濁った畑
村は、森の切れ目にへばりつくみたいにあった。
高い石壁も、立派な門もない。木柵と浅い堀で囲っただけの、小さな集落だった。だが、近づくにつれて湊は、ただの貧しい村ではないと分かった。家の軒先には鈴や乾いた枝束が吊るされ、井戸の縁には木板が何枚も重ねてある。納屋の入口には、弦を一本だけ張った枠のようなものまで掛けてあった。
どれも飾りではない。
この世界では、そういうもの全部が暮らしの道具で、防壁なのだ。
かわいげのある田舎村、ではなかった。
見た目は素朴でも、中身は完全に対害獣仕様だ。ファンタジーの村というより、ずっと静かな前線に近い。
村へ入るなり、何人かが焼けた溝の様子を聞きに駆け寄ってきた。
「どの筋が濁った」
「溝からどこまで飛んだ」
「家畜の囲いは閉めた?」
誰もまず「倒せたのか」とは聞かなかった。
誰かが短く答え、若い男性が荷車を納屋脇へ回す。そのあいだ湊は、完全に場違いなまま立ち尽くしていた。手伝えることが思いつかない。いや、本当は謝るべきなのだろうが、何にどう謝ればいいのかもまだうまくまとまっていなかった。
「突っ立ってるなら持て」
不意に、腕へ木箱を押しつけられた。
見れば、さっき白い粉の袋を出していた若い男性だった。背は高いが、顔立ちはまだ若い。鍬を担いでいた少女の兄だろうか、よく似た目をしていた。
「これ、どうすればいい」
「裏手。濁り見張りの棚」
それだけ言ってから、男性は半歩だけ戻った。
「ダーヴだ。落とすなよ。それ、いま村でいちばん足りてない」
説明になっていないが、聞き返せる空気でもない。湊は慌てて木箱を抱え、その男性の後ろについていった。
村の裏手には、畑があった。
だが一角だけ、色が違っていた。まだ昼の湿り気を残しているはずの土が、そこだけ黒ずみ、表面に薄い膜を張っている。近くの麦は穂先から力を失って垂れ、畝の脇に植えたらしい香草も、葉の端から腐るように色を変えていた。
「あれが濁響だ」
若い男性が言った。
「焼き潰した鳴核の残りかすが、土に張りつく」
湊は木箱を抱えたまま、黒い畝を見た。
思っていたより地味だった。地味なのに、嫌だった。派手に燃えているわけでも、禍々しい煙が上がるわけでもない。ただ、そこだけ土が死んでいるように見えた。
「時間が経つと、草木が死ぬ。水も濁る。小さい獣が舐めれば腹を壊す」
男性は足で畝の端を軽く蹴った。
「運が悪いと、そこからまた変なもんが生まれる」
「……それ、俺がやったやつのせいですよね」
「お前だけじゃない。焼く連中は前にもいた」
言い切られて、湊は顔を上げた。
男性は振り向かない。
「焼く連中は前にもいた。中央から来た魔法屋も、旅の半端者も、面倒になるとすぐ焦がす」
声音に怒鳴る感じはなかった。諦めに近い硬さだった。
「だから、そういう焼き方は嫌われる」
そこで言葉は終わらなかった。
男性は黒い畝をしばらく見てから、低く続けた。
「ただ、お前のはそれとも少し違う」
湊は思わず顔を上げた。
「違うって、どう違うんですか」
「火球や雷撃なら、もっと縁から壊れる。熱が走って、残りかすも散る」
男性は畝の真ん中を鍬の先で示した。
「お前のは、真ん中だけが妙に押し潰れてる。焦げたっていうより、地面の中へ押し込まれたみたいだ」
その言い方に、湊の背筋がわずかに粟立った。
「見たことあるんですか、こういうの」
「ない。少なくとも、俺は見たことがない」
返事は早かった。
「だから余計に気味が悪い」
そこまで聞いて、湊はようやく口をつぐんだ。
反論の余地がなかった。
木箱を棚へ置くと、今度は小さな鍬と木桶を渡された。黒ずんだ土を浅く削り、白い粉を混ぜ、腐った表土だけを剥がして別の穴へ移すのだという。単純作業だったが、すぐに分かった。面倒だ。しかも、気分が悪い。黒い膜は薄いくせに鍬へまとわりつき、削るたびに湿った鉄みたいな匂いが立つ。




