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122.五百

 そこに何かが現れようとしている。不可解な空間の歪みを攻撃ではなく移動の手段であると見抜いたのは、これが攻撃のためのものならその実行が遅すぎるという点。それからライネと問答した通り、結界に守られた本部内へ入るための能力──あってしかるべきそれこそが目の前で起きている現象ではないか。そう考えが至ったためであった。


 瞬間的にイリネロの身体が燃え盛る。粘性を持つ珍しい炎の特徴はそのままに、明らかに以前よりも練度が増していた。細やかに流動する炎からは彼女の確かな成長が見て取れる──試練を突破し、課題を克服し、欠けたS級の穴を埋めるに相応しい人材だと認められた。ライネと同じ道を辿っての立身出世を果たしたイリネロは、それに驕ることなく働きでもってその正しさを証明しようとしていた。


 何が出てこようと燃やす。歪みそのものこそ攻撃には分類されずとも、そこから出現したものがいきなり襲いかかってこないとは限らない。あるいはその蛮行こそがイオなりの伝言メッセージであり、そのまま協会対魔人軍の大抗争へと移行するつもりかもしれない。だとすれば先手はこちらが取るべき。そう結論してすぐさま攻撃態勢へ入ったイリネロだったが、どうやらライネは考えが違うらしく。


「待ってください、焼き尽くすのでは何もわかりません。ここは僕がやります」


 立ち昇る熱気の横で冷気が荒ぶ。イリネロは少しばかり出力を落とした。確かに即時抹殺であれば自分の術が適しているが、殺さずの無力化に向いているのはライネの氷術の方だ。無論、どんな能力が飛び出してくるかわからない。そう述べた本人なので、いくら氷漬けにしたとしても生かしているというだけで──それも『話』が聞けるくらいには配慮もするとなれば余計に──危険だということ。即殺に比べて多大なリスクを負うことは、理解できているはず。その上で主張したからには自信があるのだろう。そうイリネロは見做した。


 どんな能力であれ抑えきれるという自信。もしくは、イオが送りつけてくる何かはこの場で今すぐの脅威になるようなものではない、という自信。どちらにせよ自分が燃やすのはライネの判断に瑕疵があったと認められた時でいい。彼が間違えたのならフォローする、それだけだ。もちろん、間違わずに事が進むのであればそれが一番いい。


 歪みの中──空間の向こう側、ここではないどこかから物体が出現。それと同時に。


「遠点凍結」


 ライネが指を鳴らす。その特定行動ルーティンにより空中を走った氷路が、現れたものを瞬時に凍り付かせた。少し前までなら氷霧のサポートなしには実現しなかったその技を事も無げに成し遂げ、しかしてライネは感慨を見せることもなく歩を進めて凍らせたそれに近づいていく。その警戒の欠片もない歩みに咎めるような気配を出しながらイリネロが続き、ユイゼンも無言で前に出た。


 それは不恰好な人の形をした、人ではない何かだった。まるでめちゃくちゃに部位を付け替えられたような身体の造形をしていて、見ているこちらが不安になる。これも、魔人なのだろうか? 協会を壊滅させるための兵隊。しかしこの人間よりも肉団子に近い者がどうやって戦うというのか。氷の膜越しに見えるうっ血したようなどす黒い肌の色を確かめながらイリネロが我知らず眉をひそめる中、ライネは感情を窺わせない声音で顔だけ凍っていないそいつへと問いかけた。


「君は?」

「オ、オレは……オレ、は、わわわわわ」

「……喋られないのか?」


 会話が成り立たない。メッセンジャー役として送り込まれたのだとすればとんだミスキャスト。これにはライネも予想外だったのだろう、小さく首を傾げた彼が再度何かを問おうとして──それを遮って肉団子が突如として流暢に話し出した。その声は、今し方その口から聞こえたものとはまったく変わっていた。


『あ、あー。テステス。聞こえてますかー……なんて訊いてみたところで確かめようはないんだけどな。ライネ、そこにいるよな? いることを願うぜ。言っとくとこれは録音だ。一方通行で悪いがそろそろ段取りを決めときたくてよ、こいつを送ることにする。見た目に驚いたろ。戦闘向きじゃねー唯術だからものは試しにと茶目っ気を出してみたんだが、やっぱダメだったわ。違う意味での化け物になっちまったよ。見ての通りの失敗作だからそっちで処分してくれていいぜ。おっとただし、この録音を最後まで聞いてからにしてくれよな。ちなみに最後に爆発するなんて古典的なトラップなんざ仕込んじゃいねーからそこは安心していい。んじゃ、聞ける姿勢ができるまでしばし待つ』


 つらつらと肉団子が発するその言葉は、明らかにイオのものだった。どういう仕組みか声色まで完全に再現しているそれは、まるでこの魔人の内部からイオが直接に語りかけているようですらあった。


「音声……いや、音全般を記録して再生する唯術かね。確かに戦闘に役立てるには難しいね」

「だからと言ってこんな使い方をするものですかね……惨たらしい」

「イオは有効活用エコロジーと言うと思いますよ。なんの悪気もなく……あいつはそういう奴です」


『…………えー、さて。そろそろ聞く準備もできたか? できたものとして勝手に予定を伝えるぜ。決戦の日は三日後だ。明朝の六時きっかりに協会をノックさせてもらう。お前さんらの戦力がどれくらいかは大方わかっているから公平を期すために打ち明けるが、こっちには五百体以上の魔人兵がいる。あの襲撃で凄腕が何人も死んだ協会にはちとキツい戦力だろうが、まあなんとか頑張ってみてくれ。戦局まで一方的じゃ興醒めもいいところだからな、奮闘を期待するぜ』


「ふざけたことを。……しかし、五百体以上ですか。多いですね」

「参ったね。百もいれば相当マズいって見立てだってのに、その五倍たぁ腹じゃなく首をくくりたくなっちまうよ」

「けれどそれは敵兵全てがティチャナやトリータと同等であればの場合ですよね。この失敗作を見る限りではその恐れはなさそうですよ。少なくとも兵隊たちの完成度はハワードが基準になるんじゃないでしょうか」

「それでも五百は厳しいがね……ん、まだ続きがあるか」


『──それからライネ、協会じゃなくお前個人とも約束を取り付けたいんだが、いいか。魔人兵相手に消耗しちまう前に是非ともりたくてな……万全のお前と俺の、サシの勝負。断るっていうならそれも構わないぜ? 運任せに乱戦のどこかでの邂逅を待つってのもそれはそれで悪くない。しかしそん時は協会の存続を諦めてもらうぜ。俺一人のが五百の兵よりもよっぽど殺し、壊す。それができるようになったからこうして宣戦布告してるわけだが……お前だってそれに応じる用意はできてるもんなぁ、ライネよ。互いに機は熟した。そうだよな?』


「ああ、イオ。お前と決着をつけるためにできることは全てやったよ。後は本番を待つばかりだ」


 あたかもそこにイオがいるかのようにライネは告げ、まるでそれが聞こえているかのように音声越しのイオはくつくつと笑い声を漏らしていた。その確かな繋がりを感じさせる、とても他人同士とも敵同士とも思えないやり取りを、イリネロとユイゼンは黙って見守るしかなかった。


『俺との逢引きにしけ込むか否か。答えは当日に聞かせてくれや。俺たちがどう攻めるつもりなのかってのはこいつで見当もついたことだろう。上手く対処するといい。できるもんならな。そんじゃ三日後に、また』


 言うだけ言って。まさしく一方的な宣戦布告を終えてイオの気配は消えた。肉団子は口を閉ざし、身じろぎひとつしない。まばたきすらもだ。そもそもこいつは「生きている」のかと疑問に思ったところで、唯一無事だった顔面までもが氷で覆われた。前衛芸術めいた氷像となったそれを一瞥し、ライネは言った。


彼女・・に役割はもうない。危険はないと思います。……無駄だろうとは思いますが念のため、医療班に診てもらいましょう」


 無駄。そのワードの意味するところを察せれないイリネロではなかった。


「やはり、望み薄とお思いですか。魔人化された者を元通りにすることは」


 マーゴットを始めとする協会お抱えの治癒のスペシャリストたちであればあるいは、とは魔人対策会議で何度か(希望的観測も多分に含めて)挙げられた議題ではあるが、ライネは以前からその意見に否定的であった。


「はい。それが可能だとすれば失敗作なんて出来ませんから、確定的だと思います」


 証拠と言えるほどのものではないですけど、と魔人へ目を向けたまま素っ気なく付け足した彼にイリネロも淡々と「そうですか」と返す。


 確かに、仮に魔人から人間に戻す手段があるのだとすれば、それを用いてイオ自らが魔人化の再試行ができるという理屈になる。トライアンドエラーがいくらでも繰り返せるとなれば理論上、目の前の存在は生まれようがない。だとすれば施術者の腕前如何にかかわらず魔人化とはやはりそもそも治癒ではどうしようもない類いの現象であると理解しておくべきだろう。


 因んでおくとイリネロを始めとして会議の参加者たちは何も、倫理的な観点ばかりから魔人にされてしまった者を人間へ戻したいと願っているわけではない。もしも魔人化解除の手法が確立でき、それが即効性のあるものであれば、魔人軍との戦いにおいてその兵力を大幅に削ぐことができる。どちらかと言えばそういう戦術的観点から生じた希望・・であったのだが……残念ながらそう都合よくはいかないようだ。


 もう二度と人に戻れず、ただ言われるがままに戦闘へ駆り出される彼ら彼女らを憐れむ気持ちも確かにあるために、イリネロの気は重くなる。前の自分なら力を振るえる機会と見れば燃やす対象がなんであろうと気に留めなかったろうが、今は違う。力の向け先と、なんのためにそれを振るうのか。とても大切なことだ。できれば【業炎】に死するは魔物か、救いようのない悪人であってほしい。


 魔人兵がそれに該当するかは、怪しいところだった。


「本当の意味での被害者も混ざっているだろうからね。胸糞悪いことだが遠慮してちゃこっちの身がもたない。やるしかないよ、イリネロ」

「……はい」


 そう、五百超という数は「多過ぎる」。フロントラインの活動期間──というよりもライオット個人の暗躍期間──は協会の予測を上回って相当な長きに渡っていたようだが、早い段階でイオとの接触があったにしても。つまりは「戦力集め」に相互協力があって、イオ側も多くの人材を入手できていたとしても、五百超の保持は桁が外れている。それだけの人数をどうやって保管・・しているのかという疑問もさることながら、イリネロの姉ダンネロも参加したフロントライン討伐作戦において、そこでも大量のアンダーが参戦し、そして全滅している。


 いったいどれだけ勧誘したのか──いや、勧誘だけでこんな数は集まるまい。野良や他組織のアンダーをどれだけスカウトしたとて不可能だ。第一、もし本当に彼らの仲間集め兼アンダー潰しがそこまで大規模なものだとしたら、さすがにどれだけ気を遣っていても露呈は防げない。魔物への対処に比べてアンダーへの対処はどうしても後手後手になりがちな協会ではあるが、それを踏まえても気付かないわけがない……となれば、だ。


 フロントラインに協力していたのは間違いなく組織の理念に共感したか、ライオットの強さに惹かれたかの信奉者であったことだろう。だが魔人兵はそうじゃない。おそらくは引き抜かれたアンダーと同程度の割合で、イオが独自の視点で選んだ素材向けの人間──無垢なる一般市民が混ざっている。魔人化させてしまえば本人の意思など関係ない、とメッセンジャーが証明してしまったのだからこの最悪の想像はもはや想像の範疇になく、真実だろう。


 そこまで理解してしまったからこそイリネロはナーバスな気分になったのだが、それを読み取って発破をかけてきたユイゼンの声と眼差しは割り切った者のそれであり、その簡潔さ。湿度のない態度に、少しだけ息もしやすくなった。


「医療班は私が呼んできます。この場はお任せしても?」

「ああ、こいつはあたしらが見ておくよ。もう動きそうにはないがね……」


 仮にイオの「罠の仕込みはない」発言が真っ赤な嘘であったとしても──ライネはそう思っていないようだが──この二人が見張っている状態で魔人一人が何をできるわけもない。気掛かりなのはメッセンジャーそのものではなく、メッセンジャーを送り込んだ力。あの空間の歪みが本部内のどこに現れても不思議ではないという点だったが……これもきっと今はまだ案ずる必要もないのだろう。


 三日後、明朝六時。歪みから魔人兵が続々と侵入し攻め入って来るのはイオが指定したその日時に達してからに違いない。少なくともライネはそう確信している。


 不動のまま自身が凍らせた魔人を見つめ続ける彼の後ろ姿をちらりと見て、イリネロは踵を返して本館へと足を向けた。



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