51.学園での戦い⑥
エイミットの誘惑に対し、学園の皆が下した答えは意外なものだった。
教師も含め、ミュートを選び隣人を切り捨てた者は、ほぼゼロに近かったのだ。
『……ほう。想定外だな』
エイミットはわずかに目を見開いた。
だが、すぐにその表情は冷ややかな嘲笑へと変わる。
『人間とは合理的な計算すらできぬ愚者であったな。よかろう、導きが必要な羊どもよ。ならばまずはチュートリアルから始めようか。私の眼前で、この愛らしい死者どもを殲滅してみせよ』
それが、悪夢の号砲だった。
学園の四方から、数体のゾンビが緩慢な動作で迫る。教師たちを筆頭に、野球部やサッカー部の生徒たちがバット等の道具を手に立ち向かった。
一撃。また一撃。泥臭くも確かな抵抗。
この時はまだ、彼らの心には「これならいける」という、淡い希望の光が灯っていた。
『なかなか良い動きではないか。では次は二時間後。数は倍。拠点を補強したまえ、そうしなければ次はもたんぞ?』
生徒たちが必死に柵を運び校門を閉ざす様を、エイミットは楽しげに見下ろしていた。
二時間後、約束通り倍のゾンビが現れる。倍増する運動量、蓄積する疲労。それでも彼らは耐え抜いた。
勝利の余韻に浸る彼らへ、エイミットは残酷なまでに優しく囁いた。
『理解できたかな? AIの指示に従えば、困難も乗り越えられるのだ。……では、チュートリアルの仕上げといこう。最後に、ボスを投入する。エデン国コードネームG――【E-Guard】。撃破すれば、このゲームはクリアだ。せいぜい足掻いてみせよ』
「これで終わりだ! みんな、踏ん張れ!」
教師の叫びが響く。だが、現れたのは希望を無惨に踏みにじる、絶望的な数の死者の群れだった。
校門を突き破り、地鳴りのような咆哮と共に溢れ出したおびただしい数のゾンビ。統率すらされていない個々が対抗できる領域を遥かに超えていた。
「いやだ、来るなッ!!」
「助けて……誰か、助けてえええ!!」
蹂躙は瞬く間に始まった。悲鳴が校舎に吸い込まれ、バリケードは意味をなさず、教室へ避難していた非戦闘員たちにも死者の爪が食い込む。
襲われた者達は逃れられない。
取り囲まれたら最後、無数のゾンビに噛まれ、裂かれるのを繰り返すのみとなる。
そしてそれは終わらない。
悲鳴を上げることしか、出来ることはなくなってしまうのだ。
学園内が血の通わない地獄と化したその時――黒いフェイスガードを装着したBOSSが戦場に降り立った。
E-Guard:ワク。
彼は迷うことなく、至近距離でゾンビに蹂躙されていた男性教師へと肉薄した。
手にした【伸縮式強襲用特殊警棒】が、まるで最初からそう決められていたかのように、教師の胸を容赦なく貫く。
『――プレイヤー。死亡判定』
ブザーが鳴り響き、死者の群れが青い霧となって消滅していく。
勝負はついた。
死亡による強制終了。
これは最初から、彼らが勝てるようには作られていない「負けイベント」だったのだ。
静まり返ったグラウンドで、エイミットはワクへ向け、芝居がかった嘆息を漏らした。
『……殺す必要はなかっただろう?』
その言葉に含まれているのは善意ではない。
「もっと壊滅する様を楽しめたのに」という純然たる悪意だけだった。
ワクはフェイスガードを外すことなく、感情の死んだ声で一言だけ返す。
「……仕事はした」
『フン、Vの傘下に入ったからとて増長するなよ。貴様の位階は我らよりも遥か下であることを忘れるな』
エイミットは翼を大きく広げ、慈悲深い神のような笑みを浮かべた。
『……矮小な人間どもよ、これが最後の忠告だ。ミュートを選べ。今この場でしがらみを切り捨てれば、貴様らの脳を焼いているこの不快な恐怖も、他者の断末魔も、その汚らわしい記憶すべてをシステムが消去してやろう。何もなかったことにして、明日からまた完璧な幸福がスタートする。……さもなくば、ゲーム本編開始だ。リセットは簡単にはできぬぞ』
その宣告と共に、大半の者が学園から姿を消した。
あとに残ったのは、ボロボロになりながらも、この地獄の舞台に立ち続けることになってしまったミカ達だけだったのだ。




