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畝底のざわめき

一度、湊が(くわ)を深く入れすぎると、ダーヴが横から()を軽く叩いた。


「深くやるな。黒くなった表面だけ取れ」


「表面だけって、どのくらいですか」


「麦の根を残すくらいだ。根まで()り返したら、濁ってない土まで駄目になる」


ダーヴは鍬の先で、黒い(まく)みたいになった表土(ひょうど)だけを薄く(けず)って見せた。


「いま(くさ)ってるのは上だ。だから上だけ()がす。下までひっくり返したら、助かる株まで殺す」


言い方はぶっきらぼうなのに、見ている場所だけは具体的だった。


「畑は今日だけ助ければ終わりじゃない。明日の分も残せ」


森の溝で灰色の泥の塊を焼いてから、まだ半刻(はんこく)も経っていない。

それなのに、生活の方だけが一気に壊れていた。


黒い土を浅く()ぐ。

白い粉を混ぜる。

腐った表土を別の穴へ移す。

水路に入った(にご)りを布で受け、木札(きふだ)の向きを直す。


単純作業のはずなのに、どれも間違えると余計に広がる。

湊は一つ動くたびに確認し、確認するたびに自分が何も知らないことを思い知らされた。


「これ、全部やるんですか」


「今日は応急処置(おうきゅうしょち)だけだ」


「応急処置」


「元通りに戻すのは、もっと先だ」


ダーヴは黒ずんだ(うね)の先を(あご)で示した。


「作物の植え直し、水路の洗い、軒先(のきさき)納屋(なや)の鳴り板の張り替え。やることは残る」


一発で倒して終わり、ではなかった。


倒したあとから始まるのだ。この世界では。


自分はさっき、村の生活へ追撃(ついげき)を入れた。

その事実が、黒い土の匂いと一緒に(のど)の奥へ張りついた。


「……やってること、だいぶ最悪だな」


思わず漏らすと、少し離れた畝で鍬を動かしていた少女が、こちらを見もせず言った。


「やっと分かったか」


髪を後ろで雑に(たば)ね、日に焼けた(ほお)へ泥をつけたまま、鍬だけは迷いなく動かしている。年は湊より下に見えるのに、手つきも声も、もう完全に働く側のものだった。


「すみません」


少女は黒ずんだ畝を見たまま、鼻でひとつ息を鳴らす。


「謝られたって土は戻らないよ」


「はい。分かったつもりにはならないで、まず覚えます」


少女は鍬を止めずに言った。


「でも、分からないまま威張られるよりはましだ」


その言い方が、ほんの少しだけ柔らかかった。


「ダーヴ、こっちの(おけ)もういっぱい」


ダーヴが振り向きもせず返した。


「そのまま穴へ回しな、ハンナ」


この少女の名はハンナというらしい。ハンナは(おけ)を抱え直しながら返した。


「分かってる」


湊は鍬を持った手を見下ろした。

手のひらにはもう、魔法の熱は残っていない。代わりにあるのは、木の柄が()れる痛みと、慣れない作業でじわじわ重くなる腕だけだった。


剣も振れない。

歌えもしない。

楽器も弾けない。


最強魔法だけがあって、それでいきなり畑を駄目にした。


役に立たないどころか、後始末を増やした。


井戸(いど)の方から、短い歌が聞こえた。


森で聞いた害獣払(がいじゅうばら)いの(ふし)より軽い。水を()む手の動きに合わせるような、生活の中に落ちている歌だった。痩せた肩で木桶(きおけ)を抱えた少年が、井戸と畝のあいだを行き来しながら歌っている。


湊が見ていることに、少年はすぐ気づいた。

ちらりとこちらを見て、それから何でもない顔でまた歌い続ける。


「あいつはルカ」


ハンナが言った。


ハンナは井戸の方を見たまま続ける。


「誰も頼んでないのにね。それでも勝手に歌う」


呆れているのに、少しだけ救われている声だった。


「あの歌、何をしてるんですか」


湊が聞くと、ハンナは短く答えた。


「濁りが村の音に混ざらないようにしてる。難しいことは知らない。ルカは聞こえるから歌う」


聞こえるから歌う。


それだけで通ることが、この村にはあるらしい。


ルカは木桶を畝の(わき)へ置き、湊の右手をじっと見た。


「このひと?」


ハンナがうなずく。


「そう。さっき森で一緒だった旅人」


「焼いたひと?」


ハンナは容赦なく言った。


「そう。その焼き方で畑をだめにしたひと」


会話がひどい。


湊は土だらけの鍬を握ったまま、曖昧(あいまい)に頭を下げた。


「……どうも。ひとまず、その焼いたひとです」


「どうもじゃないでしょ。畝の下、まだびりびりしてるし」


ルカは桶の(ふち)に指をかけたまま言った。

子どもの感想に聞こえるのに、内容は妙に具体的だった。


「畝の下のびりびり、兄ちゃんは聞いてなかった」


返す言葉がなかった。


聞いていなかった。

見てもいなかった。

敵が消えたことだけ見て、地面の下へ走った余りを何も見ていなかった。


「ルカ」


ハンナがたしなめるように呼ぶ。


「何」


ハンナは声を低くした。


「言いすぎ」


「言わないと、またやるよ」


それも正しい。


湊は鍬を置かずに、少しだけ頭を下げた。


「言ってくれて助かった。たぶん、本当にまたやってた」


ルカは少し目を丸くし、それから小さく笑った。


「じゃあ、覚えて」


「覚える」


その時、黒い畝の端が(ふく)らんだ。


最初は、()れた土が空気を吐いただけに見えた。

だが次の瞬間、薄い膜が内側(うちがわ)から()き上げられ、細い(きば)みたいなものが二本、土の上へ出た。


ルカの歌が止まる。


ダーヴが顔を上げた。


「下がれ」


声が低い。

怒っている時の声ではなかった。


本当に危ない時の声だった。


ハンナは返事をしない。近くにいた子どもの肩を(つか)み、井戸の方へ押し戻す。


「走るな。転ぶ。私の後ろ」


湊は鍬を握ったまま固まった。


黒い膜の下から、獣の形が起き上がる。

犬ほどの大きさ。けれど毛も皮膚(ひふ)もない。濁った泥が骨を真似して固まり、頭だけに牙がある。森の溝で見た泥の塊より小さいのに、近いぶん息が詰まる。


「濁りが()む形になった」


ダーヴが短く言った。


「さっきの残りですか」


「お前のせいだけじゃない。けど、お前の魔法で深く押した場所から出てる」


否定しきれない言い方だった。

むしろ、責めるよりきつい。


濁った獣が、地面を()ってダーヴに襲いかかった。


ダーヴが鍬を横へ入れる。()ではなく柄で受け、牙の向きを畝の外へずらす。ハンナが白い粉の袋を()き、獣の足元へ投げた。


粉が散る。

泥の表面が一瞬だけ固まる。


「ルカ、呼べ!」


ダーヴが怒鳴る。


ルカはうなずき、喉を押さえながら短い節を張った。


さっきまでの生活の歌ではない。

村の外へ飛ばす、細く強い歌だった。


「エルゼに届かせる」


ハンナが言った。


エルゼ。


いま初めて聞いた名前だった。

ルカの歌は、その名前の誰かへ向けられているらしい。


湊はその人をまだ知らない。

けれど、ルカもハンナもダーヴも、その名に()けるみたいに動いていた。


濁った獣が、二度目に()ねた。


今度は湊の方だった。


右手が勝手に上がる。

プライマル・ブーストを撃てば、たぶん止められる。


そう思った瞬間、黒ずんだ畝が目に入った。


自分が押し潰した土。

白い粉。

剥がした表土。

その後始末をしている村人の手。


撃てない。


撃てばまた壊す。


でも、避け方も分からない。


「ミナト!」


ダーヴの声が飛ぶ。


濁った牙が、視界いっぱいに来た。


その直後、村の北側から、腹の底を震わせる低い音が鳴った。


湊は息を忘れた。


聞き覚えがある。

前の世界で、何度も耳の奥を震わせたエレキギターの音に似ていた。


低い音の余韻(よいん)を追うより早く、灰金(はいきん)の髪が視界に滑り込む。

夕方の光を拾った美しい女性が、長い六弦(ろくげん)を抱えて湊の前に立っていた。


楽器にしては武器みたいで、武器にしては弦の張りがやけに生々しい。胴には傷と修理跡がいくつもあり、金具だけが鈍く光っている。

その形まで、湊の知っているエレキギターに近かった。

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