グレイ・ゲート
北門の鳴り板は、一度だけ鳴った。
返りがなかった。
音は耳に届いたのに、村の奥へ広がらない。北道の先で何かに触れ、そのまま形を失ったように消えた。
湊は冠一二を抱え直し、見張り小屋の横に残された白旗を見た。布の皺が薄い。影も薄い。森道の入口では、草と車輪跡の色が抜け続けている。
グレイアウト。
エルゼがそう呼んだ白い領域は、音の行き先まで塞いでいた。
「南へ逃げるんだ」
ダーヴの声が飛ぶ。
水桶を持った子供たちが南の見張り台側へ向かって走る。年寄りを支える大人が続く。ハンナは荷車へ食料袋を押し込み、逃げる準備をしている。大鍋は置く。水桶は二つ。小さな火皿だけ積む。
「ハンナ、何をしてる。早く逃げろ」
ダーヴも荷車に食料を積み込みながらハンナに声をかける。食料がダメになるのを恐れているのだろう。ハンナは荷車の上でルカを抱え、食料袋を足で押さえる。ルカは木札を握ったまま、歌わなかった。
湊は門の内側で立ち止まった。正面に北道。右手に東の井戸道。背中側で、村人と荷車が南へ動いている。
エルゼだけが門を出る。
見張り小屋より手前、白旗より村側の土に足を置き、傷だらけの王冠胴を背から回した。
「門の内側にいろ。冠一二は鳴らすな」
声は出た。だが、右手の奥はもう熱い。
その時だった。
グレイアウトの白い領域が、左右に裂け、その奥から、人影が出た。
灰色の外套。顔の半分を覆う煤けた仮面。手には、骨を削って組んだような白い六弦。
距離はある。なのに、目の前に立たれたような近さがあった。
人影が一歩進む。足音はない。足元の土だけが白く抜け、白い面が門へ伸びる。
湊はフェルドの最後の声を思い出した。
ヴァルグ。
フェルドがそう呼んだ相手。恐らく、この人影がヴァルグなんだろう。
エルゼの右手が弦の上で止まった。
「人型で、六弦持ち。だが、人の奏者じゃないな」
エルゼの声は冷静だった。だが、湊には震えているように聞こえた。
「お前がヴァルグか」
エルゼが問いかけた。白い灰の領域からは反射音が返らない。だが、その男はエルゼの方をじっと見た。
「なるほど、逃げた男はここに来たのだな」
息の温度がない声だった。冷たい、だが威圧的な声だった。
また、この答えが、彼がヴァルグであること、そして討伐隊が出会ったのがこのヴァルグであること、フェルドを殺したのがヴァルグであることを確信させた。
ヴァルグは村を見た。逃げる人の列、荷車、フェルドの白い布、そしてエルゼの王冠胴を順に見る。
「ここはまだ鳴るようだな」
ヴァルグはエルゼではなく村の方に向き直った。
「鳴るなら、残してはおけない」
それを聞いてエルゼは六弦を構えた。
「ダーヴ」
「分かってる」
ダーヴは倉庫の奥にあった剣を持ち出してきていた。古びた剣に見える。だが、ダーヴがそれを構えると、白く輝いたように見えた。
「エルゼ、荷車を南へ向けたまま押せ」
エルゼは言われた通りに荷車を押そうとした。
そのとき、ヴァルグは白い六弦のすべての弦を、一度に響かせた。




