29.十字架の下で⑨
渾身の一撃がアルセーヌの右胸を貫いた。
着地したルリは、間髪入れずに身を翻す。
返り血のように霧散するリソースを浴びた藍色の忍び装束が、勝利への執念に揺れた。
振り返りからの返しの第二撃目。これで確実に仕留める。反撃の隙すら与えず、この攻撃で全てを終わらせる。
しかし、アルセーヌはルリを見てすらいなかった。
その血走った眼差しが捉えていたのは、アルセーヌが新たに生成していたガラスのドア。そして、そのドアに身を挟まれ囚われているルナ、ただ一人。
ドアの施錠部に、不気味なほどの高エネルギーが収束していく。
それは、アルセーヌが持つ必殺技の一つ。
単なる鍵の概念を超え、強力な意志と比喩表現によって名前の力を極限まで増幅させ、致死の物理現象を生じさせる絶対的な死の宣告。
「マズい! ルナ――ッ!!」
ルリの叫びが聖堂に響き渡った。
彼はアルセーヌへの追撃を捨て、弾かれたようにルナを救うべく駆け出す。ルナの危機を前に、彼の力は救済として使われた。
だがそれこそが、老練な怪盗が仕掛けた底なしの陥穽であった。
ルリがルナを救おうとドアを突き飛ばした、その瞬間。
強固なガラスのドアは、彼の衝突の力を利用して異様な速度で旋回する。
「……っ!? これは――」
「――『リボルビング・ドア』」
アルセーヌの冷徹な声が響く。
ルリの体は、一回転したドアとそのドア枠に挟み込まれてしまった。
一瞬の油断、一瞬の情。それが、致命的な隙を晒した。
「――完全施錠『デッドボルト』」
ガチャッ、とサムターンの回る音が鳴り響く。
施錠部から漆黒の金属杭が突き出す。
それは、対象を内部から焼き切るほどの超高圧電流を伴って、ルリの肉体を無慈避に貫通した。
「ああああああああああああああっ!!!」
大聖堂を震わせる凄絶な悲鳴。
激しい放電がルリの四肢を打ち据え、彼は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
静寂が戻る。
床には、痙攣し虫の息となったルリ。
そしてその傍らには、右手を後ろ手で拘束されたまま、地べたに這いつくばるルナ。
アルセーヌは乱れたインパネスコートを払い、冷たい月のような瞳で、地に伏した二人を見下ろした。
「……今度こそ決着だ」
静寂が大聖堂の廃墟に染み込んでいく。
アルセーヌは貫かれた胸からリソースを消失させながらも、足元で虫の息となっている孫を、慈しみと厳格さが入り混じった眼差しで見下ろした。
「聞こえておるかルリよ。……成長したな」
その声は、もはや冷酷な番人のものではなかった。
「お主は『守る』という言葉の真意を、己の身を挺して理解した。……この自己犠牲の果てに至る境地。これならば『破の型』だけではなく『守の型』も習得できよう」
アルセーヌは満足げに頷くと、視線を隣の少女へと移す。
「そしてルナさん。……孫をこれほどの高みへと導いてくれたこと、まことに感謝いたします。君は約束通り、私が確実に親御さんのもとへとお送りいたそう。……安心しなさい。記憶はなくなるが、君は幸せになるのだ」
アルセーヌが最後の手を伸ばそうとした、その刹那だった。
瀕死のルナが、震える左手を、力なく横たわるルリの方へと伸ばした。
「まだ何かするつもりか……? ……ッ!? 何だ、これは!」
ルナの指先から、清冽な光の帯が溢れ出した。
それは意志を持つ回路のように大聖堂の床を走り、ルリの傷ついた体を優しく、けれど強固に包み込んでいく。
「……ここから先は、私にもどうなるか分からない」
ルナが掠れた声で囁く。彼女の瞳には、死を恐れる色など微塵もない。あるのは、一縷の望みにすべてを捧げる鋭い光だ。
「でも、今のルリとなら、きっとできるはず。……私は、これに賭ける」
彼女の魂が、システムそのものに干渉を始めた。
「――『交流請求』!!」
大聖堂が鳴動した。光の帯は一気に増幅し、濁流となってルリの体を飲み込んでいく。
瀕死の少年は、その眩い光の中で巨大な光の塊へと変貌を遂げた。
そして、ルナの咆哮が響く。
「――『魂の留置』」
巨大な光の塊は磁石に引き寄せられるようにルナの元へと奔走し、彼女の細い体を包み込んでいった。
二人の魂は今、光の中で一つに溶け合おうとしていた。




