123.死命
「最前線を希望、か。それはつまり、餌としての意味もあると受け取っていいのか」
「はい」
協会本部本館の一室──本来の用途とは別に現在はグリンズの専用室として使われているそこで、部屋の主である彼は来訪者の彼女。ミーディア・イクセスの迷いのない瞳に小さく息を吐いた。
イオが再び結界を越える手段を確保したことが明らかとなった今、五百以上の魔人たちは本部のどこに現れても不思議ではない。それに備えるとなれば大変な話だ。しかし幸いと言っていいのかどうか、転移系の術と思しき「歪み」の表出から転移対象の出現には十数秒ほどのラグがあったと報告されている。
襲撃時を見越したブラフでもなければこの時間差は協会に与えられた猶予に同じ。今この時も精鋭の事務員たちが協会随一の転移使いであるオルネイの協力の下、彼の優れた空間検知の能力を魔石結界のシステムに取り入れようと吶喊の作業を行なっている。
ロコンドの【遮断】と結界を組み合わせたノウハウも残されているためにシステムの構築自体は上手くいくだろうが、それがイオの指定した日時までに間に合うか。そして間に合ったとして本当に敵の転移の予兆を捉えてくれるかは、その時になってみなければわからない。今のところはなんとも言えない状況だった。
更に加えて、予兆を捉えたとて時間的猶予はほんの少しだ。それに合わせて大きく布陣を変えるような余裕は、言うまでもなくない。精々が致命的な出遅れがないよう防ぐので精一杯。よって三日後の明朝六時に向けてテイカーができることは、とにかく戦闘準備を終えておくこと。そして守るべき場所を本部全体ではなく本館のみに絞ることだった。
つまり本館かその付近に陣取ればそこがもう戦域の最前線のようなもの……なのだが、ここでミーディアが言及しているのは待機場所ではなく戦闘が始まって以降のこと。敵がどこから攻めてくるかにかかわらず、とにかく「最激戦区」へ一も二もなく駆け付けるための許可。特定の持ち場を持たずに自分の意思で動く許しをグリンズより貰おうと、こうして直談判しているのだ。
「…………、」
沈黙を挟みつつちらりとグリンズの視線がミーディアの背後、部屋の扉近くに佇む男女二人を捉える。片方はガントレット、もう片方はルズリフ支部所属の事務員エマ・セアイア。どちらもミーディアが新人だった頃からの付き合いのある同僚にして友人である。
ガントレットは『対フロントライン作戦』の現地責任者として、そこから地続きと言える当件(正確な作戦名が決められたわけではないが言うなれば『対魔人軍作戦』か)のアドバイザーとして、そしてハワードという「魔人化した人間」との交戦経験者の一人として意見を出すべく本部に詰めている。
それに対して、ガントレットが長を務める支部の職員とはいえ単なる(つまりは特別な役職や経歴を持つわけでもない)受付嬢の一人でしかないエマが何故それに同行しているかと言えば、前述の通りにミーディアと旧知の仲で、チームを組まない孤高のA級テイカーの半ば専属事務員として手伝ってきた者だから。それだけが理由の全てであった。
ミーディアよりも四つ年上のエマは、気の置けない友人であると同時に彼女の姉のような存在でもあった──故に誰よりも「テイカーとしてのミーディア」と「そうでないミーディア」のどちらも存じている自負を以て、エマはグリンズに言った。
「ミーディア・イクセスA級の担当として浅はかながらの進言をお許しください。彼女は魔人軍との戦争を己の死に場所として定めています。どうかその気概を買っていただきく……信じていただきたく共に談判へ参りました。遊撃班の一員へミーディアを加えては貰えないでしょうか」
「むう」
堂々たる態度で放たれた援護射撃にグリンズは思わず唸る。遊撃班。それは読んで字の如く三日後の対魔人軍との戦いにおいて特定の持ち場へ付かずに戦況の変化と共に適宜その戦闘場所を移し続けることを役目とする班を指す。要するにそうやって運用した方が大局的に協会の助けとなると判断された「戦場に与える影響が大きい」と好い意味で期待を向けられている強者たち──具体的に言うなら「特A級の面々」のことだ。
唯術の得手不得手もあって特A級の全員が遊撃班に属しているわけではない。中でもオールデン・ディアンは戦場に与える影響という側面では同等級においても飛び抜けているものの、そのピーキーな能力故に遊撃にはとんと向いておらずA級以下の面々と共に持ち場を任されている。このように必ずしも特Aだから戦場を駆け回って良し、というわけではなく、逆もまた然り。運用目的に適うのであればA級以下だろうと遊撃班への参加は認められるべきだ。
とは、グリンズも思うものの。
「まず遊撃班は少数精鋭の構成だ。よって各班は二人一組という最低限の人数となっている。それが三つ、当日の戦場を縦横無尽に駆け巡るわけだが……ミーディア君。君はそれについていけるのか? 残念だが私にはそうは思えない」
協会は魔人一人当たりの強さを魔人化の例であるハワード並と想定している。ティチャナやトリータといったS級クラスと思われる生粋の魔人よりは格が落ちるとはいえ、養殖の魔人であるハワードだって準S級クラスの強さはあった。それは特A級の中でも「テイカーとしての強さ」では間違いなく最強であったゼネベンが彼との一対一の正面戦闘で敗れている点からも重々に窺えることだ。
それと同程度と見做しているにしては二人一組の編成は甘いようにも一見思えるだろう。ミーディアが参加する余地だって充分にあるように、思えるだろう。
だがこの一組というのは唯術の相性を重視して選ばれている。互いの術理を活かせる者同士、あるいは「即殺」のコンボを作れる者同士。これによって彼らの戦力は単純な1+1=2の構図に収まらず、頭数では測れない強さを発揮することになる。
元来、テイカーとはチームで本領を発揮する者たちでもある。単独でこそ強いのはそれこそ例外に位置づけられているS級くらいのもので、ゼネベンとて──例えば彼の唯術【加重】と好相性を示す唯術【質量】を持つエミウアなどといった──同等の実力を持つ仲間と共に戦えていればハワードにだって後れを取ることはなかったはずだ。ガントレットやミーディアの戦闘報告からグリンズや他の特A級はそう判断している。
総括するに、ミーディアの付け入る隙が無い。遊撃班の三組は三組共に「このコンビだからこそ」組まされており、今からそのどこかにミーディアを突っ込むにしろ大掛かりに編成を組み直すにしろ、そこまでやる価値がない。そうまでして彼女の要望を聞くのは「協会のためにならない」と、グリンズは暗にそう告げているのだった。
「君を弱いと言うつもりはない。だが純然たる事実として君はA級で、他の遊撃員は特A級。それも単身の強さ以上にコンビとしての性能を第一として選ばれている。たった一人とはいえ……いや、一人だけだからこそ尚のことに君を悪戯に編成へ加え入れられはしないのだ。ましてやイオに目を付けられているとなれば余計にな」
グリンズの答えは不許可、それ一択だった。次なる戦場を己が死に場所に見据えるほどの覚悟を持ってこの部屋へ来たミーディアには悪いが……そんな彼女の願いを叶えるべくの一助になろうとついてきたエマにも、すげなく扱うようでなんとも申し訳なさが立つが。
しかしこればかりは譲れない。いくら若い者たちの熱量についつい押されてしまう癖がある彼であっても──グリンズ自身薄々と自分のその悪癖には気付いているが、直そうと思っても一向に改善できずにいる──ここまでリスクばかりが大きければ容認などできなかった。
眉間へ指をやって揉むこともなく、真っ直ぐに当人を見つめて断固とした拒否を宣告する。現状の最高責任者としてのグリンズが姿勢を正して放った「通告」に対し、しかし彼の予想とは異なりミーディアは俯きもしなければ目を逸らすこともなく、負けじと真っ直ぐな眼差しで見つめ返したままに口を開いた。
「そう言うとわかっていました。グリンズさんは優しいけど甘い人じゃないから。イオを釣るための餌になる点も、本当に食い付かれて【回生】が敵の手に渡ることを危惧している。そうですよね?」
「……わかっていたのなら、ではこの談判はなんのためのものなんだ」
「もしもってこともあるじゃないですか。特A級についていくことを許してくれるならそれでもいいと思っていたんです。なんにせよグリンズさんの判断に従おうと。でも、それが許されなかった時のために……もうひとつ案を用意してきました」
「もうひとつの案、だと?」
訝しげに眉をひそませながらも聞く姿勢を取った彼に、ミーディアはその顔に笑みを浮かべながら続けた。
「特A級のお邪魔はしません。他の誰の邪魔も、しません。『私一人』で戦場を巡り、一体でも多くの魔人兵を屠る。それが私の提案です」
「……!」
思わぬ提案にグリンズは目を剥いた。もちろん彼の反応は自分になかった妙案を聞いて膝を叩くようなリアクションではなく、その反対だ。グリンズにはまったくもってミーディアが何を言っているのか。何を言わんとしているのかが理解できなかった。それ故の純粋な困惑が表情に表れていた。彼は慎重に、言葉を選ぶようにして訊ねた。
「どういう、意味かね。言ったように特A級がこれ以上ないという人選でコンビを組んで、初めて遊撃の駒足り得る。だというのに君はあろうことか、たった一人でそれと同じ立場に就こうというのか。それを私に許せと」
「前借りをします。もう何も借りられなくなるくらいに、私の全てを出し尽くす。そうすれば私はほんの一時だけ最強になれる。不死身で、斬れぬ物のない、最強の剣士に」
「前借り……」
そのワードの意味するところはミーディア本人から直接ではなく、彼女の恩師でありグリンズにとっては手のかかる後輩であったガントレットから聞き及んでいる。
それはミーディアの唯術【回生】が拡充によってもたらすものであり、また生存に特化した能力における唯一の「術」と呼べる代物。魔力ではなく己の寿命を差し出すことで引き出される限界の突破。それを魔力の消耗の果ての苦肉の策としてではなく意図的に、そして過度に行うことでミーディアの戦士としての力は大幅に引き上がる。
ただし捧げた寿命は当然ながら二度と戻らない。ミーディアはこれまでに何度か──あるいは何十度か、激戦となった任務で前借りを行なってきているはず。寿命は少なからず既に減っている。それでいて此度の魔人との戦いで彼女は最初から前借りを活用して暴れ回るつもりでいる。それは、つまり。
「死に場所と見据えている、のではなく。本当に死ぬつもりでいるということか……! そのために残りの寿命を全て使い果たすと!? 馬鹿な!」
椅子を倒しかける勢いでグリンズは立ち上がった。
優秀なテイカーの死の志願。そんなものを穏やかに聞き入れられるほど彼は冷徹な男ではなかった。逸る若人を諫める気持ちで、あるいは叱りつける想いで言葉を続けようとした彼はしかし、笑顔を崩さぬままに至極静かなミーディアの瞳を目の当たりとして。そして彼女の後ろに控えるガントレットとエマもまたそれによく似た眼差しでこちらを見ていることに気付き、二の句が告げられなくなった。
ミーディアが言う。
「馬鹿なことに聞こえますよね。私だって敵の数が百やそれに足りないくらいならこんなことは言い出しませんでした。苦しい戦いにはなってもなんとかなる。そう信じられたからです。だけど五百はいくらなんでも多過ぎる。私たちには圧倒的に戦力が足りていません。どれだけ組み合わせや配置に工夫をしても不利なものは不利。グリンズさんだってそう考えているんでしょう?」
「ッ……それは、その通りだ。だが」
「命を懸けるだけじゃない。捨てる必要があります。でなければ協会は勝てない──だったら私がその先頭に立ちます。他に命を捨てなければならないテイカーが、一人でも減るように。今こそ私が死に続けてきたことに、死に損ない続けてきたことに意味を見出したい。私だけの特別な意味を」
「ミーディア君……君は」
ミーディアの経歴、多くの仲間を失ってきた経験を知っているグリンズは、自分も「死に損なって」ここにいる人間のために痛いほどに理解できた。彼女の抱く覚悟が、戦いの場を退いた自身の理解を超えて遥かに重く、遥かに深いことも。
お願いします、と今一度頭を下げて彼女は頼んだ。
「私に持ち場を与えず遊撃を命じてください。協会のために死ぬ許可を、ください。それが【回生】をイオに渡さない最も手堅い策でもある」
あまりに切実な、身を切るようなその願いに──グリンズは。
「ミーディア・イクセスA級。君に単独遊撃の許可を与える」
最高責任者の一存でそう決定を下した。
一人の少女が死ぬ許可を、与えざるを得なかった。




