虎の威はできれば借りたくない
狩刃家長男・狩刃イオの評判は、業界だと知らない者はいない。
とにかく自分が決めた正義に従って動く殺し屋だけど、その正義が果たして世間一般でいう正義なのかは疑義が生じるところだ。
幼稚園児のように清く美しい時もあれば、古代神話から引用してきたような過激な時もあれば、あちこちの料理サイトからレシピをちょっとずつ参考にした結果完成した魔女の大鍋の中身みたいなカオスの時もある。
でも、最後はいつも「こんなに正しい自分が選んだのだから即ち正しい」と、優雅な自己完結に落ち着く。
色々突っ込みたいところがあるけど、身内にいるならこれほど頼もしい相手はいない。
そのぶっ飛んだ正義を貫けるくらい兄貴は強くて賢くて狡くて美しくて、何より普通に平均的だからだ。
「にしても、体中が痛い……」
兄貴の茶目っ気で潰された喉は治りかけているけど、まだ声が出しにくくてガサガサ咳き込んでいる。
けほけほと軽く咳をしただけで、タオルが血で染まった。
どうせすぐに治るだろうけれど、全身どこもかしこも痛くて堪らないのはなぜだ。
どういう腕力をしているのか知らないけど、兄貴はツッコミで戯れに人を叩いた時でも、人の肋骨を粉砕するくらいの威力がある。
だから、ちょっと殴られただけなのに、骨は折れるわ内臓は潰れるわ本当に大変な目に遭った。
しかし、この痛みを全て兄貴に責任を押し付けるのは甘え過ぎだろう。
今まで怠惰に過ごしていたのに突然本気で動いたから、酷い筋肉痛に襲われているだけだと思う。
「やっぱり、日頃のトレーニングって大事だよな……」
とりあえず、怪我を治すためにもうひと眠りしようと、布団の中で目を瞑る。
でも、ソフィアが自室から出てくる気配がして寝ていられずに起き上がった。
いつもはドアの前くらいまでの気配しか読めないようにセーブしているのに、今は屋敷の中全ての気配がべったりと触れているかのように気色悪いくらい感じられていた。
多分、兄貴と遊んで気が立っているせいだ。
何とか普通にしようと思っているのに、ソフィアが車椅子を動かしてゆっくり俺の部屋に近付いてくる衣擦れとか、タイヤの軋む音とか、小さな息遣いとか。
全てが気になって落ち着かなくて、ソフィアがノックする前にドアを開けてしまった。
「何?」
ソフィアは、ドアの前でノックをしようと腕を上げた状態で止まっていた。
年下の女の子相手に情けないところは見せられない、と思うのに、いざ目の前にすると早く話を切り上げて部屋に戻りたくなる。
いかに少ない出血で殺せるか、あるいはど派手に残酷に殺せるか、あるいは片付けやすいようにコンパクトに殺せるか、あるいは宗教の儀式的な手法で殺せるか、あるいは苦痛を最大限に与えて殺せるか。
ソフィアを前にしただけで、数百の殺し方が浮かんでくるのは、兄貴の英才教育の結果だ。
そして、それが浮かぶたびに全部打ち消している。
この仕事を選んで、ソフィアに雇われると決めたのは俺だから。
「ルカ君、買い物に行ってきてくれませんか?」
「何で?」
「アリベルに頼み忘れてしまったんです。お金とメモは入ってますから、お願いします」
多分、今の俺は滅茶苦茶イライラしているように見えるだろうけど、ソフィアはいつものふわふわとした幼い笑顔のままだった。
その笑顔のまま、有無を言わせず買い物用のバッグを押し付けてくる。
俺はどうにかして断ろうと考えた。
ソフィア1人を前にしてこうなのに、人が多い街の方に行ったら自分でもどうなるかわからない。
「ルカ君、雇い主の私の言うことが聞けないんですか?」
ソフィアにしては珍しい言い方だ。確かに、雇われているのに部屋に籠っているというのはどうかと思う。いくら怪我のせいだとしても、仕事ができなくなるくらい痛めつけた兄貴が悪いし、兄のしわ寄せを弟が食らうのはいつものことだ。
それに、料理しかしないで快適な生活を保障してもらっているんだから、ついでに買い物だってするべきだろう。
本当は快く引き受けたかったのに、余計なことを言いそうで、黙ったままバッグを受け取って屋敷を出た。
外に出ると、空が思ったより明るかった。
部屋に籠っていた間に、どれだけ時間が経ったのかわかっていなかった。
天気は良いけど、俺の気分は晴れないままだ。




