125.布陣
「新システム構築……全てっ! 現時点をもって完了致しましたぁ!」
感極まった様子で技術班長の男が報告し、それを聞いてユイゼンも感じ入ったように深々と頷いて応じた。
「そうかい……本当に、よく間に合わせてくれたね。こんな時でもなければ全員に特別褒章でも出たんだろうが」
そういったものを貰うに足る仕事をした者たちになんの褒美も上げられないのは惜しいことだ、と心から残念そうにユイゼンは首を振った。
技術班長の言う新システムとは無論のこと本部を守護する──否、本館のみにその守護範囲を縮小させた魔石結界のことを指している。吶喊で新たな結界を張り終えた彼らではあったが、つい先日判明した魔人兵の総数の情報を下に緊急の会議が開かれたことでシステムの再々構築を余儀なくされたのだ。
現在の結界ではなんの意味もなさない。敵の膨大な戦力と、何よりも結界を無視できてしまう「歪み」の転移を前にしては本部全体を守る壁などあってないようなもの。そうとわかったからにはそれに対応する守り方へと変えねばならなかった。差し当たって歪み対策のために協会一の転移使いであるオルネイの協力を得るのは当然として、縮小と並行して結界の構造にも手を加え、堅牢さよりも拡張性に重きを置くべきだという案が採用され、その内容に沿って新結界はまたしても吶喊で造られた。
拡張性、つまりは「壊れた傍から直していく」機能。硬さのみを頼りにするのではなく、多少脆くなっても構わないから修復のしやすさを伴わせた結界が誕生したのだ。これなら本館内の技術室が落とされない限りは延々と結界を張り続けることが可能となる。これまでの「一枚の壁」としての完璧さばかりが求められてきた結界システムにはなかった革新的なアイディアと言えるだろう。
無論のことこれは正味二日と半日だけの時間で為せるほど簡単な作業ではない。本来なら間に合うはずもないものを、間に合わせてみせた。そこにユイゼンは感服しており、技術班長の潤む瞳も連日の徹夜明けに昇り始めた朝日が染みているだけではないだろう。ここにも命を削るような戦いがあったのだ。だが、彼は迷いなくこう答えた。
「はっ、いいえロスフェウS級殿! 自分たちはただ己が任務を全うしただけですので!」
褒章など欲していない。これは彼の独断ではなく技術班の総意であった。
全体の進捗を管理しながら都度に指示を出しつつ自身もシステム構築の作業に参加していた彼の負担は他の班員と比較しても頭三つか四つは上だ。けれど彼自身はそれを腐してもいなければ特別なことだとも思っていなかった。皆が一丸となったからこそ成し遂げられたのだ。誰か一人でも諦めていれば決して間に合いはしなかった。そう断言できるほどに大変な三日間だった──全員がやれるだけのことをやれるだけ以上に頑張った。その奮闘があってこその「今」である。
そして、戦いはまだ終わっていない。いや、ここからが始まりである。
「命ある限り全力で結界を守り続けるとお約束します。しかし言いましたように、此度の結界に強度はあまりなく──」
「一度に壊され過ぎれば修復も間に合わず、本館内に敵の侵入を許してしまう……ってこったろう? わかっているさ。それをさせないためのあたしらだ。あんたらの努力、無駄にはしない。こちらこそ約束しようじゃないか」
承知のことであるとユイゼンは力強く応じた。新システムが効力を発揮するのは修復が間に合ってこそだ。破損の方が早ければ当然ながら新しい結界は単に脆いだけの壁と化してしまう。魔人兵の圧倒的な物量がそのまま通ってしまえば非戦闘員並びに最重要施設たる本部本館の完全壊滅は必至。そうさせないためには本館を囲って展開される人間の防衛線が何よりも重要になる。
結界を守るための結界に、守りを任された現場員がなるのだ。その最たる立場にいるのがここにいるユイゼンと、そして後の二人。
「聞いていたね? 技術班は体に鞭打って仕事をこなした挙句に休みなしで戦いに臨もうとしている。ここからはゆっくりと体調を整えさせてもらったあたしらの踏ん張りどころだよ」
振り向いたユイゼンの視線の先にいるのは、防衛の要たる彼女と並ぶ二枚看板の内の一人、S級テイカーのイリネロ・ドーパ。そして粛々と首肯してみせたイリネロの横であくびをしているやけに可愛らしい衣装──俗にいうゴスロリ服を身に纏ったもう一人もまた、ねむけ眼のままに「ふぁ~い」と気の抜けた肯定を返した。
「……ちょいとオールデン。あからさまに眠そうだがあんた大丈夫なんだろうね? 一時間後には本番なんだよ」
「ふぇ? あ~、だいじょぶですよぅユイゼンさまぁ。ウチも防衛の要の一人だってことはちゃーんとわかってますからぁ」
オールデン・ディアン。ゼネベン亡き今、総合的に見て特A級最強と位置付けられている凄腕のテイカーである。唯術は【使役】、その力は魔物を自身の配下として操れるというもの。一人でも軍勢を作れる能力は敵の戦力の方が上という状況でこそ活きる。それを見込まれて、繁忙期を迎えている支部へと常に渡り歩いている本拠地無しの根無草生活を送っている風来人であった。
文字通りの一人軍隊。その力は魔人との戦いにも大いに役立ってくれるだろう……が、肝心の本人が妙に頼りない。舌たらずな甘えた口調にファンシーな恰好。「男」である癖にまたそれがよく似合っているというのがなんとも戦士としての威容を感じさせない。まともに顔を合わせたのがつい一週間ほど前という付き合いの浅さもあってどうしても不安を抱かされるユイゼンだったが、しかし彼女の歴戦の勘はきちんと推し量ってもいる。
目の前の存在が確かに、仲間として信の置ける強さを持っているということを。
「ウチ、やっちゃいますよぅ。三十体。限界いっぱいで指揮するのは大変ですけどぉ、やらなきゃやられちゃいますからね~。最初から拡充ぶっぱでぶっ殺しまくりまーす」
ぶりっこな喋り方をしても覆い隠せない剣呑かつ勝ち気な言葉。彼は彼で覚悟をとうに決めているらしい。自分たちこそが最前の壁であり、最も多くの敵を相手取り、それでいて「死ぬことも許されない」。耐えて耐えて耐え抜いて魔人を本館へ通さない、という役割を果たすための覚悟を。
ユイゼンは二人の反応に「よし」と満足そうにして、続けて言った。
「あたしらは最前の三方に陣取って第二防衛陣を楽させてやるのが仕事だ。だが状況によっちゃ合流する必要も出てくるだろうし、それ以外の行動を取るべき場合だってある。自分とこさえ守ってればいいなんて考え方はしちゃいけないよ。常にグリンズや観測班からの要請が聞けるとも限らない。自分で戦場の変化を確かめて動くんだ」
「かといって安易に持ち場を離れてもいけない。ですよね?」
「よくわかってんじゃないか」
平然と受け応えるイリネロにユイゼンは口角を上げ、そのままの表情で技術班長へと向き直った。
「というわけだ、あたしらも与えられた任務を全うする。それでも敵の数は膨大だからね、本館へ押し寄せる魔人だってどうしても出てくるだろう。そん時は悪いが、こっちの態勢が立て直されるまで踏ん張っておくれよ」
「了解しました!」
テイカー協会には珍しい、どちらかと言えば治安維持局の職員めいた堅苦しさで応を返す──なんと敬礼までしている──彼にユイゼンは笑みへ苦笑めいたものを混ぜつつも頷き、下がらせた。そして軽くため息を零す。
「まるであたしが責任者みたいじゃないかい。年季が入っていようとたかだか現場員の一人にあそこまで遜るのも良くないねぇ」
「そうは言っても、今はその年季が重要ですから。ユイゼンさんほど頼れるテイカーも他にはいません」
「ですですぅ、特A級もユイゼンS級のことはちょーリスペクトですからぁ、一緒に戦えるのめっちゃ光栄です~」
「ふん……慕ってもらえるのは光栄だがね」
そうは言っても彼女は元々のメンバーであった他のS級四名とは違い、S級相当の任務に就くこともなく半隠居の生活を送っていた身である。それどころかユイゼン本人の意思としては高齢を理由にテイカー資格を返上する打診すら上層部に対して行っていたくらいだ。
それが再三に渡って拒否されてきたのはまさしくイリネロやオールデンが言っているように、ユイゼンが最古のテイカーであり協会の生き字引であるからだ。その上で、多少衰えたとはいえ現在でもS級を預かるに相応しい最高戦力としての実力も兼ね備えているとなれば上層部がむざむざとそんな貴重な駒を手放すはずもない。
実際こうしてユイゼンが協会に残っていなければ先の襲撃で被害はもっと拡大していただろうし、今も対魔人との全面抗争に向けた重大な切り札の一枚を欠いた状態になっていたことを思えば、ユイゼンの希望を撥ね退けた当時の上座たちの判断は実に正しかったと言えるだろう。
そのせいであたしは老体にはこたえる苦労を背負っているんだが、と再度のため息を漏らしつつもユイゼンは。
「まあ、グリ坊ばかりに責任を押し付けんのも可哀想だ。頼られた範囲ではあたしの裁量でやらせてもらうとするさ」
「……グリ坊って、グリンズ・ギルフォード協会長のことかなぁ?」
「ええ、おそらくは。呼び方に凄まじいギャップを感じさせますが……」
つい先日までは協会長ではなくその数段下の第二執務長だったとはいえ、グリンズを坊や扱いできるテイカーなど──それこそS級全員が存命だった頃からしても──ユイゼン以外には誰もいない。考えてみれば現在五十代であるグリンズがまだ十代の若者だった頃にユイゼンは五十歳を越していたのだから、彼女から見れば坊や以外の何物でもないのはある種当たり前なのだろうが……それにしたってイリネロたちからすれば「グリ坊」なる呼び方と自分たちが知るグリンズとを結び付けるのはなかなか難しかった。
「あんたらからすれば強面のお堅い上司ってところかい、あいつは」
「そうですね……一見近寄りがたい印象を受けることは否定しませんが、それに反して上層部の方たちの中では一番話しやすい人、という認識でしたでしょうか」
「ウチはあんまり面識ないけどぉ、特Aのみんなからも評判いいから~、たぶん頼りになるおじ様? って感じですかねぇ」
そうかそうか、とどことなく嬉しそうに二人の評価を聞いたユイゼンは。
「話が通じて頼れるお偉いさん。そりゃ結構なことだが、今のあいつはアレでいて精一杯さ。しっかり指示や判断を下せているように見えるだろうが、あたしにはわかる。ありゃいつ糸が切れてもおかしくないよ」
そう断じたユイゼンに、イリネロとオールデンは顔を見合わせた。言葉を交わさずとも互いの表情でどちらもがグリンズに対し「限界が近そうだ」などという見方をしていなかったのは明らかであった。技術班長と会うまでは三人揃ってグリンズの仕事部屋で最後の確認を行なっていたところだ。その際にも彼は別段──多忙による疲労こそ少しばかり滲ませながらも──調子を崩しているようには見受けられなかった。
だがそれはやはり、自分たちが若く、グリンズを「頼れる大人」としてしか見ていないからなのかもしれない。唯一グリンズを「子供扱い」できるユイゼンだからこそ気付けるものも、あるに違いない。
「グリンズさんは我が子も同然だったというエイデンS級を失ったばかり。その心労を抱える中で最高責任者の立場になってしまったのですから、無理もないことかもしれません。再襲撃は私たちが立てた目途よりも幾分か早いものになりましたが、むしろグリンズさんにとってはそれが良かったのかもしれませんね」
「事態が長引くだけ悪化はしていただろうねぇ。いつその時が来るかも知れないとなれば否が応でも緊張を強いられて、いくら時間があっても休まる時もない。となれば現状を冷静に省みる間もなく戦いが始まろうとしているのは、まあ。必ずしも悪いことばかりじゃあない」
それはグリンズに限らず、全テイカーにとってもそうだろう。過去に一度として許してこなかった本部への襲撃を許し、陥落と言っていい被害を受けて、S級すらも全滅の一歩手前。そこまで追い詰められていながら次なる敵の襲撃は一度目を遥かに超える戦力で行われる……どう考えても、いや考えずとも明白に、あまりにも絶望的な状況だ。
それでもテイカーたちはここにいる。結界を復活させ、布陣を整え、支部からもありったけの人員を集めて──抗おうとしている。皆が力の限りに力を合わせている。
落ち着く暇はない。そんな精神的余裕もだ。それがかえって、窮地における皆の活力に水を差さない僥倖に転じているのだからなんとも皮肉なものだった。
「勝っても負けてもぉ……協会の歴史の節目ってやつですよね~、今日は」
オールデンの気負いのない、けれども明日を迎える決意を感じさせる言葉にユイゼンもイリネロもしかと頷いた。
──決戦の時は近い。




