歌う村人
「ええと、まあ……魔法なら」
言いかけた瞬間、女性ふたりの顔つきが変わった。
驚きというより、嫌な予感を見た顔だった。
「魔法?」
「それも、焼いたり飛ばしたりする攻撃のやつかい?」
「いや、たぶんそういう感じの」
しまった、と思ったときには遅い。二人は同時に眉をひそめ、鈴つきの棒を持っていた女性は半歩下がって少年を背へやった。
「やめときな。その手の魔法は、この森じゃろくなことにならない」
頭巾の女性が、はっきり言った。
「この森で焼くのは、ほんとうにやめときな」
焼く。
その言い方に、湊は少しむっとした。まだ何もしていないのに、危険人物みたいな扱いだ。
いや、たしかに最強魔法は攻撃系だとは言った。言ったけど、初対面で「焼くのやめときな」はだいぶ治安が悪い。
「いや、別にいきなり何か焼こうってわけじゃ」
「旅人がそう言って、溝ひとつ駄目にしたことが前にもあった」
「ああいう連中は、すぐ火で片づけたがるからね」
二人の口調に、遠慮はなかった。嫌悪とまではいかないが、信用していないのは丸わかりだった。
湊は口をつぐんだ。
異世界に来て最初にぶつかるのが「魔法使いは信用されていないらしい辺境の女性たち」だとは思わなかった。もっとこう、最強の力に目を輝かせる人々とか、勇者っぽい扱いとか、あるだろう普通。
だが、普通ではないらしい。
少年が、湊の足元を指さした。
「そこ、石から出るな」
「え、石から?」
言われて見れば、道の真ん中に平たい石がいくつか埋め込まれている。さっきから自分はその上へ立っていたらしい。
次の瞬間、道脇の溝の泥がぬるりと盛り上がった。
心臓が跳ねた。
泥の塊が生き物みたいにうねり、溝の石を乗り越えようとして、しかし越えきれずにふるふると震えている。大きさはバスケットボール二つ分ほど。ゲームで見慣れた、あまりにもスライムっぽい見た目だった。
出た。
ほんとうに出た。
しかも、弱そうだ。
湊の中で、さっきまでしぼんでいた期待が一気に膨らんだ。こういうのでいいのだ。まずは辺境で雑魚を倒して実力を見せる。そこから周囲に驚かれて、最強魔法の株が上がっていく。そういう王道がある。
「下がっててください」
自分でも驚くほど素直に、その台詞が出た。
女性たちはぎょっとした顔をしたが、湊はもう一歩前へ出ていた。泥の塊は溝の上で身をよじり、石に触れるたび、じゅっと小さな音を立てて縮む。完全には近づけていない。なら、一発で焼けば終わる話だ。
脳裏に、白い空間で見た音の輪が浮かぶ。
プライマル・ブースト。
最強魔法。
使い方は知らない。けれど、あの女神は「あなたがどう使うかによります」と言っていた。逆に言えば、使うこと自体はできるはずだ。
湊は右手を前へ出した。
何となく格好がつく気がしたからだ。
「プライマル・ブースト」
言った。
何も起こらなかった。
泥の塊は相変わらず溝の上でふるふると震え、石に触れるたび、じゅっと頼りない音を立てている。
背後の気配が、妙に静かだった。さっき自分で「下がっててください」と言った手前、この沈黙がやけに痛い。
「え、いまの、俺のせいですか」
風が吹き、背後で少年が「えっ」と同じ調子で言った。
気まずかった。
さっきまでの格好よさが、全部泥へ沈んでいく気がする。
湊は咳払いをして、もう一度手のひらを見た。さっき女神の前で見た光の輪を思い出す。世界の基音に干渉し、あらゆる現象を押し広げる。意味はわからない。だが意味がわからないなりに、集中してみるしかない。
どうやら、言葉だけでは駄目らしい。何を相手に、何をどう押し広げるのか、自分でもまるで掴めていない。
目を閉じかけた、そのときだった。
女性のひとりが、低く節を取り始めた。
さっき道の向こうから聞こえてきた、あの短い旋律だった。もう一人がすぐに下の音で重ね、少年が細い声で合流する。棒の先についた鈴が、一定の間隔で鳴る。
泥の塊が止まった。
いや、止まっただけではない。波打つように揺れていた表面が、妙に規則正しく震え始めた。女性たちは湊を押しのけるように前へ出ると、溝の両側へ分かれて同じ節を繰り返す。少年は桶を逆さにして底を叩き、拍を刻んだ。
それを見た瞬間、湊は自分が思っていたものと、この世界の「戦い」が根本から違うらしいことを、ようやく理解し始めた。
誰も剣を抜かない。
誰も火球を撃たない。
代わりに、歌っている。
そして、その正攻法の前では、歌えない自分は開始位置にすら立てていなかった。




