121.メッセージ
C級テイカーがS級テイカーに勝った。そして、その偉業を以てS級へ飛び級の昇格を果たす。というテイカー協会設立以来未聞の話題は協会中をあっという間に駆け巡り、けれど現場員・事務員の区別を問わず各所から不満の声が上がることはなかった。
全テイカーから畏敬と羨望の眼差しで見上げられるS級という位へ、どこの誰とも知られぬ若人が鳴り物入りするというのに、それに対する反対意見が聞こえてこないのはともすれば不健全さすら感じさせる──協会という組織の息苦しさすら感じさせる出来事であるが、実態はそうではない。正しく言うなら協会員たちには組織構造としての風通しとはまた違った理由での事情があり、異論を挟むだけの余裕がなかったのだ。
まずもって昇格話を立ち上げたのが現在唯一のS級であるユイゼンその人であり、彼女が自ら試験官として戦ったというのだから、結果として昇格が確定したその判断の是非や信憑性に懐疑の目を向ける者が──少なくとも表立っては──いなくて当然。それに加えて協会員たちは今、誰しもがこぞって戦力を求めている。それも雑兵の集まりなどではなく、人並み外れた猛者。それこそS級並の強者こそを切に欲しているところだ。
ユイゼン以外のS級四名の死亡。それでいて、凶事を招いた敵組織の主犯格とその右腕・左腕と思しき実力者は逃げのびており、近く再び協会を襲うという。このようなかつてない危機の只中にあっては協会の切り札たるS級の補填こそを求めるのは自然な心理に他ならない。
もちろん、穴埋めのみを目的として名ばかりの強者がそこに名を連ねたところで意味などないが、けれど今回はユイゼンの保証が最低限その不安を払拭してくれている。この点に関しては最高責任者グリンズやS級の真下である特A級テイカーたちからも認められている、というのも信用として大きい。
故に、ユイゼンに打ち勝ったライネ。そしてもう一人、ライネとはまた別の「過酷な試練」に挑み合格を勝ち取ったというイリネロ。こちらもC級かつ現場員ですらないというライネ以上に不可解な昇格となった彼女のS級入りについても──各々の内心に本当の意味での納得があるかは別として──広く受け入れられることとなった。
そうして五名が一名となり、一名が三名となった新体制のS級テイカーたちは現在、協会本部本館の玄関前広場にて一堂に会していた。
「…………」
「…………」
「…………」
無言である。本館を背にし、あたかもそこを守るかのように肩を並べて立つ三名はその視線も前方へと固定し、誰も口を開かない。長らく続く沈黙の時間。張り詰めるような静寂に耐えかねた、というわけでもないのだろうが、不意にイリネロが言葉を零した。
「本当に今、この場所なのですか? ライネ君」
横並びの中心、自身の右隣に立つ少年へ静かに問いかける。その質問に、問われた彼もまた静かに答えた。
「はい。根拠を示せる類いのものではありませんが、僕はそれを疑っていません。感じるんです。機が熟した、と。奴も同じように感じていると。奴はおそらく『メッセージ』を送ってくる──デートの日取りを決めるみたいにテイカー協会対魔人軍、その決戦の日を指定してくる。これは間違いのないことです」
「……そうですか」
ライネの落ち着きぶり、そして言葉選びにはどことなく奇妙なものを感じるが、イリネロは元々彼と親しい間柄にはない。こうして互いに飛び級でS級になったという縁こそあれど関係性としては知人の知人くらいのもの。現在のライネから受け取るこの違和感が何を元にしているのか、彼女には言語化ができなかった。
故に、そこには追求せずに彼曰くのメッセージとやらについて考える。
奴というのは言うまでもなく敵軍のトップであるイオのこと。【模倣】なる唯術でひとつだけでも充分に厄介な能力を三つも有しているという常識の通じない相手だ。その実力に関しては交戦経験のあるイリネロも全てとは言わないが把握できている。聞くに彼女の部下であるティチャナやトリータも魔人を名乗るだけあって人の基準から大きく外れた強者のようだが、しかしやはり真に恐るべきは彼らの上に立つイオであろう。
意図が読めない。内心の底が知れない。向かい合っても何も見えてこない──それがイリネロがイオと直接に矛を交えて抱いた印象だった。何がしたいのかが、まったくわからない。無論イリネロもイオが目指すもの、協会の打破を手始めに人間を駆逐し、魔人がそのポジションに取って代わろうという「世界の変革」。あるいはもっと率直に「世界征服」か。とにかく魔人の世を作り出さんとしているのだと情報として聞き及んではいるが……それだって怪しいものだ。
あの日あの場所で戦いを楽しんでいたイオの様子からは、そこまで大層な使命感など欠片も見受けられなかった。例えるならそれこそ、力の解放にばかり気が急いていた頃の、ただただ「遊びたかった」だけの自分を思い起こさせる。そういう未熟な純粋さばかりが目立っていた、ように思う。
……まさかそんな動機のみで世界征服などという大それたことを仕出かすはずもないのだから、イリネロには見えなかった部分にイオなりに背負うものもあるのだろうが──被害を被っている側としてはせめてそれくらいあってもらわねば困るのだが、けれどその真意がどうあれ、魔人という新種族の中においてもイオこそが特異であり異質である。それは間違いのないことだ。
そんなイオと、まるで共鳴でもしているかのように。もしくは反発でもしているかのように通じ合い、目の敵とし、宿命の仇敵として認め合っているライネとは、いったい何者なのか。ともすれば彼の不明の出自も「あちら側」であって、人間らしく見えるのは外見のみで。実は彼もまた魔人に属するのではないか……そんな考えが鎌首をもたげる。
反目し袂を分かって敵同士となった、のならまだいいが。
ひょっとすればあちらに心を残したままでこちら側に立っているのではないかと──。
馬鹿げた発想だ。思い浮かんだイリネロ自身それを鼻で笑いたくなる。魔人らしい外見云々の前に、そもそもライネは姿見の水晶を用いた面接を突破しているのだ。悪しき企みがあればあの水晶はそれを必ず映し出す。偽証は絶対的に不可能。だからこそフロントラインや魔人だって「まだしも魔石結界の方が与しやすし」と直接的な襲撃に至ったのだろう。彼らの採った策こそが何よりも水晶の不可侵性を象徴している。
それに、仮にライネに裏切りの意思があったとすれば既に適したタイミングはいくつも過ぎ去っている。命懸けでフロントラインの頭目を仕留め、またこうやってイオの再襲撃に備えているからには「そんな気」など彼には毛頭ないと見ていい。……だけども、しかし。
万が一にもここで。S級となってイオとの戦闘を一身に任された責任ある立場で謀反を起こされでもしたら、それが最も致命的だ。
上手く入り込んでおいてそこまで契機を見計らうものかと訊かれれば、たとえ保険の意があったとしても相当に悠長なやり方だとイリネロも思うものの。けれど発案者がイオだとすれば考えられないことではないとも、思う。いくつもの唯術を自在に組み合わせられる彼女ならば、あるいは結界以上の絶対と謳われる姿見の水晶だってどうにかして騙せてしまえるのではないか、と。
ライネは果たして本当に、協会の味方なのか──?
「信じていいとも、イリネロ」
「! ……ユイゼンさん」
「坊やもとんちきなことを言っているからね、その真偽が疑わしく思えるのは仕方ない……むしろ疑わない方がどうかしているってもんさ。あんたの疑念はもっともだよ。けれど、信じていい。坊やに嘘はない。この子が『感じる』というのなら真実そうなんだ。理屈はさっぱりだが、なんであれ敵はただでさえ訳の分からん連中なんだ。そいつらの動向がある程度でも読めるとなればあたしらにとっちゃそれは垂涎だろう? ありがたく恩恵に預かろうじゃないか」
話題こそあくまでも「メッセージが来るか来ないか」だけに絞られていたが、おそらく……いやほぼ確実に、ユイゼンはイリネロの抱く真の疑惑について気付いるに違いない。ともすれば、ライネ自身も。しかし当人はそれに関して何も言わず真正面を見続けるだけ。その様子に開き直りやバツの悪さ以上に一意専心の揺るがない佇まいを見たイリネロは、少しばかりの空白を挟んでからゆっくりと頷いた。
「ええ、そうですね。まったく仰る通り──私も信じたく思います」
イリネロがここにいるのも、ライネの予感を信じたから。正確にはそれを信じているユイゼンを信じたからだ。
本部所属の若い事務員という立場上、二十年近く前には本部を去っているユイゼンともイリネロは関係に薄くはあるが……もはや協会員であること以外に繋がりのない赤の他人であったとすら言えるが、しかし彼女にとってもやはりS級は特別。中でもイリネロは特A級の姉を持つ身であり、その姉が「いろいろな意味」で殊更に気にかけるテイカーの頂点なのだから、いくらこれまで面識がなかった相手だろうとユイゼンの言葉もまた絶対に等しい。
何があったかは知らない。ライネがイリネロに課された試練の内容を知らないように、イリネロもまたライネがどんな試練を経てS級に認められたかを存じない。ただしそこでユイゼンとの間に信頼を築く何かがあったのは確かだろう。そうでなければ出会って大した日にちも経っていない新米テイカーに対してここまでの断定的な言葉は吐けない。
ユイゼンが信を置くだけの何かが。また彼女だけでなく、彼に近しいルズリフのテイカーたちがこぞって彼を助けたいと思うだけの何かが、ライネにはあるのだ。
氷の唯術とは反対に、周囲の者を動かすだけの大いなる「熱」のようなものが。
──そしてそれはきっと、彼の宿敵であるイオにも共通する特徴なのだろう。
「では具体的に、ライネ君の言うイオからのメッセージとはどのような手段によるものか。それをお訊ねしても?」
予想の範囲で構わないし、あるいはそれ以上に確かなものであるのならそれも重畳。事務員諸君の連日連夜の奮闘により魔石結界は現在その機能を取り戻している。
当然、システムの再構築にあたって速度面との兼ね合いで妥協した部分もあり、何よりも結界と合わせて「完璧」とも称された──敵の侵入を許してしまったからにはその名高き称号も返上されてしまったが──S級テイカーであるロコンドの【遮断】が失われてしまっているからには、以前ほどの堅牢さは取り戻せていないことになるが。だとしても一応の防衛体制を整えられたのは、急造の復旧にしては上々の成果だと言える。
人手の減った状態で僅かな日数の間によくぞこれだけの仕事ができたものだ。と、少し前までなら自分も事務員としてその作業に加わっていたはずがS級への昇格試験のために不参加であったイリネロなどは同僚(同班の仲間)への少々の申し訳なさと共に感嘆を抱いている。
今回の出来事で半分以上が帰らぬ人となった友人たちの顔を思い浮かべながら、イリネロは続ける。
「新たな結界が本部を守っている。それを乗り越えてくるようであれば必然に、その時点で始まるのではありませんか? ──戦争が」
まず、この短期間で魔人側にもう一度結界を破るための用意が果たしてできるのかという疑問もある。結界そのものをどうにもできないとなれば、本部への侵入を果たせるのは【同調】なる唯術を持つティチャナとそれをコピーできるイオの二人のみ。それだって魔石結界とまで一体化できるかは不明なのだ。
メッセージの送りようがない。また、あったとしてもそのときはもはや全面対決の火蓋が落とされる号砲になるのではないか。というこれもまたもっともであるイリネロの質問に、ライネは視線だけを横に向けて緩やかに首を振った。
「どんな方法で本館前へメッセージがやってくるのかは僕にもわかりません。僕の受けた予感はそこまで事細かなものではありませんし……それ以前に方法なんて気にしたって仕方ないですから」
「仕方ない?」
「ええ。だってそうじゃないですか。イオは魔人を量産できると言った。奴らの下には『そのため』の素材も大量にあるということです。どんな唯術が飛び出しても不思議じゃない」
例の砲台と砲弾のような大仰な道具を用いずとも、それこそ【同調】のように結界が通じない可能性のある能力が増えていてもおかしくない──その意見にイリネロが何かを言おうとして、しかしそれより先に事は起きた。
「来るね。目の前だ」
「!」
ユイゼンの端的な注意。緊張を孕んだその声にハッとして前方へ目をやれば、そこの空間が歪んでいた。