30.自由の化身
光の奔流が収束し、大聖堂の床に新たな足音が響いた。
「――【統合形態:レディ・ブルーキャット】」
そこに立っていたのは、藍色の光沢を放つボンテージスーツを纏い、猫を模したマスクで素顔を隠したルナの姿だった。
しなやかな肢体は夜の闇に溶け込み、その佇まいはまさに伝説の怪盗そのもの。
「……おまえさん。そういう趣味があったのか?」
アルセーヌの呆気にとられた問いに、ルナが返答する。
「ちっ違うわよ! こんな格好になるなんて分かるわけないじゃない!……いったい何のコスチュームなのよ、これ」
『大丈夫だよルナ。すごく似合ってる。可愛いよ』
「……プッ……アッハハハハハハ! ルナ、何だいその格好はッ!!今にも夜の街を駆け巡りそうじゃないかい!?」
緊迫した空気を切り裂き、アンジェが腹を抱えて床を叩き、悶絶しながら爆笑した。
だが、アルセーヌだけは笑っていなかった。彼は気づいたのだ。先ほどまで彼女を拘束していたはずの『チェーンロック』が、まるで幻だったかのように、床上に残されていることに。
(……データ生命体との融合だと? 莫迦な!?……それに、いかに姿が変わろうと、チェーンロックが都合よく外れる道理など……!)
アルセーヌは危険性を感じとり、大きく距離を取る。ルナに対して再び『窓』の防壁を展開した。
「ルリ、あなたやっぱり凄いのね。この姿……少し恥ずかしいけど、力が溢れてくる。交流期間は三分。一気に決めるわよ!」
ルナが地を蹴った。
(速い。だが、ルリの神速に比べれば、まだ目で追える領域だ)
「逃がさん! 『レールスライド』!!」
アルセーヌの操作により、巨大な窓がルナを左右から押し潰そうと殺到する。回避は不可能。誰もが捕獲を確信したその瞬間――。
「……何ッ!?」
ルナの体は、物理的な衝突を無視するように、窓のわずかな隙間をするりと抜けて見せた。
アルセーヌは狼狽し、次々と窓を多重生成して挟み込もうとするが、ルナはその全てを柳に風と受け流し、液体の如きしなやかさで翻弄する。
(これは速さではない。……拘束をすり抜けている!? まさか……!)
アルセーヌは疑念を確信に変えるべく、必死に狙いを定めた。
「――『パドロック』!!」
窓越しに放たれた複数の錠前が、ルナの四肢を空中でロックする。
しかし、カチリと音が鳴った瞬間には、ルナの体は既にその鍵から抜け出していた。
怪盗レディ・ブルーキャット。
それは一切の拘束を受け付けず、あらゆる攻撃をかわして無効化する、自由の化身。
「……冗談だろ。こいつはじいさんの天敵じゃあないかい!」
笑い転げていたアンジェが、戦慄と共に呟いた。
拘束することを本質とするアルセーヌの権能が、彼女の前では置物以下へと成り下がる。
「悪いけど、すぐに終わらせてもらうわ」
ルナの姿がブレる。
残像を残すほどの加速。
アルセーヌは最後の防衛本能で、自身の周囲全方位に『衝撃感知センサー』付きの極薄ガラスを張り巡らせた。
現れた瞬間に攻撃を叩き込むために。
聖堂を、西部劇の決闘のような静寂が包み込む。
そして――。
――パリンッ!
硝子の割れる音が、ルナの突入を告げた。
「――『三天死確』!!」
アルセーヌのステッキが、神速の三連突きとなってルナの胸元を正確に捉える。
だが、その刺突すらも通用しない。
彼女の体はステッキをすり抜けるように、ぬるりと攻撃をかわす。
「なっ……!?」
驚愕に目を見開くアルセーヌの懐に、ルナが潜り込む。その両手から、高質化された藍色の鋭爪が伸長した。
「『キャットネイル』――ッ!!」
ザシュッ、ザシュゥッ!!
鮮烈な藍色の閃光が走り、大聖堂にアルセーヌの悲鳴が木霊した。
痛烈な切り裂き。絶対の防御を誇った老怪盗の胸元が、更なるリソース消失に及ぶ。
アルセーヌは限界を迎え、力なく膝をつき、その場に頽れた。
あっけない幕切れ。
だがそれは、記憶消去という運命を、少女自らの手で書きかえた瞬間であった。




