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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第3章『氷雪の暁』(終)
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其ノ二十三『氷雪の暁、運命へ祝福あれ』①

 自分は他者とは何かが違う――。


 物心ついた頃から既に自覚していた。

 見えるモノ――そう、一般の和人離れした容貌と生体機能も。

 見えないモノ――そう、人と世界を見つめる精神構造も。

 生まれながらにして、何もかもが異質の凝固体。


 雪のような白い髪と肌の色。真冬に仰いだ空と同じ色を映す淡い瞳。

 視力も多少弱かったため、網膜矯正コンタクトレンズを挿入する手術も受けた。

 自分を焼き溶かす太陽を忌避する雪のように、己の肉体は日差しの下では脆弱へとなり下がる。

 日昇国内では、比較的日差しと紫外線の極小なルーナシティで生まれ育ったのもきっと必然たる事象。

 ()()()()()である僕の祖父、『冬夜(とうや)斎賀(さいが)』の隔世遺伝に由来しているに違いない。

 当時、外国籍の血筋の学生も学級の五割を占める時代へ入っていた。

 とはいえ、和人でありながらも西洋の白人さながらの容貌は、学校では格好の注目の的。しかし、僕という人間を“異質な存在”へたらしめていた要因はそうではない。

 ましてや、日差しに弱い雪のような体質や、それ故の“合理的配慮”を受けやすい立場によるものではない。


 「深月君って、西洋から時間移動(タイムスリップ)してきた外国人みたい」

 「だよね。携帯端末機(スマホ)の方が便利で安いのに、今時紙の本だもんね。それも、英語の活字とか」


 幼い頃から僕は本に触れることが、何よりも好きだ。

 本の(ページ)をめくれば、紙の舞台で繰り広げられるのは、先人の築いた知識の宝石と叡智の大海の冒険。

 生きて死する人間の姿へ心惹かれる物語に、今すぐ容易に逢いに行けるのだから。

 僕の世代の同級生は、発展文明の象徴である携帯端末機に映し出される漫画やゲーム、アニメ、仮想型(ヴァーチャル)共同体(コミュニティ)等の実体なき遊戯や娯楽の虜である。

 しかし僕だけは、実体を伴うものへ直接見て触れることもあれば、逆に科学によって数値化・視覚化された心という“実体なき実体”への一人遊びに夢中だった。


 僕の心を何よりも惹きつけるのは、()()()()()()()()()()()との出逢い、その美しさに触れた瞬間だ。

 旧時代の遺物を愛でる僕の嗜好と僕自身は、周りには風変わりに映ったのだろう。


 「あいつの家族見た? 父親と母親の髪も瞳も和人の黒なのに、お祖父さんとあいつだけは真っ白。もしかして、先祖に白人の()()でもいたんじゃね?」


 ただし周囲が気にしているほど、自分は己の異質性を悲観していたわけでも、孤独に凍えていたわけでもない。

 僕にとっての“孤独”は、むしろ辛苦や寂寥とは無縁の安らかな闇と静寂。

 それに広大な世界を心で旅する力が、僕には備わっていた。

 いかなる世界の“あるがまま”を映し出し、理解する知性と心こそが、僕自身の盾と剣。

 幸いと呼ぶべきか、僕の両親は世間体や偏見に囚われない自由主義(リベラル)な性格の持ち主であった。

 外で他の子どもと遊ばずに、読書ばかりに夢中な僕を叱ったことはない。

 祖父譲りの髪と瞳も綺麗だ、といつも褒め慈しんでくれた。

 誰とも深く交わることはない。

 知識と物語を吸収する空想旅に耽り、時に現実の人間観察、実験を目的とした接触を図ったりもすることも。

 同じ雪景色を見つめ流すように安らかな日々。

 しかし、僕という人間が――人間が当たり前に備えた“何か”を、生まれながらにして欠けている事実。

 人間社会からすれば、“致命的な欠陥”とも呼べる僕の異質性を、とりわけ決定づけたのは――あの不条理で惨たらしい『師走小学校殺傷事件』であった。


 「ああ、可哀想に。君も、怖い思いをしただろう? でも、もう大丈夫だから」


 可哀想とは、僕と()()()のことだろうか。

 当時、小学三年生だった僕の通学先・師走小学校にて、用務員の男は隠し持っていた出刃包丁で学童と教員を斬りつけ回った。

 同級生の無邪気な喧騒に包まれたのどかな昼休憩は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄へ変貌した。

 普段と変わらず笑っていた同級生達。

 無垢なる喉から胸や腹、手足は矢継ぎ早に切り裂かれた。

 皆は、赤黒い血潮を噴射させながら泣き叫ぶ。

 惨憺たる絶叫と血潮に酔って嗤う殺人鬼は、逃げ惑う子どもを容赦なく追いかけまわす。

 細い体を引きずって逃げ延びようとした寸での所で留めを刺されていく光景を――地獄の全ての――()()()()()()()()()


 ああ、人間の皮膚はあんなにも柔らかくって、チーズのように容易く裂けるのか。

 真っ赤なクランベリー色の血潮は、こんなにも熱くって強烈な鉄の香りと混ざって、時折独特の匂いを放つのか。

 誰かが恐怖と激痛に泣き叫び、血や内臓、絶望的な非業の死を目の当たりにした。


 それでも、僕の心にはひたすら虚無が広がっていた――今も克明と記憶している。


 阿鼻叫喚の地獄景色を余所に、僕自身は無傷で済んでいた。

 警察の突入と救助を待つ間、僕は教卓の影で息をひそめてやり過ごしていた。

 しかし、殺人鬼の気配が遠ざかった所で、教室から静かに避難しようとした僕の足を惹き留めたのは――。


 「――ぉ、か……さぁ……ん――」


 ()()()は、確か先ほど、もう。

 透明な鏡のように澄んだ深月の瞳に映り込んだ“一人の女児”に、深月は心奪われた。


 ああ、なんて、これほどまでに。


 刃物で深々と抉られた胴体、そこから幾筋もの鮮血を零れ伝わせている姿で、女児は幼い体を引きずっていた。

 亀裂の深さ、留めなく溢れる血の量を鑑みれば、女児はどう足掻いても助からないことは、幼い深月にも得心がいった。

 しかし、血塗れの女児は何かを切望するように片手を伸ばしたまま、床を這っていく。

 無慈悲な死の恐怖、耐え難いはずの激痛が、鼓動と呼吸を奪っていても尚、女児は何がために進むのか。

 血塗れの手を伸ばして求めるは、救いか、それとも。

 女児の肉体から床へ流出する鮮血によって、床には赤い(わだち)が刻まれる。

 現実では、ほんのわずか数分にも満たぬ人生の刹那。

 死の静寂に満ちた廊下を這いずってまで、女児が辿り着いたのは――同じ廊下で絶命している、幾分か華奢な女児。

 首の亀裂から血を流して横たわる小さな女児の手へ、雪のように青白い手がそっと重なる。


 「も、だいじょー、ぶ。おねえ、ちゃ、が、いる、から。ひと、り、じゃない、よ」


 ひどく苦しそうに、けれど小さくなっていく命の力強い躍動、深き愛情に満ちた温かな声で女児は囁いた。

 かつての面影の失せた()の傍で血濡れとなっている姉は、共に永遠の眠りへと落ちた。

 血に染まった雪のように蒼白な手は、不思議なほどに温かそうで。

 瞳を静かに閉じた白い顔にも、命の安らかな祈りが残っていた。


 ああ、これが“命”というものなのか。


 私達人間が、“魂”と呼び尊ぶ存在とは、これほどまでに、美しいものなのか。

 愛とは美しい。

 勇気は美しい。

 優しさも美しい。

 だが、()()()()()()()()()()は、()()()()()()――。


 哀しみとは、人生。

 悲哀とは、美。

 悲嘆とは、愛と同等に尊い。

 僕と同級生を襲った惨憺たる不条理。

 人間誰もが見ても慄然とする阿鼻叫喚の地獄、悲劇の渦中にいた僕には、恐怖も憐れみも生まれなかった。

 しかし、人間らしい感情が一切湧かない僕にとっても、異質で新鮮な感情をあの女児に対して覚えた。

 それは己と妹を襲った不条理、不可避の運命にある中、女児は死の恐怖と獄痛に屈することなく、ただ最後まで生きようとした。

 命を奪われた憐れな子どもで終わらず、女児は妹に寄り添う姉として生きて、死んだ。

 際限なき虚無の荒野に突如煌めいた唯一の光のような死に様(生き様)を、“魂の美しさ”と呼ばずして何というのか。

 痛ましい事件の後、僕の心理ケアを担当した『至・内村先生』――我が恩師との出逢いを経て、僕は心理療法士(セラピスト)の道を志した。

 人間の心の在り方の探求とケアに対しては、最も知的好奇心をそそられたからだ。

 あの悲劇で目の当たりにした、魂たる存在が放つ天上の耀きを、()()()()()()()()

 あの魂と同格の美しさを備えた魂を持つ人間を切望して。


 「深月君に義妹ができたと聞いたよ。確か、()()()()だったかな? 彼女とはどうだい?」


 事件を機に小学校の通学を止めた僕は、家庭内教育(ホームスクリーング)制度による通信教育を受けていた。

 心理療法士を目指すべく、内村先生の心理学教育も受ける日常を得てから二年後のことだ。

 子どもをもう一人希望していた両親は、児童保護施設にいる一人の女児と養子縁組を結んで引き取った。

 施設に入る以前、その女児は実母による虐待と放棄(ネグレクト)を受け、児童救済相談所によって救出された経緯を持っていた。

 人に対する怯えはやや強く人見知りではあるが、心根の穏やかな優しい子だから仲良くしてほしい、と両親は伝えてくれた。

 もちろん、と僕は笑顔とで了承した。

 しかし正直な話、当時の僕は新しくできた義妹に対してとりわけ期待も関心抱いていなかった。

 虐待と保護を経て新たな家庭に迎えられる子どもの心理観察そのものには、知的好奇心を多少そそられることはあっても。


 「ぁ……ごめ、なさ……っ……」


 人間とは所詮、死と恐怖、矮小な自尊心に忠実で、過去の心の傷に支配されてばかりの存在に過ぎない。

 今思えば、そんな傲慢極まる失望と共に、人間という存在を達観している気になっていた。

 今まで読み漁ってきたどの本も、高尚な真理と叡智を導いてくれた。

 しかし、僕自身の満足いく答えには未だ至っていなかった。

 非暴力を貫いた偉大なるガンディーですら、父の死とヒトの欲望に対する“罪の意識”に支配され、その犠牲となった家族の心を救うことは叶わなかったのだから。

 あの日、瞳に焼き付いた美しき魂の耀きは、特に平和ボケした現代では極光(オーロラ)よりも遥かに低確率な奇跡。

 ならば、偶々僕の義妹となった存在も、僕が先生と共に見学した療養支援施設の人間達と同じ退屈な瞳をしているに違いない、と思った。しかし。


 『綺麗――』


 脳内にか細く響いた言葉は、果たして初めて逢った僕に心を奪われる蛍の瞳が、訴えていたものだったのか。

 それとも、湖の底さながら黒く澄んだ瞳の美しさを前に、僕が無意識に奏でた言葉だったのか。

 微笑みながらあいさつする僕に対し、蛍は怯えを含んだ初々しい目つきで見上げてきた。

 自分を受け入れてくれる人間の親切とぬくもりに対する、戸惑いに似た不安と怯えは、幼い瞳から垣間見えた。

 しかし、淀みを知らない黒曜石の耀きに似た不安気な瞳に、僕は知らぬ間に惹かれたのだろう。

 だからあの時、書斎で一人読書をしながら時折蛍を横眼で観察していた僕は、蛍に声をかける気になったのか。

 それとも、蛍が難しい表情で目を通していた一冊の本が、偶然僕のお気に入りの神話だったからか。


 『分からないことも、好きなもののことも、蛍はたくさん知りたいと思うよ』


 否、蛍が蛍という人間だからこそ、僕は心惹かれたのかもしれない。

 僕の心を満たしてくれた本の世界に広がる叡智と物語を、唯一共有できた君に。

 目先の成果と利益ばかり重んじるこの時代では、すっかり形骸化してしまった哲学や物語。

 古き文明の虜である僕を揶揄する者で溢れたこの世界で、()()()()――。

 周りからは偏見と共に忌避される僕の色を、蛍だけはただ「好きだ」、と言った。

 孤独の安らぎ、心の一人旅しか知らなかった僕を、蛍はその無垢に澄んだ美しい瞳に映してくれた。

 濁り気のない愛慕と共に、昔からずっと、今も尚。


 『ブリュンヒルドはきっと、シグルズとの愛にも出逢わずに、炎の茨で一生を終えるよりも、シグルズを愛する運命を選んだと思うよ』


 『だって、シグルズを愛したほう(殺したほう)が、幸せだったと思うから』


 ブリュンヒルドとシグルズの悲恋――哀しみの渦に眠る幸福と美を見つめることのできる蛍の慧眼、言葉の一つ一つにも、僕は静かなる高揚を燃やした。

 生まれて初めて、誰かを“欲しい”と強く希った。

 蛍と一緒であれば、僕の求める真理へ……求めていた答えに至ることができるかもしれない。

 人を愛することのできない僕は、初めて“愛”を知るというのだろうか。

 ならば、かまわない。

 愛し愛されることも。

 殺されるほどに切望されることも、相手が君なら。

 だから……悪いね、蛍。

 美しき君の魂を愛し、君の意志を尊重すると言っておきながら、僕は君を誰にも渡したくはなかった。

 君を傷つけ穢そうとする醜い人間の口を引き裂いてやりたかった。

 君の美しさに気付いている男の瞳、君の瞳を奪おうとする人間の顔に、いつも火をつけたくてたまらなかった。

 ああ、でも、目障りな人間を始末し、僕の築いた鳥籠へ蛍を閉じ込めるのも悪くはないが、それでは意味がない。

 一方的な支配と服従では、蛍の魂の美しさは発揮されない。

 むしろ枯渇を生んでしまい、彼女の心も僕から遠ざかってしまうことは想像できた。

 だから僕は、傷害と殺人を除けば、僕から蛍を奪うあらゆる可能性と脅威を(ことごと)く排除してきた。

 そのためならば、人に忌避されてきた己の容姿も、彼らに不都合な情報も、僕に好意的な協力者すら利用し、ありとあらゆる手段を尽くした。


 そして、最も寒かった運命の冬夜――僕は()として()の蛍を、ようやくこの腕に抱きしめた。


 『深月、好き――』


 不安に怯える哀れな子どもだった蛍は、好奇心旺盛で純真な少女に育った。

 やがて崇高な理想と確固たる意志を胸に、僕ですら見出さなかった道を歩む女性として美しく花開いた。

 少女のように純真、かつ女神のように凛とした美しさを宿した蛍に、僕はずっと抑えてきた想いを口づけに籠めた。

 僕の名前と僕へのひたむきな愛慕を囁く蛍は、この上なく清らかで美しかった。

 僕が唇を落とした瞼から零れた涙は甘美な味がした。

 夢の第一歩を踏み出した蛍が知る由もなかった僕の想い――欲望を孕んだ恋情を受け入れてくれたあの夜は、人生で最も幸福、永遠に等しき刹那となった。

 もしも、あの後も何事もなく穏やかな日々を約束されたのならば、僕達は離れずに済んだのだろう。

 なのに、()()()()()が、あの忌々しき“計画”は――僕達を引き離し、僕の目論見を全て台無しにした。



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