13 手を繋ぐ
「オフェリー。後でちゃんと説明するよ」
低く抑えた声だった。
いつもの軽さはなく、逃げるつもりもない声音。
オフェリーは、涙を浮かべたまま小さく頷いた。
それ以上は、何も言えなかった。
場の空気を壊したことも、分かっていたからだ。
トリスタンがわざと明るく声を上げる。
「せっかくの海だぞ。料理が冷める前に食べよう」
「そうだ、そうだ。こんな新鮮なの、滅多に食えねぇんだ。ほら、お嬢ちゃんも、もう一口いけるだろ?」
サリムがハマグリの網焼きをオフェリーの皿に乗せた。
エルザも笑いながら魚のフライをその隣に並べる。
「ほら、揚げたてだよ。早くお食べよ。熱いうちが最高さ」
促されるまま、オフェリーは小さく頷いた。
まだ少しだけ胸は苦しいけれど、これ以上、皆を心配させてはいけない。
「……いただきます」
一瞬だけ視線を落とし――
ダリルが差し出したままの生魚をパクリと食べた。
ひんやりとした舌触りと、とろけるような旨みに、思わず目を見開いた。
「……美味しいです」
ぽつりと零したその言葉に、場の空気が少しだけ和む。
揚げたての魚は衣がさくりと軽く、ハマグリの網焼きは噛むほどに旨みが広がる。
ダリルはオフェリーにナプキンを渡したりと、世話を焼いていた。
オフェリーが食べ終わると、ダリルは小さく息を吐き、覚悟を決めたように目を細める。
「少し外に出ようか?」
オフェリーにだけ聞こえる声で、そう言った。
オフェリーは一瞬だけ迷い、ゆっくりと頷く。
気づけば、空はゆっくりと夕焼けに染まり始めていた。
二人で浜辺を歩き、ダリルが静かに話し始める。
「俺は触れたものを内側から凍らせる能力がある。急に触れられると危険なんだ……だから手を払い除けた。それだけだ」
オフェリーは目を丸くした。
「……じゃあ、熱いものは平気なんですか? あの時、ポットの熱いお湯……私を庇ったでしょう?」
「ああ。触れれば、熱は消える。だから火傷なんかしないぜ」
ダリルはわずかに口元を緩めて答えた。
「……そうなんだ、良かった。でも、言い方が冷たくて……とても悲しかったです」
「ああ……それはだな。お前、冷たい言い方しないと、また急に俺に触りそうだったし……そんなに俺の体が見たいなら見せてやろうか?」
ダリルは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「ち、違っ……」
慌てて首を振るオフェリーは顔が真っ赤だ。
ダリルは無造作にドレスシャツを脱ぎ、背中を向ける。無駄のない筋肉が美しく走り、鍛えられた背中は思わず見入るほど綺麗だった。火傷の跡などひとつもない。
「ほら、これで機嫌が直ったか? オフェリーのことを嫌っているはずがないだろ? 俺から触るぶんには大丈夫だから」
そう言って、ダリルは手を差し出した。
オフェリーは一瞬だけためらい、そっとその手を取る。
触れた瞬間、指先に伝わる温もりに、胸の奥がじんわりとほどけていった。
さっきまで感じていた距離が、途端に縮まった。
二人は手を繋いだまま、浜辺をゆっくりと歩き出す。
夕焼けに染まった海が、やわらかく揺れていた。
波が寄せては返し、足元の砂をさらっていく。
しばらく歩いたところで、ダリルがふと足を止めた。
「ちょっと……待て」
視線は足元へ向いている。
濡れた砂の上に、小さく光るものがあった。
ダリルはしゃがみ込み、それを拾い上げる。
繋いだ手を離すこともなく、器用に指先で砂を払った。
現れたのは、淡い桃色を帯びた貝殻だった。
夕焼けの光を受けて、やわらかく輝いていた。
「わぁー、綺麗!」
そう言ったオフェリーに、そっと差し出した。
「ほら」
「……え?」
「やるよ」
ぶっきらぼうな言い方だった。
オフェリーも、繋いだ手を離さずに、もう一方の手で差し出された貝殻を受け取る。
ひんやりとした感触が、指先に残った。
「ありがとう……」
胸の奥が、ふわりと温かくなる。手を繋いで綺麗な貝殻をもらっただけだ。
それだけのことなのに。オフェリーはたまらなく嬉しかった。
大事そうに貝殻を見つめると、頬を染めながら花のように微笑んだ。
その様子を見て、ダリルはわずかに目を細める。
「……そんな顔、他の男の前でするなよ。さぁ、海の家に戻ろう。父上達が心配する」
オフェリーは首をかしげながらも小さく頷いた。
自分は一体どんな顔をしていたというのか?
ただ嬉しくて安心して、ダリルの隣にいてもいいんだと思っただけだ。
手を繋いで帰ってきた二人を見て、トリスタンはわずかに口元を緩めた。
オフェリーの機嫌は、すっかりなおっていて、今や晴れやかな笑顔で幸せそうだ。
ダリルは少し顔を赤くしながらも、しっかりとオフェリーの手を握っていた。
(……なるほどな。将来、他家に嫁に出さずに済むかもしれん……)
すっかりオフェリーを溺愛しているトリスタンはご機嫌だった。
◆◇
「さてと、腹も膨れたところだし、お嬢ちゃんたちは視察なんだろ? まあ海の家は繁盛してるし、ここの住民は気の良い奴ばかりだから問題はねぇよ、と言いたいところだが、少々上が問題だな」
「上?」
オフェリーは首を傾げる。
「ピーター総括領地管理官だよ。ここより南側の地区を管理してる大農園主だ。その手下が、しつこく来る。税をあげろってな。……店先で暴れるなって何度言っても、聞きやしねぇ」
サリムは肩をすくめたが、その声にはわずかな苛立ちが滲んでいた。
そのときだった。
「おい、サリム! いるんだろう!? いい加減にピーターさんの言うことを聞けよー。お前だって美味い汁が吸えるんだぜ」
男たちが、客を押しのけるようにして店内に入り込んできた。人相がとても悪い。
「いや、俺はさっき、魚介類のスープをたくさん飲んだばかりだ」
「ふざけてんじゃねえぞ! ピーターさんに倍の金を渡せって言ってんだよ……税率を上げるなり、名目なんざいくらでも作れるだろうが」
男たちは店内を見回し、ニヤついた。
一人がわざと椅子を蹴り飛ばす。木の脚が床を擦り、不快な音を立てた。
別の男は入口に立ち、入ろうとした客を睨みつける。
「……やめとけ。この店のものは全部腐ってるぜ!」
客は顔を引きつらせ、そのまま踵を返した。
「おい、商売の邪魔だ。お客様に迷惑をかけるな!」
サリムが怒鳴る。
「だったら、言うことを聞けよ」
男の一人が棚の売り物に手を伸ばそうとした瞬間、サリムの腕が動いた。
襟首を掴み、持ち上げる。
「うおっ!?」
そのまま外へ放り投げた。
もう一人も同じように掴み、続けて外へ。
「チッ……」
残った二人が顔をしかめた瞬間、トリスタンが一歩踏み込んだ。
片方の胸ぐらを掴み、もう一人の腕を引き寄せる。
体勢を崩した二人をまとめて押しやり、そのまま外へ叩き出した。
「二度と来るな」
短く吐き捨てる。
これで終わり、そう見えた。
だが建物の影、最初から騒ぎに加わっていなかった男が、静かに一歩を踏み出した。
男は音もなくサリムの背後へ回る。
手の中で、金属のような光が走った。
迷いがない。
一気に間合いを詰める。
狙いは急所。
「あぶないっ!」
その瞬間。
店先の低木の一つ――海風除けに植えられたトゲのある枝が、ぶわりと膨れ上がった。
次の瞬間、信じられない速さで伸びる。
しなる枝が蛇のようにうねり、男の腕に絡みついた。
「ぎゃっ! い、痛い! なんだ、これ……!?」
トゲが食い込み、容赦なく締め上げる。
同時に足元にも枝が這い、絡みつき、動きを封じた。
一歩も進めない。
手から、音を立てて落ちたそれは、鋭く研がれた刃。
明らかに“脅し”ではない。
本気で命を奪うためのナイフだった。




