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BABEL ――反逆の十字騎士団――  作者: Hellmärc


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《まだ、何も返せていないけれど》 2

「それは、ワタクシの玩具でしてよ」

 


 その声音が落ちた瞬間、鏡写しに残っていた剣撃は、悲鳴ひとつ立てずに砕け散り、光の欠片となって宙に溶ける。反射されるはずだった殺意も、返ってくるはずの軌道も、何もかもが強引に否定されたかのように消失した。

 ジルベールと魔女の使徒の間に、少女が現れた。足音も前兆もなく、闇が一瞬だけ人の形を選び取ったようだった。夜を切り取ったかのようなドレスは血の色を秘めた装飾を帯び、戦場に不釣り合いなはずの優美さが、逆に圧倒的な死の気配を放っている。手には白雪のような刀身の細身の刺突剣。その刃は氷柱のように艶めき、抜き身であることを誇示するかのように、静かに魔力を震わせていた。


「フランチェスカ……! どうやって」

「不夜の加護よ。それより、アレは敵かしら?」


 簡潔な問いに、ジルベールは言葉を選ぶ暇もなく頷く。それだけで、彼女は目の前の相手を排除する対象であると認識する。


「そう。前に出なさい、ジル。魔法は全てワタクシが打ち消すわ」


 一歩、彼女が前へ出る。ただそれだけで、空間の重心が移動した。魔法が満ちていたはずの空気が、フランチェスカの周囲だけ沈黙する。術式が成立する前に拒絶される、そんな不条理な予感が、使徒の背筋を撫でた。


「アナタはあの魔女気取りの人間に、ワタクシの代わりに鋼の一撃を」


 フランチェスカは白雪の刺突剣を顔の前に構える。その所作は洗練され、同時に冷酷だった。その残酷さを覆い隠すように、口元だけが花のような笑みの形を作る。


「霊園の騎士、フランチェスカ・ラ・クルエラル。人類に徒なす魔に、差別無き死を」


 その(あざな)が告げられた瞬間、ジルベールの中で全てが繋がる。彼女の名乗りは、強力な力を持った騎士にのみ与えられるモノだったから。

 正式な名とは別に刻まれる第二の名。騎士団の中でも、個として戦局を覆し得る者。一個騎士隊に匹敵する戦力と認められた者にのみ、例外的に許される称号である。

 字を持つ騎士は命令系統の外に置かれ、戦場では独自の判断を許される。正規騎士であろうと、階級が上であろうと、その前では口を挟めない。字は名誉であると同時に、制御不能な力を持つことへの公式な認定でもあった。


 ――霊園の騎士。


 死と隣り合う役目を与えられ、死をもって均衡を保つ者に付けられる、忌まわしくも畏敬を集める字。

 ジルベールは、ようやく理解した。フランチェスカが近衛騎士にのみ使える部屋を占領していた理由も、正規騎士たちが誰一人として彼女の言動に異を唱えなかった理由も。

 彼女は白騎士家の令嬢だから特別なのではない。

 特別だからこそ、白騎士家に生まれてなお、字を与えられているのだ。

 魔女の使徒の青年は、紫水晶の瞳を細め、初めて明確にフランチェスカを見据える。彼の力は鏡だ。受けた攻撃を反射し、目にした魔法を模倣する。その性質ゆえに、魔法そのものを否定する存在を前にして、踏み込めずにいる。

 フランチェスカが身につける無数の副葬品が、その煌めきを強めている。恐らくは一つ一つに風除けのような加護が込められており、それは魔女の使徒が使うほぼ全ての魔法を封殺できるのだろう。

 ジルベールが一歩前に出る。隣には、揺るぎない死の気配がある。魔法は断たれた。残るのは鋼のみ。

 青年が低く息を吐き、静かに言う。


「……玩具かよ」

「ええ。壊される前に、返して頂かないと」


 その会話を合図に、戦いは次の段階へ移る。フランチェスカの登場は、単なる援軍ではなかった。戦場そのものを書き換える、鮮烈な死の宣言だった。


「だいたいの魔法は除けられるけれど、さっきのは不思議な魔法ね」

「鏡だ。攻撃が反射される。それも、さっき君が消してたけど」


 ジルベールの言葉を受け、フランチェスカは一瞬だけ青年、魔女の使徒を見る。その視線は、敵を測るというより、現象を観察する研究者のそれに近い。


「無理ね」


 短い否定。即断だった。

 万能の否定者であるかのように振る舞ってきた彼女が、あっさりと限界を認めたことで、ジルベールは背筋を正す。


「あれは魔剣シュネーヴィトヒェンの力よ。この剣で斬れば消せるけれど、常にアナタに向かう鏡の魔法を打ち消すのは現実的じゃないわね」


 フランチェスカは眠らされた都市の住民たちに、ほんの一瞬だけ視線を滑らせる。倒れ伏す無数の身体。それらを見て、微かに首を横に振った。


「残念だけれど、ここには死体がないわ。でも、人域はどこであっても過去は戦場。ふふっ、過去の強者を呼び寄せましょう」


 魔剣シュネーヴィトヒェンが掲げられる。白雪の刀身が夜光を吸い込み、周囲の空気が重く沈む。

 彼女が詠唱を始めた瞬間、地面に染み込んだはずの血と、消えたはずの死の記憶が、逆流するように立ち上がった。


「大地の染み、鴉の啄み。その体躯が朽ちようとも、剣を握る英傑よ。汝に授けるは、敵を切り裂く鋼」


 言霊が定着した場所で、空間が裂ける。

 現れたのは、半壊した全身鎧をまとった半透明の騎士だった。兜の奥は空洞で、顔はない。それでも、確かな“戦う意思”だけが宿っている。その手に握られた両刃剣は、金属ではなく、凝縮された魔力そのものだった。


「剣霊、ジルの従者をなさい」


 剣霊は応えるように、無言で剣を構えた。

 ジルベールは一瞬の戸惑いの後、魔剣ゼルザーを握り直す。剣霊と自分。その二つの剣線が、自然と交差しない位置に並んだ。


「鏡の魔法、どれくらい連続で使えるのかしら」


 フランチェスカの言葉が、試すように落ちる。

 瞬間、ジルベールが踏み込んだ。

 魔剣ゼルザーが振るわれる。

 青年の前で、鏡のような魔力障壁が再び立ち上がり、刃を受け止める。反射。返ってくるはずだった剣撃を、剣霊が正面から受け止めた。

 金属音はしない。霊体である剣霊には、物理的な反射が意味を成さない。返された力は、そのまま霧散する。

 青年の表情が、初めて僅かに歪んだ。


 鏡の魔法は、同時に複数を捉えきれない。反射は一度に一方向。連続発動もできない。見た魔法を模倣することはできても、戦況に合わせて自在に最適化することはできない。

 ジルベールとフランチェスカはその性質を見破った。この男は多様な魔法を操っているのではない。鏡として映したものを、そのまま使っているだけだ。

 だからこそ、変則には弱い。

 ジルベールと剣霊が、交互に、あるいは同時に剣を振るう。

 反射された攻撃は剣霊が受け止め、反射できなかった剣線が青年の足場を削る。

 その合間に、フランチェスカが放つ否定が、青年の魔法を次々と掻き消していく。風は霧散し、火は灯る前に死に、水は形を成す前に地へと還る。


 魔女の使徒の青年は一歩、また一歩と下がる。そして鏡の魔法が展開されるたび、その間隔は確実に伸びていた。

 追い詰められている。それは明白だった。

 フランチェスカの参戦で、この戦闘は形勢を変えている。

 もはや力比べではない。役割が完璧に噛み合った、処刑に近い戦闘だ。

 魔法はフランチェスカが殺し、反射は剣霊が受け止め、残った隙を、ジルベールが斬る。

 そして次の一撃が、決定的な距離まで青年を追い詰めていた。 

 


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