人間に飲まれたクジラは死んでいる
日が沈むまでに戻るためには、そろそろ動き出さないとまずい。
まだ体が重くて休んでいたいところだったけど、仕方ないから眠そうな顔をしているアリベルの腕を引いて小屋を出た。
「今のところ追い掛けて来なさそうだな。よし!早く戻ろう!」
「そうね……ルカ、何か張り切ってるけど、怪我は大丈夫なの?」
アリベルに訝しげに尋ねられて、俺は一番気掛かりなことを先に解決させることにした。
誰がどんな手段で、どこから話を聞いているかわからないから、アリベルの耳元に顔を寄せてなるべく小さな声で囁く。
「あのさ……怪我はどうでもいいんだけど、お願いだから俺があの怪人アルマジロウサギに一回やられたって、兄貴に絶対に言わないでくれよ」
「い、言わないわよ」
「バレたら確実に2、3日動けないくらいのお仕置きくらうから。絶対な。約束だからな」
「わかった。私、本当の兄弟がいないからわからないけど、ルカも色々大変なのね」
「でも、兄貴は弟の顔は殴らないんだ。優しいだろ」
「その理屈はどうかと思うけど……」
「あ、アリベル、ちょっと待て」
アリベルは山を下る道を進もうとしたけど、そちらの方から血の臭いがする。
俺を切り付けたヤツの尻尾に付いている俺の血の臭いだ。
「ここで鉢合わせしたら面倒だなぁ……ん?」
微かに漂ってくるだけだから、今すぐ走って逃げなくても大丈夫そうだ。
しかし、意識を集中させて周囲の気配を探っていると、山の上の方から見慣れた気配が漂っていた。
「……小紅がいるな」
「そうなの?私たちを追い掛けてきたのかしら?」
「ちょうど良かった。乗せてってもらおう」
草の隙間を流れている細い川を辿って、小紅の気配がする方に向かう。
上流に向かうにつれて川幅は広くなっていき、やがて大きな滝が流れ落ちる岩場に到着した。
「小紅……いないわね」
「この辺にいると思ったんだけどなぁ……」
とりあえず血で汚れたままだったので、川に入って、傷を抑えていた破れたシャツをばちゃばちゃと濯いだ。
透き通った綺麗な水で、海でブツブツ文句を言っていたソフィアも、この川なら遊べるかもしれない。
そんな事を考えながらシャツを絞っていると、川の底に赤く光るものを見つけた。
ピカピカと宝石のように輝いていて、水に溶けるように赤く揺らめいている。
拾い上げてみると、拳くらいの大きさの黒い石が割れて、その中に埋まっている赤い石が覗いていた。
何度か見たからすぐに分かった。これは竜石だ。しかも紅竜の。
「アリベル、竜石が落ちてる」
「何言ってるの。滅多に落ちてるものじゃないでしょ」
アリベルは最初信じていなかったけど、川から上がって石を渡すと、しげしげと眺めてようやくそれが竜石だとわかってくれた。
「えぇ……?石だけが残ってるって、どういうこと?」
「うーん……大昔に倒された紅竜がいて、石だけ残されて地層の奥深くで岩になって、最近割れて出て来たってところかな」
「そんな事があるのね……」
「ラッキーだな。これで俺はまた褒賞金が貰えるってわけだろ」
「もしかしたら、石の力が水に溶けだしていたのかもしれないわ」
「へー、竜石って水溶性なのかぁ」
「それで、この川の水を飲んでアルちゃんはあんな大きくて凶暴な姿に変わっちゃったのかもしれない」
「なるほど……アリベル、あの怪人のこと、アルちゃんって呼んだか?」
衝撃的な言葉が聞こえた気がして、俺はアリベルに尋ねた。
しかし、そんなのんびり話している場合ではなかった。
あの暴走ウサギがここを水飲み場にしているなら、この辺りを中心に動いているはずだ。
獣の臭いが徐々に近付いて来るから、見つかったのかもしれない。
「アリベル、逃げた方がいいかも」
「わかったわ!ルカは私が背負って行くから」
「いいよ、俺一人で走れるから」
「無茶言わないの。ほら、乗って」
「いいっていいって、大丈夫」
そんな話をしていると、地面がプルプルと震えた。
地震かと思って周囲を見回したけど、俺とアリベルが立っている周囲しか揺れていない。
「な、何……?」
アリベルが不安そうに俺にしがみ付いた。
地滑りにしても局地的だし、あの怪人が何かしている気配はない。
一体何なんだと身動きが取れずにいると、目の前の地面から白い巨大な牙がにょきりと生えた。
そしてずらりと並んだ牙から地面が膨らんで赤い大きな口になると、そのまま川ごと俺とアリベルを飲み込んだ。




