120.僕たちは
「こ──凍らせる。僕が、ユイゼンさんを」
「あるいはあたしがあんたを、だね。その場合は言うまでもなく不合格。あんたの希望は通らない。あたしの方が氷漬けにされたんなら合格だ。晴れてあんたはS級、イオとも思う存分に戦れる。シンプルな決め方だろう?」
「……、」
握ったユイゼンの掌からじわりと冷気が伝わってくる。銀世界が発動していることによる作用だろうか? 彼女の魔力そのものがまるで凍て付くようだ。やはりバフがかかっている──それは氷霧を発動している僕も同様だが、しかし。
「ああそうさ、条件はちっとも対等なんかじゃあない。互いに自身有利の術を展開しているのは同じだが、あんたは体力も魔力も擦り減らしている。氷霧の助けがあったって上限はそう高くない。対するあたしは銀世界の恩恵をこの上なく発揮できる。不調と万全の差は大きい、この時点であんたはとんでもない逆境にいることになるわけだ」
「……その逆境を、撥ね退ける力を示すこと。それがユイゼンさんのテストの本当のクリア条件なんですね」
「くっく、よくわかってるじゃないか。そうとも。S級にもなろうっていうなら完全なる形勢不利。勝機にか細い窮地からでも勝利と生存を掴み取れる──言うなれば『逆境でこそ発揮される力』が不可欠。それは誇りと言ってもいいし、あるいはもっと泥臭く根性と称してもいい。死闘を制してきたらしいあんたにも最低限それは備わっているだろう。が、まだ足りない。まだまだ不足している。あたしの目にはそう見えた」
だから覆してみせな、と。ユイゼンの手に力が込められた。九十以上の年齢とは思えないその力強さに、僕も強く握り返すことで応じる。
「あたしらは互いに冷気に耐性があるようだ。その耐性を越えて先に行動不能に陥らせた方の勝ちだ。場合によっちゃお互いに動けなくなる引き分けもあり得るが……ま、死にゃしないだろう。外にはマーゴットもいるからね」
「ちなみに、ドローの場合の合格判定は……」
「そりゃ不合格さ。あんたの勝利条件はあくまで『先にあたしを凍らせる』こと。同時じゃあ認めてやれないね」
「ですよね」
聞かずとも予想できていた返答に僕は笑って頷く。
逆境でこそ発揮される力、か。ユイゼンの言う通り、僕自身少なからずそれを持っているという自負はある。でなければとっくに死んでいた。何度か本気で死を覚悟する場面に陥ってもこうして無事でいるのは……まあシスに助けられてのことも多いが、それも含めて僕の強さの一因だと今なら素直に認められる。
けれど、足りていない。そう評したユイゼンの意図も理解できる。思わぬ幸運やシスの補助。そういうもので生き残ってきた僕の強さと、彼女が言うS級が持つべき強さは少しばかり違う。誇りや根性がもたらす瀬戸際での粘り。果たして僕にプライドやガッツなるものがあるだろうか?
それも死地においてこそ輝きを放つような、本物が。
《あるにはある。けれどもユイゼンの求める基準には届いていない、といった感じですかねぇ。最近は改善されてきたとはいえ、私としてもあなたにはもう少しだけその類いの自信を持ってほしいと思っていたところです。それだけにこのテストは思いの外に有用かつ有効かもしれませんね──イオとの決戦に向けた調整としても》
そうか……そうだね。このテスト、絶対に合格したい。ただただ単純に、偉大な先輩テイカーであるユイゼンに認めてもらいたいがためにそう思う。この気持ちは少しだけ、彼女が言う誇りや根性に近しいものなのではないだろうか。
あとはこれを、この想いをどれだけ高められるか。それを魔術へ変換できるかにかかっている。
「用意はいいね?」
「はい」
迷いなく答える。準備も覚悟も、もうできている。これから始まる勝負がどんなに困難なものかは重々に承知しているが……怯えは消えた。恐れもない。あるのはたったひとつ、勝利への欲求だけだった。
ユイゼンに勝つ。氷の術師として、一瞬だけでも彼女を上回るのだ。
始まりの合図はなかった。
◇◇◇
ユイゼンの唯術【氷天】は本人が申告している通りに氷の生成と生成物の操作に特化した代物だ。ライネの【氷喚】も対象物を凍らせるよりも氷の生成を──特にコスト消費の少なさにおいて顕著に──得意としているが、【氷天】は更にそちらの方面へステータスを割り振った唯術と考えればいい。
例えばライネの氷鳥もユイゼンが真似ればよりローコストに堅牢な怪鳥を作れるだろうし、現状氷霧下でしか生成できない氷龍も銀世界のバフなしでも悠々と彼女本来の氷竜と並べ立てることができるだろう。特化しているだけあってそちらの差は歴然。では他の方面でなら【氷喚】は【氷天】の上を行っているのかと言えば、必ずしもそうとは限らない。
敵を凍らせることだって氷の生成の仕方を工夫すれば当然にできるし、いくら得意でないと言っても彼女には圧倒的な物量とそれを為せるだけの出力がある。結果として「何かを氷漬けにする」という氷術の一分野においてもユイゼンは力押しでライネと並ぶ、どころか追い抜いてしまう。これは彼女が長念に渡って術を磨き続けてきたからこそ可能なのであって、ライネの落ち度や【氷喚】の弱さを示す例などでは断じてないものの、しかし両者間に存在する明白な力量の差であることも確かだった。
氷霧と銀世界というよく似た術の関係もこれに同じ。氷霧はあくまでも空気中に満ちた術者由来の水気《魔力》により他の術をより効率よく扱えるというもので、術者当人への直接的な還元はない。それに対し銀世界は術への作用だけでなくなんとユイゼンの動作性と身に纏う常時の魔力量を引き上げるというこの上なく直接的な強化も性能の内にある。この時点で「銀世界が氷霧の上位互換である」と語ったユイゼンの評価は的を射たものであることがわかるだろう。
先達として、また同系統の術者としてライネを見る彼女の眼力は正しく──故にこそ彼女は完全な上位互換だとは言わなかったのだ。
氷霧には霧の性質上相手の視認性を落とすと共に、その体内に冷気として侵入し内部から害するという効果もある。これは周辺一帯を氷で覆う銀世界にはない独自性と言える。氷霧が銀世界に及ばぬ点は多々あれども、銀世界が氷霧に及ばぬ点も確かに存在しており。──繰り返すが氷霧と銀世界の関係はライネとユイゼンの関係に同じ。
つまりそれは、術者として全ての面においてユイゼンがライネを超越しているわけではないという、その何よりの証明に相違なかった。
ライネには彼がライネであるからこその独自性がある。S級にも劣らぬだけの「特別」が。
◇◇◇
(こんなものかい? 坊や)
束の間の拮抗すらもなく自分の魔力に押し込まれ、腕から肩にかけてを氷漬けにされたライネの哀れな姿を見ながら。多分の落胆と捨て切れないだけの期待をもってユイゼンは内心で問いかける。
(いいや、そんなわけがない。そんなはずがないんだ。そうだろう──)
でなければあれだけ強大な魔力を放っていた奴に勝てやしない。魔人を自称する連中の大将から目を付けられたりもしない。それだけでなく、ライネは味方からの評判もいい。ミーディアは彼のために真摯だし、アイナやモニカなどの同期組とも特別な絆があり、更にはグリンズやガントレットといった上の者からも覚えがいい。
絵に描いたような優秀なテイカーの鑑。
それでいて彼のやってきたことはよくあるテイカーの例に習わない激動のものだ。
無論。先ほど彼女自身も言ったように、ユイゼンはライネの経歴全てを信じてはいない。出自不明の記憶喪失者。過去を一切明かさない、つい数ヶ月前に魔術を覚えたという少年。たとえ姿見の水晶が彼を協会の味方だと判じたとしてもこの経歴ではどうしたって怪しさを拭えはしない。が、それでも。
(あたしもそうだ。いつの間にかあんたを信じている。過去に何があったかなんてどうだっていいと思えるくらいにしっかりと仲間だと認識している……そして何より)
心が踊っている。確かな才覚を持つ若者に、自分と同じ系統の術を操るライネに、薫陶を授けてより強くしてやれることに。そんな機会を得られたことに一人のテイカーであるユイゼンの胸は湧き立っている。
リグレには師匠として魔術の基礎とテイカーの心構えを授けて。コメリには保護者代わりとして面倒を見てやって。そしてエミウアには、既に特A級にまで登り詰めている彼女へ相応しいだけの厳しい戦闘訓練をこれから施すつもりでいる。他にも、きちんと師弟関係を結んだわけではないがユイゼンは何人ものテイカーの成長と教育に携わってきた。協会最古のテイカーの称号は伊達ではなく彼女は六十年以上を現場員一筋で過ごしていながら、戦闘以外の面においても大きく協会へ貢献してきている。
しかしてそんな彼女でも同系統の唯術持ちを鍛えた経験はこれまでにない。これが初めてのことであり、しかもその人物が一目見てわかるほどに──己とも並ぶほどの才能を持つ者だというのだから、これで心が湧かねば嘘というものだ。
「あとがないよ、ライネ。どうすんだい? このまま何もできずに負けんのかい。それじゃあとんだ見込み違い。ある意味じゃ見事に予想を覆されたね。なんせあたしの見る目は節穴だったってことになるんだからね」
肩を越えて胴体から首にかけても氷に覆われ始めているライネは、もはや半身が封じられていると言ってもいい。対するユイゼンはまったくの無事。多少なりともライネから伝わる自分由来のそれではない冷気を感じてはいるが、言うまでもなくその程度で凍り付くほど彼女の耐性と魔力防御はヤワではない。
顔にまで氷が届き始め、あと一歩。鼻や口といった呼吸器を抑えてしまえば尚更に逆転は難しくなる。そこに到達してしまうまでもう少し──というところで。
「……ハッ。やりゃあできんじゃないか」
己が氷の進行が、侵攻が止まった。否、「止められた」。それにユイゼンは驚くでもなく動じるでもなく、にやりと笑った。そんな彼女にぽつりと告げられる言葉。
「すみません、ユイゼンさん」
「あん? 何を謝って──」
「ようやくなれましたけど、加減が効きそうにありません」
言葉の意味を探る暇はなかった。ライネの身を覆う氷が立ちどころに割れ、剥がれ落ちていく。この急激な変化には流石のユイゼンも戸惑った。
抵抗らしい抵抗もできずに押し込まれていたのを、食い止める。これだけでも十二分だというのに、そこから一瞬にして盛り返しまでしてくるとは。尋常のことではない。いったい何があればこんな真似が可能になるのか。
術の理解? 魔力の出力の増大? もちろんそれらはこの現象を引き起こすに必須のものだろう。ユイゼンも追い詰められた土壇場でライネがその要訣を掴んでくれることを願っていた。故に彼女はそれが叶ったのを喜ぶべきなのだろうが──どうしても困惑が勝つ。
(盛り返した、に留まらず! 押し込んでもくるだって……!)
ライネから伝わる冷気が増した。肌を刺すように鋭く全身を包み込んでくるそれはこの「押し合い」にてライネが優勢に立とうとしている証拠だった。ここまでくればユイゼンも確信する。依然として何をもってしてのことかは不明だが、けれど厳然たる事実として。術の理解だとか瞬間的な出力だとか、そういった魔術的な成長の一般例からはかけ離れた「何か」。ライネにしかない、彼しか持ち得ない独自性がそうさせているのだと。
彼だからこそ掴める未知の力を掴んだのだと、そう察した。
「く──くっくく! 期待以上じゃないかい、坊や! 良かったよ、やっぱりあたしの目に狂いはなかった! あんたなら──」
「──ええ、僕なら。ユイゼンさんのおかげで『気付けた』今の僕なら、勝てる」
この勝負にも。そして、イオにも。
雪景色のように静かな、されど確かな熱をも感じさせる彼の言葉を最後に、形勢は決した。ユイゼンの全身が頭部を除き凍り付き、ライネはまったくの無事。こうなればもはや勝敗は明らかであった。ユイゼンはこの状態からでも脱する手段を持ち合わせているが、そうしようとはしなかった。
ただひとつ、確かめる。
「あんた……ライネ坊やなのかい?」
「はい。間違いなく僕は──『僕たち』はライネですよ」
吹き荒ぶ冷気に髪を揺らしながら微笑む彼は、やはり。ユイゼンの目に別人のように映った。
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