのであって、本来なら──もはや今となっては意味のない仮定ではあるが──年長者のハワードや特A最強だったゼネベン、あるいはS級との親交や協会に特に頼られる存在感の大きさからオルネイあたりが収まるべきだったポジションに、しかしそれでも収まったのはソリウスである。
特A級という等級が「そういったもの」であるのと同じように、案外とソリウスもまとめ役を務める自分を誇りに思っているのかもしれない。本当に含みのない調子で肩をすくめてみせる彼を見ながらふとそんな風に思ったエミウアは「だったらいいんだけどさ」とさらりと話を変えた。彼女にはひとつ、ソリウスに訊ねておきたいことがあったのだ。
「で、どれくらいなのさ」
「はて、なんのことです?」
「とぼけないでよ、ソリウスの『戦局を見る目』は上だって認めていたんだ。特Aの誰をどこに派遣するか決めていたのは実質あんただって皆が知っている。暗黙の了解ってやつ? それはつまりそんだけソリウスの決定を自分らが尊重しているってことでもある。そうでしょ? さ、勿体ぶらずに教えてよ。魔人との戦争で協会が勝てる内訳はいったいどの程度なのか、あんたの見解を」
「…………」
それまでの立て板に水とばかりの流麗な喋りもどこへやら、笑顔を収めて黙り込んだソリウスをエミウアは目を逸らさずに見つめ続ける。
彼の予測の精度は頗る高い。彼自身は直接に魔人と交戦してもいなければその目で確かめてすらもいないが、けれど紙の上の情報のみでも「その先」を見通せるだけの戦術眼がソリウスには備わっている。実際、気質以上にそれがあるからこそ特Aの代表として上層部から扱われていたようなものであり、今回も陣形の組み方に関して彼の意見が多大に取り入れられてもいる。それほどに保証された能力だ、ということ。
即ちここでソリウスの口から告げられる勝率予想は、予想の域を超えて高確率でやってくる未来の予知にも等しい。彼のこういった場合での先見の正しさをよく知るエミウアにとっては間違いなくそう言い切ってもいいものだった。
その前提を下に、少しばかりの迷いを感じさせる声で、しかしソリウスはきっぱりと告知した。
「一割五分。に届くかどうかといったところですね」
「……そっか。そーだよなー」
15%以下。あまりに低いその割合に、けれどエミウアは言い返しもしなければ顔を顰めることもなく素直な納得を見せた。まあ、それくらいのものだろう。天に目をやる彼女の態度はそう物語っていた。
協会が見出している勝ち目は「魔人兵一体あたりの水準がハワードと同等かそれ以下」であると想定しての──否、期待をかけてのもの。これがそのものずばり的中している可能性は(イオによって量産されるというその成り立ちからして)決して低くないが、しかし低くないというだけで絶対ではない。
もしもこの推論が的外れであり、魔人兵の性能がイオやその側近二名ほどとは言わずとも魔人化ハワードを優に上回っているようであれば、はっきり言って相当に厳しい。協会が見出している勝機はほぼなくなると見ていいだろう。そして、その最悪が実現してしまう可能性だって低いとは言えないのだ。
それを思えば、諸々の要素全てを踏まえてソリウスが算出した勝算。その値が一割を超えてくれているだけでも充分に御の字かもしれない。
御の字としておくしかないか、とエミウアはやれやれと頭を振って空の彼方からソリウスへと視線を戻し。
「やってやろうじゃん? 元から不利な勝負となると燃えるタイプなんだよね。そしてそれは自分だけじゃない……ね、ソリウス」
「ふ──ええ、まったくもって。我々テイカーとは多かれ少なかれそういった性分を持つ生き物に違いありませんから」
即ち負けず嫌い。
明日もまたこの朝日を浴びることができるかは、とても怪しい。だとしても彼らに消沈や諦観はなく。むしろ意気軒昂に自陣の勝利を夢想する──勝ってみせると豪語する。それは紛れもなく彼らが本物のテイカーである証であり、誇りを体現した姿であった。




