119.一発
まさか、と思う。
まさかユイゼンは気付いているのか? まだ誰にも、恩人であるミーディアにすらも依然として明かしていない秘密。僕という存在が決して僕一人だけでは成り立っていないこと。
シスという「もう一人」の存在に、この人は勘付いているのか──。
「聞きゃしないよ」
「!」
気付かれているのなら、疑われているのなら打ち明けるべきなのか。荒唐無稽な話を今すべきなのか。そうすることでこのテストに、つまりはイオとの一騎打ちという目標の達成に何か良くないものが挟まるんじゃないか……と、一瞬の内に様々な考えが巡り葛藤が始まったところを、ユイゼンがあっさりと。ばっさりと僕の苦悩を要らぬものだと斬り捨てた。
「何を抱え込んでようが無理に聞き出したりはしないよ、安心おし。あんたの周りのテイカーだってそうだったろう? これまでのことであんたが協会の、あたしらの味方だってのは確かなんだ。それだけ信じられたら充分だよ。互いに命を預ける仲間にそれ以上は必要ない。そうじゃないかい」
「ユイゼンさん……」
「ふん。ライオットへの執着もかなりのもんだったが、イオに対してはそれ以上。大方あんたが抱えているもんにイオもかかわっているんだろう。ミーディアたちだってそれには薄々と気付いているだろうさ。だが、聞き出そうとなんてしない。誰だってほじくられたくない過去ってのはあるもんだからね。記憶喪失だっていうあんたにも過去は確かに存在している。それがなんであれ、あたしらは『今のあんた』を信用している。それに応える覚悟も、あるんだろう?」
「──はい!」
精一杯に真摯に、そして力強く返答した。ミーディアやガントレットが僕を気遣って深く立ち入ろうとしないように努めていることは、僕自身も察していた。だけどそれがそこまでしっかりとした信用の上に成り立っているものだとは……それほどまでに信じてもらえているとは、思いもしなかった。
こんな出自も知れない、自己申告で記憶喪失を謳う怪しい人間を──そんなにも仲間として認めてくれている、なんて。
だったら応えないわけにはいかない。僕の秘密や、イオとの関係性などなんら関係なく。そんな事情などなくたって、敵の大将首ひとつくらい獲って見せなければ、僕は僕を生きられない。償いとして始まったはずのこの新たな命を全うしているとは到底言えないだろう。
「ありがとうございます、ユイゼンさん。改めて決意と……勇気の原料を貰えました。イオは必ず僕が倒します」
「是非そうしとくれ。それができればあたしらも大助かりだ。あの得体の知れないガキンチョは他の誰かに任せるってのも気が引けるもんでね……勝算を見据えて戦いたがるあんたに預けられるんならそれが一番だ」
ただし、とユイゼンは僕の喜びに浮つく心を引き締めるような厳しい口調で注意した。
「忘れてやしないだろうね? あんたご希望のマッチアップを認めてやるかはこのあと次第。最後の課題をクリアできるかどうかにかかっているんだってことを」
「……はい、わかっています。聞かせてくださいユイゼンさん。僕に残された最後の課題と、それによって克服するべき不足がなんなのか」
うむと彼女は鷹揚な仕草で首を動かし、そして「三つに」と言った。
「魔力を使わない戦い。体力を使わない戦い。とくれば大方予想もつくんじゃないかい? あんたがS級へ上がるために手に入れるべき最後の要素は、魔力も体力も心許ない状態での戦いで、打ち勝つこと。それもそんじゃそこらの敵にじゃあない──S級格。つまり最終試験とはこのあたしと戦い、勝つことさ」
「っ……!」
ミーディアとの第一戦で長く戦い、体力をほぼ使い果たした。エミウア、コメリのコンビと対峙した第二戦は時間こそかからなかったが、それは体力をこれ以上使わぬようにとシスがほとんど術のみで対処したから。その分だけ魔力が惜しみなく消費され、こちらも今や万端と比べると残量はその半分ほど。
言うまでもなく、S級格と戦うべきコンディションにはまったくない。
《HPはレッドゲージ、MPはイエローゲージといったところですから、仰る通りボス戦に挑むのは無謀ですねぇ。ゲームのように回復手段の持ち合わせでもあれば別ですが……》
これはゲームじゃなく現実だからね。体力を取り戻すには休息と時間経過が必須だし、魔力だって似たようなものだ。一部の魔術師には自分の魔力を他者へ明け渡す技能を持つ者もいるようだが──変則的ではあるがアイアスも譲渡が可能で、モニカとアイナは対フロントライン戦でそれにとても助けられたと聞いた──しかし、今はそんな支援も受けられない。受けては意味がない。この最終試験の意義がなくなってしまうからだ。
そこまで考えた時、ふと思い至る。──ひょっとしてシスはとっくに気付いていたのか? ユイゼンが言い渡す最後の課題について。
《ええ、まあ。確信があったわけではありませんが、落ち込んだ体力を引き継いだまま次の組手へ移行させられた時点でこの形式の理由には理解も及びましたよ。どんな状況下でも勝ちを拾うための力。才能豊かであり戦果も挙げているあなたに、ユイゼンの目から見て足りないものがあるとすれば『それ』だろうと納得もできましたからね。翻って最後のテストは、ユイゼンの手によって極限まで追い込まれることになるのだろう、と》
そうわかっていたから、さっきの組手で魔力の消費を惜しまなかったってこと?
《はい、一定までは。ユイゼンの思惑通りにじゃんじゃか使い、残量に不安を抱えてこそスムーズに次の段階へ進めると思ったものですから。私の見立てでは半減はその瀬戸際。これでも最大限に残したつもりですよ》
な、なるほど。ユイゼンも歴戦の猛者、傍から見ているだけでも僕の魔力が万全からどの程度減ったかは正確に見抜ける。その前提を踏まえてシスはユイゼンに「魔力が減っている」と認められる範囲内における最大値の量を保有してみせた、ということか。
まさかあんな激闘の最中にもそこまで計算して戦っていたとは驚きだ……けど、なんともシスらしいとも思う。それでこそ、いつでも冷静でいつでも頼りになる僕の最高の相棒だと。
「あたしに勝つこと、とは言ったが今までのように組手をやろうってんじゃない。だから正しく言うならあんたは『勝つ』んじゃなくあたしを『上回る』必要がある……それさえできたなら文句なし。傷のひとつもない完璧としてあんたをS級へ推薦しようじゃないか」
ユイゼンの推薦さえあれば、そして現状の最高責任者であるグリンズからの許しも得ている以上、僕はシームレスにS級へと昇格できる。コメリの言う通り、全てはユイゼンの鶴の一声が下されるか否か。そこにかかっている。それだけに、その最終的な決断の要となるであろう彼女との勝負はきっと。
「全力の一撃による一発勝負。それで決着としようじゃないか」
「……!」
これまでにない、命のやり取りとはまた別種の厳しい戦いになる。
そう思った通りに彼女の口から告げられたテスト内容は、過酷極まりないものだった。
たった一発。それで相手の上を行けるかどうか、ただそれのみで線引きが済む……済んでしまう、文字通りの一発勝負。これは厳しいなんてレベルじゃあないぞ。
「なに、単に同時に攻撃し合おうってんじゃないんだよ。それで試せるのは瞬間火力だけ。あんたに示してもらいたいのはそんなもんじゃないからね」
「えっと……じゃあ、いったいどんな『一発』を?」
「ふむ。あんた、さっきの霧。氷霧と言ったかい? アレをもう一度やってみな」
氷霧を? まだユイゼンの意図するところは読み解けなかったが、とにかく言われた通りにしてみる。口から吐息と共に冷気を吐き出し、辺り一帯に白い霧を広げていく。その風景を──先の審判を務めていた際とは違って──中から眺めてユイゼンはひとつ頷き。
「なるほどね、見た目こそ自然現象の霧と見分けがつかないがその実態はまるで違うわけだ。まるであんたの魔力の檻に閉じ込められたようじゃないか……敵からも褒められたというだけあってこれは確かによーく出来た術だ。言わば戦場を自分のための場に仕立てるんだからやられた方はたまったもんじゃない。エミウアやコメリが実戦相当のテンションでいたとしてもこいつの攻略は一筋縄じゃあいかないだろうさ」
「あ、ありがとうございます」
「いや何、手前味噌な評価だよ」
「え?」
「なんたってあたしもその昔、同じことを考えたからね。くっく、やはり同系統の唯術を持つ者同士。思考回路ってのもある程度は似通るもんなのかね──」
ぶわりと。それまで凪いでいたユイゼンの魔力が瞬間的に溢れ出した。その爆発的な勢いを目の前に思わず目を瞑った僕が、次に瞼を開けた時……世界は一変していた。
訓練室が、凍り付いている。まるで全てが氷で構成された別世界へ迷い込んでしまったような光景に僕は息を呑む。これは、この術は。ひょっとして氷霧と同じ──いや、氷霧の更にその先なのか?
「銀世界。と、呼んでいる。一応は【氷天】の奥義に位置する……つまりはあたしの必殺技だよ」
S級テイカーの、必殺技。まるで世界を塗り替えたようなこの規模を見せつけられれば納得するしかない。この極寒の冷気、充満する魔力、そして底知れない死の気配。どこを取っても、何を感じてもひとつの唯術を極めつくした者にしか到達できないレベルのそれだと理解できる。
脳というより本能で、体というより骨の髄で実感できる──ここは、まさしくユイゼンの支配域であると。
「お察しの通りにあんたの氷霧とやるこたぁ同じさね。銀世界の内部じゃあたし以外の術者は寒さで思考や動作が鈍り、逆にあたしが生み出す氷生物はより早くより多く敵を襲う。自慢のつもりはないが、こいつを使って生かして帰したことは過去一度だってない。必殺技の言葉通りってわけだ」
「……!」
それも、納得しかない。ユイゼンが氷の生物を生成する速度は──その量もだが──僕から見ても途方もないもの。それがより強化されて、より対応が困難な環境下で次々に襲い来るのだからどうしようもない。大抵の魔術師は何もできずにあっという間に物量に飲み込まれるか、一時は凌げたとしても延々と続く攻撃に魔術的容量の限界を迎えるか……どちらにせよ敗北と死から逃れる術などないだろう。
《術的な強度も相当にあると見受けられますね。アップデートさせた氷霧以上の保持力がある。この空間に閉じ込められては脱出を目論んでもまず叶わないでしょう。オルネイやメグティナのような空間に作用する唯術持ちでもなければ……いえ、それすらもひょっとすれば》
僕はなんとなくの肌感覚でしか脅威を測れていないが、シスはもっと具体的に「銀世界」の性能を読み取っているようだ。そうだろうなと僕は彼女の言葉へ胸中だけで同意を返す。確かに直接外部へ飛べるような力でも持たない限りはこの氷の世界から逃げ出すことなどできないだろうし……そしてそんな反則の逃げ方すら許されないのではないか、と思わせる物がこの術にはある。
負担分割の裏技で強化し、ライオットの斥にも耐えられるだけの強度を得た氷霧。それを超える「術としての硬さ」が備わっている……おそらくはそのために他の性能を落とすこともなく、だ。
S級であり、経験において現存するテイカーの誰よりも先を行く大先輩。ユイゼンならばそれくらいのことは当然に可能だろう。と思うのと同時に、同じような術ひとつ取ってもこうも完成度に差があるのだという事実に愕然としてしまう。
ユイゼンを比較対象にするのが烏滸がましいことであるとはわかっていても、しかし同系統の術師なのだからどうしたって比べないわけにはいかない。魔術師としての腕前は、まだまだ本物の強者には及んでいない。そう、受け入れざるを得なかった。
「受け入れられちゃ困るんだよ」
「!」
「あんた今、敗北を認めたろう。それはいい。実際細かな違いもあれどあたしの銀世界があんたの氷霧の上位互換であることは間違いない。完成度の差を見抜けるのも実力があってこそなんだからそこは否定しなくていい……けどね、腕の違いを認めたまま項垂れるのは無しだ。あんたには奮起してもらわなきゃならない。多少の実力差なんぞものともしないだけの気迫を見せてもらわにゃ──とてもじゃないがS級に上げてはやれない。敵の大将を一任するなんてのも、もっての外。だからこその最終試験さ」
ユイゼンは腕を出し、僕に組めと言った。思考がまとまらないまま言われた通りに彼女の手を取り、僕らはまるで腕相撲でもするみたいにがっしりと互いの掌を握り合う。
「この状態でどちらが先に相手を『凍らせる』か。それが一発勝負の内容だよ」




