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『AIが管理する理想のVR世界でミュートされたらどうなるか』~囚われの姫と月の使者編~  作者: バニラ味一択


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35.バックルームの主




 約束の三週間が過ぎた。


 大聖堂のステンドグラスから差し込む光は、変わらずに美しい。だが、その光に照らされた少女の輪郭は、三週間前とは決定的に異なっていた。


 ルナは、静かに自分の手を見つめる。

 余計な力みのない指先、研ぎ澄まされた視界、そして体の深淵に根付いた意識という名の新たな力。

 アルセーヌとアンジェから教わったそれは、かつて彼女が無意識に縛っていた、人体や個というルールを砕き去っていた。


 隣に立つルリもまた、その首をコキリと鳴らし、不敵な笑みを浮かべていた。かつての無邪気な瞳の奥には、常人なら目を背けるような深淵が覗いている。


 傍らには、アルセーヌとアンジェ。

 二人は教え子たちの完成度を見届け、満足げに、そして誇らしげに頷いた。

 アルセーヌはシルクハットを深く被り直し、アンジェはいつものジャージの襟を正す。


 四人は大聖堂の巨大な二枚扉の前に立った。

 この扉を開ければ、エデンが待っている。


「さて……準備はいいかい」


 アンジェが、長くしなやかな指を重厚な扉にかけた。

 振り返った彼女の青い瞳が、獰猛かつ美しい光を放つ。


「行くよ」


 ギィ、と。

 運命の歯車が回るような重々しい音を立てて、大聖堂の扉が押し開かれた。







 アンジェが重厚な扉を押し開けた瞬間、溢れ出したのは眩い光――ではなく、目に刺さるような電子の奔流だった。


「……ここは?」


 ルナは思わず息を呑んだ。

 大聖堂の外に広がっていたのは、無数の光ファイバーが血管のようにのたうつ半透明の床。天井からは剥き出しの配線が垂れ下がり、無限に続くサーバーラックが、心臓の鼓動のように青白く明滅している。

 殺風景で、けれど圧倒的な情報量に満ちた電子のゴミ捨て場。


「エデンへの正規ルート……『入国審査室』を通るわけにはいかないからね。我々はあいにく、システムからは排除されるべき『危険人物』として登録されている」


 背後でアルセーヌが、事も無げに言った。


「ここは『バックルーム』。エデンの華やかな表舞台を支えるための、いわば世界の裏地だ。ルナさん、我々はここから不正アクセスを仕掛け、エデンへと潜り込む」


(……知っている。ここはあの時の……)


 ルナの胸に冷たい既視感が走る。初めて異形の力を目の当たりにし、絶望の中で見上げた配線の天井。

 だが、今のルナはもう、助けを待つだけの迷い子ではない。


「さあ行こう。この先には、この『バックルーム』の管理人が住み着いていてね。……エデンへ行くにはそやつから許可をもらわねばならない」


 アルセーヌに促され、光る床を進む。

 整然と並ぶ無機質な機材の中に、突如として不釣り合いな扉が現れた。

 鉄錆びたそのドアには、場違いなほどポップな書体で『研究室』と書かれたプレートが貼られている。ご丁寧に人参の可愛らしいイラストまで添えられており、ここだけが異質な生活感を放っていた。

 アルセーヌが苦笑交じりに、ポップな人参イラストの描かれたドアを押し開ける。


「……いらっしゃーい! 相変わらずノックもなし? 礼儀知らずなジジイは嫌われるよ!」


 目に飛び込んできたのは惨状だった。

 書類の山、脱ぎ散らかされた白衣、空の栄養ドリンクが転がる乱雑極まりないデスク。

 その中央で、鮮やかな青髪を揺らし、バニースーツに白衣を羽織った少女――アクアが、椅子の上で不遜に足を組んでいた。

 彼女は空中に浮かぶウィンドウから目を離さないまま、口だけを動かす。


「またエデンへ行くんだね、アルセーヌ。……それにルリくん、アンジェさんも一緒じゃん!相変わらず仲がいいことで。もはやこれ、ただの家族旅行でしょ!」


 調子よさそうにアクアが笑う。

 だが、その視線がルリの隣に立つ四人目を捉えた瞬間――。


「……ん?」


 アクアの指が、キーボードを叩く動きを止めた。

 彼女はゆっくりと、まるで錆びついた歯車を回すような動きで顔をルナへと向ける。


「……あれ。ちょっと待って、一人多い……というか。……え?」


 アクアの顔から余裕が消え、瞳が限界まで見開かれる。


「ゲェェェッ!? なんで!? なんであんたがここに……」





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