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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第3章『氷雪の暁』(終)
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『薄氷の下に葬ったもの』③

 「クラッキングの主犯は、深月義兄さんの側近であるフェンリル、もしくはB・Bと名乗った暗躍していた黒沢刑事官ではないか、と最初は疑いました。けれど、十三夜美術館の爆破・立てこもりを指揮したフェンリルの死後も、新たな型を持つコンピューターウィルスの侵入と撃退は止まなかった。それに、義兄さんに洗脳された黒沢刑事官には、クラッキング技術を学んだ経歴もありません。警察署の厳重なコンピューターシステムをクラッキングできるほどの高度な技術を、黒沢刑事官が短期間で学習したとは考え難いです」


 凍てつく宙を儚げに舞う雪を虚ろに眺めていた内村先生の瞳の奥は、蛍をじっと窺っている。蛍の答えを待ちわびるように。

 推理の結論を奏でる蛍の喉は、固唾を呑み込む余地すら耐えて、さらに力を籠めていく。


 「今まで深月義兄さんが冒した犯行は皆、警察のコンピューターシステムと捜査を出し抜くほどの、高度なクラッキング技術を備えた援助者が存在しなければ成立し得ないものばかりでした」

 「……と、いうと?」

 「第三次世界大戦の裏側で、“敵国のコンピューターシステムへの侵入と破壊”、機密情報の漏洩によって戦況を有利に運んだことで、日昇国の敗北を回避させた……ですよね?」

 「……」

 「凄腕の軍属ハッカーと謳われた、内村大佐。あなたなら、可能でしょう?」


 日昇国を救った“影の英雄”である内村軍医大佐の誉れ高い功績の証。

 迷いのない澄んだ瞳で内村先生を射抜きながら、蛍は楔を打ち込んでいく。

 一方、内村先生は感情の凍てついた微笑みを保ったまま、自嘲するように呟いた。


 「なるほど。確かに元麻酔外科医、元軍属ハッカーのとしての技術と経歴を持つ警察医は、署本部では私だけです……となれば、真っ先に疑わしいのは、私ですね」

 「ええ。それにしても、クラッキングまでできる医師なんて、まるでおとぎ話(フィクション)みたいです……」


 深月による幾多の犯罪事件を影で援助していた共犯者は、内村先生だ、と見抜いた蛍の推理。

 そして、悲哀で微かに瞬く蛍の真剣な瞳とさりげない皮肉に、先生は思う所があったのだろうか。


 「ふふふ……あははははっ……! 警察官権限を使えば、個人の経歴や情報を入手するのは簡単であることを、私はすっかり失念していましたよ。私事(プライバシー)保護の権利を未だ謳っていた時代が、ひどく懐かしい」


 冬の静謐に融けていた内村先生は、突如高笑いを奏でた。

 作り物の動揺で飾った台詞と共に、先生はやはり不相応なほど温雅な微笑みを湛えたまま。

 底冷えするほどに澄み渡った眼差しは、蛍の瞳を貫くように覗き込む。


 「蛍君の推理は中々に興味深い。しかし残念ながら、君の言葉は決定打に欠けています。何故なら、深月が始めた一連の事件に、私が加担した、という確かな“証拠”がありませんよね?」


 内村先生の真っ当な指摘に対し、蛍は反論することも表情を変えることもせず、暫し沈黙する。

 先生の言う通り、現時点まで語られた蛍の推理は全て、事件状況の不審点や疑惑等に基づく“憶測”に過ぎない。

 脱獄殺人事件が起きる前に深月を診察し、直後休暇を取って実家のハーベストムーン区にいるはず先生が――何故かフロストムーン区で、しかも指名手配犯の深月達と相対している不自然な状況、そして彼自身の経歴を鑑みれば、警察ですら彼へ嫌疑を向けるだろう。

 とはいえ、深月の犯罪と脱獄を先生が幇助した決定的な証拠も、先生のアリバイ行為の矛盾点を突く論破も、蛍は何一つ示せていないのだ。

 そもそも、ルーナ警察署の情報分析部門すら出し抜く凄腕クラッカーによるサイバー犯罪の痕跡を辿り、動かぬ証拠を掴むことは難関である。

 それこそ、冬雲や雪影を掴む行為に等しく。

 一方、内村先生を見つめる蛍の瞳は、切ない諦めに透んでいるが、不思議と悲壮な色相は感じられない。

 それどころか、自分なりの推理を理路整然と展開したわりに、蛍は静穏な表情を崩さない。

 矛盾点の洗い出しや証拠呈示によって、先生を論破しようとする意気込みすら消え失せている。

 もしや、蛍君は――私を追い詰める気も、それに必要不可欠な証拠すら最初からないのでは――。


 「そうですね、私は――」


 内村先生の頭へ不意に浮かんだ一つの推測を裏付けるように、蛍は静かに応えようとした。

 雪に咲く花びらのように可憐な唇が奏でたのは、至極穏やかで、けれどどことなく切ない感情を閉じ込めた声。

 蛍の真意を物語る声色は、内村の胸中でとっくの昔に凍結したはずの琴線にそっと触れた気がした。

 

 「いいえ、“証拠”なら()()()()()()()()

 「深月、義兄さん……?」


 内村の疑問を余所に蛍の声を遮ったのは、意外にも深月だった。

 傍観に徹していた深月の予期せぬ台詞に、蛍だけでなく先生の表情にも波紋が生じた。

 蛍と先生の困惑めいた視線は、深月へ一斉に注がれる。


 「――深月君、あなたという人は」


 深月とは似て非なる――氷結の蓮華さながら清雅で冷たい微笑みは、ここで初めて感情の熱によって崩れ始めた。

 今までの犯罪を実行するのに必要不可欠な資金からあらゆる情報・技術等に至るまで、深月にとって一番の恩人であるはずの内村先生。 

 よりによって恩恵を受けてきた深月自身が、恩人の立場を危うくする爆弾を今ここで投下しようとしているとは。

 深月は痩身を包む外套の懐から“何か”を取り出した。


 「()()()()()()()を、返さないといけないと思いまして」


 舞う雪を掬い上げるような手付きで手のひらに乗せられたのは、一つの“医療用メス”。

 一見場違いな道具へ、蛍と内村の視線が集中する。

 しかし、己にとって重大な意味を現わす医療用メスを前に、先生の双眸はこれまでにないほど見開かれた。

 荘厳な草花の彫絵を施された長い柄や、触れただけで皮膚を裂く鋭利な刃は、プラチナ(白金)さながらの耀きを放つ。

 恐らく昔から現代人でも入手は非常に限られた、最高級の一品モノのメスであることは窺える。


 「深月義兄さん、どうして」


 内村先生の執務室に飾られていたのとほぼ同じ――。

 手入れの行き届いた清廉な耀き、と柄の立派な彫り装飾を施された医療用メスに、蛍も確かに見覚えがある。

 一方、驚きに見開いた蛍の瞳が伝えようとしていることを既に知っている深月は、代わりに続ける。


 「話が進まないようだからね。蛍の知りたがっていることは、犯行法(ハウダニット)とは別のところにあるだろう? ですよね? 我が恩師」

 「君に言われずとも、私は気付いていましたよ。君の協力者である私を推理で追い込み、逮捕するつもりは、今の蛍君には最初からなかったことも。あっていますかね? 蛍君」


 蛍と深月を密かに追跡し、影から窺っていた内村先生の存在に気付き、今までの事件の関与を推理で展開していった蛍。

 とはいえ、深月の犯罪幇助を含むあらゆる罪や違法行為を冒した先生に、蛍はあえて引導を渡すつもりはなかった。

 何故なら、暗躍していた先生の存在に気付いた蛍が、今最も彼らに求めることは、唯一つ。


 「……はい。ただ私は、深月義兄さんと、内村先生から確かめたかっただけです。何故、二人がこんなことをしたのか、を。何のために……()()()()()()()


 蛍ともう一度、共に生きる――。

 ほんのささやかで唯一つの悲願、とその成就の妨げとなる全てを排除する。

 それだけのために冷酷非道な犯罪者となって幾多の人間の命を踏みにじり、多大な犠牲を捧げた深月。

 深月の呪われた悲願、狂気に彩られた愛を成就させるための援助を惜しまなかった内村先生。

 二人に共通するのは、自分にとって大切なもの以外に対し、どこまでも冷酷で無慈悲な罪人、そして冷たき炎さながらの感情。

 哀しい色に澄んだ氷炎を灯す心に秘められた、強い執念と狂気、それへ至った背景を、蛍は知りたがっていた。

 切なげな声を絞り出しながら、自身の求めることを真っ直ぐ告げた蛍に対し、内村先生は。


 「()()()()()()()()()()、蛍君」

 「え……?」


 予期せぬ感謝の言葉、そして決して作り物ではない心からの微笑み。

 蛍は思わず虚を衝かれた表情になる。


 「大切な人のことをちゃんと理解したい。そのために、自分にとって常軌を逸した罪深き現実とも向き合う。ただ相手に答えばかりを求め、願うだけで、自分からは何もしない。自主性に欠ける人間ばかりを、僕は見てきた」


 柔らかで淡々とした声に押し込めた過去への失望、そして現在への期待。


 「けれど、君は願うだけで終わらせずに、()()()()()()()()()()も追いかけ続けた。僕への誠意も深月君への真摯な想いも、君の推理からよく伝わってきました。だから僕からも、君へ“褒美”を与えなければ」


 どうやら内村先生は、蛍の真摯な態度を心から讃えているらしい。

 隣で優しげに微笑む深月だけでなく対面で佇む先生も、至極満足そうな様子を見せていた。


 *


 凍える冬夜と淡雪に満ちた港から、埠頭に佇んでいたクルーザーの室内へ場所を変える。

 コクピットの操縦席には、内村先生が手配したと思しき“船乗りの男性”が待ち構えていた。

 三十代後半と思しき大柄の長身、それに不相応なあどけなさ。

 日に焼けた顔から覗くピスタチオグリーンの瞳からは、何の感情も読み取れない。


 「ありがとう。出発までもう暫く時間を有するけど、いいかな」 


 外国籍を匂わせる容貌の男は無言で頷いた。


 「彼は、船乗りの()()()()()だ」


 ヴィクターと紹介された船乗りの男性は内村先生へ目配せすると、蛍と深月にも無言で会釈した。

 ヴィクターは寡黙な性格か、それとも日本語通ではないのか。

 直ぐに興味の失せた様子でそっぽを向くと、一人で操縦席に腰掛けた。

 クルーザー内のコクピットに背を向けて腰掛ける内村先生。

 向かい席に並んで座る蛍と深月の二人。

 氷に閉ざされた静寂を温めたいと思いから、先に蛍が口を開いた。


 「この船は一体?」

 「これも準備してもらった道具だよ……()()()()()のために」


 蛍の素朴な質問には、深月が快く答えてくれた。

 深月が移動時に使用した旧時代式バイクから、IDカード不正利用に必要な機器、潜伏先での設備や食材諸々、この亡命用のクルーザーも全て、内村先生が予め手配してくれたものらしい。

 親愛なる元教え子とその義妹を、両親の死後も気にかけてくれたのは内村先生。

 しかし二人の逃亡のために、何故先生はここまで手を尽くしてくれるのか。

 その氷面の底さながら捉え難い“影の献身”とその理由についても、今から分かるというのだろうか。

 蛍と深月、そして内村は、嘘も誤魔化しも失せた透明な眼差しを互いへ静かに注いだ。

 刹那の厳かな沈黙の後、内村先生は落ち着いた微笑みを咲かせたまま、淡々と語り始めた。


 「では、どこから話しましょうか――」


 怒りも哀しみも含まない、ただ無謬なる事実を――。

 薄氷を丁寧に踏み崩して歩むような緊張と危うさの中、奏でられた真実の言葉の一つ一つは……またしても蛍の予想と理解の範疇を超えていた。



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