38.画家と偶像
「いってらっしゃ~い♪」
軽薄な声と共に、背中を突き飛ばされた。
重厚な金属の扉が、背後で無慈悲に閉ざされる。バタン、というその音は、まるで現世との繋がりを断ち切る処刑台の音のようだった。
扉の奥――そこに広がっていたのは、意外にも「純白」の世界だった。
無限に続くかのような白い空間。その中央に、悍ましくも悲しい二体の異形が鎮座していた。
一体は、男の異形。
その身体は色を失ったモノクロームで構成され、所々にタールのような粘り気のある黒い塗料がこびり付いている。
男は狂ったように巨大な筆を動かし、黒く汚れたキャンバスへ、ひたすらドロドロの塗料を塗りたくっていた。
キャンバスから溢れ出した黒は足元を底なしの沼に変え、目からは絶え間なく黒い涙を流し続けている。
「……描けない。……何故?……色が、足りない……」
絶望に満ちた呟きが、虚無の空間に響く。
そしてもう一体は――おそらく女の異形。
彼女は直視を拒むほどの苛烈な後光を背負っていた。
その光は強烈な逆光となり、彼女の姿をただの真っ黒なシルエットへと変えている。光り輝く檻に閉じ込められたかのようなその影は、震える声で祈るように言葉を繰り返していた。
「もっと。もっと、輝かないと……。見てもらえない……」
その異質な光景に、ルナは肌が粟立つのを感じた。
「何なの……? こいつら、普通の異形とは気配が違いすぎるわ」
「ルナ! 気を付けて! この異形……何か変だ! 存在が濃すぎる!」
ルリが即座に戦闘態勢を取る。
その時、二人の脳内に直接、アクアの軽薄な、けれどどこか冷徹な声が響いた。
『あー、あー、二人とも聞こえる? 接続テスト、良好かな?』
「アクア! 一体どういうこと!? ただの異形じゃないわ!」
『ざーんねんでしたぁ。誰も普通の異形だなんて言ってませーん。魂が肉体から切り離されVRに定着しちゃった異形はね、欲望だけを求め自己進化し続ける。……そして、ついには「壁」を越えるのさ。』
アクアの楽しげな笑い声が、ルナの焦りを逆撫でする。
『紹介するよ。システムも持て余した特殊強化型異形個体――【クラムジー・ペインター(不器用な画家)】、そして【インセキュア・レプリカ(不安な偶像)】。……降参するなら今のうちだよぉ~?』
「……っ!」
ルナは奥歯を噛み締めた。対峙する二体の異形から放たれる圧力が、物理的な質量となって押し寄せてくる。
「ルナ、顔が怖くなってるよ。……でも、いけるよね?」
『おやおや?無理は禁物だよ? 早く諦めて、おうちにお帰り。おねんねしましょうね~♪』
通信越しに透けて見えるアクアのニヤけ面を、ルナは想像の中で叩き潰した。




