《魔女の痕跡》 4
その後も、魔女の痕跡はついに見つからなかった。
魔法儀式の残滓はおろか、魔力の滞留や地脈の歪みすら検出されない。
騎士見習いたちは同じ森を、同じ旧街道を、同じ河岸を、何度も何度も歩き回ったが、得られたのは何もないという事実だけだった。
森は静かだった。
枝葉は風に揺れ、獣道には小動物の足跡が残り、川は変わらぬ速さで流れている。人の営みが忽然と消えた痕跡など、どこにもない。
そんな捜索とは裏腹に、都市フレリスは三日後に迫った収穫祭へ向け、日に日に活気を増していた。
街道には葡萄を積んだ荷車が列をなし、商人たちの声が交錯する。
空気には甘酸っぱい香りが混じり、鉄と汗の匂いを押し流していった。
ワイン産業の盛んな都市フレリスにとって、収穫祭は一年で最も重要な祝祭だ。古い慣習では、未婚の乙女が裸足で葡萄を踏み、その果汁で若い酒を仕込むという。
中央広場では、その準備がすでに始まっていた。巨大な木桶の中で、数人の少女が笑い声を上げながら葡萄を踏んでいる。
果皮が潰れ、紫色の汁が弾け、石畳に飛び散る。周囲には見物人が集まり、和やかな空気が流れていた。
ジルベールは、その光景を少し距離を置いて眺めていた。
今日は鎧を着ていない。剣も帯びていない。身体の軽さに、まだどこか落ち着かない気分を覚える。
その隣に、フランチェスカがいる。
捜索には一切参加せず、都市一番の迎賓館として使われる宿屋で休養していた彼女は、退屈を紛らわすように祭りの準備を見に来ていた。
「フランチェスカも踏んでみたりすれば?」
軽い冗談のつもりだった。
フランチェスカは、桶の中で跳ねる葡萄を見つめ、わずかに唇を吊り上げた。
「足が赤く濡れるのは好きね。でもそれは葡萄じゃなくってよ」
金属製のヒールが、かつん、と石畳を打ち鳴らす。澄んだ音なのに、なぜか胸の奥が冷えた。
「知っていて? 腐った死体って、踏むとワインみたいに赤黒い液体を出しながら潰れるのよ」
「へ、へぇー……」
言葉が喉に引っかかり、それ以上の話しは続かなかった。
ジルベールは心の中で、二度とこの話題を振るまいと誓い、フランチェスカは、何事もなかったかのように視線を街並みに戻す。
「結局、何も見つからなかったそうね」
「……ああ」
短い返事しかできなかった。事実として、それ以上の言葉はない。
魔女は、その莫大な魔力ゆえに、存在するだけで周囲を侵食すると言われる。土地は歪み、動植物は変質し、空気すら異質なものになる。
それがない以上、この付近に魔女はいない。騎士団はそう結論づけた。
収穫祭が終わり次第、騎士団は撤収する。
消えた村の原因は引き続き魔導師たちが調査するらしいが、恐らく決定的な答えは出ないだろう。
少しして、別の隊の任務を終えたヴァレリアンが合流してきた。
「ジルベール。もう任務はないんだし、一緒に収穫祭を回らないか?」
「あら、いいわね。お供させてあげるわ」
間髪入れずにフランチェスカが答える。
「うわ、アンダーテイカー」
ヴァレリアンが思わず口を滑らせる。
「文句があって?」
穏やかな笑み。だが、拒否の余地はない。
「ないです……」
即座に引き下がる。騎士家出身のヴァレリアンにとって、序列と家格は身体に染みついたものだ。ジルベールよりも、よほど彼女を前にすると萎縮する。
ジルベールは、天幕に戻る用事を思い出し、二人に断りを入れて歩き出した。
その途中だった。
ぼろ切れのようなローブを身に纏い、フードを深く被った男が、ふらつくように近づいてきた。
避ける間もなく、肩がぶつかる。
「……ああ、失礼。目が、あまり良くはなくて」
「いえ、大丈夫ですよ」
反射的に、ジルベールは男の身体を支えた。驚くほど軽い。骨ばった腕に、温もりはあるのに、生気が薄い。
「おや、これはこれは。騎士様でしたか」
男はジルベールの装備を一瞥し、声色を変える。
「この付近に魔女がいると……噂で聞きましたが、見つかりましたか?」
胸の奥が、微かにざわつく。
「いえ、魔女の姿はどこにも……」
「……そうですか。それは、とても良いことですね」
その言葉には、安堵とも、別の感情とも取れる響きがあった。
男は、それ以上何も言わず、人混みの中へと消えていく。
残されたのは、葡萄の甘い香りと、人々のざわめき。
だが、ジルベールの脳裏には、ほんの一瞬、フードの奥で交わった視線が焼き付いていた。 彼は、自分と同じ紫水晶の瞳をしていたのだ。
収穫祭当日の都市フレリスは、まるで別の顔をしていた。
石畳の通りには色とりどりの布が張られ、家々の窓には葡萄の蔓と花輪が飾られている。
朝から人の声は途切れず、笑い声、呼び込み、楽師の奏でる笛と太鼓の音が重なり合って、街全体がひとつの生き物のように脈打っていた。
「……すごい人だな」
ジルベールが、少し居心地悪そうに辺りを見回す。村での祭りはもっと質素だった。
「お祭りなんて、こんなものよ」
フランチェスカは涼しい顔で言った。
黒を基調とした服装だが、今日は装飾が控えめで、どこか客人として街に溶け込もうとしているようにも見える。
それでも、彼女が歩けば自然と人波が割れた。そして彼女はある場所を目指してカツカツと進んでいき。
「……宝飾通り、ね」
ヴァレリアンが呟く。
首飾り、指輪、耳飾り、腕輪。磨かれた石が、これでもかというほど並べられている。
フランチェスカいわく、こう言った祝いの日でないと市場に出ないものがあるらしい。
今までは宝石商が家にまで品物を持ってきてくれていたらしいのだが、騎士学校で退屈な日々を過ごすフランチェスカは久しぶりに散財したい気分のようだった。
最初の店で、フランチェスカは即座にケースを指さす。
「それ、見せてくださる」
店主が取り出したのは、深い紅を湛えたガーネットの首飾りだった。灯りを受けて、血のように鈍く光る。
「質は悪くない、ゼリニア鉱山のものね。留め金は……まあ及第点」
店主が息を呑む。
「包んで」
彼女は値段すら聞かない。
「もう決めたの?」
「一時でもワタクシの目を奪ったのだもの」
金貨が卓に置かれ、首飾りは布に包まれる。
「ジル」
「はいはい」
当然のように、差し出された包みを受け取る。次の店では、淡い青のサファイア。
「嫌いじゃないわ」
買う理由としては十分らしい。
次は、紫水晶の指輪。ジルベールは、思わず視線を止めた。
「綺麗ね」
フランチェスカがチラリとジルベールの方を見る。
「宝石は心を癒やすものよ。死者の心すら、ね。だから、棺の中にアクセサリーを入れる人々はいなくならないの」
フランチェスカは一瞬だけ指輪を掲げ、光に透かす。
「好きよ、この色」
艶やかに笑い、また金貨が支払われる。そしてその包みは、またジルベールの腕に乗せられた。
ヴァレリアンは、それを半歩引いた位置から様子を見ていた。
「……ジルベール、大丈夫か?」
「じゃあ手伝えよ」
「落としたら怖いから嫌だよ」
その後も止まらなかった。
真珠の耳飾り。
細工の細かいエメラルドのブローチ。
意味もなく豪奢なダイヤの装飾ピン。
いつの間にか、ジルベールの両腕は宝飾品の包みで塞がっていた。
そこからやっと露店の並ぶ通りに行って、焼いた肉の香ばしい匂い、蜂蜜菓子の甘さ、熟す前のワインの酸味、それらから吟味して昼食を買う。
蜂蜜酒を飲むフランチェスカを横目に、男2人は串に刺さった肉を囓る。
「これどうするんだ」
ヴァレリアンの何気ない問いに、彼女は首を傾げる。
「宝石は嵩張らないわ。実用的よ」
「実用……?」
「ええ。売れる。贈れる。身に着けられる」
三拍子揃っているらしい。
「それに――」
フランチェスカは、蜂蜜酒の杯を軽く揺らしながら、ちらりとジルベールを見る。
「価値が腐らない。布も食べ物も、そして人も、時と共に駄目になるけれど、宝石は違うわ。百年経っても、同じ輝きを放つ」
「……確かに」
ジルベールは頷きながら、腕にかかる重みをほんの少しだけ持ち替えた。包みの角が肘に食い込み、現実を主張してくる。
祭りの喧騒は、日が落ちても衰えなかった。
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