トイレは事前に行っておく
耳元でごうごうと風が鳴って、顔を上げると風圧で目を開けられないくらいだった。
一跳びで大木を越えるくらいの高さまで上がるから、顔に当たる空気は皮膚を切り裂きそうなほど鋭くなる。
でも、もこもこでふわふわの小紅スピードモードにしがみ付いていれば快適だった。
「なぁなぁ、小紅の本当の姿って結局どれなんだ?」
小紅の尖った狐のような耳を引いて尋ねると、大きな金色の瞳が俺の方をゆるりと向いた。
「実はですね、あまりに首飾りでいた時間が長くて忘れてしまいました」
「ふーん、愛を語らって子作りしたがるから人型がデフォルトなんだと思ってた」
「狩刃様。紅竜の変化能力では見目を真似ているだけで中身は異なります。なので、子供は孕めませぬ」
「へぇー?見た目が似ているのに、同じように生きられないって嫌じゃないか?」
「まさか、小紅は紅竜ですから、人間と同じように生きるなど御免ですわ」
「まぁ小紅はそうだよな……じゃあ、俺とセックスしたがるのはただの趣味か」
「ええ、互いの好意を確認したいだけでございます」
「なるほど。そういう考え方もありだな」
こんな話をしていたら、アリベルが不潔!だのケダモノ!だの怒り出すかと思っていたのに、なぜか俺の後ろに乗っているアリベルは静かだった。
小紅の背中から振り落とされないように、慎重に振り返る。
「アリベル、大丈夫?」
「む、無理……吐きそうぅぅ」
小紅に必死になってしがみ付いているアリベルは、真っ青な顔をしていた。
前みたいにキスをすれば治るかと思ったけど、吐きそうだと自己申告している人間にキスする気には、ちょっとなれない。
「がんばれ。俺に掴まっていていいから」
「だ、だって、掴まってたところで……」
小紅が岩山を蹴って高く跳ぶ。
山を越えて、飛んだ分だけ落下するから、体が浮いて、内臓まで持ち上がってすーすーする感覚がする。
俺は絶叫マシンが苦手なタイプだったけど、兄貴たちに無理矢理朝から晩まで繰り返し乗せられて平気になった。
機械仕掛けのジェットコースターや、俺が泣いても止めない兄貴たちよりも、話が通じるだけ小紅の方が良心的だと思う。
しかし、アリベルはそう割り切るのは難しそうだ。
「いやーーー!!!!落ちるぅぅぅ!!」
「大丈夫だから、落ち着けって」
「無理ぃぃぃぃいいい!!!!!もう帰るー!!!!!やだーーー!!!」
「あーあ……なぁ、小紅。悪いけど、もうちょっとスピード落として揺れを少なくできるか?」
「そうは言っても、もうすぐ着きますよ」
小紅は地面に着地すると、今度は跳び上がらずにそのまま地面を蹴って森を駆け抜けた。
多分、暗くて深い森のはずだけど、小紅のスピードで海を渡るように楽々と通り抜ける。
分厚い木々が晴れると、突然明るくなって崖の上に出た。
「狩刃様、あの街がヴァイスハイト。ユヴィルムの首都にしてこの世界の中心です」
「大きな街だなぁ……」
小紅が立つ崖の下には、端が霞んで見えるほど巨大な街が広がっている。
街の真ん中に大きな時計塔があったけど、街の大きさに比べるとそれが爪楊枝くらいに見える。
人も沢山いるみたいで、離れたここにまで人のざわめきや馬の鳴き声が聞こえてくる。
そして、街の端の方に、大きな運河か海か青い水が広がっていて、巨大な船が群がるように沢山泊まっていた。
俺は海外に行ったことがあるけど、今まで見てきたどの街よりも大きくて綺麗だった。
「アリベル、平気?少し休んでから行くか?」
地面に降りた後も、小紅にしがみついてどうにか立っているアリベルに尋ねる。
アリベルはまだ青い顔をしていたが、首を横に振って首都を見下ろした。
「だ、大丈夫よ……あのー……えーっと……神殿に、行くのよね?」
「ああ、小紅も人型になれば一緒に行けるよな」
「はい、狩刃様、ご一緒いたしますわ」
「駄目よ。神殿には竜騎士候補が集まってる。万が一、優秀な人がいたら紅竜だって見破られちゃうかもしれないでしょ」
「じゃあ、小紅はここで留守番か。悪いけど、大人しくしててくれ」
「狩刃様、ご心配なさらず。誰だろうと小紅が食い殺してやりますわ!」
「それは駄目だって。俺たちの用事が終わったらここに戻って来るから待っててくれよ」
「そうね、暗くなる前に戻って来れると思うから、その辺飛んで遊んでればいいじゃない」
「なんじゃ……仲間外れとは酷い扱いじゃのぅ」
「お土産買って来るからさ、頼むよ」
俺がいうと、小紅はスピードモードの巨大な獣の姿から、肩に乗るくらいの真っ赤な小鳥に変わった。
そして、俺の頭の上で不満そうに数回旋回してから、森の方に飛んで行く。
小紅がいなくなってしまうと、俺とアリベルは帰り道に屋敷に向かう馬車を探して、丸一日かそれ以上かけて戻らないといけなくなる。
小紅が飽きてどこかに行ってしまう前に、用事を終わらせて戻って来ないと。
「それで、神殿ってどこ?」
「あの時計塔の所よ。ここからちょっと歩くわね」
「そっか、もうちょっと小紅に乗せてってもらっても良かったかもな」
「平気よ。途中で街の中心に向かう馬車に乗れるはずだから、乗せてもらいましょう」
アリベルは小紅酔いが収まったらしく、元気に歩き出していた。
俺はこの街のことを全然知らないから、アリベルに置いて行かれないように追いかける。
「この辺は詳しいのか?」
「ええ、軍にいた時は首都に住んでいたの。案内くらいはできるわ」
「よかった。あ、そういえば、アリベルと2人で出かけるのって初めてだな」
「え……?」
「いつもソフィアがいるし、2人でちょっとだけ買い物をする時はあったけど、こんな遠出するの初めてだろ」
「そ、そ、そうね……!」
なんか新鮮だよなってことを伝えたかっただけなのに、アリベルはなぜか派手に動揺していた。
「こ、こっちよ……!」
「え?全然違くないか?崖の下に行くならあっちだろ?」
「あ、そ、そうね、あっちよ!」
アリベルが方向転換して、首都の方に向かう。
俺は地図も持っていないから、正直ここはアリベル頼りだ。こんな調子で大丈夫なのか、少し不安になってきた。
でも、アリベルが俺の前を歩いているのは、珍しくない光景のはずなのに、今日は何か違った。
いつもソフィアがいるからアリベルはいつも気が張っているけれど、2人だとそういうことが全部なくなっているみたいだ。
アリベルが赤い髪を揺らして俺の先を歩いて行くのを、そのまま少し後ろで眺めながら進んだ。




