封鎖線の朝
グレゴールの命令が、真っ白になった村に響いた。
「白い面に沈んだ者を、力ずくで引き剥がすな。喉と指を見ろ。白い譜線跡が出て、声も木札も返らない者は動かすな。返事がある者だけを黒い土まで運べ」
グレゴールは倒れたエルゼを見た。
「救護班は、あの女性の六弦使いを先に診ろ。東の畑道に子どもがいる。生きていれば、すぐ保護しろ」
白い衣の者たちが走る。
歌は止まらない。
救護の手も、封鎖の声も、同じ拍の中で動いていた。
湊は、ただ、呆然と立ち尽くしていた。
セラフィナがそばへ来る。
近くで見ると、年は湊と大きく変わらないように見えた。淡い金髪は粉をかぶっても乱れず、白金の聖歌衣には青い細線が縫い込まれている。きれいすぎる。そう思った直後、そのきれいな袖に白い粉と血がついているのが見えた。
「下がってください。こちらで彼女を診ます」
「いや、えっと、あの…」
「こちらで守ります」
湊が返事に詰まっていると、彼女はきっぱりと言った。
湊はエルゼへ伸ばしかけた手を止めた。
セラフィナは湊の前と、エルゼの体の横に譜札を置いた。
「あなたも救助対象です。ここから動かないでください」
譜札が開く。
青い線が白い粉の上を走り、救護班が踏む場所だけを黒く残した。
そのとき、エルゼの体が、地面に倒れた。
「エルゼ!」
湊は叫んだ。
白い衣の者が走り、エルゼの脇腹と左腕を押さえる。別の白衣が、王冠胴を拾わず、まず弦を外した。
グレゴールはそれをじっと見ていた。そして、こちらへ歩いてきて、エルゼをじっと見ている。
彼の視線が、傷だらけの王冠胴と、エルゼの外套の下に覗く歪響箱の留め具で止まった。
どうやらエルゼではなく、その歪響箱や留め具を見ているようだった。
「…北方鉄邦のアイゼンベルクか」
グレゴールがエルゼに語りかけた。エルゼの指が、白い土を掴んだ。
「今、その名で呼ぶな」
「治療を優先しろ。記録は後だ」
グレゴールが言った。
グレゴールの銀と群青の鎧は、さっきより白く汚れている。古傷のある顔には疲れがある。次に彼は湊をじっと見た。
「君の名は」
「…神代、湊」
「所属は」
答えられなかった。湊が視線を落として黙っていると、グレゴールの目が細くなる。
「では保護対象、兼、監視対象だ。異論は後で聞く」
セラフィナが譜札を閉じた。
「記録照合は続けます。先ほどの音については、後で説明を求めます」
湊はセラフィナを見た。
説明できることなど、何もなかった。
ただ、低い二本。
壊れた冠一二。
倒れたダーヴ。
東の畑道の手前で動かないハンナ。
走っていったルカ。
それだけが、頭の中でばらばらに残っていた。
東の畑道から、小さな息の音がした。
歌ではない。
泣き声にもならない。
白い衣の救護班が、木札を抱えたルカを黒い畝の内側へ誘導していた。ルカは歩いていない。抱えられ、膝を引きずりながら、それでもハンナの方へ顔を戻そうとしている。
「見せるな」
グレゴールが言った。
「今は生者を先に運べ」
白い面に倒れたハンナは動かない。喉と指の譜線跡だけが、朝を待たずに白く浮いている。
ダーヴだった白い土も、北道側に残ったままだった。
◇
一夜が明け、朝になった。
湊とエルゼは、北門から少し南へ下った場所に移送された。そこはまだ黒い土が残り、聖歌院の荷布が救護所のように張られている。
北門には、聖歌院の封鎖線が張られていた。
白い布ではない。譜札と杭で作られた旗だ。
灰森辺境の村は、救助された場所ではなく、封鎖された場所になったのだ。
生き残った人たちは、南と東の黒い土に集められている。泣く声はある。だが、木札の返事は少ない。
最後の荷車は北門近くで傾いたままだった。食料袋と水桶は白い粉をかぶり、誰かを南へ運ぶ道具ではなくなっていた。小さな火皿も、荷台の隅で冷えている。
ダーヴは戻らない。
ハンナも戻らない。
ルカは救護の荷布の中で、木札を握っていた。歌っていない。
湊のすぐ横で、エルゼは眠っている。左腕は固定され、脇腹には白い布が巻かれていた。
救護所の外れで、黒い土が白い粉に変わっている。境目には銀の杭が打ち込まれ、杭には譜札が何枚も結ばれている。
これは、聖歌院の封鎖具と呼ばれるものらしい。セラフィナがそう言っていたのを湊は聞いた。
その手前に、白い紐で囲われた記録台が二つ置かれていた。
割れた冠一二は一つ目の台に載せられ、切れた弦ごと白い布へ留められている。
湊は、それを見ていた。
一音が鳴った。
二本で白い面へ触れた。
それでも足りなかった。
グレゴールが封鎖線の向こうを見ている。
セラフィナは譜札へ何かを書き込み、二つ目の台に固定された王冠胴をもう一度見た。王冠胴は弦を外され、胴と首を分けて封鎖されていた。
「記録照合、完了」
湊は顔を上げた。
「神代湊。あなたは救助対象です」
セラフィナは譜札を閉じ、続けて言った。
「ですが、あなたの音は別です。聖歌院の裁定が下るまで、封鎖対象として記録・管理します」
そう言って、セラフィナは湊の両手に手錠をかけた。




