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BABEL ――反逆の十字騎士団――  作者: Hellmärc


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《魔女の痕跡》 3

 捜索は、ひたすら歩くことから始まった。

 都市フレリスの外縁に設けられた仮設陣地を起点に、騎士見習いたちは小隊ごとに分かれ、周辺地域へ散っていく。森、旧街道、河岸。地図の上では単純な区分だが、実際に足を踏み入れると、そのどれもが広く、深く、終わりが見えなかった。


 ジルベールが割り当てられたのは、森と旧街道が交わる区域だった。

 朝露に濡れた下草を踏み分けるたび、鎧の脛当てが草を弾き、湿った土の匂いが立ち上る。

 肩から腰にかけて載せた鉄の重みは、歩くだけで少しずつ体力を奪っていった。

 鎧は動ける重さだ。それは分かっている。

 だがそれは、一日中着続けると話は別だった。

 剣を振るわず、走るわけでもなく、ただ歩き、立ち止まり、目を凝らし、また歩く。その単調な動きが、じわじわと身体を蝕む。


「……それらしい痕跡、見つかったか?」


 前を行く同班の見習いが声をかけてくる。


「いや。焦げ跡も、魔力の淀みもない」


 ジルベールは首を振り、視線を地面へ戻した。

 探しているのは魔法の痕跡だ。

 だが、その正体を正確に知っている者は、ここにはいない。

 魔導師たちが言うには、大規模な儀式魔法であれば、必ず何らかの残滓が残るという。魔力の流れの歪み、植物の異常成長、あるいは逆に不自然な枯死。地脈の乱れ。空気の澱み。

 だが、それらは言葉として知っているだけだった。


 実際に森の中でそれを見分けろと言われても、どれが異常で、どれが自然なのか分からない。

 苔が厚く生えている岩。

 絡み合う蔓。

 倒木の割れ目。

 すべてが何かありそうに見えて、同時に何もないようにも見える。


「……なあ」


 同班の一人が、低い声で言った。


「村が消えたって、本当なんだよな」

「ああ」

「焼けたわけでも、崩れたわけでもなく?」

「……跡形もなく、だそうだ」


 言葉にすると、余計に実感が薄れる。

 人が住み、暮らし、畑を耕していた場所が、一夜でなかったことになる。

 旧街道へ出ると、視界は開けた。

 石畳はところどころ欠け、雑草が隙間から顔を出している。使われなくなって久しい道だ。

 ジルベールはしゃがみ込み、石畳に手を当てる。


 冷たい。だが、それだけだ。

 魔法の熱も、冷気も、違和感もない。

 河岸も同様だった。水は澄み、流れは穏やかで、魚影すら見える。村が消えたとは思えないほど、平穏だった。

 だからこそ、不気味だった。

 昼を過ぎ、陽が高くなる頃には、鎧の内側は汗で湿り、脚は鉛のように重くなっていた。

 喉は乾き、思考が鈍る。それでも、休む時間は短い。

 水を飲み、干し肉を噛み、再び歩く。成果は、ない。

 夕刻、仮設陣地へ戻る頃には、全身が悲鳴を上げていた。


 都市フレリスの外に張られた天幕群は、夕焼けに染まりながらも、どこか沈んだ空気を纏っている。

 戻ってくる見習いたちの表情が、皆同じだったからだ。

 疲労と、空虚。

 鎧を脱ぐとき、金具を外す指が思うように動かない。

 肩当てを下ろした瞬間、ずしりとした重みが抜け、代わりに鈍い痛みが広がる。


「……疲れた」


 思わず漏れた声に、隣で同じく鎧を外していたヴァレリアンが苦笑した。


「そりゃそうだろ。剣も振らずに、一日中歩き詰めだ」


 天幕の中は、むっとするほど人の熱がこもっている。

 簡素な寝台と、地図、灯り。騎士学校の整然とした空間とは違う、生々しい前線の匂いがあった。

 ヴァレリアンは寝台に腰を下ろし、頭を抱える。


「なあ、ジルベール」

「なにさ」

「もう五日だよ」


 その声には、苛立ちよりも、困惑が滲んでいた。


「五日も探してるのに、何も見つからない。焦げ跡も、魔力反応も、変な植物もだ。……本当に、村があったのかって気分になる」


 ジルベールは、水袋を口に運びながら答える。


「でも、あったんだろ」

「分かってる。でもさ」


 ヴァレリアンは天幕の天井を見上げた。


「敵がいない。痕跡もない。何と戦えばいいのかも分からない。これ、任務って言えるのか?」


 答えは、すぐには出なかった。

 外では、風が天幕を揺らす音がする。

 遠くで、騎士馬の嘶きが聞こえた。


「……分からないものを探すのが、今回の任務なんだろ」

 そう言うと、ヴァレリアンは短く笑った。

「嫌な初任務だな」

「そうだね」


 ジルベールは、脱いだ鎧を見つめた。

 床に置かれたそれは、無言で、鈍い光を返している。傷も血も付いていない。戦った痕跡など、どこにもない。

 それでも、確かに今日一日、彼の身体を縛り、削り、重さを刻みつけてきた。

 騎士とは、剣を振るうものだと思っていた。敵と相対し、守るべきものの前に立ち、明確な悪を斬る存在だと。

 村で聞かされてきた騎士の話は、いつもそうだった。

 魔獣を討ち、賊を退け、戦場で名を挙げる英雄譚。そこには迷いも、虚無もない。剣を抜けば、そこに答えがある。


 だが、今の自分はどうだ。

 一日中、鎧を着て歩き回り、何も分からない痕跡を探し続ける。

 敵の姿はなく、剣を抜く理由もない。代わりにあるのは、疲労と、得体の知れない不安だけだ。

 理想の中の騎士は、戦場で輝いていた。

 だが、実務としての騎士は、戦場に至る前の「何も起きていない時間」を耐える存在なのかもしれない。

 何も起きていないように見える場所を疑い、痕跡のない異常を前提に動き。そして、何も見つからなかったとしても、歩き続ける。


 それは、剣術でも、勇気でも測れない仕事だった。

 鎧は、敵から身を守るためのものだと思っていた。だが今日、それは外からの攻撃ではなく、内側から削れていく心を押さえつけるための重しのように思えた。

 騎士は、戦う存在である前に、耐える存在なのだろうか。

 その問いは、まだ答えを持たない。


 だが、少なくとも一つだけ分かることがあった。

 剣を振るう覚悟だけでは、騎士は務まらない。何も起きない時間に意味を見出し、それでも職務として立ち続ける覚悟がなければ、人類の守護者は務まらない。

 ジルベールは、そっと鎧から目を離した。 

 






















 一週間が過ぎても、状況は何一つ変わらなかった。

 消えた村の痕跡は見つからず、森も、旧街道も、河岸も、ただ「何もない」という事実だけを積み重ねていく。魔導師たちは天幕に籠もり、紙と魔具を前に唸るばかりで、騎士見習いたちに降りてくる指示も、相変わらず同じ区域の再調査だった。

 そして八日目の朝、ようやく「休息」が言い渡された。


 半日の自由時間。完全な休暇ではないが、鎧を脱ぎ、剣から手を離していい時間だ。

 見習い騎士たちは自然と二手に分かれた。天幕に戻り、倒れるように眠る者。

 あるいは都市フレリスへ向かい、久しぶりに街の空気を吸おうとする者。

 もっとも、彼らはまだ騎士見習いであり、同時に騎士でもあった。立場は弁えねばならない。

 酔うことは禁止。酒に溺れることなど論外だ。

 だが、酒場で軽く杯を傾ける程度。晩酌と呼べる範囲であれば、黙認されている。

 実際、上官である正規騎士たちも、任務の合間には同じように過ごしていた。重い鎧を脱ぎ、無言で酒を飲み、翌朝には何事もなかったように任務に戻る。


 見習いたちは、それを見て学んだ。これもまた、騎士の振る舞いなのだと。

 ジルベールとヴァレリアンも、都市フレリスの酒場にいた。

 木造りの店内は、夕刻を過ぎたばかりで、まだ騒がしすぎない。油灯の明かりが壁に揺れ、木の卓には使い込まれた傷が刻まれている。

 汗と鉄と酒の匂いが混じった、どこにでもある酒場だ。席につき、ジルベールは無意識に財布を取り出した。

 中を覗いて、ほんの一瞬だけ、口元が緩む。少し前まで、考えられなかった重みだ。

 フランチェスカの下で働くようになってから、見習いとしての給金だけではなく彼女からの多額の給金があるからだ。我が儘放題のお嬢様の世話をするのは大変だったが、内容を考えれば破格もいいところだ。

 村で暮らしていた頃の自分なら、この金額を見ただけで落ち着かなくなっていただろう。

 だが今は、静かに受け止められる。


「今日は、少しいいやつにしようよ」


 そう言って、ジルベールは酒場の主人に声をかけた。

 普段より一段上のワインを頼む。値段を聞いても、もう眉は動かない。運ばれてきたガーネットのような色の液体を見て、ヴァレリアンが目を丸くした。


「奮発するね、ジルベール」

「騎士家で飲むようなものには適わないさ」

「そうでもないよ。フレリスのワインは高級品だからね、ただの酒場でも良いものが揃ってる」


 冗談めかした声だったが、どこか本気も混じっていた。

 ジルベールは杯を手に取り、軽く揺らす。光を透かしたワインは、妙に落ち着いた色をしている。


「美味しい」

「最近やっとこの味が分かった」


 軽く杯を合わせ、二人は一口だけ口に含む。喉を通る感触は柔らかく、香りが鼻に残った。

 しばらくは、他愛のない話をしていた。訓練の愚痴。鎧の重さ。森の虫の多さ。

 だが、自然と話題は避けられない方向へ向かっていく。


「……一週間か」


 ヴァレリアンが、ぽつりと呟いた。


「一週間。なのに、何も見つからない」


 ジルベールは答えず、杯を置いた。


「魔導師たちも、焦ってる。表では平然としてるけど……」

「見てれば分かる」

「そうだろうね」


 ヴァレリアンは椅子にもたれ、天井を見上げる。


「村が丸ごと消えるなんて、普通じゃない。魔獣でも、賊でも説明がつかない」

「……魔女、か」


 その言葉に、空気が一段沈んだ。

 魔女。

 人域に現れれば、災厄と同義の存在。

 歴史の中では何度も語られているが、実際に遭遇した者の記録は少ない。少なすぎる。生きて語れる者が、ほとんどいないからだ。

 ワインの色が、ランプの光を受けて深く揺れていた。

 杯を置いたヴァレリアンは、しばらく黙ってから、独り言のように口を開く。


「……魔女の話、嫌でも頭に浮かぶよね。今回の件」


 ジルベールは否定も肯定もせず、ただ視線を向ける。続きを促す合図だけを残して。


「……人類の魔法は、全部、魔女から奪ったものだ」


 ジルベールも知っている、魔法の常識だ。

 ヴァレリアンは淡々と続けた。


「始まりの魔女たちがいて、そこから枝分かれした眷属の魔女が生まれた。魔法を探求する連中で……実験だ、素材だって言って、人間を巻き込むことも珍しくなかった」


 ジルベールは杯を回しながら、小さく頷く。


「けれど、ついに一人の魔女が討たれた」


 杯を持ち上げ、一口だけ含む。


「第七の騎士、ヘクセメルダ様によって。魔女は捕まって、その魔法は解析されて……その魔女が持っていた魔法が、初めて“人類のもの”になった」


 ジルベールは、背中に薄い寒気を感じていた。


「そこから、魔女狩りが始まった」

「狩り……」

「報復に来た魔女を捕縛して、封印して、魔法を奪う。奪った魔法を解析して、人が使える形にする」


 ヴァレリアンは視線を伏せる。


「それをやったのが、魔法の才能に恵まれた騎士家。選ばれた家々」

「……操家」

「そう。操家と呼ばれる家系」


 そして、一拍置いて、静かに言った。


「フランチェスカの、クルエラル家もその一つだよ。流石に知ってるか」


 ジルベールは、思わず杯を強く握った。本人から聞かされたことはないが、噂話は耳にしていた。

 死体を扱う家。魔女の魔法を解析する家。


「だからさ……」


 ヴァレリアンは、どこか苦い笑みを浮かべる。


「魔女が人類を憎むのは、当然なんだよ。自分たちの力を奪われて、仲間を狩られて……それで憎まない方がおかしい」

「……じゃあ」


 ジルベールは、喉の奥が乾くのを感じながら言った。


「新しい魔女を捕まえるってことは……」


 ヴァレリアンは、はっきりとうなずいた。


「人類に、新しい魔法が増えるってことだ」


 重い沈黙が落ちる。

 それは栄光でも、希望でもない。ただ、事実として積み重ねられてきた歴史だった。


「嫌な話だろ」

「……ああ」


 ジルベールは杯を見つめる。赤く透ける酒の底に、何か黒いものが沈んでいるような気がした。


「でもさ」


 ヴァレリアンは、ぽつりと続けた。


「だからこそ、今回の任務、上は本気なんだと思う」

「魔女の可能性があるから」

「そう。もし本当に魔女なら――」


 彼は、最後まで言わなかった。言わなくても、分かる。

 討つ。

 捕らえる。

 奪う。

 それが騎士の役割なのだと、人類は決めている。

 ジルベールは、静かに息を吐いた。騎士になれば、剣を振るうと思っていた。

 だが、剣の先にあるものは、もっと生臭く、重たい。


「……嫌な初任務だな」

「本当に」


 その言葉だけが、二人の間で静かに残った。

 



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