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『AIが管理する理想のVR世界でミュートされたらどうなるか』~囚われの姫と月の使者編~  作者: バニラ味一択


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幕間.怪異の誕生




 その日の修行は、いつも以上に苛烈だった。

 大聖堂の床に倒れ伏し、肩で息をするルナの前で、アンジェは汗ひとつかかず、黒髪を揺らして佇んでいる。


「はぁ、はぁ……。おばあちゃん、あなたは一体何者なの? ただの武術家ってだけじゃ説明がつかないわ」


 ルナの問いに、ジャージ姿のアンジェは遠い空を見るような目で微笑んだ。


「そうだねぇ。ただの武術家ってだけなんだがねぇ。……そう言っても納得しないだろうから昔話をしてあげるよ。少し長くなるが、いいかい?」


 アンジェはゆっくりとその場に腰を下ろした。激しい打ち合いの直後だというのに、彼女の呼気は驚くほど静かであった。

 アンジェは、ルナの荒い鼓動が落ち着くのを待つように、穏やかな、しかしどこか絶対的な重みを持つ声で語り出した。







 アンジェは、古来より続く実戦武術道場の師範の娘として生を受けた。

 その流派は苛烈を極めた。一子相伝の秘技を継承させるため、血筋にさえ執着し、骨格の強靭さを求めて異国の血すら取り入れてきた。

 彼女の瞳が鮮やかな青色なのは、武の交配の記憶を宿す母親譲りのものだった。


 彼女には、一人の兄がいた。

 師範の嫡男。家の継承は当然、彼が担うはずだった。

 しかし、天は残酷な悪戯を仕掛ける。

 兄には武の才能が欠落しており、逆に妹であるアンジェには、戦慄するほどの天才性が宿っていた。


「アタシはね、教えられたことは何でもすぐにできた。幼い頃から武のことわりというものが、何となく直感で理解できてしまったんだよ」


 父親は兄を疎み、アンジェだけを愛し鍛え上げた。だが、そんなアンジェが心から愛し尊敬していたのは、落ちこぼれと蔑まれた兄の方だった。


「兄さんは、誰よりも努力をする人だったんだよ」


 覚えは悪い。センスもない。だが兄は、血の滲むような修練を狂気じみた愚直さで繰り返した。

 一度でできなければ千度。千度で足りなければ万度。

 時間がかかろうと、周囲が不可能だと嗤おうと、彼はその壁を超え続けた。


 そして――兄は「極致」に辿り着いた。


 センスの差など無意味にするほどの、鋼の肉体と暴力的なまでの出力。

 反復の果てに細胞一つ一つへ刻み込まれた寸分の狂いもない技の練度。

 柔よく剛を制すなどという言葉を、兄は力でねじ伏せた。

 剛は柔を断つ。

 同じ技を放っても、兄のそれは重みも速さも到達する深さも、他の誰とも次元が違っていた。


 いつしかアンジェは兄に勝てなくなった。

 天才の閃きですら、彼が積み上げた時間の重みには届かなかった。

 兄は努力だけで継承権を奪い取り、ついには父の愛をも取り戻した。


「アタシは初めから、兄さんならこうなるだろうと気付いてた。兄さんが認められて嬉しかったよ。アタシの目に狂いはなかったんだってねぇ。兄さんは努力だけで、最強の英雄になったのさ」


 しかし、時代の歯車は残酷に回転する。

 仮想世界『エデン』の誕生。それが、武道という世界の根底を覆した。

 VR空間での格闘大会。

 現実の肉体には傷を残さない安全設定セーフティは、真の殺し合いを競技として成立させた。


 皆が本当に知りたかった奥義や秘伝。

 最強の武術とは何か?


 各流派の真価が、犠牲なく証明できる場ができてしまったのだ。


 だがその場は、武術の技法や体系の優劣を競うだけのシステムの計算場に過ぎなかった。


「VRの中ではね、兄さんが一生をかけて鍛え上げた肉体も、何十万回と打ち込み続けて武器化した拳も、全く通用しなかった。鋼の肉体、鋼の拳、そういうものは努力がなくてもイメージすれば誰でもできてしまう。……システムのせいで、積み上げた努力の価値なんてものは無くなってしまったのさ」


 現実世界では最強だったはずの兄は、VRの中ではその強さを証明する手段を失った。

 練り上げられた最強の基本技は、『熟練度の高い低ランクスキル』以上の意味は無い。

 兄の技は、かつての輝きを失っていった。


「……始めに話した通り、兄さんは努力の人だった。たった一度や二度の敗北で折れるような人じゃなかったからねぇ。だから……」


 アンジェの瞳に、深い影が落ちる。

 兄は、VR上での敗北を、自らの努力が足りないせいだと考えた。

 そして、現実世界と同じように、さらなる修練を重ねていった。

 だが、システムという壁は、汗も涙も血の滲むような反復も、すべてを無慈悲に切り捨てる。


「ルナ、おまえさんなら分かるだろう。ただ力を鍛えるだけ、ただ技を研ぐだけでは、この世界の『強者』を出し抜くことはできない。そして……ついに、兄さんは壊れてしまったのさ」


 ある日の試合後、ダイブから戻ってきた兄は、もうアンジェの知っている不屈の英雄ではなかった。

 魂の抜け殻となった彼は、ほどなくして自らその命を断った。

 努力が世界に拒絶された絶望に耐えきれなかったのだ。


「アタシはね、認められなかったんだよ。兄さんの最強が、あの人の積み上げた時間が、無意味だったなんてこと。……だから決めたのさ。アタシが流派を背負って、兄さんが敗れたエデンの武術大会を完膚なきまでに蹂躙してやるとね」


 アンジェが「内部意識の構築」という極致に辿り着いたのは、この時だった。

 システムが兄を認めないなら、自分の意識でシステムを上書きしてやる。

 兄が鍛え上げた鋼の筋肉を、進化させた上でイメージの力によりデータ上に表現する。

 それは、死んだ兄への手向けであり、世界への復讐だった。


「結果はね……クスクス、完膚なきまでの圧勝さ。こんなにスタイルのいい美女が山のような体躯を持つ達人たちを、ただ『触れるだけ』で次々にボコボコにしていくんだ。爽快だったねぇ。あんなに愉快な見せ物はなかったよ」


 アンジェは勝ち続けた。

 圧倒的な蹂躙。

 これで兄の流派が最強だと証明できた。

 これで兄さんも報われる――。

 だが、現実はさらに残酷な結末を用意していた。


「……そしたら、どうなったと思う? 周りの武術家どもは口を揃えてこう言ったのさ。『あいつはチートを使っている』『あれは武術じゃない』『ただのデータの改ざんだ』ってね」


 アンジェの技術は、あまりに本物すぎた。

 理解を超えたその強さは、臆病な敗者たちによって不正という箱に押し込められた。

 結果として、兄が守り抜いた流派は「チート使いの巣窟」という汚名を着せられる。

 アンジェの勝利が要因となり、流派は完全に衰退してしまったのだ。


「皮肉なもんさ。そしてアタシは隠居し道場を畳んだ。武術を趣味にして暮らすお局の誕生だよ。愛読書は古臭い秘伝書。自らの技を研鑽し、まだ見ぬ強者を想って乙女のように恋い焦がれる」


 アンジェは空を見上げていた視線をゆっくりとルナに戻し、いたずらが成功した子供のように、くしゃりと顔を綻ばせる。

 先ほどまでの苛烈な師範のかおは消え、そこには驚くほど美しく、柔和な微笑みだけが残っていた。




「……アタシの夢はね、自分より強い人と結婚すること。……可愛いだろう? でも……ついにはそんな王子様は現れなかった。……アタシの物語は、これでおしまい」





 ぽつりと、自分自身に言い聞かせるように呟く。

 だが、アンジェはそこで言葉を切り、大聖堂の奥に佇むあの男へと視線を移した。



「……のはずだったんだけどねぇ」




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